佐野市の神社資料

▊安 蘇 郡 『下野神社沿革誌』巻ニ-3丁(明治三十五年1902)
本郡は南方一帶渡良瀬川を隔てヽ上野國邑樂郡に接し北は同國勢多郡と僅に界を接し下都賀郡の西方上都賀郡の南方に位し西は足利郡と界接し其地勢郡の中部平坦にして南部一面稍々低地をなし田園耕地此間に開拓せらる 其東西北には永室根本十二岳三毳森の諸山あり 其山脉高峻なるに非されとも蜿々として長く起伏し地勢自ら高きものあり 特に中央唐澤山の如き有名の舊蹟を印し奇勝の地として人口に膾炙せらるヽあり 河川又實に源を此等の諸山に發し所謂山河の形勝は自然の風土を潤色するを見るへきなり
本郡河川の大なるは秋山旗の二川にして秋山川は源を氷室山より發し郡の中央を貫流南下して渡良瀬川に合す旗川は野上彥間の兩川田沼町大字戸奈良にて相合し足利郡吾妻村大字高橋にて渡良瀬川に潟き郡の南方を流れ越名瀬湖は界村大字越名にありて東西十二町南北四町に過きさるの小湖なれと魚介細鱗を生し下都賀郡赤間沼に次くの漁塲たり
郡内には名勝舊蹟多くして夫の唐沢山を始めとし蓬莱山,佐野公園,十州園,赤見村の磯山等名ある勝地にして舊蹟には唐澤の春日岡,赤見,岩崎,阿曾沼,山形,彥馬,植野等あり亦國分寺東明町の故墟及ひ赤見須花坂,諏訪山,免鳥,越名等の古戰塲等亦以て昔時を思ふの科となすへく其名所には三毳山三香保の關安蘇山安蘇の河原佐野の中川佐野の船橋等あり
本郡民は農工商を専業とし他に劣れりと云ふ可からす 殊に有名なる佐野織物を最とし又佐野縮等の名は早くも海外輸出品として多額を產出し佐野附近は多くは此業を營さるものなきなり 殊に佐野の鐵器田沼地方の藍麻苧紙石灰木材薪炭の如き重要の產物あり
郡内敬育は明治維新後學制發布せられ各地小學校制度施設を見るに至り爾來各町村咿唔の聲を耳にせらるなきに至れり 本郡の如き時に一張一弛の變革を經次て町村制の實施せられてより駸々として教育事業に進歩を見るに至れり
本郡は往古より安蘇郡と稱せしこと明かにして古歌にも安蘇の眞麻群[まそむら]と詠み又郷名に麻績[おみ]の名あり 昔より麻の產出しけるを以て如此唱へられしとも見む 萬葉集延喜式に延曆元年五月安蘇郡主帳若麻績部牛養[わかをみへうしかへ]に位を授けしとあり當時本郡の已に存在したりけるを知るに足りぬへし 然して其后に至り本郡領主の興廢ありて紀元千五百年代承和年間藤原秀郷唐澤山に城き之に居り天慶中平將門を滅し其大功により鎭守府將軍に補し下野武藏の兩國守をも兼任して武威赫々附近風を望みて其旗下に靡くの勢ひあり其子孫干常文修兼光賴行等相績き五代將軍の威名あり 次て其子孫或は出てヽ上野淵名に都賀郡太田に或は大川戸に小山に下川邊に築き各々各地に雄を稱せしかと 本城たる唐澤に至りては漸く廢城の姿に陥らんとし兼行五代の孫成俊足利より來り佐野庄司と稱するに及ひ佐野氏なるもの始めて起れり 之を案するに本郡は佐野氏の最も雄を稱せし所にして其歷史は多く同家の盛衰記に關するものなりと云ふも誣言に非さるへきなり 紀元二千二百年代佐野宗綱足利城主長尾顯長と戰ひ免鳥彥馬の支城を奪れ終に死す 其弟天徳寺了伯將士を指揮せしか后一族不和を生し了伯は京都の黑谷に去り豊臣秀吉に屬し其寵遇する所となり天正十八年秀吉小田原城を攻むるや了伯先導となり大功ありしと云ふ 后了伯富田知信の二男政種をして佐野氏を繼かしめ名を信吉と改め慶長七年徳川家康命して唐澤城を廢せしむるや信吉佐野春日岡に移り居らしめ后故ありて領地没収せらる 尚佐野氏の外堀田家あり植野に城き數代連綿たり 佐野氏は徳川家時代より爾來明治維新まて旗下となり後籍を奉還するに至れり 次て明治維新の后に至り廢藩置縣の事あり本郡の如きも栃木縣に屬し五十九の各町村に分割し戸長役塲を置き其支配する所たりしか町村制實施により各町村を分合して新町村を組織し茲に十五町村を成すに至りぬ 今本郡の廣妾を見るに東西四里餘南北八里餘其面積二十三方里餘にして郡内には別格官幣社一社郷社五社村社六十二社其他有名の無格社八社ありて其氏子戸戸數一万一千四百二十餘戸人口七万五千五百八十餘人あり 其他沿革等は左の町村に就きて觀へし



佐野の神社は関東の神社仏閣を積極的に回っていらっしゃる方のサイト【神社ぐだぐだ参拝録】に写真付きでほぼ網羅されていますので,ぜひご覧ください。
小生は地理的・体力的・経済的に回れそうもありませんので,下調べだけにとどめます。



唐澤山神社

[からさわやま神社]

栃木県佐野市・富士町1409

主祭神:藤原秀郷公 境内社:飛来矢山霊廟 境内地:15万1306坪
明治十六年1883九月創建
巨大神社なので小生が付加えることはない。公式Webを。
大祭:4月25日 例祭:10月25日 秋祭:11月23日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻ニ-3丁
唐澤山鎭座 田沼町大字栃木 別格官幣社 唐澤山神社 祭神鎭守府將軍贈正三位藤原朝臣秀郷公靈 祭日十月廿五日 宮司従七位阿久津眞澄
本社は明治十四年官裁を得て唐澤山の古城趾に宮殿を創建し尋て明治十六年贈位の命ありて正三位を授けらる 同二十三年特旨を以て別格官幣社に列せられ併せて賜金の恩榮を忝うす 是に於てか公の忠勲偉績盆々天下萬世に赫灼たり 後又畏くも
天皇陛下 皇太后陛下 皇后陛下より本社維持費として特に若干の金圓を下賜せられ又内務省よりも若干の賜金あり 抑唐澤の地たる風景絶佳最も遠望に富み房總を雲外に望み豆相を天末に瞻る富嶽南に揖し常峰東に拱甲武信磐二毛の諸山羅列して眼前に在り 岩船三毳丘の如く垤の如く左右に起伏し宛も將軍豁度坦懐を披き諸將粛容號令を聴きて軍門に會するか如し 其地形を相するに皷岩前に欹ち螺丘後に竦ひ一面は土阜群松濟々として駢次し一面は石崖峨巌落々として突起す 之れを譬ふれは奇正並ひ出て其隊伍を異にするか如し 若し夫四時の觀を擧くれは櫻花旗影を翻へし松籟喊聲を起し皓月岨を照し皓雪壑を埋む 皆以て遊目を寓して古今に俯仰するに足る 亦其近傍の遺跡を尋ぬれは即ち吉永の若宮八幡宮は公の塋域の故地たり 栃本の根古屋神社は公の鎧を祀るものなり 亦栃本の本光寺は佐野盛綱の建立にして公の靈牌の存せる所にあり 又蓬山の奥に到れは公の舎する所の石窟ありて屋形天造鬼鑿に成り唅口+牙數人を容るへし 其他藤四の舘藤五淵歷々として其跡を徴するに足る 且蓬山は地形幽邃にして唐澤山の▢豁なると同しからす 澗には奇岩怪石ありて各々其名を賦し飛泉あり又激湍あり
瀬潟き淵承け餘流相會して野上川となり南下して彥間川に合し旗川となる 殊に山中は四峰並に蓬莱と云ふ湍 其西の一峰は層巖歸然として水其下を環る 漂渺として仙島の觀あり 實に山水の明秀既に此の如し 公の英靈千載に亘りて泯ふることなく神澤洋々蓬莱の水悠々然として竭くることなし

▊佐野町 *『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻ニ-4丁
本町は舊佐野町を獨立し一の自治區を爲せしものにして其幅員東西二十四町餘南北十九町許あり 地勢概ね平坦にして秋山川は南流し佐野川となり北南に貫流し市街耕地兩分せり 然して其位置東は犬伏町に接し東北は堀米町と市街相通し一市の形をなすの觀あり 南は植野村に西は旗川村に相連なれり 其間舊例幣使街道は堀米町より東端を通して南に通し足利に逹す 縣道は本町を東西に貫き藤岡に舘林等に通するありて往來の交通便利にして缺如たる所なし 兩毛線は本町を通過す 且つ佐野鐵道ありて田沼葛生に達すへく所謂四通八逹の要路を占むると云ふへきなり 然して佐野川を限り東方は市街にして人家櫛比し西方は耕地にして植野村と接壌せり 町民は商工製造業及農耕に従事し又織物鐵器製造の如き特に著名の產地にして商工の繁盛なること栃木及ひ足利と肩比するに足れり
古來の沿革に就ては往時佐野庄と稱し佐野信吉の春日山に城きしより其領地となり後井伊掃部頭の領する所となり明治維新の后佐野町と稱し明治五年栃木縣の管轄となり一戸長役塲を置き次て町村制實施に當り獨立して佐野町と云ふ
本町には名高き郷社朝日森神社及ひ村社一社ありて其氏子戸數千五百餘戸人口七千六百餘人あり 殊に郡役所々在の地にして警察署及ひ停車塲郵便電信局其他諸會社等ありて殷盛なる一の市聚地たり

朝日森天満宮

[あさひもりてんまんぐう]

栃木県佐野市・天神町807

主祭神:菅原道真公 配神:豊受姫命・火産霊命 境内社:三峯神社・浅間神社・日本武神社・大国主神社・稲荷神社・千勝神社・琴平神社・太市姫神社 境外社:白山神社・岩戸開神社・道祖神社・八坂神社
『下野神社沿革誌』では「此れ社記録のまヽ」として漢字文が掲載されている。佐野小太郎義綱が主人公で小野寺民部の讒謗により追放されるも京都北野社に詣で夢神告に従い冤罪を晴らし帰国して治安三年1023新營大社とある。
『栃木県神社誌』平成18年版では100年後の元永二年1119創建説を載せている。秀郷公七代孫足利孫太郎家綱が同様に讒言により失脚,太宰府天満宮に祈願して疑いを晴らし帰国して唐澤城の天神沢に勧請。
『栃木県神社誌』旧版では秀郷公九代孫阿蘇八郎太夫家綱の勧請と記録。
家綱の時代の文献がないことによるらしい。いずれにしろ900から1000年ほど前の創建で,旧郷社,県社の巨大神社。
慶長七年1602に幕命により天明郷春日岡に城を移す際に現在地に遷宮。平成14年大改修。
明治四十四年1911大祝町の稲荷神社,大正二年1913に金吹町の愛宕神社を合祀。
怪力士家綱
例祭:1月25日 丑年ごとに御開帳と称する式年大祭
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-4-5丁
佐野町大字佐野字大門東鎭座 郷社 朝日森神社 祭神菅原道眞朝臣靈 祭日陰曆三月廿五日六月廿五日 建物 本社間口一間半奥行二間半銅葺 拜殿間口三間半奥行三間銅葺 神門作り唐門 石華表二基 末社十社 氏子四百四十五戸 社司小野淸造仝郡新合村大字下彥間住
社記に曰く治安三年1023の創立にして後一條天皇の御宇下野國主佐野小太郎義綱朝臣世領安蘇郡荘爲同國士小野寺民部大夫者所逼遭讒言蒙勅勘寛仁三年1019義綱欲訴其冤詣京師留滯今出川之客舎敷年欝沈憂義綱宿禱北野社七日夢神告義綱曰汝乃無罪讒人所偽豈得遂之乎我昔依讒人謫太宰府憂憤之苦不可勝言今汝還冤可憐恕於是語左遷之事説贈位恩而懇諭曰汝雪冤歸國在近耳勿深憂之義綱曰稽首封曰謹承神託悚然銘肝萬一解冤幸得歸郷則新營大社奉神致祭以仰鎭護矣言未畢悦惚而覺義綱心喜速歸客舎新浴紙屋川持修七瀬之祓賽北野國社再拜致誠不日有召諭義綱之無罪賜宣旨永領佐野庄没収小野寺之領邑加賜義綱義綱拜恩大悦欲歸關東詣北野社拜謝神助靈壇之前偶有畫幅義綱怪之開幅則靈像也義綱稽首抃躍以爲神賜十襲珍之時々祭之義綱自書始末使子々孫々尊崇之其裔孫曾納千社中有之云云 此れ社記録のまヽのみ 社域四千二百八十大坪平坦の地にして本社拜殿輪奐抃壯嚴にして古寶物等數品ありて一々枚攀に遑あらす好古の士は社務所に請ふて拜閲せは頗る美術工藝の參考に資するものあらん 毎年三六月廿五日を以て大祭典を行ふ 其式盛んにして大に雑沓を極むと云ふ 境内には古杉老檜森々として社檀を擁し梅櫻互に枝を交へて馬塲を爽み花時には滿地雪に埋るゝ如く冷香水の如く人を撲ち幽静閑雅なるを以て市中の士女來り詣て遊ひ衣香扇影相接し實に郡中の一名社なりとす

