▊湯津上村
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-37丁
本村は湯津上,佐良土,蛭田,蛭畑,新宿,片府田,狹原,小船渡の舊八村及ひ品川開墾地を合せて一の自治区をなせしものにて其幅員東西廿四町南北一里十二町あり地勢那珂箒の兩川南端にて相合し東南西の三面を圍み北方一面漸く開けて金田村と境界を接せり 地平坦にして地味又可なり 村民専ら農耕を業とし勤勉の風あり
古來の沿革に付ては徃時は幕府領に太田原藩領に旗下の釆地にして各々其領主を異にせしか明治維新后共に栃木縣の第三大區八小區に編入せられ后一戸長役塲の支配に屬し更に町村制に當り之を合せて今日に及ひしものなりとす
本村には日本第一の古碑及び村社十社ありて戸數五百五十余戸人口三千六百二十余人を有せり
笠石
笠石神社
[かさいし神社]
栃木県大田原市・湯津上429
主祭神:那須国造直韋提[あたいいで]命 境内社:稲荷神社
那須国造碑については
大田原市の公式webを。
元号の永昌は唐の睿宗李旦の代の元号で元年は己丑689年にあたる。日本では朱鳥元年686の後,大宝元年701に再開するまで15年間元号は中断していた。『続日本紀』に「対馬嶋,金を貢ぐ。元を建てて大宝元年としたまう」とある。己丑のつぎの庚子は大宝元年の前年700にあたる。
元禄四年1691那須国造碑を安置するために建立した碑堂が笠石神社の発祥である。
明治三十七年1904石燈籠。明治三十八年1905石鳥居。大正十五年1926旗杭。
例祭:3月15日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-39丁
湯津上村大字小船渡鎭座 無格社 笠石神社 祭神那須國造彦挾嶋命 建物本社桁行壹間梁間一間軒高さ一間棟高さ八尺五寸 前面二扉 臺切石高さ三尺廣さ十尺四方 拜殿間口四間奥行二間 木鳥居一基 石燈籠二基 信徒一万人總代五員 社掌伊藤眞榮仝村仝大字住
本社は俗に笠石と稱す 其碑の形扁石を窪めて笠の如く碑の上にあり 故に此名あり 此碑は文武天皇の庚子年に建立せしものにて日本第一の古碑にあり 碑の高さ四尺にして正面砥の如く磨きて左右其他は自然石なり 碑文は一行十九字宛八行にしてー百五十二字あり 其文に曰く
「永昌元年巳丑689四月飛鳥浄御原大宮那須國造追大壹那須直韋提都督被賜歳次庚子年正月二壬子日辰節物故意斯麻呂等立碑銘徳云爾仰惟殞公廣氏尊胤國家棟梁一世之中重被貳照一命之期連見再甦砕骨視髄豈報前恩是以曾子之家無有嬌子仲尼之門無有罵者行孝之子不改其語及老心澄神照乾大引童子意香助坤作従之大合言喩守故無翼長飛無根更固」
此碑は天和の始めまて蔓草の中に埋没し知るもの少し 當時本地は水戸藩領にありしか領主中納言源光國之を聞き儒臣佐々宗淳に命して監せしむ 而るに該碑に其名なく故に墓を啓かしめ索むるに誌なし 仍て舊に復し左圖の如き鏡を塋中に納めて元禄四年1691二月竪八間横七間の塚を築き其上に寶形造の堂を立てを安置し別當大寶院を置き保護せしむ 明治維新后官の允許を得て笠石神社と改號し無格社に列せる 此碑文に關して佐々宗淳源白石長久保赤水伊藤東涯蒲生君平等の考繹あれとも其文長けれは茲に省けり明の心越禪師此碑を讀みて詩あり「碑殘草宿在荒村千古遺風今尚存▢昔君臣斯不再空令後世讀余論」
水戸中納言源光國卿
那須國造營中に納たる鏡の圖
那須國造墓有碑
不勒名啓墓索無誌
仍舊復修塋鳴呼斯何
人有霊耶無霊死者
若有知蓋 我哀誠
元禄辛未冬某月某日
源光圀識
裏 径五寸(図解の説明文字)
熊野
熊野神社
[くまの神社]
栃木県大田原市・湯津上542 ゆづかみ
千勝神社
[ちかつ神社]
栃木県大田原市・湯津上1191
