▊両 郷 村  *『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-50丁
本村は両郷、河原,中野内,川田,大輪,久野又,大久保,木佐美、寺宿の舊九村を合せて一の自治區となせしものにて各大字部落の中央に丘陵起伏して之を圍互に散在せり 地勢東方に八溝山脈を擁し地自ら高峻なり 西は那珂川を控ひ沿岸水利の便あり 村民の人口三千人を有し皆朴直温良にして能く農業勤勉の風あり
古來の沿革に付ては徃時は黒羽滞領に屬し而して川田大輪を除き両郷と總稱せり 維新后共に栃木縣管轄となり第三大區七小區に編成せられ次て一戸長役塲の支配に歸したりしか更に町村制に當り各村を合せ以て今日に至りしものとす
本村には有名の郷社及ひ村社八社無格社一社ありて戸數三百五十余戸を有す
中野内

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県大田原市・中野内1941

祭神:大己貴命・少彦名命・大国魂命
配神:渟名城入姫命ぬなきのいりびめのみこと・高日子根命・大山祇命・別雷命・木花開耶姫命・倉稲魂命・素盞嗚命・高龗命・伊弉冊命・迦具槌命<軻遇突智命・火霊命<火産霊命・大日孁命<大日孁貴命
境内社:天満宮・厳島神社(狭依毘売命)
12配神の一が高龗命[たかおかみのみこと]
配神12は大正四年1915に近隣の社を合祀したことによる。
入口の看板に「那須郡惣社・那須与一勧請社」とある。巨大神社。旧社格郷社。
道路沿いにまず一の鳥居。最初の石段を登りきると,狛犬,二の鳥居。三の鳥居が朱色。四の鳥居をくぐると右手に樹齢500年の温泉神社のスギ巨木。これはすごい。
最後の石段を登りきると左右に「天保二辛卯九月吉祥日」1831御神燈。
昭和二年の狛犬。拝殿左手に神楽殿。
孝謙天皇の天平年間729~749に大己貴命,少彦名命,市磯長尾市いちしのながをち命を黒羽町大輪の高尾森に勧請。高尾は[たかおかみ]に関係するだろう。
大同二年807に高尾森に神地を賜る。
大治二年1127に高尾森の東方に須藤権守貞信が社殿を造営して遷宮,那須家が崇敬した。
江戸期に入った寛文八年1668八月に黒羽藩主大関信濃守増栄が檀山大宮の現在地に新築して遷宮,那須湯本温泉神社を本宮として高尾温泉明神と称することになる。
『下野神社沿革誌』記載の寳物は承和十年843や貞観十一年869など県内ではなかなかお目にかかれない年号が記されている。また久寿二年1155殺生石九尾狐退治伝説を刻んだ鏡も当社の宝物である。下記の『下野国誌』には1頁を割いて琵琶の図が描かれている。「同社什寶那須餘一資隆奉納琵琶之圖 長一尺五寸二分横幅八寸八分」,琵琶に書かれている文字は消えて読めないところもあり次のように写されている。「高尾温泉社寶我先君所遺受▢▢▢一奉納ス 祈武運名誉 資隆 元暦▢▢歳七月日」
那須与一勧請というキャッチフレーズはこの琵琶あたりからアイディアをもらったか。那須与一は嘉応元年1169那珂川の神田城の生れ。貞信より少し後の壇ノ浦扇的一矢の有名人。与一の時代には「高尾温泉社」と称した。
以上のことから那須与一より400年以上前にはすでに創建されていた古社である。
『下野国誌』に記載のある神主小泉甲斐とあるのは鮎の画家でもある小泉斐Ayaru,享和元年1801に甲斐守に任ぜられているので甲を省いて斐を雅号とした。益子町や矢板市に「絹本着色鮎図」が残る。
本殿:神明造銅版葺,幣殿:トタン葺,拝殿:宮造トタン葺