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県佐野市・大蔵町2928

主祭神:瓊瓊杵命 配神:磐裂神・根裂神 境内社:機殿神社(栲幡千々姫命)・浅間神社
久安年間1145~51に犬伏地区富岡に創建,天孫星宮慈照大明神と称した。慶長五年1600現在地に遷宮,天明宿総鎮守となる。旧社地に北斗七星の形に塚を配置した七ツ塚がある。
天和三年1683再建。このときの黒田良伸奥書の建立記があるらしい。
同天和三癸亥1683仲夏上旬に日本最古の算額が奉納された。残念ながら昭和五十年1975火災で焦げてしまい,昭和五十八年1983復元された。
明治五年1872天明宿と小屋町合併して佐野町とす。
蔵之内は天明[てんみょう]となる。天明は鋳物で有名で慶長七年1602頃には金屋町に19姓70名の鋳物師がいたとの記録もある。京都方法寺大仏殿の梵鐘は天明でつくられた。青銅製鳥居は享保二十年1735天明宿の工匠たちが鋳込んだもの。
例祭:4月25日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 星宮大明神 天明 神保伊予
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-4丁
同町大字佐野字蔵の内鎭座 村社 星宮神社 祭神磐裂神 根裂神 瓊々杵命 建物本社間口一間半奥行二間 拜殿間口三間半奥行四間半 末社十三社 唐銅華表一基 氏子千四百四十五戸 社掌新村岩次郎仝町大字仝住
本社創立は久安年中にして往古より衆庶崇敬の社なり 往時は大門の内より境内なりしか明治九年地租改正の際今の社域に改めしと云ふ 境内坪數一千六十三坪 高燥の地に在りて社殿壯麗にして眺矚絶佳なり


▊植 野 村 *『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻ニ-5丁
本村は植野赤坂,君田,飯田,田島,船津川及ひ中船渡の舊七ヶ村を合併して 一自治區となせしものにして其面積約一千五百町歩あり 地勢稍平衍にして耕地多し 只近來鑛毒被害の地にして村民の困苦を訴ふるもの亦炒きに非すと云ふ 其位置南方一面は渡良瀬川を限りて上野國と相隔て兩岸提防修理の關係毎時交渉を生すること珍らしとせす 水害の變亦實に同川の漲溢に起因す 佐野川は本村の北方を流れて渡良瀬に合し北方佐野町と隣りし西方一端足利郡吾妻村と界し東南界村に接す 道路は佐野町の南端より縣道相通し村内を東南に貫き上野に達す 其他藤岡町に通すヘき道路と數條の里道ありて交通最も便なり
往古の沿革に付ては往時は佐野氏の所領たりしか后分れて幕府代官及ひ旗下釆地に分屬し明治維新前赤坂植野田島君田は佐野藩領に屬し維新后多少の變遷を經て同しく栃木縣に屬し一戸長役塲の所轄となり次て町村制實施に當り各村を合せて一村となせり 本村には村社六社ありて其氏子戸數一千二百四十餘戸人口八千二百七十餘人あり

赤城神社

[神社]

栃木県佐野市・植下町430

主祭神:日子狭島王命・日本武尊 配神:倉稲魂命・武甕槌命・国常立命・譽田別命・市杵嶋姫神・大日孁貴命・素盞嗚命・菅原道真公・猿田彦命・豊斟渟命 境内社:白幡八幡宮・神明宮・鹿島神社
遠い昔,景行天皇五十五年頃に狭島王を祀って狭島神社と称した。天慶二年939または天慶七年944上毛野の式内社赤城神社より日本武命を勧請して赤城神社と改称する。明治六年1873郷社。
明治四十二年1909南馬場の八幡宮ほか七社を合祀。
例祭:10月17日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 赤城大明神 植野 早乙女豊前
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-6丁
植野村大字植野字若宮鎭座 村社 赤城神社 祭神狭島王命 日本武命 建物本社間口一間奥行一間銅葺 拜殿間口二間奥行二間 神樂殿間口二間奥行三間半 末社三社 ⾭銅華表一基 氏子六百八戸 社掌早乙女三郎仝村仝大字住
社傳に曰く當社祭神狭島王は豊城入彥命の孫にして王春穴咋の邑に到りて病起り遂に薨す其時東國の人民悲悼して王の亡體を窃に昇きて毛野國伊保に葬り齋奉りて狭島神社と尊稱す 后天慶二年十一月田原藤太秀郷朝敵平將門征伐の時戰勝を祈らんかために日本武命を合祀し赤城神社と改稱し諸人崇敬せり 后寶永三年二月六日神位宗源宜旨を以て正一位を授けらる 明治五年郷社に定めらる 同九年行政區劃の都合により村社に列せらる 神職は往古より早乙女氏代々奉祀怠たらす 社域二千百九十三坪平坦の地にして古杉老樹森々として蓊蔚し晝尚暗し 社殿壯嚴古雅にして自ら神威の儼たるを知る

大鹿神社

[神社]

栃木県佐野市・船津川町869の1

主祭神:武甕槌命
天慶三年940天明郷に創建。永正六年1509船津川村へ遷宮,大鹿大明神と称した。宝永年間1704~11再建。天明六年1786と慶応二年1866に焼失,古記録も失う。
例祭:10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 大鹿大明神 舟津川 万福寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-6丁
同村大字船津川鎭座 村社 大鹿神社 祭神武甕槌命 建物本社間口一間一尺奥行一間 拜殿間口四間奥行二間 末社一社 氏子八十八戸
本社は田原藤太秀郷朝敵平將門追討の勅命を蒙り軍功により天慶三年940三月九日従四位下下野武藏守に叙任せし時天明郷今の佐野町に於て一の山を開き社を建て武甕槌命を祭祀し遥拜の地となす古昔春日山と云ふ 后故ありて永正六年1509九月船渡川村今の船津川村に遷坐して大鹿神社と尊稱し衆庶崇敬す 后寶永年中本社再建殊に神位宗源宣旨を以て正一位を授けられ社頭隆盛なりしも天明六年三月及ひ慶應二年十二月兩度の火災に罹り惜むらくは本社礎墨什寶等悉く灰儘に歸しために由緒明かならす只古老の口碑の儘を記すのみ 社域一千百十六坪にして社木繁茂し神寂ひて風致頗る佳なり

梅野森天満宮

[うめのもりてんまんぐう]

栃木県佐野市・君田町276

主祭神:菅原道真公
藤原秀郷八代の孫家綱が 例祭:4月25日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 天神宮 君田 村
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-7丁
同村大字君田字關端鎭座 村社 天満宮 祭神菅原道眞朝臣靈 建物本社間口三尺奥行二尺五寸 拜殿間口三間奥行二間 末社四社 氏子三十四戸
本社創立は元和七年にして村民崇敬し鎭守神とす 社域四百四十五坪を有す

鹿島神社

[かしま神社]

栃木県佐野市・赤坂町5

主祭神:健御雷命(←武甕槌命) 配神:大日孁貴命・伊耶那美命・豊受姫命 境内社:八坂神社・織姫神社・秋葉神社・三峯神社
『栃木県神社誌』新旧版とも「慶長六年1601藤原秀郷の勧請」としてしまった。もちろん天慶六年943の誤記である。三度遷宮している。
例祭:10月17日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 鹿島大明神 赤城→坂 妙覚院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-7丁
同村大字赤坂字西小路鎭座 村社 鹿島神社 祭神大日靈貴命 健御雷命 伊邪那美命 建物本社間口一間半奥行一間銅葺 幣殿間口二尺五寸奥行九尺 拜殿間口三間半奥行二間半瓦葺 末社十社 石華表一基 氏子二百七戸 社掌新田貞次郎仝村仝大字住
本社創立は天慶六年943十一月十九日下野武藏守藤原秀郷の勸請なり これより先き田原藤太秀郷下總の將門征伐の勅命を蒙りけれは密に常陸の鹿島大神に祈願し乞願くは神護を得さしめ速に賊を亡し叡慮を安し奉れと誓へ遂に逆を殪し平けけれは殊功を以て超て従四位下に叙せられ下野武藏の兩守に任せらる 秀郷益神靈の奇験を感し鹿島本宮より當國佐野庄天明山唐澤城内藤ヶ崎に奉遷し田原家の軍守神と崇敬し其后佐野安房守基綱の代佐野庄春日山に移遷し后慶長五年1600秀郷の末裔藤原信吉徳川公の命により春日山に築城せし時本社を天明郷三海に遷祀す 后寛永四年1627十一月十七日本國赤坂村字西小路に遷齋す現今境内是なり これより村民鎭守神と崇敬す 后寛文十一年1671本社再建す 享保三年1718神位宗源宣旨を以て正一位を授けられ正一位鹿島大明神と稱し爾來連綿として相承け明治五年に至り鹿島神社と改め村社に列せらる 社域六百五十九坪平坦の地に在り 本社南向にして小杉森然たり 前には枝垂櫻ありて亂發の候には風色甚佳なり

神明宮

[しんめいぐう]

栃木県佐野市・飯田町字島781

主祭神:天照皇大日孁命・豊受比賣命 境内社:浅間神社・稲荷神社
寛文十二年1672奉納の麦の八重穗,嘉永六年1853奉納の粟の八重穗を蔵す。
例祭:4月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 神明宮 飯田 菱沼民部
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-8丁
同村大字飯田字島鎭座 村社 神明宮 祭神天照皇大神 大日孁命 豊受比賣命 祭日陰曆三月十五日九月十九日 氏子百五十六戸總代四員 社掌蓼沼橘司仝村大字仝二十五番地住 建物本社間口六尺奥行六尺萱葺 拜殿間口七尺奥行二間板葺 幣殿間口七尺奥行二間板葺 神樂殿間口二間奥行三間半瓦葺 木柵玉垣屋根板葺 末社五社
社傳に曰く元和五年1619三月本村蓼沼治郎右衛門小林庄兵衛の兩氏か伊勢參宮して御分靈を拜受神祇管領吉田殿へ奏上裁許を得て本村字島今の社地に勸請し一村の鎭守神と崇敬せり 神主は代々蓼沼家奉祀す 寶暦六年1756四月本社拜殿再建す 地頭より除地畑一反五畝餘歩祭資→祀料として寄附あり地頭累代崇敬の武なり 本社位置は本大字の南端に在り 平坦にして古杉老樹蓊蔚若杉森然として宮殿を繚繞し華表屹然として立てり 社域七百七十一坪にして南は茫々たる田野にして東西北の三方は皆人家なれとも誠に風光明美神寂びて幽邃なり 社寶には寛文十二年六月中本村小林庄平奉納せし麥の八つ穂嘉永六年中本村須永保兵衛の献納品なる粟の八つ穂を藏す

坂和神社

[さかわ神社]

栃木県佐野市・田島町143

主祭神:天之水分神・国之水分神
元禄三年1690改築,享保三年1718修繕,文政元年1818本殿拝殿改築,大正七年1918拝殿改築。
例祭:10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 坂和大明神 田島 大聖寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-8丁
同村大字田島字東鎭座 村社 坂和神社 祭神天之水分命 建物本社間口五尺奥行五尺 拜殿間口三間奥行二間 幣殿間口一間奥行二間 末社五社 氏子百十四戸
本社創立は天正十一年1583十一月十五日にして本村一同崇敬により大和國吉野郡に鎭座せる天の水分神を奉遷して勸請し坂和神社と稱す 後寛元十四年本村の鎭守神と崇敬す 明治維新に至り村社と定めらる 社域二百六十七坪にして民有第二種にあり

弟之神社

[おとの神社]

栃木県佐野市・植野町1867

主祭神:源家康公 境内社:雷電神社
元和三年1617久能山から日光山に家康公の遺骨を運ぶ際に当地に宿泊したところから「跡の宮」を創立,跡より良字をということで「弟之宮」とした。
例祭:3月25日

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県佐野市・植上町1800 うえかみちょう

主祭神:軻遇突智命
元和三年1617火防の神を丹波桑田より勧請。
例祭:11月24日

伊勢山神社

[いせやま神社]

栃木県佐野市・相生町207 佐野町城

主祭神:天照皇大神
文禄元年1592創建。平成二年社殿新築。
例祭:4月15日 10月15日

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県佐野市・金屋下町2454 佐野町城

主祭神:豊受姫命
寿永年間1182~85藤原有綱が阿曾沼城を築き乾守護として勧請,阿曾稲荷大明神と称した。
例祭:10月19日

西宮(蛭子)神社

[にしのみや(ひるこ)神社]

栃木県佐野市・久保町183

主祭神:事代主命 配神:建御名方命・火産霊命
大永三年1523兵庫県西宮の恵比寿宮総本社より根古屋青柳に勧請。慶長五年1600に天明春日山東組屋敷にに遷宮。
『栃木県神社誌』昭和39年版,平成十八年版とも「蛭子」に[ひるこ]のルビ。現在は由緒看板に「西宮(蛭子)神社」と括弧に入って記載されているが,ルビはやはり[ひるこ]と振られている。
例祭:11月20日

金山神社

[かなやま神社]

栃木県佐野市・金井上町2270-1

主祭神:金山彦命・金山姫命 佐野町城 治安二年1022創建。鋳物師の崇敬社。
例祭:9月15日

熊野神社

[くまの神社]