主祭神:事代主命
詳しいことは分からない。堀ノ内の代官居宅の鬼門除けに勧請と伝わる。150坪。
例祭:12月15日
八幡宮
[はちまんぐう]
栃木県大田原市・湯津上2069 西之根
主祭神:譽田別命
創建年不詳。本殿は嘉永五年1852再建のもの。昭和二十九年1954本殿以外を改築。171坪。
北隣りに次の天満宮,そのすぐ北に湯泉神社が鎮座する。
例祭:11月23日
江戸期の記録は地名が未記入だが記述の順から推定すると当社になる。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 八幡宮
天満宮
[てんまんぐう]
栃木県大田原市・湯津上2069 西之根
主祭神:菅原道真公
正式名称は「天満大自在威徳院天神宮」,天文十五年1546少し南にある「霊牛山威徳院極楽寺」の住職が北野天満宮より勧請。
例祭:2月25日
湯泉神社
[ゆぜん神社]
栃木県大田原市・湯津上2098 田島
主祭神:大己貴命・少彦名命
創建年等不詳。354坪。
例祭:10月15日
愛宕神社
[あたご神社]
栃木県大田原市・湯津上2546
主祭神:迦具土命
創立不詳。入山と大河内の氏子が奉祭。362坪。
愛宕台上にあるが,まだ特定できない。東に那珂川,北に那須高原が見えるということは,入山公民館の南に湯泉,天満,八幡が三社並ぶ山あたりか,その西の山だと思うが。大河内は公民館より北。
例祭:旧暦2月24日 11月23日
妙義神社
[みょうぎ神社]
栃木県大田原市・湯津上729-2
主祭神:日本武命
創建年等不詳。大字湯円上,湯津上1300番地にあったが昭和五十二年1977現在地に遷宮。171坪。
例祭:4月1日
狭原
温泉神社
[おんせん神社]
栃木県大田原市・狭原786 せばはら
主祭神:大己貴命・少彦名命
寛永十五年1638九月創建。文政八年1825再建。明治二十七年1894全焼,翌年本殿仮殿を設ける。『下野神社沿革誌』編纂の頃はまだ拝殿などはなかったが,大正十五年1926境内を整備し社殿を造営。209坪。
例祭:10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 湯泉大明神 瀬馬原 福正院
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-38丁
湯津上村大字狹原鎭座 村社 溫泉神社 祭神大己貴命 少彦名命 祭日九月十九日 建物本社九尺四方栃葺 末社六社 木鳥居一基 氏子三十七戸總代二員 社掌奥澤良塋仝村大字仝二十八番地住
本社創立は寛永十五年1638九月にして文政八年1825三月本社再建す 嘉永七年1854二月廿五日を以て神祗官統領神祇伯王殿より正一位の神階を勸遷せらる 明治二十七年一月一日境内に放火せられ遂に本社拜殿其他建物悉く灰燼に歸す 今の本社は仮殿なり 社域二百四坪馬塲の長さ二十問あり 本社は挾原の南端に位し平地にして境内には松樹森々幽静にして愛すへし
加茂神社
[かも神社]
栃木県大田原市・狭原1248 せばはら
主祭神:加茂雷神 配神:風神
創建不詳ながら文治年間1185~90勧請説が伝わる。那須烏山月次鳴井からの勧請説も。
数度の焼失を繰り返し,明治二十三年1890石宮をつくって再建。昭和九年1934社殿新築。600坪。
例祭:4月10日
大杉神社
[おおすぎ神社]
栃木県大田原市・狭原224 せばはら
主祭神:素盞嗚命
詳しいことは分からない。65坪の境内に石宮。
例祭:9月1日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-40丁
湯津上村大字挾原鎭座 無格社 琴平神社 祭神素盞嗚命 祭日三月十日
