野木神社

[のぎ神社]

栃木県下都賀郡野木町野木2404

主祭神:菟道稚郎子命 配神:息長足姫命・譽田別命・田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命
境内社:王子稲荷神社・厳島神社・雷電神社 合祀社(天満宮・猿田彦神社・星宮神社・奈良別神社)
旧地名:下都賀郡野木村大字野木字宮本
四号線から261号に南に入ってすぐに社号標と一の鳥居が見える。はるか北に社殿があるが遠くて見えない。境内地は5159坪。長い参道を進むと二の鳥居の右手に野木小学校。さらに進むと左手に手水舎があり,玉垣内に大正十三年1924三の鳥居。かつては石鳥居四基と記録されている。
拝殿手前右手に樹齢650年の大ケヤキと樹齢1200年を超える大イチョウ。これだけでも参拝の価値がある。
大化改新以前の創建と伝わる下野古社19社の一つで,正確な創建年は不詳だが,8世紀にはすでに祀られていた。
例祭:8月4日 
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位大明神 野木 海老沼神主
*『下野掌覧』万延元年1860 都賀郡之部
野木大明神 野木村鎮座 祭主海老沼氏ナリ
*『下野神社沿革誌』4巻43丁 明治三十六年1903
下都賀郡野木村大字野木字宮本鎭座 郷社 野木神社 祭神 正殿菟道稚郎子命 左殿息長足姫命譽田別命 右殿田心姫命湍津姫命市杵嶋姫命 建物本社間口三間奥行二間半銅葺 拝殿間口七間奥行四間 饌殿二間四方 神楽殿間口二間奥行三間半各瓦葺 石華表四基 石燈籠四基 寳物 縁記舊書二巻/野毛左近太夫種凞仝兵衛太夫凞友の記傳なり 唐鏡一面/亘四寸三卜平圓量目三十匁空海の奉納 銀玉劒太刀及數品 舊跡 臺手函 御休塚 馬身塚 見隠塚/本社馬塲の眞向にあり死亡者街道を通行する時は本社を見避るかために此裏を回るものとす 兒子ヶ池 氏子百七十三戸総代三員 社司海老沼友喜/仝村仝大字住 社掌熊倉多作/仝村仝大字住
本社は仁徳天王の朝下野國造奈良別命(崇神天王の皇子豊城入彦命四世の孫)當國に赴任せられし時菟道稚郎子を斎き祭れる所にして其後弘安年間蒙古入寇の時鎌倉將軍より攘夷祈念の命ありて左右兩殿に五柱の神を合祀せるものなり