栃木県佐野市・大町844-5 だいちょう 天明

主祭神:伊耶那岐命・伊耶那美命
慶長年間1596~1615天明と小屋町に分れた後,田沼町より勧請とあるが,田沼のどの神社か分からない。
寺子屋発祥の地に鎮座するので小学校新入学児童の祈願祭,神前報告祭を行う。
例祭:4月9日 10月9日

神明宮

[しんめいぐう]

栃木県佐野市・伊保内町3830 いぼうち 植野

主祭神:大日孁貴命
元和二年1616創立。秋山川が渡良瀬川に合流するあたりの田園地帯に鎭座。
例祭:10月17日

神明宮

[しんめいぐう]

栃木県佐野市・天明町2212-1 てんみょう

主祭神:天照皇大神 配神:須佐之男命・建御名方命・豊受姫命
唐澤城主佐野基綱が文治三年1187城の御台所口伊勢山に創建。慶長四年1599天明宿方綺羅に遷宮,唐澤神明宮と称した。寛永十六年1639奉納の水洗鉢は貴重品。
宝暦八年1758社殿再建。延享五年1748,安永三年1774奉納の石燈籠など。
例祭:4月1日

住吉神社

[すみよし神社]

栃木県佐野市・金屋仲町2421 佐野町城

主祭神:底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后
寛永十一年1634九月十二日創建。
長文の由緒が残っている。できるだけ短縮すると次のようになる。毎年四月一日に京都を出立して日光山へ下向する例幣使が当地本陣に宿泊する際天明の鋳物師一同が中心になって人足食事等を手配し世話をする習わしであった。長年のご奉公に対する恩賞として後水尾天皇の時住吉神社の写を賜る。賜ったのは鋳物師グループであるが,鋳物師は金山神社を奉祭しているので,金屋仲町全体で住吉三神を祀ることとなった。
「西の芦屋に東の天明」といわれた天明[てんみょう]についてはこちらを。
例祭:10月12日 4月12日

地久稲荷神社

[ちきゅういなり神社]

栃木県佐野市・萬町88 佐野町城

主祭神:豊受姫命
文化三年1806以前から鎭座,詳細不詳。
例祭:3月19日 7月15日子供神輿

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県佐野市・大古屋町4541 植野

主祭神:菅原道真公 境内社:産泰神社
詳細不詳。
例祭:3月25日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 天満宮 天明 光明寺

孫太郎神社

[まごたろう神社]

栃木県佐野市・伊賀町34 佐野町城

主祭神:豊受姫命 配神:宇賀之御魂命・猿田彦命・豊城入彦命
藤原秀郷が春日岡山惣宗寺の守護神として創建。文永年間1264~75足利孫太郎家綱が再建したのでその名をとった。大正六年1917現在地に遷宮。
例祭:4月10日

三日月神社

[みかづき神社]

栃木県佐野市・大和町2679 佐野町城

主祭神:月読命 配神:少彦名命
唐澤山の麓にあったが廃城に伴い町中の現在地に遷宮。大銀杏の根本から唐澤不動尊の像が発見されたのを機に月光の黄金色の社殿を建立した。
文政五年1822本殿拝殿造営。平成14年本殿を新築。
例祭:4月3日

八坂神社

[やさか神社]

栃木県佐野市・大祝町2402 だいしゅく 佐野町城

主祭神:素盞嗚命
境内に大祝町公民館。石宮が祀られている。詳細不詳。


▊界 村 *『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻ニ-8丁
本村は馬門,越名,高山及ひ高萩の舊四ヶ村を合併し自治區となせしものにして全村の面積七百五十町餘歩ありて其地勢郡の東南端に位し渡良瀬秋山の諸川合流の地なり 然して渡良瀬川は南方に越名沼は東方に秋山川は中央を流れ一帶土地低濕にして西北は植野村及ひ犬伏町と境を接せり 村民農耕又漁業を營む殊に村民質素朴直の風ありて交際親密なり 道路は一條の縣道村の中央を貫き佐野町に逹し藤岡に通す 其他幾線の里道ありて交通に便なり 各村往古の沿革に付ては馬門高山は往時佐野氏の領地にして后馬門は本多舘林土井松平等諸家の領地となり次て幕府代官の知行所となり高山は古河及ひ松平日向守の領となり后役塲の下に支配せらる 次て町村制實施に至り之を合併して一村と爲す 本村には村社四社ありて其氏子戸數五百九十餘戸人口三千四百人を有せり

浅田神社

[あさだ神社]

栃木県佐野市・馬門町1506

主祭神:大己貴命 境内社:厳島神社・八坂神社・琴平神社・五社神社(五靈神社)・御嶽山神社・仙元神社・粟島神社
創建不詳ながらそうとうの古社。一説に日本武命が630年頃神籬を設け,その後に祠を建てたという。寛元二年1244再建。旧郷社。石標に下野國天命總社,天命は天猫,天名,天冥とも書いたが,現在は天明[てんみょう]と表記。
例祭:10月13日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 浅田大明神 長門→馬門 高橋山城
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-9丁
界村大字馬門字前原鎭座 村社 淺田神社 祭神大己貴命 祭日陰曆十一月十五日 氏子三百戸 社掌高橋雅睛仝村仝大字住 建物本社間口七尺奥行六尺八寸 拜殿間口五間奥行二間三尺 幣殿間口二間奥行三間 華表一基
社記に曰く勸請の由緑遼遠にして詳かならずと雖ども寛元二年1244中本社再建せし事は明かなり 又境内には鬱蒼たる千年以上のものと覺しき老槻ありて幹の回り五十尺に及ぶ傳へて神木と稱するは是なり 故に古社なるは慥かなり 又古碑あり曰く淺田神社碑銘の歌に「おほみみはかくりましてもおほなむちかみのみいつはあらはれてけり」襄面には本社繼造の事蹟を録す 亦元禄十年1697中東大寺華嚴長吏安井門主前大僧正道咫の揮毫せし神號の扁額あり 社寶には鰐口一個ありて永正五年四月廿九日下野國阿曾郡天命總社淺田明神とありて椎谷奥五郎の寄進せしものなり 又華表の側に下野國天命總社と記せる石標ありて往古は佐野郷の總社たりしと云ふ 故に明治五年郷社に列せらる 同十年行政區畫の都合に依り今は村社たり 境内坪數千六百十坪平坦の地にして古樹老杉蔚頚として天に辮ひ中央に宮殿ありて木楊の玉垣を繞し社宇宏壯にして郡内屈指の社なり

藤田神社

[ふじた神社]

栃木県佐野市・越名町779 こえな

主祭神:天児屋根命・武甕槌命・経津主命・比賣命 境内社:浅間神社・住吉神社・稲荷神社・船玉神社
天慶年間938~947藤原秀郷が創建。
嘉吉三年1443字元社から現在地に遷宮。元和四年1618頃は俵藤太から藤太大明神と称した。文政九年1826再建。昭和二十六年1951拝殿改修。
例祭:10月第三日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-9丁
安蘇郡 正一位 藤田大明神 越名 青木備後
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 藤田大明神 越名 青木備後
同村大字越名字宮の内鎭座 村社 藤田神社 祭神天兒屋根命 建物 本社間口一間半奥行二間 拜殿間口四間半奥行二間 神樂間口二間奥行四間 末社六社 氏子六十戸 社掌⾭木精須仝村仝大字住
本社創立年月詳ならす 再建は寛元二年にして社殿宏壮越名沼に瀕し深逹にして且優雅なり 社域一千六百十九坪を有す 神職は徃古より⾭木氏にて奉仕す

諏訪神社

[すわ神社]

栃木県佐野市・高萩町239

主祭神:建御名方命
寛元二年1244創建と伝わる。元禄四年1691再建の棟札。明治七年1874拝殿新築,神武天皇を相殿に祀る。
昭和十六年1941境内を拡張し社殿を移動。
例祭:10月第二土日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 諏訪大明神 高萩 正福寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-9丁
同村大字高萩鎭座 村社 諏訪神社 祭神健御名方命 建物本社間口三尺奥行四尺 拜殿間口三間奥行二間 末社四社 氏子九十四戸
本社創立詳ならす 社域三百八十七坪を有す

熊野神社

[くまの神社]

栃木県佐野市・高山町1630

主祭神:伊弉諾命・伊弉冊命 境内社:皇大神宮・浅間神社・道祖神社・天満宮 境外社:三峯神社
武蔵国板谷より移住した高山外記義信一族が創建と伝わる。享保九年1724に正一位を賜っているのでそれ以前の創始。文政二年1819社殿新築。
例祭:10月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 熊野大権現 高山 長福寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-9丁
同村大字高山鎭座 村社 熊野神社 祭神伊弉冊命 建物本社間口一間奥行五尺 拜殿間口三間奥行二間 末社四社 氏子百二十六戸
本社勸請詳ならす 社域千七十四坪を有す


▊堀米町 *『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻ニ-10丁
本町は堀米及ひ奈良淵の舊一町一村を合せて一自治區となす 其面積三百四十町歩餘東西二十五町餘南北三十町あり 其地勢概して平坦にして東は耕地道路によりて犬伏町に隣し西は旗川村に接し佐野町と市街相連り一見一市街の觀あり 秋山川は西方を流れ西一帶を限れり 町民多くは商工を營み繁盛の地たり 奈哀淵も土壌相接し自ら一區をなし風俗習慣も亦堀米に酷似す 故に町村制實施に當り合せて一町となすに至れり
古來の沿革に付ては徃時は共に佐野氏の所領たりしが後堀米は彥根家の所領となり同家十三代の後王政維新に際し彥根藩知事の所轄となり後廢藩置縣の當時栃木縣に屬し次て堀米町戸長役塲の支配となり町村制實施に當り現時の一町となるなり
本町には郷社一社及ひ村社一社ありて其氏子戸數四百七十餘戸にして人口三千七十餘人あり

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県佐野市・堀米町684

主祭神:譽田別命 配神:素盞嗚命・水主君命・迦具土命・田心姫命・別雷命・彦狭島王命 境内社:稲荷神社・菅原神社・産泰神社(木花開耶姫命)・太平神社(天津瓊瓊杵命)・西宮神社(事代主命)・神武天皇(神日本磐余彦命)
『下野神社沿革誌』記載の創建を600年さかのぼり『栃木県神社誌』平成18年版では天慶六年943藤原秀郷勧請とした。慶長七年1602小野寺郷八枚の澤から天王山に遷宮。明治十年1877と郷社。
明治四十二年1909水神社,愛宕神社,八坂神社,厳島神社,雷電神社,八幡神社を合祀。
西の朱雀町(堀米町1391)の雀宮神社は境外社。
例祭:10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 八幡宮 堀米 敬光院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-10丁
堀米町字八幡山鎭座 郷社 八幡宮 祭神譽田別命 祭日陰曆八月十五日 氏子七百五十二戸總代五員 社司戸賀崎喜一郎 建物 本社間口一間四尺奥行七尺 拜殿間口三間奥行二間瓦葺 神樂殿間口四間半奥行二間瓦葺 末社六社 神寶 饗田別命金像一體 同木像一體 古圓鏡一面
社傳に曰く天正十五年1587佐野城主佐野信吉本城の鬼門鎭護の神として勸請せしものなり 降りて明治五年郷社に列せらる 社域八百五十三坪本町街道より五丁強北丘陵に鎭す 境内には古松雑木蔚蓊として中央に社殿宏壯たり 丘上より望めは北に山陵を負ひ前左右に田野を扣へ安蘇川西に流れて東南隅には三毳山起伏し風光明媚眞に十州の山野を兩眸の中に集め眺望の爽快なる實に郡内屈指と稱せらる 毎年陰曆八月十五日を以て祭典を行ふ 賽人先を争ふて來賽し境内ために雅沓を極むと云ふ

雀宮神社

[すずめのみや神社]

栃木県佐野市・堀米町1391

主祭神:朱雀天皇 境内社:浅間・稲荷神社
天慶六年943藤原秀郷が朱雀天皇の靈を祀って創建。これとは別に秀郷の娘菊の疱瘡が老翁の紅雀の夢告で快癒したので雀大明神を創立とも伝わる。眼病治癒の秘薬紅雀を用いる神事が行われる。
安蘇庁舎西の町中に鎭座。
例祭:10月15日

小梥神社

[こまつ神社]

栃木県佐野市・奈良淵町183

主祭神:天之太玉命
昔は創建不詳だったが『栃木県神社誌』平成18年版で天慶六年943藤原秀郷勧請説が登場した。松林に鎭座したので小梥神社と称した。『下野神社沿革誌』は「小松」の字。奈良渕,田之入総鎭守。
享保八年1723と平成五年建て替え。
例祭:10月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 小松大明神 奈良淵 村
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-10丁
堀米町大字奈良淵字東山鎭座 村社 小松神社 祭神天布刀玉命 建物 本社間口三尺奥行五尺 拜殿間口二間奥行一間五尺 末社四社 氏子七十戸
本社創建詳ならす 社域五百五十二坪を有す

浅間神社

[あさま神社]

栃木県佐野市・奈良渕町194

主祭神:木花咲耶姫命
創立年不詳ながら御神像に天慶年間938~947の文字が残っているというので相当の古社。
「浅間山のお炊き上げ」が有名で佐野市の公式Webにも載っている。
例祭:7月最終土曜日


