野木神社

[のぎ神社]

栃木県下都賀郡野木町野木2404

主祭神:菟道稚郎子命 配神:息長足比売命・譽田別命 田心比売命・湍津比売命・市杵嶋比売命
境内社:王子稲荷神社・厳島神社・雷電神社 合祀社(天満宮・猿田彦神社・星宮神社・稲荷神社)
旧地名:下都賀郡野木村大字野木字宮本
四号線から261号に南に入ってすぐに社号標と一の鳥居が見える。はるか北に社殿があるが遠くて見えない。長い参道を進むと二の鳥居の右手に野木小学校。さらに進むと左手に手水舎があり,玉垣内に大正十三年1924三の鳥居。かつては石鳥居四基と記録されている。
拝殿手前右手に樹齢650年の大ケヤキと樹齢1200年を超える大イチョウ。これだけでも参拝の価値がある。
大化改新以前の創建と伝わる下野古社19社の一つで,正確な創建年は不詳だが,8世紀にはすでに祀られていた。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位大明神 野木 海老沼神主
*『下野神社沿革誌』4巻43丁 明治三十六年1903
下都賀郡野木村大字野木字宮本鎭座 郷社 野木神社 祭神 正殿菟道稚郎子命 左殿息長足姫命譽田別命 右殿田心姫命湍津姫命市杵嶋姫命 建物本社間口三間奥行二間半銅葺 拝殿間口七間奥行四間 饌殿二間四方 神楽殿間口二間奥行三間半各瓦葺 石華表四基 石燈籠四基 寳物 縁記舊書二巻/野毛左近太夫種凞仝兵衛太夫凞友の記傳なり 唐鏡一面/亘四寸三卜平圓量目三十匁空海の奉納 銀玉劒太刀及數品 舊跡 臺手函 御休塚 馬身塚 見隠塚/本社馬塲の眞向にあり死亡者街道を通行する時は本社を見避るかために此裏を回るものとす 兒子ヶ池 氏子百七十三戸総代三員 社司海老沼友喜/仝村仝大字住 社掌熊倉多作/仝村仝大字住
本社は仁徳天王の朝下野國造奈良別命(崇神天王の皇子豊城入彦命四世の孫)當國に赴任せられし時菟道稚郎子を斎き祭れる所にして其後弘安年間蒙古入寇の時鎌倉將軍より攘夷祈念の命ありて左右兩殿に五柱の神を合祀せるものなり
…以下3頁にわたる長文の解説。皇太子の御遺骸を歛めし所と伝わる臺手函について,延暦年間に坂上田村麻呂が宮殿を造営遷座したこと,明治八年1875乃木希典が伝来の陣羽織等を寄附したこと,空海の植えた銀杏・槻の木,文晁の絵馬,狩野派一派の奉額などを記述し,境内風景を賞する名文が綴られている
風景 長閑けき春の暁には梅櫻の色香愛つへく緑葉茂き夏の日は薫れる風に袂を拂わせ雁の月に鳴くなる秋の天には林間に錦織りなす紅葉を賞し…略…
社域三千坪にして四境概ね平坦にて参拝者のためにも便多んりき 本社は勿論末社雜舎に到るまて粲然と備はり壯麗にして閑雅なる本社の如きは稀れにある所にして一度此社に詣てしものゝ能く知る所なるへし

一の鳥居 二の鳥居
左手に手水舎 三の鳥居から東方向を
鳥居脇の由緒書き
立派な賽銭箱 拝殿内右手
拝殿内左手
社務所方向
算額
大きな本殿
大イチョウ 風格がある
神輿庫
社務所への通廊をくぐると 本殿右手奥に 王子稲荷神社
稲荷神社本殿
神楽殿 右:神楽殿
神楽殿 合祀社
天満宮・稲荷神社 星宮神社・猿田彦神社
合祀社内:維新前の額か 厳島神社
美しい額
本殿 二輪草
雷電宮