…以下3頁にわたる長文の解説。皇太子の御遺骸を歛めし所と伝わる臺手函について,延暦年間に坂上田村麻呂が宮殿を造営遷座したこと,明治八年1875乃木希典が伝来の陣羽織等を寄附したこと,空海の植えた銀杏・槻の木,文晁の絵馬,狩野派一派の奉額などを記述し,境内風景を賞する名文が綴られている。
本社を距る西南の方凡八丁程に臺手函と唱ふる靈迹ありて古來より皇太子の御遺骸を斂めし所と云ひ傳ふ(按するに臺手函は古代の器實にして御尊骸を之に斂めし故に斯く名つけしならんか 大日本史列傳に日本書記及ひ續日本後紀を引用して宇治稚彥皇子我朝の賢明其死也遺命散骨云云とあり 源光國此遺命の意を信せさる如くなれと如此古傳もあれは皇太子思ふ旨ありて或は散骨の遺命をなせしもしるへからす)往古は此處に宮殿ありしも延曆年間征夷副使坂上田村麿蝦夷を討して凱旋の折り鎭撫の功を奏したる報賽のため今の處へ宮殿を造營遷座せしものなるよしにて毎年二月廿八は春渡の神事を行ひ亦大祭の日より六日を經て平國の神事を行ふなと皆な田村將軍の故時に灌興せるものなり
文治年間源朝賴より神田を寄附し建仁年間神馬を献せられし旨は東鑑にも見へ其文に曰く「文治二年1186九月三十日癸酉下野國寒川郡之内以田地拾五丁被付日光山三昧田當郡去年雖寄進於野木宮於件拾五丁者可被切改國領」云々亦國書に建仁三年1203十月十四日己酉(中略)野木宮以下諸社被奉神馬是世上無為之御報賽云々とあり神馬は寒川巡幸の時死したるにより社頭を距る北方凡十丁の地に埋め馬身塚と呼へり
本社往古の神領は寒川郡の内迫間田,寒川,中里,鏡,小袋,井岡,網戸,下河原田の八村(井岡小袋は鎭守神を同ふし故に一郷となす)合せて七郷なり 故に當郡の大領大惣社と稱し毎年殿内の鉾を奉して七郷を巡廻し郷毎に行宮の設けありて旅所と稱へ正一位大明神と崇めて各郷村の鎭守たり されと本社より巡幸することなけれは祀典を行ふことなく人民も又野木神社の氏子と稱して祭典の折には七郷輪番を以て酒饌を献し例へは甲の村に死亡者あるも乙の村輪番なる時は乙の村に葬むる如き遣風今宵存して渝らす 足利氏の末路戰乱相踵き神領も或は失ひ宮殿も又破壊に及ひしも長録三年時の神官海老沼常基氏努めて之を再興し元和年間に到り幕府より社領黑印地十五石を賜り其後領主下総國古河城主代々特に崇敬を加へられ寛永年間土井大炊頭利隆より太刀一口を納められ今尚祭典の時用ゆ享保十六年三月廿九日本多中務大輔忠良より劔玉二種を寄付狀と共に奉納せられ後堀田相模守正亮より太刀二振を納められ皆今に傳ふる所なり 領主又本社を待つに領内の鎭守及ひ祈願所を以てし毎年正月を以て領主の武運長久を五月を以て領民の安寧を祈るへきを命せられ神符を執政所に納めて領主より領民一班へ頒布し宮殿の修繕等も各領内へ賦課して營繕の費用を出さしむ 則ち文化三年1806二月廿二日宮殿悉く祝融の災に罹りしに領主土井利厚之を嘆し領内高百石毎に金壹兩を課して改築の功を遂け其後嘉永五年に到り修繕に常つても尚高百石毎に金壹分二朱を課して其費を辨せられ且豫備金の方法をも定められたり
明治八年1875九月四日陸軍少佐正六位乃木希典より寄付狀に添へて傳來の陣羽織其他數品を納めらる 這は氏か祖先の氏神なるによりてなり 斯く古來より本社か衆庶の崇敬を加へられしを見て其神威の灼乎なるを知るに足るへし
本社の風景長 閑けき春の暁には梅櫻の色香愛つへ<緑葉茂き夏の日は薫れる風に袂を拂はせ雁の月に嗚くなる秋の天には林閥に錦織りなす紅葉を賞し六つの花霏々と時ならぬ木々に咲き匂ふ冬の節には銀世界の中に逍遥すへし四季折々の光景自つと備はつて美觀勝地と稱へらるヽものは實に本社の風景らんか 奥羽國道の傍ら誰か目にも此れとは見附くへき一株の松あり 操は變へぬ常磐木の緑の色は亭々と雲を凌ける如くにて大同年中空海の植ゑ附けしものなれと巳てに生を代へて今は三代となりなるよし 之れより馬塲に入る五町弱石の華表を潜る四基にして本社に到る 其兩側は杉の古木隙なく繁りて幾千代の色を染めなしけん自つと畏しこき心地すめり 拜殿の向手には紅葉梅櫻なんとの類ありて時の眺めもさこそと推し測られて床かし中に一本の銀杏あり幹は太とくして尋にも余り枝は茂くして空をも衝くへき千年の苔蒸して古色靄然たる之れ又空海の植ゆる所なりとか凡そ乳の嬰児を孚育むに不足なるものは此の樹屑を煎して服すれは立所に靈驗ありとて諸人の信仰厚く其験を得たる徒らは皆白布を以て乳形を製り之を納むる例なりとて其數幾何となく樹枝に掛け列ねたる狀なと中々に貴ふかり
邦殿を去る坤の方一町可りに御神水あり周圍凡五十間水漫々湛へて淸らかなり之れに沿ふて槻の大木あり同しく空海の植ゆる所に係る枝の半はヽ先つ年祝禄の災により本社拜殿消失の折り共に燒け朽ちたれと幹は巖の如く尋にも余るへき空洞となりて落ちて砕くる樹屑は皆巳てに石に化せり 歩を移して拜殿に進めは先つ目を驚すものは文晁の筆になれる繪馬なり大さ六尺有余將にひつめを蹴立てヽ額中より躍り出んす有様宛も生けるか如し 其他狩野家一派の巧妙なる手になりたる奉額等ありて覺す感に堪へさらしむ 社域三千坪にして四境概ね平坦にて參拜者のためにも便多かりき 本社は勿論末社雑舎に至るまて燦然と備はり壯麗にして閑雅なる本社の如きは稀れにある所にして一度此社に詣てしものヽ 能く知る所なるへし