▊犬伏町 *『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻ニ-11丁
本町は犬伏,大栗,淺沼,鎧塚,富岡,黑袴,韮川,西浦,富士の舊一宿八村を合せて一の自治區となせしものにして其面積約千六百五十町歩餘ありて其地勢北に唐澤の山脈あり東に三毳山ありて土地自ら高久他は一帶平坦にして耕地多し 東方下賀郡に接し南は界村に西は堀米佐野の兩町と地境を交ゆ 犬伏は殆と各地の中央に位し自ら市聚地をなし各村之に集中する傾きあり 町民は農商相半し頗る勤勉にして朴直敬神の風ありて交際親和なりと云へり
各地往古以來の沿革に就ては各宿村とも往時は何れも佐野氏の所領にして数百年間其支配の下にあり犬伏,韮川,富士,大栗は次て井伊家の所領となり明治維新の際均しく彥根藩の支配となり其他各所領を異にし明治初年前橋藩に或は古河藩の領する處たりしか後同しく栃木縣の所轄に歸し戸長役塲を異にせしものなきに非さりしも各村共同の風習は早くも馴致せられ隣保團結の習慣成り 町村制實施に當り之を合せて現今の一町となすに至れり 本町には村社九社あり其氏子戸數八百三十餘戸人口五千九百十餘人あり

鷲宮神社

[わしのみや神社]

栃木県佐野市・犬伏上町2789<犬伏鷲の入 いぬぶし

主祭神:天日鷲命 配神:大己貴命・少彦名命・天太玉命・武夷鳥命 境内社:養蚕神社・八幡神社・八坂神社・西宮神社
例祭:12月第一日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 鷲宮大明神 犬伏 戸ケ崎左門
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-11丁
犬伏町字鷲の入鎭座 村社 鷲宮神社 祭神天日鷲命 祭日陰曆三月十五日 氏子四百五戸總代五員 社掌戸賀崎喜市仝町三七四番地住 建物本社間口四尺六寸奥行四尺栃葺 拜殿間口四間奥行二間半瓦葺 幣殿間口九尺奥行二間三尺瓦葺 末社七社
社傳に曰く天禄二年9719月九日伊勢國日鷲大神を遷座して勸請す 元永元年1118佐野城主佐野小太郎の崇敬社にして永樂錢三十貫文寄附ありて宮殿宏壯なりしか寛文十一年中本社拜殿ともに祝融の災に罹り寛文十三年本社拜殿再建す 後文久二年三月廿二日野火の爲め火災に罹り假神殿を造營ありしか明治廿七年田名網新九郎外氏子總代の盡力に依り本社拜殿幣殿の改築工事を起し宏大壯麗なる社殿を建造し同年十月廿二日上棟祭を行ひ同十一月廿六日を以て嚴粛なる遷宮式を/工事費七百九十九圓餘/行ふ神何そ歓ひ享んや又神威の赫灼たると是れ氏子町民の光榮たらんや 境内平地にして古杉老松蔚々蒼々として繁茂し社域千三百五十八坪にして赤き華表あり 社寶には神鏡五面を藏す

淡島神社

[あわしま神社]

栃木県佐野市・犬伏上町2208

主祭神:少彦名命 境内社:甲子神社
天正五年1577創建。出雲国意富郡の粟島大明神を勧請と伝わる。米子の粟嶋神社をさすか。
境内社65坪。嘉永元年1848と明治二十二年1889と二度焼失するもすぐに再建。
141号線沿いの町中。
例祭:3月3日

関東五社稲荷神社

[かんとうごしゃいなり神社]

栃木県佐野市・大栗町127<大栗弐の通り

主祭神:伊弉諾命 配神:素盞嗚命・於褒娜武知命(大己貴命) 境内社:浅間神社・庚申神社・養蠶神社
由緒は下記に詳しいので省く。
例祭:10月25日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 稲荷大明神 大栗 村
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-11丁
犬伏町大字大栗鎭座 村社 關東五社稻荷神社 祭神伊弉諾命 素盞嗚命 於褒那武知命 祭日大祭十月二十五日小祭陰曆二月初午日六月十五日十一月十五日 氏子廿八戸 社掌戸賀崎喜市仝町大字犬伏三百七十四番地住 建物本社間口二尺三寸五分奥行一尺九寸大社造 拜殿間口二間奥行三間萱葺 神饌殿間口五間三尺奥行二間二尺五寸萱茸 末社三社 神樂殿間口二間奥行三間瓦葺[神樂殿は明治維新に遭遇し遠近の人本社の神威を崇敬し用材及▢▢費を寄附して建設したるものなり其人々は下都賀郡小野寺村山崎忠左衛門犬伏町高椅為吉小野半藏大字韮川板橋六郎大字富士相互勘行太田▢十郎佐野郷永島市松其他本郡田沼町佐野町植野村足利郡不妻村下都賀郡藤岡町三毳村等有志五十餘人なり] 華表木造一基 石燈籠三基 幡小屋縦七間横三尺瓦葺 水屋縦四尺横六尺瓦葺
社傳に曰く本社は關東五社稻荷神社と稱し鎭守府將軍従四位上田原下野武藏守藤原朝臣秀郷の勸請にして朱雀天皇の御宇天慶五年942壬寅五月十五日の創建なり 將軍是より先朝敵平將門討減の擁護を相州松ヶ岡稻荷神社に祈誓し速に殄戮し宸襟を安し奉り下億兆塗炭の苦を救ひけり 依りて國家鎭護の爲め唐澤山牛ヶ城に地を卜し神殿を築き相州松ヶ岡より遷坐す[武蔵國烏森及王子上野國新福院の稻荷神社も同時に遷し祀れる故此れを合せて關東五社稻荷神社と稱す]
田原氏裔孫世々祟敬の神社たり 後十四代孫足利讃岐守藤原成俊[世俗佐野荘司と唱ふ園田成實の男成]文治二年乙巳五月十五日本郡田沼郷に遷坐す 其後富士左京亮房行再建せり 正親町天皇の御宇天正十三年乙酉三月二日小田原北條勢襲末して唐澤城攻撃の時該村兵燹に罹り本社も倶に鳥有に屬す 依りて慶長二年庚午十一月大栗稻荷山の南麓に遷し神殿を再建して漸く舊觀の十分ーに摸擬するに至る 寛延三年八月神位宗源宣旨を賜ひて正一位を贈らる 明治六年一月村社に列せらる 文治二年五月田沼に分靈を遷坐せしより小野寺まて渾て十ヶ所は皆本社より遷祀せるもの紀念碑及び額表に記して明かなり
關東五社稻荷神社紀念碑之寫
孝徳天皇大化二年中臣鎌足合祭伊弉諾尊素蓋嗚命於褒那武知命於相州鎌倉稱之松岡稻荷後天慶五年五月七代孫従四位上田原秀郷移之武藏國烏森同國王子上野國新福院下野國稻荷山總稱之關東五社稻荷此地所謂稻荷山而則其一故趾他而自其稻荷山所分派者亦有十社焉今備列擧之文治二年五月讃岐守佐野成俊移田沼稽一瓶稻荷一則是也建仁二年九月西塲太郎成行移西塲需西塲稻荷二則是龍元久元年二月小山四郎長朝移土塔原稻小山稻荷三則是狙元久元年二月出吼守阿曾沼廣綱移阿曾沼稻金屋稻荷四則是也元久二年二月藤倉太郎直政移熊谷稻熊谷稻荷五則是也文保二年二月園田四郎左衛門移細谷稻細谷稻荷大則是也元亨二年二月伊勢守藤岡房行移藤岡稻藤岡稻荷七則是也文亀元年二月岩崎重長移岩崎稻岩崎稻荷八則是也永躁六年二月山上美濃移上田島票田島稻荷九則是也式部大輔小野寺通成移小野寺稱小野寺稻荷十則是也雖然盛衰有時天正十三年三月爲北條佐野兩氏戰地人民離散廟宇亦嬰兵燹荒廢寂莫徒爲狐兎所穴殆知之稀而明治廿一年六月偶際栃木縣廳地誌編輯詳其顕末畧記其大意以示將來云武天皇即位紀元二千五百四十九年三月於下都賀郡大前村古湖新月樓識山士家左俜並書
關東五社稻荷神社額表之寫
明治二十六年三月下野國安蘇郡犬伏街大栗稻荷山鎭座關東五社稻荷神社氏子等廣募郷民新設神樂講社實可謂敬祟之至不堪感激也夫尋此稻荷神社之由緑距今九百五十一年前天慶五年壬寅五月十五日我大宗鎭守府將軍藤原朝臣秀郷公祈誠受擁護討減賊魁感喜之餘移相模國松岡稻荷大明神于此以建設是祠云松岡稻荷者在鎌倉大祖大織冠公大化二年之所創建祭神伊弉諾尊素蓋嗚命大己貴命也而同時自元祠松岡移祀者拜武藏國烏森同國王子上野國新福院下野國大栗稻荷山而五因皆稱之關東五社稻荷大明神矣曰田沼一瓶稻荷文治二年五月佐野荘司成俊所祀也曰西塲稻荷建仁二年九月西塲太郎成行所祀也曰土塔原小山稻荷元久元年二月小山新左衛門尉朝長所祀也曰阿曾沼金屋稻荷元久二年二月阿曾沼四郎廣綱所祀他曰熊谷稻荷元久二年二月藤倉太郎直政所祀也曰細谷稻荷文保二年二月園田四郎左衛門尉光氏所祀也曰藤岡稻荷元亨二年二月藤岡伊勢守房行所祀也曰岩崎稻荷文龜元年二月岩崎左馬助重長所祀也曰田島稻荷永祿六年二月山上美濃照久所祀也曰小野寺稻荷寛治二年二月小野寺式部大輔通成所祀也此十祠是自大栗稻荷山稻荷所移祀也大栗之地者我大宗以來世々之荘園也故其祭祀改建無有懈怠降至天正十三年三月小田原北條氏直攻我唐澤山城此地距城僅一里祠宇亦一朝罹兵燹神寶古記悉歸烏有惜哉尋壯嚴新建比舊不及云明治丕新之六年改奉神社號格爲村社以陰曆二月初午日爲祭日以至干今云偶嘗當明治十九年栃木縣命廣輯地誌下都賀郡大前村山士家左俜好古之士也詳此神祠之顚末負擔編輯能録其由來終與村人謀建碑于城内記其大略焉今也叉稗余録其事亦我祖先敬崇之祠宇不能辞謝茲嘉氏子諸人之誠心記以貽祠頭云爾
唐澤山神社宮司 佐野 郷謹識 同 禰宜毛束又太郎敬書

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県佐野市・浅沼町294<浅沼北

主祭神:譽田別命 配神:安蘇神・大塔宮・菅原神・金山姫神・宇賀之御魂神・大宮姫神・木花開耶姫命 境内社:八坂神社・三峯神社(伊弉諾命・伊弉冊命)・七社権現社(譽田別命ほか六神)
治承二年1178阿曾沼廣綱が創建。鴛鴦の石碑。
例祭:8月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 八幡宮 浅沼 王蔵院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-14丁
犬伏町大字淺沼字北鎭座 村社 八幡宮 祭神譽田別命 建物本社間口一間奥行一間 拜殿間口三間奥行二間 末社三社 氏子四十戸
本社勸請年月詳ならす 社域千二百十坪を有せり

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県佐野市・鐙塚町287 あぶつかちょう

主祭神:磐裂神・根裂神 配神:天瓊瓊杵命・宇賀之御魂命・五郎宮神・車塚神 境内社:八坂神社・八幡宮・愛宕神社・浅間神社
創立年月不詳。天正十三年1585佐野氏が北条と戦った際に戦火で焼失。元和元年1615本殿造営。安政元年1854拝殿などを整え南向きに再建。
天保三年1832鳥居。天保三年1832,天保十二年1841石燈籠。文化十年1813手水石。
例祭:10月17日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 星宮大明神 鐙塚 村
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-14丁
犬伏町大字鎧塚字本郷鎭座 村社 星宮神社 祭神磐裂神 根裂神 建物本社間口一間四尺奥行一間四尺 拜殿間口三間奥行二間 末社四社 氏子六十四戸
本社創立は遼遠にして詳ならす 社域七百七十四坪を有す

日枝神社

[ひえ神社]

栃木県佐野市・富岡町296<富岡南屋

主祭神:倭日向武日向八綱田尊[やまとひむかたけ ひむかやつなだ] 配神:大山祇命・宇賀之御魂命 境内社:三峯神社・山神社・浅間神社
創立年月不詳。天正十三年1585佐野氏が北条と戦った際に戦火で焼失。寛永十年1633本殿造営するも二年後の寛政十二年1800久保町火災で類焼。享和元年1801本殿を再築し,拝殿を東向きに建て替えて再建。
例祭:11月3日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡  山王大権現 富岡 村
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-14丁
犬伏町大字富岡鎭座 村社 日枝神社 祭神大山咋命 建物本社間口一間半奥行一間半 拜殿間口三間奥行二間 氏子七十四戸 本社創立詳ならす 社域千七百九十五坪を有す

八幡神社

[はちまん神社]

栃木県佐野市・黒袴町586三面山

主祭神:譽田別命 配神:天之忍穂耳命 境内社:稲荷神社・子守神社・雷電神社
康平七年1064源義家が三毳山西麓に勧請。治承五年1181戦火で焼失。建久八年1197足利義兼が再建。天正十三年1585佐野氏が北条と戦った際に戦火で焼失。寛文三年1663本殿造営。宝永三年1706字八幡から三面山に遷宮。
雷電社の相殿に蔵王社(少彦名命)と青龍社(天之水分命)。
例祭:10月17日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 八幡宮 黒袴 長光寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-14丁
犬伏町大字黑袴字三面山鎭座 村社 八幡宮 祭神譽田別命 建物本社間口三間奥行二間 拜殿間口三間奥行二間 末社一社 氏子六十六戸
本社は康平七年1064三月の造營にして衆庶崇信の社なり 社城八百六十九坪を有す