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県下都賀郡野木町野木2573

祭神:大雷大神
境内社:三峯神社・水神社・八坂神社
永禄四年1561創建。明治四十年1907に屋中村大字恵下野から現在地に遷宮。明治四十二年1909社殿造営。 嘉永元歳戊申1848石燈籠。元治元年1864手水石。社殿裏手に「干時嘉永元戊申歳1848九月吉日」のxx大明神。残念ながら読めない。
拝殿右手に石鳥居つきで「水神宮」,その右手に石塔・石像が保存されている。
拝殿左手の覆屋内に「三峯神社」と「木花佐久夜姫」石塔。となりの石祠は「新光稲荷神社」
雷電宮
裏手から
鳥居脇の切株
鳥居脇 嘉永元歳戊申1848
元治元年1864 水神宮
水神宮 水神宮内 水神宮内
北側の石像
三峯神社 木花佐久夜 新光稲荷神社
裏手のxx大明神
大杉

大杉神社

[おおすぎ神社]

栃木県下都賀郡野木町野木1854

野木神社の北,4号線の西に入ったところに鎭座。詳細は分からない。古いものでは寛政十一年1799の十九夜供養塔。
神輿 右手の石塔 左手
寛政十一未天1799
天保十五辰1844馬頭観世音 嘉永三庚戌歳1850
熊野

熊野神社

[くまの神社]

栃木県下都賀郡野木町野渡752

主祭神:伊弉諾尊
境内社:浅間神社・大杉神社・神明宮
下都賀郡・野木村大字・野渡
一の鳥居両脇に由緒書きと祭典日板書。大宝三年703創立の古社。
天保四年1833二の鳥居。三の鳥居をくぐると天保七年1836手水石。後ろ足を立てた狛犬の左手に石鳥居付きで「浅間宮」
左手に御嶽山三社大神,白龍神,石祠,参明藤開山石塔。右手に御嶽神社石塔。浅間宮内の石版に「浅間大神・愛宕神社・馬力神社」の文字。
参道を挟んで右手向かいに石鳥居付きで「神明宮」,「大杦神社」
拝殿右手に二宮尊徳石像,湯殿山・月山・羽黒山(慶応二年1866),御嶽山・愛宕山(明治四年?),帯屋塚・神明塚・稲荷神社(明治三十九年1906)など。
近くで見ることはできないが,本殿前左右に木製の桝が置いてあり,いずれにも「紀州熊野神社から大宝三年703三月御神霊として小石を祖先がお迎えした物のである」と墨書されている。このマスに小石が入っているのだろう。
東隣りの寺院は光明寺,西に万福寺。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 熊野大権現 友沼松原新田 法音寺
*『下野神社沿革誌』4巻45丁 明治三十六年1903
下都賀郡野木村大字大字野渡鎭座 村社 熊野神社 祭神 伊弉諾命 建物本社二間半四方 拝殿間口四間半奥行二間半 末社三社 氏子百四十八戸
本社は大寶三年703三月の創立にして川島對馬の勧請なり
社傳に曰く 往古紀州熊野郷の人川島對馬(子孫今尚連綿たり)故ありて日本諸國を歴遊し下野の原野に至る 土地肥饒にして水運の宜しきを見て此土を開墾し泥濘を疎通し以て一の村落を起す 此時に當りて土地を鎭する神社なし 故に吾生國紀州熊野神社は氏神なるにより本社に到り自ら神璽に誓ひて御分霊を奉戴して土地鎭護の神と齋ひて祀りたる社にして累世閎村人民崇信して鎭守神とす 社域二千六百三十一坪宏寛の境を有し字神山の瀟洒の地に鎭す
由緒 祭日
二の鳥居 天保四年1833 二の鳥居額
旗竿 三の鳥居 参道左手
手水舎 逆立ち狛犬
浅間宮 浅間宮左手 浅間宮右手の御嶽神社
浅間神社・愛宕神社・馬力神社 神明宮
神明宮 大杦大神
大杦大神 大杦大神
ふたつめの狛犬
拝殿前に三基めの狛犬
手水舎
拝殿内
拝殿右手 二宮尊徳
立派な本殿
本殿 本殿前の狛犬
小石の伝承が書かれている 本殿軒
本殿 御神木 入口左手

 

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