例祭:4月第二日曜日 9月10日に「風雨順和祭」が行われた。
*『下野国誌』嘉永元年1848脱稿 嘉永三年1850刊行 第四巻
高尾温泉明神 那須郡両郷と云所にあり,神主小泉甲斐と云,社領五十石領主黒羽候より寄附なり,祭神はもと高龗タカオガミ谷於賀美クラオ ガ ミ命なるを,那須家在城の刻同郡の温泉神社を勸請して,城中の守護神と鎮め祀りしなり,黒羽城より鬼門にあたりて一里許なり,温泉神社ハ大名持神と少彦名神と二柱なること上の温泉神社の条に記したり,さて高龗を高尾神と書て假字カナたがへり,高龗ハタカオガミにて高尾ハタカヲなり,さるを當國の内,那須,河内の両郡にハ,高龗を祀れる所數多ありて,何れも皆高尾明神と書誤まれり,是ハもと,山城國の貴布祢キブネ明神をうつせしものなり
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903刊 巻八-50丁
両郷村大字中野内鎭座 郷社温泉神社 祭神大己貴命/少彦名命/名城入姫命/大國魂命/八十萬神/高日子根命 祭日陰暦三月十日/七月十日/八月十二日
建物本社間口二軒半奥行一丈栃葺 拜殿間口五間三尺奥行二間萱葺 神樂殿間口二間奥行二間杉皮葺 末社三社 木鳥居一基嘉永元年1848二月大關信濃守従五位下丹治増徳營造 石燈籠二基寛文九年1669九月十九日大關従五位下丹治増榮奉納 寳物 古鏡一面貞観十一年869淸和天皇の納賜なりと傳ふ裏面に下野國那須郡溫泉大神命永尾市修云々 古鏡一面久壽二年1155須藤權守貞信奉納 鋤牛一個承和十年843十二月大領外従五位勲七等大部益歸奉納 琴琵琶元暦元年1184二月廿九日那須太郎資隆奉納 鎧一領大關候奉納 大鉾一本寛政九年1797九月卜部朝臣良連奉納 矢筒幷に矢四本建久四年1193源頼朝奉納 勅宣正一位扁額一面寛政九年1797七月十日正三位侍従卜部朝臣良連眞筆 神號扁額二面大關従五位下丹治増陽仝増式奉納 氏子五十五戸總代廿四員 社司池澤喜悦郎仝村大字久野又二十八番地住 社有財產山林四反四畝十八歩
社傳に曰く本社創立詳ならすと雖も再築は大治二年1127八月にして須藤權守貞信の造營なり 承和十年843十二月晦日下野國那須大領外従五位勲七等大部益歸本社に奉る書に大國主命を祭り山澤原野を開き農を勸め田端町二千段を增し戸口數人三千餘工作播種歳豐なり云々 須藤權守貞信奉納せる鏡の裏面に鋳刻したる文に曰く野州那須原野に野狐有り人民を害す 那須の主貞信奏聞有て三浦介義純上總介廣常權守貞信勅命を蒙り久壽二年1155甲戌三月七日那須野を取圍數日狩すと雖も野狐更に手に入る事無く因て那須本社溫泉神の廣前に祈願有時に貞信夢に告有て那須の麓に於て射果す 是全く温泉神の加護力なり 依て宮中悉く造營し寳物等を奉ると云々 后寛政九年1797七月十日を以て敕宣正一位を授けらる 其文に曰く湯泉社右可正一位中務靈泉治病古祠經年惠及四海名遠九天其加尊爵庸致恭敬可依前件主者施工 二品中務卿織仁親王宣正四位下行中務少輔臣丹波朝臣頼理奉従四位上行中務少輔臣藤原朝臣仍孝行此の如く勅宣を授けられしは畏しと申すも中々愚なり 其他種々の事績社寶等ありたれとも明治十二年1879五月廿一日祝融の災に罹り灰燼に歸す 社域二千三十九坪高燥の地にして古杉老樹亭々として天に聳ひ蓊蔚として其幽邃淸雅は郡内一の勝たる名地なり
大宮とある
下野那須郡総社
巨杉
大きな社殿
下野那須郡総社 神楽殿と境内社
手水石
寺宿

熊野神社

[くまの神社]