羽黒神社

[はぐろ神社]

栃木県佐野市・韮川町466

主祭神:日本武尊 配神:武甕槌命・倉稲魂命・櫛御気命・市杵嶋姫命・大山咋神 境内社:雷電神社・三峯神社・稲荷神社・厳島神社
弘安四年1281創建。天正十六年1588泉応院への放火で類消,慶長二年1597に石祠を祀る。文政六年1823本殿拝殿再建。
例祭:10月6日に近い日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 須黒明神←羽黒 韮川 真常院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-14丁
犬伏町大字韮川鎭座 村社 羽黑神社 祭神日本武命 建物本社間口三尺奥行三尺 拜殿間口二間半奥行二間 末社三社 氏子三十六戸
本社創立年月詳ならす 社域四百六十七坪字貳通にあり

西浦神社

[にしうら神社]

栃木県佐野市・西浦町983<西浦五反田山

主祭神:白山姫命 配神:伊弉冊命 境内社:雷電神社・浅間神社・厳島神社
朱雀天皇930-946時代の創建。寛永元年1624本殿拝殿を再建。
明治三十五年頃は白山神社と称し,『栃木県神社誌』昭和39年版でも白山神社で掲載,その後地名をとって西浦神社と改称。
例祭:12月15日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-14丁
犬伏町大字西浦字五反田山鎭座 村社 白山神社 祭神白山姫命 建物本社間口五尺奥行三尺 拜殿間口三間奥行二間 氏子六十四戸
本社創立詳ならす 社域一千六百六十五坪を有す

露垂根神社

[つゆしね神社]

栃木県佐野市・富士町1007

主祭神:市杵嶋姫命 配神:天照皇大神・素盞嗚命
天慶五年942藤原秀郷が唐沢山に創立。大永四年1524頃に笠松山に遷宮。『下野神社沿革誌』は応長元年1311としているが正しくは慶長元年1596以後に現在地に遷座。寛保三年1743拝殿造営,明治四十一年1908拝殿屋根を瓦葺に改修。本殿に竹林の七賢人浮彫り。
例祭:4月24日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 露垂根大明神 富士 大聖院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-14丁
犬伏町大字富士字明神鎭座 村社 露垂根神社 祭神市杵島姫命 建物本社間口五尺奥行三尺八寸 拜殿間口三間二尺奥行二間 幣殿間口一間一尺五寸奥行一間二尺五寸 神庫間口一間二尺奥行一間三尺 末社五社 氏子百十五戸
本社は藤原秀郷天慶五年942六月安藝國嚴島大明神を唐澤山に奉遷して勸請せしか濫觴にて後應長元年當地に移遷し往時は佐野家に於て修理等怠らさるも佐野家廢亡以後は一村の鎭守神と崇信す 明治五年村社に列せらる 社域千六百四十七坪を有す


▊赤 見 村 *『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻ニ-39丁
本村は赤見,出流原,寺久保,及び石塚の舊四村を合せて一の自治區をなせしものにして其面積二千五十餘町歩に及ひ地勢西は山脉連々として足利郡と郡界をなし東は田沼堀米の兩町と耕地相接し北は佐野町の一端及ひ旗川村と境界を交ゆ 彥間村→川は南流して東方を流れ旗川となり渡良瀬川に合流す支流又村内を貫流せり 村民概して敦厚にして多くは農工に従事し勤倹の風あり 各村交通の便に至ては一條の縣道田沼町より來りて出流原赤見を連結し足利町に逹す 其他里道開通し交通甚た便なり
古來の沿革に付ては往時は均しく藤原秀郷の領する所にして子孫相 承け佐野氏に及ひ▢て赤見は幾多の領主代りし后諸家の間に分割せられ石塚は山内遠江守より數代之を領し出流原は彥根井伊家の領地となり寺久保は阿部志摩守より八代の間子孫相繼き之を領す 明治維新に及ひ共に日光縣に屬し次て栃木縣の所轄となり同一戸長役塲の支配する慮となり町村制實施に及ひ合併して一村となし赤見村と稱し村社四社及ひ有名の磯山無格社人丸神社外一社ありて其氏子戸數一千百三十餘戸人口七千百九十餘人あり

沼鉾神社

[ぬまほこ神社]

栃木県佐野市・赤見町3009

主祭神:伊弉諾命・伊弉冊命 境内社:宇都宮神社・春日神社・浅間神社・八幡宮[境外社]稲荷神社・二福神社(大国主命,事代主命)・機姫神社
文武二年698創建と伝わる古社。仏教盛んな頃に「聖天宮」を合祀した。維新の神仏分離で聖天宮の仏像は西光院に移され,伊弉諾命・伊弉冊命二神を祀り沼鉾神社と改称する。
文久二年1862燈籠。樹齢800年の柊。
例祭:10月17日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 聖天宮 赤見 斎藤摂津
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-40丁
赤見村大字赤見字宮原鎭座 村社 沼鉾神社 祭神伊弉諾命・伊弉冊命 祭日四月十月十九日 氏子五百三十一戸 社掌北野▢同村大字同一八三番地住斎藤盛忠同村大字同一四四番地住 建物 本社間口五尺奥行五尺栃葺 幣社間口二間奥行一間 拜殿間口四間奥行二間三尺 神樂殿間口二間奥行三間 末社六社
社傳に曰く人皇四十三代文武天皇御宇文武二年698六月十五日勸請す 后宮殿悉く破壊せり 藤原秀郷崇敬を加へ天慶九年946本社拜殿とも再建せり 又正治二年1200本社拜殿修補す 夫より佛法日に月に隆盛の世となり故に建仁三年1203の春源義國武藏國新永井の庄より聖天宮を本社に遷し合祀せり 其時今の社地東西百間南北百三十間の社地を改め附し赤見郷の鎭守神とす 延文年中1356-61佐野家より聖天宮御供料として涌釜郷‏/涌釜郷とは今赤見村大字出流原なり‏/の内にて田畠拾町歩を賜はる應永年間1394-1428古河公方成氏より聖天宮浴油料として毎歳米五十俵宛賜はる 天文十年*(天文十五年1546が正)八月古河晴氏武州河越に於て伊勢新九郎平長氏と戰争に及び晴氏敗戰をとり古河野渡の御所落城す依て聖天宮の社地及な浴油料等北條の牧むる所となる 爾來氏子の負擔により社殿保存せり 明治維新に際し神佛分離の令出るや依て同二年聖天宮の佛像は同村西光院境内に遷し諾冊二尊を以て沼鉾神社と改稱して舊觀に復す 同五年村社に列せらる 社寶には延賓六年中佐竹大膳太夫より二尺亘の神鏡并に久永源兵衛崇敬ありて御寶物等奉納あり 社域八百九十坪平坦の地にして石の華表/伊豆の花崗岩/石の燈籠左右に並列し東南田甫を控ひ西北は人家に接す 境内には老杉蓊蔚として風氣快爽なるを覺ゆ

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県佐野市・赤見町3260

主祭神:菅原道真公 境内社:眠現神社(?慈眼+示現)・阿夫利神社
正慶元年1332創建,詳細不詳。
例祭:8月1日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-41丁
赤見村大字赤見鎭座 無格社 天満宮 祭神菅原道眞朝臣 祭日三月二十五日 信徒百三十戸總代三員 社掌北野貢同村大字同百八十三番地住
本社は正慶元1332壬申三月二十五日赤見刑部源義久京都北野天満宮より遷座せるなりと云 然れども別當家燐失に罹り詳なる事蹟は傳らず 建物本社間口四尺奥行四尺小羽葺 拜殿間口三間奥行二間瓦葺 鳥居一基 境内地四百十四坪 寶物神鏡一面 菅公神像一軀
本社は南向きにして四方に人家を控へたり 境内には若杉翠を染めて薫風自ら生ず 暁煙晩霞實に心胸を洗ふの處たり 又た其頃の別當職北野宗賢先生を誦ずるの碑あり子弟五百餘名の建設に係るものなり

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県佐野市・赤見町2601

主祭神:軻遇突智命 配神:大山祇命 詳細不詳。昭和四十五年1970山頂から山裾に遷宮。弘化二年1845石燈籠,明治二年1869石鳥居。
例祭:4月第二日曜日

神明宮

[しんめいぐう]

栃木県佐野市・赤見町5688

主祭神:大日孁貴命 境内社:琴平神社・八坂神社
詳細不詳。
例祭:10月15日

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県佐野市・赤見町5272

主祭神:譽田別命
正中二年1325赤見城主・荒川修理之亮・源氏重が創建。上野国華高石清水八幡より勧請と伝わるが高崎市寺尾村に見つからなかった。高崎の今宮神社のことか。
金毘羅神社のすぐ北。
例祭:4月15日

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県佐野市・赤見町1160

主祭神:磐裂神・根裂神 境内社:八坂神社
安元二年1176赤見城築城の際に用いた供物を埋めて清明塚をつくり現大蔵町の星宮神社七ツ塚より御分霊を勧請して星宮を創立。文永七年1270瓜棚に遷座,元禄元年1688元の清明塚に戻る。
175号線沿いに石鳥居があり,その先左手に塚が保存されている。
これとは別に神明宮の北,赤見4169に石鳥居があり社号標に「清明塚皇大神宮」と刻まれ,石宮が祀られている。瓜棚がここだろうか。
例祭:10月第二日曜日

八坂神社

[やさか神社]

栃木県佐野市・赤見町479

主祭神:須佐之男命
文久元年1861石燈籠。
明治四十二年1909神明宮,愛宕神社,石倉山神社(大山祇命)を合祀。
例祭:7月第三日曜日

金毘羅神社

[こんぴら神社]

栃木県佐野市・赤見町4776

例祭:月日

鳩峰神社

[はとみね神社]

栃木県佐野市・赤見町4957

佐野ゴルフクラブ内。

青龍神社/御嶽神社 ‏

[せいりゅう‏/おんたけ神社]

栃木県佐野市・赤見町600

蓮沼神社

[はすぬま神社]

栃木県佐野市・赤見町1845

十二天塚古墳頂上に鎭座。

涌釜神社

[わくかま神社]

栃木県佐野市・出流原町2123

主祭神:天水分神・国水分神
大同年間806~10の創建と伝わる。もとは人丸神社の山の裏手に鎭座し湧水の井戸があったので涌釜の呼称となった。明治四十四年1911に人丸神社と合併し大正二年1913に涌釜神社を現在地に造営して遷宮。境内地は人丸神社の1848坪が加わって5倍に拡大して2352坪。
例祭:10月第二日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 湧釜大明神 出流原 持明院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-40丁
赤見村大字出流原小字後山鎭座 村社 涌釜神社 祭神水分命 祭日陰曆九月二十八日 氏子二百二十八戸總代三員 社掌山崎文故同村同大字一一五番地住
土俗の口碑に傳ふ大同年中の勸請なりと 別當職の家再度の火災に罹りたるため惜むへし由緒書の如きも烏有に歸し事蹟傳らず只た後水尾帝の御宇元和八年1622十一月宮殿大破につき再建し其后享保十二年正月再建せしだけは明なり 往古は赤見小中山形寺久保と一村にして涌釜神社を鎭守とせし由古老の口碑に言へ傳へり
 建物 本社間口五尺奥行四尺五寸銅葺 拜殿間口五間奥行二間瓦葺 幣殿間口一間奥行一間半亜丹葺 木華表一基
境内地四百五十七坪 本社は本村の艮方にありて宮殿は南向きなり 社地は東西二十間南北廿四間瀟洒愛すべし 境内の午の方に井泉あり其水は丑寅の方より未申に向つて土中を流る 傳へいふ往古此に初めて泉の湧きしを以て此地を涌釜原郷と稱へ亦た本社をも涌釜神社と稱せしなりと 今ま又た出流原と稱ふるも即ち湧釜の池水土中を流れて自ら字磯池に湧出せしか故に斯く改め稱ふるなりとそ
人丸神社 明治四十四年1911五月桶釜神社と合併
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-41丁
赤見村大字出流原鎭座 無格社 人丸神社 祭神人丸朝臣命 祭日陰曆六月十五日 信徒總代三員二百二十戸 社掌同上
勸請年月は詳ならざれども寛永十九年再建せしことは確なれば創建は夫れより以前なるべし 境内に一の神池あり嘗つて寛永十八年の旱魃に際し田甫亀裂し野に⾭色なし民之を憂へ本社に祈る然るに怪しきかな忽然として磯地に混々たる水湧出し民蘇生の想あり乃ち其恩徳に報ゆるため翌年本社を再建すといふ 其后文化三年十一月再造せり 里民は養水の神と稱して奪敬甚だ篤く今に到るまて此の泉水に依て灌漑の便を蒙る田甫は近村敷百町歩に渉るといふ 以て出流原村の名の偶然ならさるを知るへし 又た舊六月十四日の夜は毎年神官一人にて水下安全の祭り祈禱をなす例なるが其夜に限り髣髴として神靈の現出するを見ると古へより言へ傳へり此祭式今尚存ぜり 建物本社間口五尺五寸奥行五尺小羽葺 拜殿間口四間半奥行二間茅葺 木鳥居一基 玉垣あり
境内地千八百四十八坪樹木の欝蒼せると巖石の巨多なるとは地方神社の境内に其比を見ず殊に杉樫なとに到ては回り一丈(3m)餘のものあり 寄岩怪石劍を植へたる如く峙ち一見脱塵の想あり 本社は南向きにして其後ろに磯池あり深さ六尺餘周園七十三間長方形をなせり池中申酉の方に六尺三間餘の小山+固あり磊々魁偉見るも怖ろしき心地す 其他龍の蟠るか如きもの虎の吼ける如きもの峨々丌立して水崖は千年の⾭苔滑なり 泉水は往昔より涸るヽことなし唯た寛文十八年に春より夏迄涸れしことありしのみ 概ね春の彼岸より水増し秋の彼岸より水減ずといふ 但た旱雨共に水の増減のなきと冬李に到りて冰らさるとは一の奇勝たり 水流は足利郡高橋村に至りて渡良瀬川に入る 嘻山の秀なるものは水を生じ水の靈なるものは傑を生す 知らず出流原頭如何んの傑物を生ぜる 境内に芭蕉翁の發句を刻める碑あり句に云ふ「此あたり目に見遊るもの美な冷し」以て風景の全班を窺ふへし

