稲荷神社

[いなり神社]

栃木県小山市大本615

旧地名:小山市大本字稲荷山735 通称:篠塚稲荷
主祭神:倉稲魂命・保食神・雅産霊神 配神:琴平神・大杉神・天満宮・弁財天・道祖神/栃木県神社誌では大山祇神・道祖神・軻遇突智命・菅原道真公
境内社:大国神社・琴平神社・大杉神社・厳島神社・手塚神社
「篠塚稲荷塚古墳」の前方部に鎮座。後円部墳頂には境内社の「大国社」が鎮座。
昭和60年1985の「篠塚稲荷神社御由緒」石碑に沿革が刻まれている。
正治二年1200正月創建の古社。応永二十三年1416に古墳上に遷宮。同時期に大国主命と猿田彦乃命を祭神とし大国社が創建された。
現在の社殿は宝暦八年1758再建のもの。権現造拝殿は明治七年1874再建。
明治四十四年1911愛宕神社を合祀している。
昭和52年1977石碑に「拝殿改修・社務所新築・神楽殿屋根改修・大杉神社石段改造・神楽衣裳新調」と合わせて「昭和四十九年御神木落雷」と記されている。拝殿前に真鍮の筒に保存されている切株がそれか。
平成7年1995神楽殿改築記念碑の裏に「大本・小薬・松沼」の氏子名が刻まれている。
平成2年1990顕彰碑に浄財により百四基の灯篭が奉納されたことが記録されている。
* 『下野神社沿革誌』4巻70丁 明治三十六年1903
下都賀郡豊田村大字大本鎭座 村社稻荷神社 祭神稻倉魂命 大山祇命 道祖神 建物本社間口三間奥行四間 拜殿間口六間奥行三間 社務所間口三奥行四間半 燈籠二基 神樂殿一棟 末社五社 氏子二百七十戸 社掌長義憲? 往時本社別當には小藥村田屋山稱念寺にて奉仕せり 明治維新後長氏奉仕せり 舊別當稱念寺縁起内に曰く 往古梶原影則當地に本城を築き居城せしむ 同氏は常に泉州篠田の森稲荷明神を崇信すること年久し 故に本地田屋の側芝生の塚に祠を立て篠田の森稲荷明神を奉還し篠を植ひ塚上に祭祀す(今尚本社境内の中央に在り)是より篠塚稲荷大明神と崇むと云々 後小藥郷の惣鎭守神と崇敬し宝暦八年1758二月本社再建明治七年1874十二月拝殿を再築す 現今の社域一千二百四十七坪平坦の地にして神池あり石の反橋を架し石の華表及ひ石の燈籠左右に並列し馬塲には古松落々として並列し頗る大社の風ありて最も深邃の趣に富む
長い参道に灯篭104基 一の鳥居額
拝殿 正一位稲荷大明神 手水舎
御神木切株 明治三十二年1899
柵囲い 大国社鳥居 大国社
大国社右手に金毘羅宮 愛宕神社
大杉神社石段 大杉神社 弁財天
御手元神・稲荷神社 手塚神社 水神
切株が保存されている 神楽殿 御神馬舎
御神馬舎の額絵
改築記念碑など 由緒書など
八幡神社

八幡神社

[はちまん神社]

栃木県小山市小宅1289

主祭神:応神天皇 境内社:琴平神社・三峯神社
下野国庁跡資料館のすぐ南,黒川右岸の田園地帯に鎮座。
推定樹齢500年を超えるカヤの巨木があることで有名。高さ 28m,目通り4m。看板を参照。
* *『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 八幡宮 小宅 真如寺
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1902 4巻70丁
下都賀郡豊田村大字小宅鎭座 村社八幡神社 祭神應神天皇
建物本社間口三尺奥行一間四方 拜殿間口三間半奥行二間 末社二社 氏子八十八戸 本社再建は寶永六年1709九月なり 社域一千二百七十六坪を有し字八幡前に在り
拝殿右側面
手水舎
境内社鳥居 三峯神社・琴平神社 十九夜塔
石鳥居寄附連名表 500年カヤ
豊受

豊受神社

[とようけ神社]

栃木県小山市小宅715

上記小宅八幡の南,思川堤防下に鎮座。
詳細不明。祭神は豊受姫命か。
覆屋に木製祠と神輿。立て掛けてある木片に反転で「辶の不明字+大神社」とあるが謎。
平成十五年石鳥居。同年御影石の旗杭。
境内に桶田公民館。
本殿
神輿 大神社の反転文字
旗杭
桶田公民館 すぐ北の田に すぐ西に
不明社

不明社

[?神社]

栃木県小山市小宅628-1

上記八幡神社の南,黒本の星宮神社手前の右手に鎮座。年代不明の庚申供養塔。すぐ東に豊受神社。真西に篠塚稲荷神社。
文字はなく内部も見えない構造。注連縄が張られていて現在も信仰されていることがわかる。詳細不明。
立派な注連縄
庚申供養塔 小宅下自治会

 

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