栃木県大田原市・寺宿713>324 てらじゅく

主祭神:天照皇大神 配神:伊弉諾命・伊弉冊命 境内社:稲荷社・兵主神社
文禄三年1594創建。
例祭:3月15日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-51丁
兩郷村大字寺宿鎭座 村社  熊野神社 祭神伊弉諾命 伊弉冊命 建物本社間口一間奥行一間半栃葺 瑞籬周圍九間 幣殿間口七尺奥行九尺 拜殿間口三間奥行二間 神號扁額一面陸軍少将従四位大沼渡筆 末社四社 木鳥居一基 氏子五十戸 社掌關一者本村大字仝一五番地
本社は文録三年正月の創建にて大關安碩公の六子増廣の勸請にして紀州熊野より奉遷し熊野大権現と稱し大關家武連長久を腑麒すと別當には闘泉寺と稻し代々寧仕せり社域百四十四坪高燥の坤にあり境内には若杉もりて蓊蔚し神々として奇境たり

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県大田原市・寺宿705

主祭神:軻遇突智命
宝暦二年1752の棟札が残っている。47坪の境内に木製祠。
例祭:4月24日

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県大田原市・寺宿748

主祭神:大己貴命
萬治元年1658の棟札が残っている。21坪の境内に木製祠4社以上。
例祭:旧暦6月21日

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県大田原市・寺宿17

主祭神:譽田別命 境内社:稲荷神社・中納言神社
宝永六年1709の棟札が残っている。菊地,松本家の氏神だった。12坪の境内に間口二尺の木製祠。
『栃木県神社誌』昭和39年版に掲載,新版には非掲載。
例祭:8月15日 10月15日

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県大田原市・寺宿184

主祭神:菅原道真公 配神:思兼命 境内社:八雲神社
寛保元年1741の棟札が残っている。88坪の境内に木皮葺の本殿と同型の八雲神社。
例祭:3月第二日曜日 八雲神社の牛頭天王祇園祭:7月21日

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県大田原市・河原1950 かわら

主祭神:軻遇突智命
延宝五年1677白屋に創建。明治十二年1879時現在地に遷宮。164坪。
例祭:4月14-15日 山車2台,神輿渡御
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-51丁
兩郷村大字河原鎭座 村社 愛宕神社 祭神軻遇突智命 建物本社間口二尺奥行三尺 拜殿間口三間半奥行二間向拜付 神號扁額従五位大關矦奉納 鳥居一基 石洗手磐一基 村社名石標一基 氏子六十戸 社掌同上
本社は延宝五年1677三月の創立にして關泉寺二世増賞法印上京之砌り山城國愛宕山神社を奉遷して愛宕大權現と勸請す 此より先本村火災に罹ること屢なりしを士民患て火災鎭護の爲め該神を奉齊せしより祝融の災に逢遇すること稀にして后彌人民信仰厚く明治維新に到りて川原村一村の鎭守神とはなれる(元白屋と云地に勸請せしか濫觴にて后今の地に奉遷し村社と定めらる)社域百九十二坪元民有地にして石川文右衛門大塚淸助高倉粂治の三氏か献納して今の社地とは成りぬ 本社は本村街道西側高燥の地に在りて石磴百二十六階躋り本社に到る 後には山を負前には田圃渺々として連り松薬川の淸流滾々として神威と共に嗚れり

秋葉神社

[あきば神社]

栃木県大田原市・久野又? くのまた

主祭神:火産霊命
現在社見つからない。河原356とその北に国土地理院の神社マーク
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-52丁
兩郷村大字久野又鎭座 村社 秋葉神社 祭神軻遇突智命 日本武尊 日羅大神‏‏‏‏ 祭日陰暦八月十日
建物本社間口二尺一寸奥行一尺九寸栃葺 拜殿間口三間奥行一間半 末社二社 氏子二十五戸 社掌池澤喜悦郎住所仝上
本社濫觴を尋ぬるに徃古本村屡火災に罹りし際遠州秋葉神社を信仰せしに其災害なく村民安堵せしより御分靈を奉遷し人民彌信仰厚く遂に一村の鎭守神と崇敬し弘化三年1846四月本社再建す 明治五年村社に列せらる 社域百十七坪高燥の地に鎭し樹木蓊蒼神寂ひて雅致あり

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県大田原市・大輪424 おおわ

主祭神:大己貴命・少彦名命
創建年等不詳。文化十年1813改築の記録が残る。906坪の境内に小ぶりの木製祠。
例祭:10月29日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-52丁
兩郷村大字大輪鎭座 村社 溫泉神社 祭神大己貴命‏‏‏‏ 少彦名命
建物本社間口四尺奥行四尺五寸 末社二社 華表一基 氏子四十五戸 社掌小泉檀造黒羽町字前田住
本社創立詳ならすと雖も徃時領主黒羽藩主崇敬社にして年々御供米貳斗宛下賜せられ祭祀怠たらす 社域八百四十四坪字大蒔に在り