雷電/三峯神社

[らいでん・みつみね神社]

栃木県佐野市・出流原町114

磯山公園の東に鎭座。となりに磯山弁財天。その西に涌釜神社。

岩峰神社

[いわみね神社]

栃木県佐野市・出流原町1542

佐野ゴルフクラブのコース内。

熊野神社

[くまの神社]

栃木県佐野市・出流原町377

出流原パーキングエリアの脇に鎭座。朱塗の本殿。

熊野神社

[くまの神社]

栃木県佐野市・寺久保町654

主祭神:伊邪奈岐命・伊邪奈美命
藤原秀郷が唐沢山城に勧請した熊野三社を遷座したと伝わる。大治二年1127再建。正中二年1325本社造営。昭和十四年1939の台風で大破するも翌年再建。
例祭:10月第二日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-41丁
赤見村大字寺久保鎭座 村社 熊野神社 祭神伊弉諾命 伊弉冊命 建物本社間口五尺奥行五尺 拜殿間口三間奥行二間 氏子六十九戸 社掌同上
本社創立詳ならす 社域六百三十坪を有す

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県佐野市・寺久保町407

主祭神:大雷神 境内社:稲荷神社・愛宕神社
詳細不詳。明治四十二年1909四月,愛宕神社(軻遇突智命),稲荷神社(豊受姫命)を合祀。
例祭:4月第二日曜日

石塚神社

[いしづか神社]

栃木県佐野市・石塚町724

主祭神:天兒屋根命
創立年等不詳,柿本人麻呂靈を祀っていたという。享和元年1801再建,天保九年1838全社殿を改築。
明治五年1872,熊野神社,神明神社,稲荷神社,雷電神社,八坂神社,愛宕神社,諏訪神社を合祀。
例祭:10月第二日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-41丁
赤見村大字石塚字宮内鎭座 村社 石塚神社 祭神天兒屋根命 建物 本社本社間口三尺奥行三尺 拜殿間口二間半奥行一間半 氏子二百八十七戸 社掌同上
本社勸請年月詳ならす 社域六百三十一坪を有す

藤宮神社

[ふじのみや神社]

栃木県佐野市・石塚町502

主祭神:藤原成行
養和元年1181藤原俊綱の墓所として創建。正徳四年1714,天明四年1784,安政五年1858に改修。
例祭:4月第二日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 藤宮大明神 下石塚 吉祥院

熊野神社

[くまの神社]

栃木県佐野市・石塚町1721

主祭神:伊弉諾命・伊弉冊命
創立年不詳。寛保三年1743,延享二年1745,天明四年1784改修。天保十三,十四年1842-43改築。
喜連川藩主煕氏公筆の熊野山大権現額。勝海舟揮毫の額。
例祭:4月第二日曜日 *『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 熊野大権現 上石塚 南方寺

若宮八幡宮

[わかみやはちまんぐう]

栃木県佐野市・石塚町2195

佐野日大サッカー場の北,熊野神社の西に鎭座。詳細不詳。
例祭:?月日


▊旗 川 村 *『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻ニ-42丁
本村は並木,免鳥及ひ小中の舊三ヶ村を合併して一自治區となせしものにして全村面積五百十餘町歩あり 其地勢平坦にして耕地開け村民多くは農耕を業とし亦木綿織物を產し勤勉の風ありて交際親密なり
道路は一條の縣道並木を通し全村を東西に雨分し其他里道縦横に通し交通の便あり 然して全村の位置に至つては小中は北端に免鳥は中央に並木は南端に在り 東は佐野村に接し西方一帶旗川を隔て足利郡に隣し北は赤見村と土壌相連なれり 此間兩毛線は免鳥並木の中央を東西に貫くを見る
古來の沿革に就ては往時は各村とも佐野家の領地にして后或は幕府代官支配となり或は旗下釆地となり幾多の變遷を經明治維新の后に至り共に日光縣管轄となり明治五年廃藩置縣の際栃木縣に屬し免鳥並木の兩村は同一戸長役塲に小中は別戸長役塲の支配に屬せしか更に町村制實施に當り舊三村を合せて一村と成し旗川村と稱す
本村には村社三社ありて其氏子戸數五百五十餘戸人口三千五百九十餘人あり

二柱神社

[ふたはしら神社]

栃木県佐野市・並木町167

主祭神:高皇産霊神・神皇産霊神
貞享元年1684創建。天明三年1783本殿再建,大平の後藤彫の名工磯辺儀左衛門秀重作で彩色彫刻が施されている。聖天を祀っていたが神仏分離で安楽寺に像を遷し,明治六年1873祭神二神を奉じて聖天宮から二柱神社へ改称。
例祭:4月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 聖天宮 並木 村人
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-43丁
旗川村大字並木字道川鎭座 村社 二柱神社 祭神高皇產靈神 神皇產靈神 建物 本社本社間口一間半奥行一間半 拜殿間口四間奥行二間半 石燈籠二基 氏子七十七戸
本社創立詳ならす 社域五百九十二坪を有す

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県佐野市・免鳥町742

主祭神:天彦火瓊瓊杵尊 境内社:八幡神社・浅間神社
正応年間1288~93の創立。延宝元年1673再建,元禄十五年1702拝殿再建。
明治二十六年1893免鳥町字宮から現在地に遷宮。
例祭:10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 星宮大明神 免鳥 久松寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-43丁
旗川村大字免鳥字宮鎭座 村社 星宮神社 祭神磐裂命 根裂命 建物 本社間口四尺五寸奥行一間半 拜殿間口三間半奥行二間 幣殿間口一間奥行一間半 末社三社 氏子七十七戸
本社創立年月詳ならす 社域五百一坪あり

人丸神社

[ひとまる神社]

栃木県佐野市・小中町1062

主祭神:柿本人麻呂公 境内社:為朝神社
例祭:4月15日 10月第二日曜日
「石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか 人麻呂」
元慶元年877高角山[たかつのやま]より勧請して創建。
「志もつけの安蘇野の原のあさあけにもやかけわたるつつらくさかな」の一首が神庫の火災で焼失というのは人麻呂真筆があったのか?
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 人丸大明神 小中 林岩見
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-43丁
旗川村大字小中鎭座 村社 人丸神社 祭神柿本人麿靈
建物 本社間口一間半奥行一間 拜殿間口四間奥行二間半 幣殿間口一間半奥行二間 神樂殿間口二間半奥行三間 神輿庫間口一間半奥行二間 末社十社 氏子百七十二戸 社掌林敬明
本社は元慶元年877三月里民信仰により勸請し產土神と崇信す 社域七百十二坪を有す

吾妻村は『下野神社沿革誌』足利郡に記録されたが昭和三十三年1958佐野市へ編入された

▊吾 妻 村 『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-28,29丁
本村は村上上羽田下羽田及ひ高橋の舊四村を合せ一の自治區となせしものにして其幅員東西一里十町南北三十町あり 地勢平坦にして東は安蘇郡に接し南北西の三面は渡良瀬川及ひ旗川の兩川經流せり 村民は概して温厚の風ありて農を以て業とす
古來の沿革に付ては各旗下の釆地に屬し所領を異にせり 明治維新后栃木縣に屬し第四大區六小區に編入せられ各村役塲を異にし明治十六年に至り一戸長役塲となし町村制實施に當り相合して一村となれり 本村には村社四社ありて其氏子戸數五百二十余戸人口三千三百九十余人あり

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県佐野市・上羽田町684

主祭神:譽田別命
天慶五年942藤原秀郷が甲冑(兵器とも)を当地に埋めて塚を設け社殿を造営。元禄八年1695道場塚から現在地に遷宮。
樹齢600年を超える大ケヤキ。
例祭:4月15に近い日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 八幡宮 羽田 円照寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-29丁
吾妻村大字上羽田錢座 村社 八幡宮 祭神譽田別命 祭日陰曆二月八月十五日 建物本社一間四方銅瓦葺 拜殿間口四間奥行二間半 幣殿間口一間四尺奥行二間 神樂殿間口二間奥行三間 石華表一基 末社五社 郷社石標 伊勢參宮碑石永井先生の碑 氏子百二十二戸 社掌永井斎仝村大字仝七番住
社傳に曰く承平六年936田原藤太秀郷朝敵將門を討すへきの命を承け當郷まて出馬せしか名にし負強敵なれはとて宇佐八幡宮を奉し戰勝を新る 其の擁護により遂に賊を平けて唐澤城を築きたり 天慶五年942當境に兵器を埋め塚を造りて宮殿を建て以て裏鬼門鎭護となす即ち今本社の後ろ小高き所道塲塚といひて元そこに鎭座せしを后元録八年宮殿再建の際今の慮へ遷座したるものにして刀劍の類朽ち錆ひて寸断となれるもの地底より發見せしとあり又再建のことは本殿の棟札に明記せられたれは正しき記録なるへし 其頃は和氣の王子といへる人神子として宮仕なし和氣氏歸京の後は奉仕するもの暫く中絶して永和年間に到り真言宗圓照寺別當職を奉し佐野家にて代々修繕を加へ崇敬の社なり 佐野家廢絶后は近村七郷の鎭守と崇められ永禄十年八月下羽田村に分祀せられたり 后明治五年郷社に列せらる 仝十年八月本社に編入せらる 他に委しき事蹟もあるへけれと別當寺數度の火災にて舊記等も燒失せる故惜むらくは詳ならす 明泊二年永井氏神職となりてより仝十九年に到り仝氏管理者となり川田道次郎大關兼三郎川村淸二郎⾭木兵五郎山本淸三郎川村源十郎川田林平川村熊二郎川村甚藏の諸氏再建委員となり拜殿を再建す又た仝二十六年中より仝二十七年四月に到る迄永井氏管理者となり川田道二郎仝助太郎山本淸三郎川村甚藏大關充太郎⾭木安五郎川村熊二郎川村彌三郎川村淸作古橋善二郎川田林平松本信太郎の諸氏再建委員となり本社再建の功を竣ふ 造營の費用は氏子一同の據金より出るといへ永井氏多年積裁の功績によるものにして實に巨額なりとそ且永井氏は社頭永續費金をも貯蓄する等凡てに努めたれは氏子又協和して費を投するを吝ます 殊に再建成功の暁に於て氏子一同永井氏の盡力に感し永井氏へ齊服一領木杯壹對銀盃一個を拜殿再建委員へは石盃壹個本社再建委員へは木盃一個宛を贈くり其労を謝せしとそ記すたに快よき美事といふへし 社域千四十六坪にして古杉老樹雲を凌いて千年の縁りを示めし社頭徐ろに風生して淒氣自ら身に逼り神々しきの念に堪へさるものは本社の境内なり 中に凸然と峙つものは道塲塚の舊迹にして今淺間神社を鎭座す 此處尤も跳望に佳なり一たひ眸を放ては足利安蘇兩郡の沃野に炊煙の▢ひくを見状して⾭嵐の吟嘯を聞くへし

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県佐野市・村上町880

主祭神:瓊瓊杵命
源頼朝の時代の創建。明治二十八年1895拝殿再建。明治三十四年1901再築して遷宮。
4月15日,10月例祭日,12月31日に神楽奉納。
例祭:10月15に近い日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 星宮大明神 村上 泉竜寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-30丁
吾妻村大字村上鎭座 村社 星宮神社 祭神天津彥火瑣々杵命 祭日三月九月十五日 建物本社間口六尺奥行五尺銅葺 拜殿間口三間奥行二間 神樂殿一棟 雜舎一棟 華表一基 氏子百二十戸總代四員 社掌亀田源之助仝村大字仝八十七番住
社傳に曰く本社は源賴朝の時代當地鎭護のため勸請せしものにて元禄十五年1702地頭牧野傳藏より二反六畝十五歩祭田免として除地を寄附せらる 仝村眞言宗仙殿院にて代々別當職を奉し〻か明治二年十二月龜田多門神祇官より神主職に補せられ明治二十八年十月民子一同の力によりて拜殿を再建せられたり 本社は仝三十四年四月の再築にして仝年十月二十六日を以て遷宮の盛式を擧けらる 就中由緒ありけるは毎年陰曆十月十日には氏子擧つて團子を饌へ戸毎に客を招て之を饗する例ありて例祭に比して却て盛むなり 或年之を廢せしに神位に適はさるけん災害ありて此例再ひ行はれり 社域三百三十余坪大字の西端に在り前に茫漠たる田甫を控へ一眸數十里の間にあり後に人家を負ひ境内には古杉老槻の二丈に餘れる大木中空に聾ひて徐ろに千年の昔を想はる夏の夕春の曙淸氣野に滿つるの時杖を曳かは心自ら爽やかならん

