胸形

胸形神社

[むなかた神社]

小山市・寒川1730 さむかわ

祭神:田心姫命
配神:市杵嶋姫命・多岐津比賣命
栃木県十二延喜式内社の一。宗像三女神を祀る。小山市には安房神社,高椅神社(下総國結城郡から編入)と合わせて式内社が計三社鎮座する。網戸神社も胸形神社であったことを主張している。
なお当社が田心姫命を奉祭するため,東の大河を田心川と書いていたものがつながって「思川」になったとの伝説がある。
鳥居左手の樹齢300年を超すエノキはかつては高さ24mはあったが,現在は半分ほどになってしまった。残念。
榎の巨木の根元にある社号標は天明八年1788。
享和二年1802手水石
大正元年1912石鳥居
大正七年1918狛犬・栃木石工松村三郎
昭和十三年1938石燈籠
大正十五年1926再建記念碑
例祭:1月第四土曜日 花桶かつぎ神事は小山市指定無形民俗文化財
*『鹿沼聞書・下野神名帳』(1800年頃成立)
寒川郡 胸形神社 寒川 医王院
*『下野神社沿革誌』(明治三十六年1903刊)四巻41丁
下都賀郡寒川村大字寒川字胸形鎭座 延喜式内 郷社 胸形神社 祭神 湍津姫[はやつひめ]命・田心姫命・市杵島姫命
建物本社間口四尺奥行三尺五寸 向拝濱縁付屋根銅葺 拝殿間口三間奥行二間瓦葺 華表一基 氏子百十七戸總代三員 社掌海老沼友喜仝郡野木村住
本社創立年月遼遠にして詳かならすと雖も延喜式内の一社にして舊寒川郡の惣社なり 古へは神田多く社殿も宏壯なりしか中世漸く衰微せりと云ふ 本社は弘化元年1844九月の再築にして壯麗なり 社域一千四百七十坪平坦の地にして古杉老樅亭々と高く聳ひ頗る幽邃にして後には巴波の清流浣々と共に名も高し
由緒書
絵馬 おみくじ 榎解説
天明八年1788 現在は上部が焼失した榎 縁起式内社と郷社の文字
享和二年1802手水石 手水舎 社務所
沖宮神社

沖宮神社

[おきみや神社]

栃木県小山市・迫間田555

主祭神:天経津主命 境内社:厳島神社
神亀元年724九月十九日創建の古社。上記寒川の胸形神社と関係があり,福岡の宗像大社の沖ノ島沖津宮にちなみ奥の宮と呼んだ。
鳥居をくぐって右手の古墳様の盛土に祀られているのは弁天様と呼ばれる厳島神社。どうやら石鳥居があったらしい遺物がある。
2014年8月現在,改修中でブルーシートが本殿覆屋にかけられている。
鳥居手前に明治十六年1883馬頭尊。南馬連?
例祭:9月19日
沖大明神
改修中
厳島神社 鳥居跡だろう 馬頭尊
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県小山市・寒川1715 さむかわ

祭神:倉稲魂命
胸形神社のすぐ北,県道174号線から巴波川堤防方向に鳥居が見える。詳しいことは分からない。寒川は[さんかわ]という人もいる。
正一位稲荷大神 朱塗りであった
古御門神社

古御門神社

[こみかど神社]

栃木県小山市・迫間田78 はざまだ

祭神:菟道稚郎子命
天暦十一年957創建の古社。
迫間田(古御門神社)・寒川(宇治神社)・中里(中里神社)・鏡(鏡神社)・井岡(獅子神社)・小袋(宇治神社)・下河原田の七郷は,鎌倉時代には野木神社の神領であり,野木神社を親神として菟道稚郎子命を奉斎していた。親神である野木神社の神が年に一度,娘神の住む郷を巡る七郷巡りは,建仁年間(1201〜04)に始まったという。古御門神社は末娘で,オイデとオカエリの二度立ち寄った。小袋と井岡を一郷とみなし網戸を加えて七郷とする説もある。野木神社の鉾を奉じて七郷を巡回した。郷ごとに行宮を設け旅所と称え正一位大明神と崇敬した。万延元年1860の『下野掌覧』寒川郡之部には網戸・寒川・鏡・小袋・下河原田の5社がすべて「大明神」の称号で記録された。
嘉永六癸丑歳1853石鳥居。鳥居のうしろに享保十二年1727の青面金剛。
例祭:12月3日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』(1800年頃成立)
寒川郡 正一位大明神 迫田 鈴宝院
*『下野神社沿革誌』(明治三十六年1903刊)四巻42丁
下都賀郡寒川村大字迫間田鎭座 村社御門神社 祭神菟道稚郎子命
建物本社間口二間四尺奥行二間半 末社一社 石華表一基 氏子六十六戸 社掌白井綱四郎仝村仝大字住
本社創立は天暦十一年957子日にして往古より一村の鎭守神たり 社域四百六十四坪平坦の地にあり 境内には老杉古松榎の大木繁りて社殿を擁し神寂ひて雅致あり
着色された絵
見事な造形
細部まで作り込まれている
鳥居柱 青面金剛
旗杭
鏡神社

鏡神社

[かがみ神社]