冨士神社

[ふじ神社]

栃木県大田原市・両郷864 りょうごう

主祭神:木花開耶姫命 配神:別雷命・思兼命・大山祇命
創建年等不詳。平成四年1992拝殿新築。93坪。
『下野神社沿革誌』に「西郷」とあるが記述の順序からも「両郷」ではないか。27号線に「田中」の地名が残っているので。
例祭:4月第三日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-52丁
兩郷村大字西郷鎭座 村社 富士神社 祭神木花開耶姫命 別雷命 思兼命 大山祇命
建物本社間口三尺奥行二尺 拝殿間口一間半奥行二間 末社十二社 氏子三十三戸
本社創立不詳 社域七十二坪高燥の地にして字下田中▢土に在り

富士神社

[ふじ神社]

栃木県大田原市・両郷?

主祭神:木花開耶姫命
800mほど登る両郷の円山にあると書かれているが,現在社場所不明。43坪。
五斗蒔の両郷公民館あたりに地理院神社マークがついているが,もっと高い山のはず。
磯上の山桜の手前左手上の両郷687に神社マークがついている。お堂か?
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-52-53丁
兩郷村大字兩郷鎭座 無格社 富士神社 祭神木花咲那姫命 建物本社石宮 拝殿九尺四方 鳥居一基 信徒五百人 社掌鮎澤卯源仝村大字仝七七番地住
本社年月詳ならすと雖も往古は伊王野城主豊後守の崇敬にして若干の社領を寄附ありと云云 別當は重光院に社務を命せられしより代々奉仕せり 后享保三年1718年再築す 社域四十三坪高峯圓山にして登ること七町余ありて矚眺に富み遠くは駿河の富士山岩代磐梯山を望み西は日光の諸山及ひ信濃の淺間山の白烟をも臨む 東南は八溝の山脈蜿蜒として屹立す 實に懐を壯にするに足る境なり

八溝山神社

[やみぞさん神社]

栃木県大田原市・両郷785

樹齢350年の磯上の山桜の根元に鎭座。寛保二年1742供養塔,明治八乙亥年1875石燈籠。平成二年1990石鳥居と建立記念碑。

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県大田原市・川田 かわだ

現在社は分からない。高館城跡にあるのは千手観音堂か神社か?
高館城については[余湖くんのホームページ]を。
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-52丁
兩郷村大字川田鎭座 村社 溫泉神社 祭神大己貴命‏‏‏‏ 少彦名命 祭日陰暦十一月十七日
建物本社間口三尺二寸奥行四尺五寸板葺 末社二社 木鳥居一基 石燈籠ー基 氏子十九戸
本社は往古より一村の鎭守にして明治五年村社に列せらる 社域三百八坪を有す

羽黒山神社

[はぐろさん神社]

栃木県大田原市・大久保977

主祭神:保食神
詳細不詳。山頂にあるらしい。555坪の境内に小ぶりの木製祠。
例祭:10月19日

加茂神社

[かも神社]

栃木県大田原市・大久保

現在社は分からない。境内20坪,幅35センチの祠らしいが。両郷大久保公民館,または消防団のところか?
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-52丁
兩郷村大字大久保鎭座 村社 加茂神社 祭神別雷命 祭日陰暦三月十三日
建物本社間口一尺五寸奥行二尺五寸板葺 雨覆間口三間奥行三間 氏子二十三戸
本社創立年月詳ならす 本村鎭護の爲め勸請せしものなりと 社域二十坪を有す

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県大田原市・木佐美 きざみ

現在社不明。90坪前後。国土地理院の神社マークが木佐美346あたりに付いている。
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-52丁
兩郷村大字木佐美鎭座 村社 星宮神社 祭神磐裂命・根裂命 經津主命 祭日陰暦九月二十九日
建物本社間口四尺五寸奥行七尺五寸板葺 末社二社 氏子十二戸
本社勸請詳ならす 社域九十坪を有す

 

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