建物本社間口二間奥行三間萱葺 末社五社 鳥居二基 石燈籠三基 氏子五百名總代三員 社掌奥澤良營住所苗仝
本社創立は寛政三年1791四月黑羽藩士高柳金太郎松本玄春植竹三左衛門磯又右衛門の四氏崇信に依り本社を建立し殊に領主大田原藩主崇敬によりて祭田八畝歩の除地を寄附せらる 社地は挾原中央西側にあり民有社地二百九十四坪境内には古杉老樹森々として神威と〻もに隆んなり
新宿
温泉神社
[ゆぜん神社]
栃木県大田原市・新宿84→51 あらじゅく 字岡林
蛭田
温泉神社
[ゆぜん神社]
栃木県大田原市・蛭田475 ひるた
主祭神:大己貴命・少彦名命 配神:別雷命・菅原道真公・大己貴命 境内社:稲荷神社
創建不詳ながら文治二年1186説が伝わる。温泉と書いて[ゆぜん],642坪。
境内社の稲荷神社は福原城鬼門除けに烏山の穂積稲荷神社から勧請。箒川岸にあったものを昭和四十三年1968遷宮。すぐ西に『鹿沼聞書』記載の頂蓮寺。
明治四年1871,加茂神社,天満宮,日枝神社を合祀。
例祭:10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 湯泉大明神 下蛭田 頂蓮寺
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-38丁
同村大字蛭田錐座 村社 溫泉神社 祭神大己貴命 少彦名命 建物本社間口二間奥行三間 末社二社 氏子七十戸 社掌同上
本社は文治三年1187の創立なり 社域六百四十二坪字荒井前に在り
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-37丁
湯津上村大字蛭田大堀原鎭座 村社 日枝神社 祭神大山咋命 祭日九月十五日 建物本社間口三尺奥行三尺栃葺 拝殿間口九尺奥行六尺萱葺 木鳥居一基 末社三社 氏子七十五戸 社掌斎藤最仝村仝大字住
本社創立年月不詳 社域三百九十七坪平坦の地にして前に箒川の淸流滾々として耳を洗ふか如し 境内には松杉森々と繁茂し神寂ひて雅致掬すへし
頂蓮寺が別当の「湯泉大明神 高畑」の記録があるが不明。箒川を挟んだ喜連川の穂積に明治九年に編入された「高畑村」があったが,近いといえば近いがかなり離れている。
十二
十二神社・通称十二天神社
[じゅうに(てん)神社]
栃木県大田原市・蛭田1157
品川神社
[しながわ神社]
栃木県大田原市・蛭田1981
詳しいことは分からない。品川弥二郎とともに品川笠松農場を経営し明治二十七年1894品川信用組合を創設した平田東助墓所。社号はその品川に因むか。
蛭畑
湯泉神社
[ゆぜん神社]
栃木県大田原市・蛭畑551 ひるはた
主祭神:大己貴命・少彦名命 境内社:加茂神社
創建不詳ながら文治三年1187湯本湯泉大明神からの勧請説が伝わる。
大正十五年1926現社殿を造営。
真西に蛭田475の温泉神社,その先に『鹿沼聞書』記載の頂蓮寺。
例祭:10月15日 夏祭:7月27日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 湯泉大明神 蛭畑 頂蓮寺
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-38丁
湯津上村大字蛭畑鎭座 村社 溫泉神社 祭神大己貴命 少彦名命 祭日十月二十七日 建物本社間口四尺奥行三尺栃葺 拜殿三間四方杉皮葺 末社二社 鳥居一基 氏子四十五戸 社掌斎藤最仝村大字蛭田住
本社由緒勸請等不詳 社域三百六十坪境内平坦の地にして古杉森々として蓊蔚し風色佳なり 社寶には古鏡一面を藏す
温泉神社
[おんせん神社]
栃木県大田原市・場?