八幡神社

[はちまん神社]

栃木県佐野市・下羽田町1085

主祭神:譽田別命
永禄十年1567創建。
例祭:10月15日に近い日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-30丁
吾妻村大字下羽田鎭座 村社 八幡宮 祭神譽田別命 建物本社三尺四方 拜殿間口三間奥行二間 雨覆二間四方 幣殿九尺四方 末社一社 氏子百五戸 社掌永井齊住所前仝
本社は永禄十年1567八月上羽田村八幡宮を遷座せし社にして社域百八十坪を有す

雀神社

[すずめ神社]

栃木県佐野市・高橋町2041

主祭神:豊城入彦命
嘉暦三年1328渡良瀬川の氾濫を鎮めるために創建。「シズメる」が「スズメ」になったていう説があるがさて。
例祭:10月15日に近い日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 正一位 雀宮大明神 高橋 荒井和泉
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-30丁
吾妻村大字高橋鎭座 村社 雀神社 祭神豊城入彥命 建物本本社四尺四方 拜殿間口三間奥行二間半 幣殿間口一間二尺奥行一間四尺 末社六社 社掌新井正善仝所住
本社は嘉曆三1328三年六月の創建にして元録十二年三月十六日を以て神位宜旨正一位を授けらる 社域六百八十五坪平坦の地にして前に渡良瀬川の淸流滾々として晝夜を遏めす 境内には老杉蓊蔚にして風景佳なり


*****************旧・葛生町***************

▊田 沼 町 *『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻ニ-15丁
本町は田沼,多田,栃本,吉水,小見,新吉水,山越,戸奈良の舊一宿七村を合し一の自治區となせしものにして田沼は各地の中心にして山越,多田は東北に戸奈良は西北に栃本,吉水,新吉水の各村は南方に散在し各々田沼に向て集聚するの觀あり 町民は多く農商工業に従事精勵し奢移の風なく風俗敦厚にして各村の交際相和す 道路は所謂四通八逹の要衝を占め幾線の縣道は前後左右に通し以て佐野地方に葛生に或は新合飛駒の各村を經て上野に逹すへし 佐野鐵道停車塲ありて陸道水運兩つなから便ならさるはなし 故に夫の產業の着々發逹し郡内有敷の產物たるも寔に起因する所なり 秋山川は町の東方を流れ旗川は西方を流れて南下し幾多の用水路を開かれ各地の灌漑便を共にせり
往古の浩革に就ては共に佐野氏の領する所にして其子孫相承け之を領せり 唐澤山城趾は此地にありて始め藤原秀郷の城きし城壁にして今其英靈を祀り有名なる神社たるは世人の知る所にして其子孫連綿として雄を稱せるも故あるなり 後佐野信吉に至り故ありて佐野に移れりと云ふ 明治維新の後栃木縣に屬し戸長役塲を置かれ次て町村制實施に當り合併して一町と成せり
本町には名高き一瓶塚郷社稻荷神社及ひ村社八社ありて其氏子戸數一千六百三十餘戸人ロ一萬一千二百餘人の多きを有せり

一瓶塚稲荷神社

[いっぺいづかいなり神社]

栃木県佐野市・田沼町1404

主祭神:豊受姫命 配神:久久能智命・猿田彦命・草野姫命・大宮能売命 境内社:厳島神社・西宮大神宮・太子神社ほか多数
大栗の関東五社稲荷神社社伝に「文治二年五月田沼に分靈を遷坐せしより小野寺まて渾て十ヶ所は皆本社より遷祀」とあり,当社もその一で文治二年1186創建。信奉者がそれぞれ瓶に土を入れて塚を築いて社殿を造営したので「一瓶塚稲荷」と称した。拝殿の「佐野総社正一位一瓶塚稲荷神社」額は寛政十二年1800神祇総管領白川資延の揮毫になるもの。
昭和四十年1965境内を整備し建物すべてを新築した。
狩野探幽十二天尊図掛軸12本を所蔵する。
例祭:11月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 稲荷大明神 田沼 能満寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-15丁
田沼町大字田沼稻荷久保鎭座 郷社 稻荷神社 祭神豊受姫命 草野姫命 猿田彥命 大宮能賣命 久々能智命 祭日陰曆二月初午日 建物本社間口一間二尺奥行一間 拜殿間口四間四尺奥行二間三尺 幣殿總樫木造 神樂殿間口七間奥行三間 神輿庫三間四方 水屋間口一間奥行五尺五寸 末社十一社 ⾭銅華表一基 紫銅燈籠一基 棧敷間口十二間奥行三間 氏子二千七十八戸 社司安蘇谷正吉仝町大字仝住
本社創立は文治二年1186乙已五月にして佐野莊司讃岐守/園田成實の男/崇敬により同郡大栗稻荷山より遷坐し佐野惣社一瓶塚稻荷大明神を勸請せしか濫觴にして後叉富士左京亮房行再建せり 其他由緒ありしも恨むらくは天保五年正月中本社祝融の災に罹り舊記録灰儘に歸せしより事績の審かなるを攷へからす只社傳の儘を記すのみ 社域九百三十坪高丘の地にありて社殿宏壮輪奐として石の瑞籬四方に繞らし⾭銅の大華表は佐野豊前守及ひ榊原安藝守の奉納にして佐野惣社一瓶塚正一位稻荷神社の扁額は日本神祇惣管領白川伯資延王の揮毫せしものにして古色靄然掬すへし 其外數十の大額拜殿に奉納あり 境内には老櫻古樹翠滴し風色嫣然たり 明治五年十一月郷社に定めらる

賀茂別雷神社

[かもわけいかづち神社]

栃木県佐野市・多田町1501 ただ

主祭神:賀茂別雷命 配神:天孫命・建角見命・玉依姫命 境内社:産泰神社・機姫神社・八坂神社・寒沢山神社・太守神社
天智天皇八年669創建と伝わる古社。村落から15丁約1.5km離れた菊澤山半腹に鎮座し,參拜に苦労するので元文元年1736現在地に遥拝所を建築した。明治四十二年1909無格社八社を合祀して,翌年本殿を移転し遥拝所を本社とした。『下野神社沿革誌』は移転前までの記述である。
例祭:4月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 雷大権現 上多田 毛利越後
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-16丁
田沼町大字多田小字菊澤山鎭座 村社 賀茂別雷神社 祭紳天孫命・建角見命・賀茂別雷 玉依姫命 祭日陰曆四月十五日五月五日 兼務社掌葛生町郷社八坂神社社司毛利眞守
社傳に曰く天智天皇の八年669九月始めて山城國上賀茂大神を此地に分祀し加茂別雷神と稱へたり 其後朱雀天皇の天慶八年945四月一日下毛野國押領使従四位下藤原朝臣秀郷逆賊平將門追討の命を奉せし時此社に祈りて速かに鎭定の功を奏せしを以て本社を再造す 近郷の民遂に鎭守と崇めて信仰甚だ篤し 元禄六年1693八月氏子及び篤志の輩相圖り力を戮せて再建を企て遂に之を成す現今の社殿即ち之なり 明治五年栃木縣廳より郷社に定格せられしが同十年七月區畫改正に際して村社に定めらる 元和二年領主米倉丹後守より除地として山林九反壷畝廿歩を寄附せられしが明治五年上地せらる 叉た享保十四年に幕府御用筆細井治郎太夫廣澤勝知の筆になれる神號題額一面奉納せしものあり古色靄然掬すべし 此等を見て以て本社が如何に當時に於て世の推尊を受けしことを察するに餘あらん
建物本社間口四尺五寸奥行五尺五寸 拜殿間口三間奥行九尺 神樂殿間口四間奥行二間文化十一年1814三月新築 遥拜所間口四間奥行二間半元文五年1740新築 本社は村落を隔る十五丁の遠隔にして且つ山路險悪なるを以て特に遥拝所を村内字宮内に建て祭日を除くの外參拝者の便に供す 石華表一基 鐵水鉢壼對 手洗石一基 石燈籠二基 末社九社 寳物小劍長さ九尺 水晶玉亘り一寸三分
社域二千七百坪餘本社は本村を去る十五丁柴田山に連接せる菊澤山の半腹巽に向ひて大巖石の上に屹立せり 前に寒澤山を控へ菊澤川を帶び頗る山水の勝地たり 仰けば老松古杉枝を參へて神威の高きを示めし伏しては碧崖數千仞神徳の深きを見はす 殊に勝れたるは周圍四尺餘りの榊數本及び神木と稱ふる一丈二尺程の杉にして傲直森嚴雲を衝くの概あり 又た珍かなるは社地の邊りより一面に菊の生ひ繁りたることにして花の盛りの錦天繍地に淵明をして之を見せしめなばそも又た何とか言はん 故に里民は本社を稱して菊澤の社と呼び此菊を稱して雷電菊と云ふ 又た以て菊澤川菊澤山の稱が共に偶然にあらざるを知るべし 菊澤川の源は此山の半腹に發して本村を過ぎて堀米町に到る頃ほひは良や急流となる 水質淸洌重もに方言「コロヒキ」と稱する小魚を產す此れ是川の名產なり 鮒,鱒,鰻等叉た之に次けり 呼社といひ花といひ山といひ川といひ菊に因みて芳しきは神の威徳の千代八千代匂ふためしと思はれていとめてたくも又尊とし

御榊山神社

[みさかきやま神社]

栃木県佐野市・多田町3004

主祭神:市杵嶋姫命 配神:天児屋根命 境内社:根本山神社・天満宮
延長六年928藤原秀郷が創建。
例祭:10月第二日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-16丁
田沼町大字上多田鎭座 村社 御榊山神社 祭神市杵島姫命 祭日十月十三日 氏子百二十一戸總代三員 兼務社掌同上
社傳に曰く延長六年下毛野國押領使根古屋唐澤の城主田原藤太秀郷故ありて安藝國廣島に鎭座ある嚴島神社の御分靈を遷したるに創り其後宮殿破壊に及ひしが宝徳元年1449佐野某なる者修繕を營みしより代々同家に於て營繕し來りし處遂に同家も断絶したるを以て村内一同の保護となしたり 享保元年二月を以て正一位の神階を賜はり庶民の尊崇大に篤かりき 明治五年栃木縣令を以て村社に編定せらる
建物本社間口三尺一寸奥行四尺五寸杉皮葺 拜殿間口二間奥行二間三尺 木鳥居一基
境内地千六百二十坪本社は葛生里道に接し但だ數丁の馬塲を入るのみ 東は田甫を隔て佐野鐵線に媒煙の揚るを望むべく南は本社の正面にして空闊なる田畝の洋々たる間に人家の點綴するを見るべし 北は山岳蜿蜒として連り稍東部に秋山川の奔れるを望む 山紫水明眺望の佳なるのみならず境内には古松老杉鬱蒼して翠滴らんとするか如き 一度是境に遊はば心氣自ら洗ふを覺へん

根古屋神社

[ねごや神社]

栃木県佐野市・栃本町2856

主祭神:天児屋根命・天太玉命
承平元年931藤原秀郷が西方山頂に創建,飛来矢[ひらいし]神社と称した。貞享三年1686現在地に遷宮。元禄十五年1702飛来矢大権現と称す。明治二年1869飛来矢大明神と改称する。これは維新の神仏分離令で権現はだめだが明神は規定されなかったことによる。大多数は忖度して明神もやめて神社号にしたので,当社も遅ればせながら明治五年1872に根古屋神社と改称する。
関連社として埼玉の羽生市上村君191に飛来矢神社が鎮座する。
例祭:4月29日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 避来矢大権現 柿本→杤本 天下谷出雲
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-17丁
田沼町大字栃本字六通に鎭座 村社 根古屋神社 祭神天兒屋根命 天太玉命 祭日四月廿日 氏子三百六十餘戸 社掌天下谷政重仝町大字仝一三二番地住
建物本社間口七尺奥行九尺銅葺 幣殿間口七尺奥行二間銅葺 拜殿間口三間奥行二間瓦葺 神樂殿間口二間奥行二間瓦葺 神奥庫間口九尺奥行九尺瓦葺 社寶古鏡一面享保十七年1732十一月安澤淸平奉納 鉾二本寛保四年1744二月伊勢屋彦兵衛仝彦八納む 神刀一口宝暦三年1753九月奉納者氏子 神鏡臺明治八年1875四月奉納者信徒 鰐口一個宝暦二年1752三月奉納横山清次郎外二名
社傳に曰く承平元年931八月藤原秀郷の創建にして春日大神と稱し田原氏世代崇敬の社なり 天慶三年940四月本社へ鎧一領を奉納して神寶とす[藤原秀郷略傳に曰く天慶二年939平將門追討の時此鎧を着して征伐しけるに敵の射る矢避けて身躯に當る事なし故に號けて避來矢の鎧と云ふ]此鎧を本社に奉納せしにより避來矢神社と稱す 治承四年四月藤原秀郷十世の孫足利叉太郎忠綱か源三位賴政と宇治川の戰争に此鎧を拜領し奮戰しけるに身體大に疲勞せるにより陣中に此鎧を脱き捨て尚も劇戰せり 然るに彼の鎧敵人の目には只平たき石に見へしにより此より平石の鎧と稱す 後此鎧を本社へ納めたり 又夫より平石權現と改稱す 貞享三年1686正月十九日根古屋廢城の際栃本村の今の社地に遷座し惣鎭守神となる/根古屋城趾元鎭座せる近傍を今に飛來矢曲輪云云/と享保十二年二月十七日を以て神位宗源宣旨を賜はり正一位を授けらる 故に正一位避來矢大權現と稱す 明治二年權現の稱號を止めて大明神と改む 同五年十一月を以て大明神の稱號を止められて根古屋神社と改稱し本縣第三十九區の郷社に列せらる 同十年七月行政區畫改正のため村社に列せらる 現今の建物は貞享三年正月の建立にして社殿には二重の玉垣を繞らし石の華表は寛政二年二月従五位下兵庫頭佐野義行従五位下藤原朝臣右兵衛尉茂承の奉納にあり 又神號の扁額には豊岡三位大藏郷并に秋嚴の揮毫せしもの二面あり 其他銅又は石の燈籠,水磐等に至るまて規摸宏壯美巧を盡し一大壯觀なり 社境廣寛にして古松老杉蔚々蒼々として社殿を繚繞し淸洒にして東に秋山川の淸流に望み社域六百五十一坪にして神寂びて古致に富み人をして覺へず襟を正しくして敬せしむ 社有財產五十五圓餘の利子を以て社殿修繕費に充つ不足あれば氏子の負擔とす 毎歳四月二十日を以祭典を行ふ