一の鳥居 二の鳥居
左手に手水舎 三の鳥居から東方向を
鳥居脇の由緒書き
立派な賽銭箱 拝殿内右手
拝殿内左手
社務所方向
算額
大きな本殿
大イチョウ 風格がある
神輿庫
社務所への通廊をくぐると 本殿右手奥に 王子稲荷神社
稲荷神社本殿
神楽殿 右:神楽殿
神楽殿 合祀社
天満宮・稲荷神社 星宮神社・猿田彦神社
合祀社内:維新前の額か 厳島神社
美しい額
本殿 二輪草
雷電宮

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県下都賀郡野木町野木2573

祭神:大雷大神
境内社:三峯神社・水神社・八坂神社
永禄四年1561創建。明治四十年1907に谷中村大字恵下野から現在地に遷宮。227坪。明治四十二年1909社殿造営。
嘉永元歳戊申1848石燈籠。元治元年1864手水石。社殿裏手に「于時嘉永元戊申歳1848九月吉日」のxx大明神。残念ながら読めない。
拝殿右手に石鳥居つきで「水神宮」,その右手に石塔・石像が保存されている。
拝殿左手の覆屋内に「三峯神社」と「木花佐久夜姫」石塔。となりの石祠は「新光稲荷神社」
例祭:1月28日
雷電宮
裏手から
鳥居脇の切株
鳥居脇 嘉永元歳戊申1848
元治元年1864 水神宮
水神宮 水神宮内 水神宮内
北側の石像
三峯神社 木花佐久夜 新光稲荷神社
裏手のxx大明神
大杉

大杉神社

[おおすぎ神社]

栃木県下都賀郡野木町野木1854

野木神社の北,4号線の西に入ったところに鎭座。詳細は分からない。古いものでは寛政十一年1799の十九夜供養塔。
神輿 右手の石塔 左手
寛政十一未天1799
天保十五辰1844馬頭観世音 嘉永三庚戌歳1850

龍神社

[りゅう神社]

野木町・若林387

主祭神[高龗神]