主祭神:大己貴命・少彦名命
地名の「場」が分からない。場所も分からない。新宿と片府田の間に記述してある。須賀川に市場があるが村違い。さて。
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-38丁
湯津上村大字塲鎭座 村社 溫泉神社 祭神大己貴命 少彦名命 祭日九月十五日 建物本社二尺四方板葺 拝殿間口六尺奥行九尺萱葺 末社二社 華表一基 寳物鏡一面 氏子三十八戸 社掌同上
本社創立不詳 社域四百八十二坪 杉檜班らにあり蓋し當時の實況なり
片府田
湯神社
[ゆぜん神社]
栃木県大田原市・片府田1073-3 かたふた
主祭神:大己貴命・少彦名命
文治三年1187創建。旧鎭座地は定かでないが大正三年1914現在地に遷宮。このとき那須四郎久隆創建の諏訪神社と八坂神社を合祀。450坪。
例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 諏訪大明神 片荷田 小林大和
*『下野掌覧』万延元年1860 那須部之部
片府田 諏訪神社 片符田村鎮座 祭主小林氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-39丁
湯津上村大字片府田鎭座 村社 溫泉神社 祭神大巳貴命 建物本社間口一間半奥行二間半 末社一社 氏子三十三戸
本社は文治三年1187九月十五日那須與一宗隆の創立にして那須嶽神社を奉遷して勸請す云々 社域五百五十坪字關塲道に在り
佐良土
温泉神社
[ゆぜん神社]
栃木県大田原市・佐良土2252 さらど
主祭神:大己貴命・少彦名命 境内社:八坂神社
詳細不詳ながら,なんと朱鳥元年686創建と伝わる。大正二年1913許可を得て改築した記念碑,昭和十五年1940社殿造営記念碑。昭和二十九年1954旗杭。平成五年1993幣殿拝殿大改築。鳥居脇に平成二十四年大震災によって改築した奉告祭碑。温泉と書いて[ゆぜん],617坪。
例祭:10月19日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-39丁
湯津上村大字佐良土鎭座
本社 溫泉神社 祭神大己貴命 建物本社二間四方 木鳥居一基 末社五社 氏子九十五戸
本社創立は朱鳥元年686三月にして社域三百九十四坪を有す
佐良土
諏訪神社
[すわ神社]
栃木県大田原市・佐良土840
主祭神:建御名方命
文治三年1187創建。那須與一の兄6人が頼朝によって配流された諏訪の大明神を郷里に勧請した。那須七諏訪といったらしい。森田,片府田,荻野目,滝田,刈田まで分かったが一つ不明。ここは五郎之隆が勧請。
平成9年1997本殿幣殿改築,432坪。
例祭:8月28日 花火の諏訪として有名
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 上諏訪大明神 佐良土 郡司伊予
*『下野掌覧』万延元年1860 那須部之部
上諏訪大明神 佐良土村鎮座 祭主郡子氏ナリ
小船渡
二荒神社
[ふたら神社]
栃木県大田原市・小船渡5 こぶなと
主祭神:大己貴命・田心姫命
貞和(北朝)四年1348沢村城主那須五郎資勝が創建。那珂川沿い。206坪。
例祭:4月16日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-39丁
湯津上村大字小船渡鎭座 村社 二荒神社 祭神大己貴命 田心姫命 建物本社間口三尺五寸奥行三尺 氏子八戸
本社は貞和四年1348九月の創立にして福原城主那須五郎の勸請なり 往時は那須家に於て社殿等修理せり云々 社域百二坪字天拜の淸地に在り