栃木県小山市・鏡1045 かがみ

主祭神:菟道稚郎子命 配神:石凝姥命[いしこりどめ] 境内社:雷電社
天暦十年956創建。石凝姥命作の鏡がある。鏡が池の水を汲み出し降雨を祈願した。野木神社の親神を祀る,小山七郷の一。1063坪。

例祭:12月1日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』(1800年頃成立)
寒川郡 正一位大明神 鏡 斎藤隼人
*『下野掌覧』万延元年1860 都賀郡之部
正一位 大明神 鏡村鎮座 祭主齋藤氏ナリ
*『下野神社沿革誌』(明治三十六年1903刊)四巻42丁
下都賀郡寒川村大字鏡字臺鎭座 村社鏡神社 祭神菟道稚郎子命
建物本社間口三間半奥行三間 拜殿間口三間半奥行二間 末社二社 華表一基 氏子七十二戸 社掌篠崎啓助仝村仝大字住
本社境内に鏡池鏡塚の舊跡を(由緒不詳)存す 舊村名を鏡村と云ひ本社を鏡神社と稱し天曆十年十月子日の勸請なり 社域九百五十八坪平坦の地にして大字西端に鎭す
中里神社

中里神社

[なかざと神社]

栃木県小山市・中里868

主祭神:菟道稚郎子命 配神:石凝姥命[いしこりどめ] 境内社:雷電社
天暦十年956創建。上記鏡神社の創建と同年で,野木神社の親神を祀る,小山七郷の一。嘉永二年1849造営の本殿。230坪。
明治四十四年1911,雷電神社,愛宕神社を合祀。
例祭:11月30日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』(1800年頃成立)
寒川郡 正一位 大明神 中野 村人 →中野は中里の誤
*『下野神社沿革誌』(明治三十六年1903刊)四巻42丁
下都賀郡寒川村大字中里鎭座 村社中里神社 祭神菟道稚郎子命
建物本社間口一間五尺奥行一間二尺 拜殿間口二間三尺奥行一間半
本社創立は天曆十年十一月初子日にしと菟道稚郎子命を祀り毎歳陰曆十一月初子午日に大祭を執行す 徃時は領主土井家より有司參向して警衛せしむ 社域二百三十六坪平坦の地に在り
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県小山市・押切87 おしきり

主祭神:香々背男命 境内社:神明・稲荷・大杉・天満宮
創建年不詳。元文三年1738に神祇官領長より正一位星宮大明神の称号を賜っているので,それ以前の創建。383坪。
当社には虚空蔵尊堂もある。このあたりの星宮は磐裂命根裂命でなく香々背男命を祀る。
例祭:10月19日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』(1800年頃成立)
寒川郡 正一位 星宮大明神 押切 村正
*『下野神社沿革誌』(明治三十六年1903刊)四巻42丁
下都賀郡寒川村大字押切鎭座 村社星宮神社 祭神香々背男命
建物本社間口二尺八寸奥行三尺 拜殿間口三間奥行二間 末社四社 氏子四十三戸
本社創立不詳 社域百八十六坪にして字馬越戸に在り
寒川には『鹿沼聞書・下野神名帳』と『下野神社沿革誌』に以下の二社が記録されたが現在社不明である。天満宮は網戸神社に合祀されたか。宇治神社は大風で倒壊して消滅したか。
*『下野神社沿革誌』(明治三十六年1903刊)四巻42丁
寒川村大字寒川字北地鎭座 村社 天満宮 祭神菅原道眞靈 建物二間四方 拜殿間口三間半奥行二間 末社一社 氏子九十八戸
本社は天徳元年957正月廿五日の創立にして社域一千三百十六坪田圃の中に在り
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*『下野神社沿革誌』(明治三十六年1903刊)四巻42丁
寒川村大字寒川鎭座 無格社宇治神社 祭神菟道稚郎子命 建物本社間口二間奥行三間 木鳥居一基 信徒九十八戸 社掌飯野義隅仝村仝大字住
本社は徃時正一位大明神と稱し社殿も宏牡なりしか明治十年十月大列風のために本社拜殿共に破攘せしを以て今假宮なり 社二百八十八坪平坦の地に鎭す
----------以下の大明神は上記宇治神社に当たる
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
正一位 大明神 寒川 飯野日向
*『下野掌覧』万延元年1860 都賀郡之部
正一位 大明神 寒川村鎮座 祭主飯野氏ナリ


寒川村 *『下野神社沿革誌』(明治三十六年1903刊)四巻41丁
本村は中里,鏡,迫間田,押切の舊五村を合せしものにて其幅員東西凡二十四町南北凡一里にして各大字の民居は概ね巴波川に沿ふて南北に亘り且野木街道に傍へるを以て交通頗る便たり 其地勢一圓平坦にして田野多し 風俗概ね温和農業に従事し動勉の風あり
古来沿革に付ては徃時は寒川郡と謂せしか明治維新后下都賀郡に編入せられしより下都賀郡と改稱す 領主は各村共古河藩の領邑たり 后古河縣の支都となり后又栃木縣の管轄に歸し第四大區六小區となり后又一戸長役塲の管理する所となり而して町村制實施に當り自治の一村たり
本村には延喜式内の郷社一社村社五社及ひ有名の無格社一社あり 其氏子戸數三百七十四余戸人口二千百八十余人を有す

 

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