旧地名:下都賀郡野木村大字若林字北387
主祭神:高龗神[たかおかみのかみ] 配神:軻遇突智神
建久二年1191の創立。元禄の頃に社殿を新築し,安政三年1856の暴風で大破し万延元年1860に再建する。昭和10年に本殿を新築し,拝殿を改修している。
野木変電所の東の林に鎮座。見つけにくいかも知れない。変電所を背にしてすぐ右手の舗装されていない林へ入る道を直進>左折>直進>左折でたどりつく。
真新しい赤文字の社柱に「龍神社」 その前の昭和十年十一月の社柱も残されており「村社龍神社」
旗杭と大正八年奉納額には「八龍神社」
左手の大正四年の奉納額は「龍神社」
昭和55年の鳥居額と拝殿内の鳥居建設の名簿は「龍神社」なので若林鎮守の「龍神社」である。
新版『栃木県神社誌』には通称「八龍神宮」も併記。
左手奥に「愛宕神社」「雷電神社(大雷神)」「稲荷神社(豊受姫命)」が整然と並ぶ。覆屋つきのもう1社は不明。
「平成五年指定・野木町名木・龍神社のすぎ」の立て札。木肌も美しい御神木がすっくと立っている。
「奉建立石燈籠・宝暦二壬申・九月吉日」1752が2基残されている。
本殿:流造銅版葺 拝殿:流造銅版葺 例祭:11月28日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡,八竜神,若林,成就院
**『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)4巻46丁
下都賀郡野木村大字若林鎭座
村社 龍神社
祭神 高龗神 建物本社間口二間奥行九尺 拝殿間口三間奥行二間 末社二社 氏子二十五戸・総代員 社掌
本社創建不詳社域一千七十二坪を有し字北に鎭す
「龍神社」 昭和10年も「龍神社」 「龍神社」
「八」つき 「龍神社」
寶暦2年1752は古い
熊野

熊野神社

[くまの神社]

栃木県下都賀郡野木町野渡752

主祭神:伊弉諾命
境内社:浅間神社・大杉神社・神明宮
下都賀郡・野木村大字・野渡
一の鳥居両脇に由緒書きと祭典日板書。大宝三年703創立の古社。
天保四年1833二の鳥居。三の鳥居をくぐると天保七年1836手水石。後ろ足を立てた狛犬の左手に石鳥居付きで「浅間宮」
左手に御嶽山三社大神,白龍神,石祠,参明藤開山石塔。右手に御嶽神社石塔。浅間宮内の石板に「浅間大神・愛宕神社・馬力神社」の文字。
参道を挟んで右手向かいに石鳥居付きで「神明宮」,「大杦神社」
拝殿右手に二宮尊徳石像,湯殿山・月山・羽黒山(慶応二年1866),御嶽山・愛宕山(明治四年?),帯屋塚・神明塚・稲荷神社(明治三十九年1906)など。
近くで見ることはできないが,本殿前左右に木製の桝が置いてあり,いずれにも「紀州熊野神社から大宝三年703三月御神霊として小石を祖先がお迎えした物のである」と墨書されている。このマスに小石が入っているのだろう。
東隣りの寺院は光明寺,西に万福寺。
例祭:4月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 熊野大権現 友沼松原新田 法音寺
*『下野神社沿革誌』4巻45丁 明治三十六年1903
下都賀郡野木村大字大字野渡鎭座 村社 熊野神社 祭神 伊弉諾命 建物本社二間半四方 拝殿間口四間半奥行二間半 末社三社 氏子百四十八戸
本社は大寶三年703三月の創立にして川島對馬の勧請なり
社傳に曰く 往古紀州熊野郷の人川島對馬(子孫今尚連綿たり)故ありて日本諸國を歴遊し下野の原野に至る 土地肥饒にして水運の宜しきを見て此土を開墾し泥濘を疎通し以て一の村落を起す 此時に當りて土地を鎭する神社なし 故に吾生國紀州熊野神社は氏神なるにより本社に到り自ら神璽に誓ひて御分霊を奉戴して土地鎭護の神と齋ひて祀りたる社にして累世閎村人民崇信して鎭守神とす 社域二千六百三十一坪宏寛の境を有し字神山の瀟洒の地に鎭す
由緒 祭日
二の鳥居 天保四年1833 二の鳥居額
旗竿 三の鳥居 参道左手
手水舎 逆立ち狛犬
浅間宮 浅間宮左手 浅間宮右手の御嶽神社
浅間神社・愛宕神社・馬力神社 神明宮
神明宮 大杦大神
大杦大神 大杦大神
ふたつめの狛犬
拝殿前に三基めの狛犬
手水舎
拝殿内
拝殿右手 二宮尊徳
立派な本殿
本殿 本殿前の狛犬
小石の伝承が書かれている 本殿軒
本殿 御神木 入口左手
大杉

水神宮

[すいじんぐう]

野木町友沼2830

思川右岸には水神宮が3社鎮座。すぐ北隣りの小山市楢木(水速売命)と生良にも水神社(水速姫命・水速女命)が鎮座する。少し北上すると小山市塩沢(水速玉命)と左岸の粟宮にも水神社。渡良瀬川に合流する手前の思川下流に水神社が7社見つかる。思川は稲作の水源として欠かせないが,氾濫にも悩まされた。2002年にもこの一級河川の氾濫で橋が流されている。水神を祀る切実な事情があったのである。
祭神は『日本書紀』では「罔象女神[みつはのめのかみ]」「闇罔象[くらみつは],『古事記』では「弥都波能売神[みつはのめのかみ]」「闇御津羽神[くらみつはのかみ]で表記される[みつは]が原形の水神で,思川下流では「水速女命[みずはやのめのみこと]」「水速姫命[みずはやひめのみこと]」「水速玉命[みずはやたまのみこと]」「水速売命」と表記されている。友沼の3社は記録した文献が見つからず祭神表記不明。
都賀町家中では「水波能売命」,岩舟町和泉,那須塩原市鍋掛では記の「弥都波能売命」の表記。さくら市押上,真岡市中は「水速女命」,西方町本城は紀の「罔象女神」,佐野市多田の丸嶽山神社境内社では「水波之女命」。県外では水速男命と表記するところもある。
拝殿内に「新築記念の誌」板書が掲げられており,天和年間1681-84下影の水難守護の産(土)神として創建と書かれている。大正二年1913現在地に遷座,昭和三十六年1961新築造営。昭和五十四年1979改築。
拝殿内の嘉永三年1850の奉納板絵は,消えかけているが俵藤太が弓を射ている図柄。
鳥居脇に昭和三十七年の「水神宮」社号標。昭和十年狛犬。左手の台座に鎮座する石宮の左下石柱に「磐長媛」の文字。右下に「食行霊神・角?行霊神」(明治十四年1881)の文字が刻んである。左手に庚申塔など三基。
右手に稲荷神社。
2012年石鳥居左手に下影公民館。目の前に思川堤防。
右手に思川堤防
神輿と本殿 新築記念の誌 大旗新調記念
俵藤太の板絵 水神宮御供米田奉納記念
享和二年1802手水石 磐長媛 X行霊神
石祠の手前
左手 右手の稲荷神社 すばらしい造形
右手:思川堤防 中央の雲の下に鎮座
水神宮

水神宮

[すいじんぐう]

野木町友沼2141

昭和七年1932狛犬台座に「間々田町乙女・石工横塚某」
拝殿右手に「文化二乙丑年1805庚申塔」
平成二十四年石鳥居の脇に「寛政十年1798普門品供養」「文化二年1805十九夜供養塔」「文政十一年1828十九夜」など多数の石塔が集められている。その脇に「天保七丙申年1836石燈籠」。東隣りにお堂。
本殿 水神宮額
拝殿右手 鳥居方向 多数の石塔
天保七年1836
お堂 お堂内
水神宮

水神宮

[すいじんぐう]

野木町友沼1793

鳥居をくぐると延宝八庚申年1680青面金剛・正徳三癸巳年1713青面金剛・明治三十三年1900二十三夜塔が立っている。1680年造立は県内では古い方。左に直角に曲がると左右に石祠があって社殿。
旗杭を左に見て直進するとお隣りの八雲神社に出る。
中央:延宝八年1680
八雲神社

八雲神社

[やくも神社]

野木町友沼1831

主祭神:素盞嗚尊
思川の堤防が見える。上記水神社の東隣り。大正十二年1923「八雲神社由縁之碑」が右手にあり,東京下今井の八雲神社御分霊を勧請して明治七年1874に創建された新しい神社であることが分かる。新築記念碑は昭和三十八年1963。
境内に角神田部落公民館。旗杭手前の梅の木の下に元文二己巳年1737十月十九夜・文化三丙寅1806十九夜
真裏に水神宮
八雲神社由縁之碑 新築記念碑 角新田公民館
思川堤防が見える 元文二年1737十九夜
雷電神社

雷電神社

[らいでん神社]

野木町友沼325

主祭神:大雷大神 境内社:三峯神社
創建年月不詳。字中,中坪,中古屋坪の鎮守神。平成二年1990木鳥居。286坪。
例祭:2月25日
八幡神社

八幡神社

[はちまん神社]

野木町友沼912

主祭神:譽田別命 配神:大日靈貴命・武甕槌命・天児屋根命・火産霊命・素盞嗚命・倉稲魂命・天日鷲命・吉国男命 境内社:稲荷神社
創建年月不詳。天喜年間1053~58源頼義が再建したと伝わる。同時期に高良神社も再建している。平成二年1990本殿覆屋を新築。
例祭:11月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 八幡宮 友沼 法音寺
*『下野神社沿革誌』4巻46丁 明治三十六年1903
野木村大字友沼鎭座 村社 八幡神社 祭神譽田別命 建物本社間口一間四尺奥行二間二尺 拜殿間口五間半奥行三間四尺 末社一社 氏子二百八十三戸
本社創立不詳 社域一千八十六坪にして字宿通に在り
高良神社

高良神社

[こうら神社]

野木町友沼5232

主祭神:武内宿禰命 境内社:須賀神社
創建年月不詳。天喜年間1053~58源頼義が再建したと伝わる。このとき友沼912の八幡神社には譽田別命を祀り,当社には武人の武内宿禰命を祀った。532坪。
例祭:11月19日
愛宕神社

愛宕神社

[あたご神社]

野木町友沼848

主祭神:火結神→火産霊命
創建年月不詳。天保十一年1840の大火で消失。天保十五年1844再建。明治三十八年1905修理。136坪。
例祭:11月24日
星宮

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県下都賀郡野木町潤島610

主祭神:磐裂神・根裂神 配神:軻遇突智命 境内社:八幡宮・厳島神社・雷電神社
旧地名:下都賀郡野木村大字・星宮
天正十一年1583創建。465坪。
昭和十一年1936本殿新築。
明治四十年1907,八幡宮,厳島神社,雷電神社を合祀。
例祭:11月19日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 星宮大明神 関島 自性院 関島は潤島の誤
都賀郡 正一位 八 幡 宮 関島 自性院 関島は潤島の誤
*『下野神社沿革誌』4巻46丁 明治三十六年1903
野木村大字中谷鎭座 村社 星宮神社 祭神磐裂命 根裂命 建物本社間口二間奥行九尺 拜殿間口三間半奥行一間半 神饌所間口九尺奥行二間 末社一社 氏子三十一戸
本社創立不詳 社域四百六十五坪を有し字星宮に在り
神明

神明宮

[しんめいぐう]

栃木県下都賀郡野木町中谷391

主祭神:大日孁貴命 配神:軻遇突智命 境内社(旧社殿に祀られている):愛宕神社・月出神社・大杉神社・疱瘡神社
寛文六年1666創建。1358坪。
昭和十一年1936本殿新築。
例祭:11月16日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 太神宮 中谷新田 観音寺
*『下野神社沿革誌』4巻46丁 明治三十六年1903
野木村大字中谷鎭座 村社 神明宮 祭神大日孁貴命 建物本社九尺四方 拜殿間口三間一尺奥行一間半 末社五社 氏子五十戸
本社勸請年月不詳 社域三百三十六坪を有し字小屋前に在り
八幡

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県下都賀郡野木町川田420-1

主祭神:譽田別命 承久元年1219創建。正保五年1648社殿造営。元禄四年1691本殿,拝殿を再建。
明治四年1871雷電神社,稲荷神社,愛宕神社,山神社を合祀。863坪。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 正八幡宮 川田 鈴木築後
*『下野神社沿革誌』4巻45丁 明治三十六年1903
正一位 八幡宮 川田村鎮座 祭主鈴木氏ナリ
野木村大字川田鎭座 村社 八幡神社 祭神誉田別命 建物 本社間口九尺奥行二間 拜殿間口三間半奥行二間 末社二社 氏子五十六戸 社掌鈴木右内仝村仝大字住
本社創立年月遼遠にして詳かならすと雖も往古より一村の鎭守神にて社
八幡

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県下都賀郡野木町佐川野1318

主祭神:譽田別命
創立年等不詳。正保二年1645頃は13軒の氏神だった。現在も十三頭と呼ばれて総代を務める。195坪。
例祭:11月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 八幡宮 佐川野 村民
*『下野神社沿革誌』4巻45丁 明治三十六年1903
野木村大字佐川野鎭座 村社 八幡宮 祭神 譽田別命 建物 本社間口二間奥行三間 拜殿間口五間奥行三間 末社二社 氏子九十五戸
本社創立不詳 社域一千六百十坪を有し字星宮に在り
佐川野には現在社不明のつぎの社が記録されている。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 五霊神社 佐川野 村民
星宮

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県下都賀郡野木町丸林633

主祭神:磐裂神・根裂神 境内社:愛宕神社・厳島神社・雷電神社
創建年月不詳。宝暦三年1753には記録されている。
明治四十年1907,愛宕神社,厳島神社2社,雷電神社,日野神社を合祀。
大正六年1917拝殿再建。1192坪。
例祭:11月11日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 星宮大明神 丸林 林光寺
*『下野神社沿革誌』4巻46丁 明治三十六年1903
野木村大字佐川野鎭座 村社 星宮神社 祭神磐裂命 根裂命 建物本社間口二間奥行九尺 拜殿間口三間奥行九尺 氏子四十五戸
本社勸請年月詳ならす 字宮に在りて社域一千百八十四坪を有す
根渡

根渡神社

[ねわたり神社]

栃木県下都賀郡野木町南赤塚844

主祭神:大己貴命 境内社:天満宮・雷電神社
創建年不詳。承平年間931~938この地の豪族の氏神であったと伝わる。文禄年間1592~96再建。寛延年間1748~51改築。天明三年1783奉遷とあるのは不明。平成十四年に火災で損傷したので十六年新築。1236坪。
例祭:11月20日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 根渡利大明神 赤塚 金剛寺
*『下野神社沿革誌』4巻46丁 明治三十六年1903
野木村大字南赤塚鎭座 村社 根渡神社 祭神大己貴命 建物本社二間四方 拜殿間口四間奥行二間 氏子八十戸
本社創建年月詳かならす 社域一千百六十坪字中北の地に在り

赤塚には以下の現在社不明の3社が記録されている。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 赤城大明神 赤塚 金剛寺 根渡神社の別当と同じ
都賀郡 三空大明神 赤塚 金剛寺 根渡神社の別当と同じ
天満宮

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県下都賀郡野木町南赤塚1003

主祭神:菅原道真公
詳しいことは分からない。
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県下都賀郡野木町南赤塚2012

主祭神:倉稲魂命
詳しいことは分からない。
日枝神社

日枝神社

[ひえ神社]

栃木県下都賀郡野木町南赤塚1317

主祭神:大山咋命
詳しいことは分からない。



野 木 村 *『下野神社沿革誌』4巻43丁 明治三十六年1903
本村は野木宿及ひ友沼,潤島,若林,佐川野,南赤塚,中谷,九林,野渡,川田の舊一宿九村を合せて自治團体を組織せしものにて其幅員東西二里餘南北二里十町にして友沼野木は奥羽國道の兩側に聚り野渡は其西南部に群居し稍々一方に偏在し潤鳥丸林中谷赤塚佐川野若林川田は其東部に転々と散在せり 其地勢慨ね平夷にして友沼野木野渡は思川に瀕す 某風俗慨ね朴直にして農業に従事し勵勵の風を成せりヘ
古來其沿革に付ては徃時は共に古河領に属し維新后栃木縣に属し第三大區十小區に編成せられ后叉一戸長役塲の所轄に歸し以て今日に至りしと云ふ
本村には有名なる野木社及村社九社某氏子戸數一千余戸人口七千百余人又野木古戰塲等の舊蹟を有せり

 

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