榊神社

[さかき神社]

栃木県佐野市・吉水町1005

主祭神:保食神 建御名方命・市杵嶋姫命・譽田別命・日本武命・木花咲耶姫命・倉稲魂命 愛宕神社
むかしむかし字大明神の白鳥神社の境内社?が現在地に独立したらしい。白鳥は不明。
宝永三年1706本殿再建。延享二年1745石鳥居。安永九年1780拝殿新築。文化六年1809幣殿新築,拝殿改修。平成12年すべての社殿の屋根を改修。
例祭:10月第四日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 榊本大明神 吉水 慶安寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-18丁
田沼町大字吉水字諏訪鎭座 村社 榊神社 祭神保食命 建物 本社間口二間奥行二間 拜殿間口四間奥行三間 末社二社 氏子百七十戸 社掌安蘇谷正吉
本社創立詳ならす 社域六百廿六坪を有す

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県佐野市・新吉水町395

主祭神:菅原道真公 配神:譽田別命・倉稲魂命 境内社:機姫神社(天棚機姫命)
詳細不詳。大正七年1918田原八幡宮を合祀。
例祭:10月25日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-18丁
田沼町大字新吉水字天神鎭座 村社 天満宮 祭神菅原道眞靈 建物本社間口二尺五寸奥行二尺五寸 拜殿間口二間奥行一間半 末社一社 氏子六十八戸 社掌同上
本社勸請年月詳ならす 社域二百三十七坪にして衆庶信仰の社なり

加茂別雷神社

[かもわけいかづち神社]

栃木県佐野市・山越町599 やまこし

主祭神:別雷命・天児屋根命・菅原道真公 境内社:神明宮・厳島神社・岩倉神社(岩倉大神)
大同二年807創建の古社。293号沿いの現社殿より北に2キロの菊水山に鎭座した。岩倉神社の奥になるのだろうか。昭和九年1934遥拝殿が建てられる。昭和二十五年1950本殿を菊水山から遥拝殿のところに遷宮する大事業を開始し昭和五十四年1979に正遷座祭を執行する。『下野神社沿革誌』は遷宮前までの記録である。
例祭:5月5日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 雷大権現 山根前 八下田対馬
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-18丁
田沼町大字山越鎭座 村社 加茂別雷神社 祭神加茂別雷命 天兒屋根命 菅原道眞朝臣 建物本社間口四尺奥行四尺 幣殿間口一間奥行一間 拜殿間口三間半奥行一間半 神輿庫間口一間半奥行二間 神樂殿間口二間半奥行二間半 石燈籠二基 末社三社 氏子六十九戸 社掌八下田眞澄
本社創立は大同二年807五月五日にして山城國上加茂皇大神を奉遷したるものにして往古は加茂別雷大權現と稱す 後菅原道眞の靈を合祀す 抑此菅原公の神體は金像にして田原藤太秀郷の守神として崇信し平将門誅伐の時躬自ら携帶せるものなりと 其子千常本社に納めて合祀すと云ふ 本社の裏に小池ありて此水を菊水と云ひ潺々と湧出し此下流菊澤川と稱し村落の灌漑に供す 故に本社を菊澤神社加茂別雷大權現と改稱すヘき旨嘉永四年1851五月神祇管領長上より宣命ありしを明治維新の後加茂別雷神社と改稱し村社に列せらる 社域千五百三十二坪字明菊山の半腹にあり 境内には山菊ありて五月節より隕霜の頃まて咲き滿ちて頗る美觀なり里民此菊を稱して雷菊と云ふ

下宮神社

[しもみや神社]

栃木県佐野市・山越町279

賀茂別雷神の下宮? 詳細不詳。

岩倉神社

[いわくら神社]

栃木県佐野市・山越町583

主祭神:藤原家綱公
役の溜[えんのため]の西に鎭座。
天承元年1131頃に亡くなった家綱の廟所として,さらに奥にあった明菊山加茂別雷大明神の脇の岩窟に岩倉大権現を創立。加茂別雷が昭和五十四年1979山越町599に移転するにともない現在地に遷宮。

鹿島神社

[神社]

栃木県佐野市・戸奈良町2008

主祭神:武甕槌命,経津主神,天児屋根命
配神:高龗神[たかおかみのかみ],大山祇命,大日孁貴命,稲倉魂命,素戔嗚尊,誉田別尊,伊邪那美命,柿本人丸朝臣命
境内社に白山姫命の白山神社,石井兼孝神霊の兼孝神社,報国神社
正治元年1199に戸奈良五郎宗綱が常陸の国鹿島神宮より勧請。三床山の麓に奉祭された。
佐野家が尊崇し,衰退して村の鎮守となる。天保二年1831火災に遭い天保十年1839再建。明治五年に村社。
明治42年2月に戸奈良1729にあった「高龗神」を祭神とする無各社の「八龍神社」を合祀。
その後も同年6月に八坂,八幡宮,神明宮,稲荷神社,人丸神社,三王神社,白山神社を合祀している。
本社は人里から離れ,参拝に不便であったため,昭和27年に遥拝殿を建立。
【遥拝殿】
葛生の町を後にして県道66号線を北上する。ゴールド佐野CCの先を右に入るとすぐに「村社鹿嶋神社」(大正14年1月)の石柱。
朱色の木製灯篭が並び立つ,とても美しい神社。手入れも行き届いている。
社柱のうしろに石塔が二基。大きい方は昭和28年4月の「遥拝殿新築記念」碑。社の由来が細字でびっしり刻んである。
その隣りは「戸奈良共有地」の碑。田畑山林を神社のための村の共有地に名義変更した記録である。昭和29年。
このあたりは宇都宮からはかなり高地になるので,4月20日でも神楽殿脇に桜が満開。社の西には田が広がる。
拝殿内の額には「鹿嶋大神宮」の文字。拝殿右手に境内社2社。
左手は「報国神社」。鳥居柱には「明治三十九年建之」と「昭和四十一年十一月移轉建之」
右手は「包孝霊社」。「包孝祠創建之碑」弘化四年1847。
「弘化四年歳x丁未秋八月」1847の手水石。
清掃をなさっている方にお聞きすると,ずっと奥の方に本殿があるとのこと。ここは遥拝殿の方。
【本殿】
車で入っていくと,なるほど,かなり離れた山の方に神社の杜らしき古木が見えてくる。
ここも草取りの方がいらして,手入れが行き届いている。すっきりと気持ちのいい神社だ。
「大正四年」の旗杭。「嘉永二年歳次己酉春二月上澣建」1849の石燈籠。
樫?と杉の巨木の間に「弘化五年龍集戊申春三月吉」1848の神明鳥居。額文字は「正一位鹿嶋大明神」
右手に文久元酉年1861の「猿田彦大神」石塔。
昭和五年三月の狛犬は絶品。足が細いわけでも,頭が小さいわけでもなく,全体が細みに見える造形。見間違いでなければ,左右とも「阿」
さらに進むと「嘉永紀元戊申九月」1848の手水石。
「嘉永二酉年年三月吉日」1849の石燈籠。
ここから石垣が組まれて正面に朱塗りの本殿。背後に深い森が広がる。
右手に「正徳四年甲午二月」1714の手水石。これは古い。
「奉納御寶前 明和六己丑年」1769の石燈籠。
「文化六己巳年五月吉日」1809の石燈籠。
慶應元年1865の石塔。
左手の少し離れたところに石祠の境内社。これが白山神社だろうか。
昭和8年の石のベンチなどが残っている。この神社の文字は300年前のものでもはっきり読める。石の質にもよるのだろうが,長く村の方に尊崇されて清められてきたのではないかと思う。 鹿嶋のシマの字形は『栃木県神社誌』では新旧とも「島」だが,現地では「嶋」で統一されている。
本殿:明神流造亜鉛葺 幣殿:瓦葺 拝殿:瓦葺
例祭=4月20日に近い日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 鹿島大明神 戸奈良 川田主計
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-19丁
田沼町大字戸奈良字鹿島鎭座 村社 鹿島神社 祭紳武甕槌命 建物本社間口三間奥行五間 拜殿間口二間奥行三間 幣殿間口一間半奥行一間半 神樂殿間口二間奥行三間 氏子二百六十五戸 社掌川田源治
本社創立は正治元年1199二月五日にして常州鹿島神宮を奉遜遷したるものなり 社域九百五十坪を有す

熊野神社

[くまの神社]

栃木県佐野市・戸奈良町400

旗川緑地公園の南,旗川左岸に鎭座。旗川対岸に八坂神社。

人丸神社

[ひとまる神社]

栃木県佐野市・戸奈良町481

主祭神:柿本人麻呂朝臣
旗川緑地公園と北関東自動車道の間に鎭座。

八坂神社

[やさか神社]

栃木県佐野市・戸奈良町776

主祭神:素盞嗚命
旗川緑地野球場の西。旗川対岸に熊野神社。

浅間神社

[あさま神社]

栃木県佐野市・戸奈良町823

主祭神:木花咲耶姫命
旗川緑地公園の北に鎭座。

道了神社

[どうりょう神社]

栃木県佐野市・戸奈良町962

種徳院の裏に鎭座。
寛政四年1792芭蕉句碑がある。
鐘つかぬ里は何かと春の暮

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県佐野市・小見町672 おみ

主祭神:菅原道真朝臣命 境内社:日光神社・神明宮・日光東照宮
創建等不詳。普門寺境内に鎭座したが寛文七年1667廃寺になるにともない真勝院境内に遷宮。明治五年1872日光神社境内に移転,日光神社を境内社とする。 例祭:10月第四日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 日光三社大権現 小見 泉明院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-19丁
田沼町大字小見字飯玉鎭座 村社 天満宮 祭神菅原道眞靈 本社間口四尺奥行三尺五寸 拜殿間口三間奥行二間 末社六社 社百三十二戸 社掌安蘇谷正吉
本社創立詳ならず 社域二百九十坪民有第二種にあり

富士浅間宮

[ふじせんげんぐう]

栃木県佐野市・田沼町776-7

主祭神:木花開耶姫命
詳細不詳。千木つきの立派な社殿。

天津戸隠神社

[あまつとがくし神社]

栃木県佐野市・田沼町1325

田沼元宿で奉祭する。
例祭:1月9日より前の日曜日


▊野上村 *『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻ニ-28丁
本村は白岩,御神樂,長谷塲及ひ作原の舊四ヶ村を合併して一の自治區をなせしものにして其面積約二千百三十町歩餘にして地形東西狭く南北に廷ひ野上川は殆と中央を貫流し北より南に向て流下し彥間川に合し旗川となりて渡良瀬川に注けり 東は氷室村に西は飛駒村に界し南は三好新合の兩村に接し土地高峻にして山脉全村に亘れり 村民は農耕及ひ木材薪炭業に従事し風俗朴直勤倹の風あり 交際親密にして敬神の志厚し
本村は山間の地方にして道路交通に至りては便なりと云ふ可からす只葛生街道の北方作原に通するものあるのみ 又里道に至ても稍々各所に通するを見るのみ 然れとも名勝なる蓬來山‏/‏唐澤山神社の部に詳説す/ありて春秋の候には遠近の士女來り遊ひ往來頻繁なり
古來の浩革に就ては各村往時は共に佐野氏の所領たり後又共に幕府代官の知行所となり更に相分れ各々領主を異にし次て明治維新に及ひ日光縣に屬し更に栃木縣の所轄となり次て町村制實施に當り相合して一村となし野上村と稱す 本村には村社四社及ひ有名の無格社一社ありて其氏子戸數三百四十餘戸人口二千五百七十餘人あり

宇都宮神社

[うつのみや神社]

栃木県佐野市・白岩町329

主祭神:大己貴命 境内社:稲荷神社,八坂神社,諸御神,魔多利神,天満宮,熊野神社,琴平神社,白山神社,秋葉神社,宝蔵神社 境外社:浅間神社,雷電神社,根本山神社,氷室山神社
社伝は『下野神社沿革誌』と同一の内容を記載。
寛政元年1789稲荷神社,八坂神社を,弘化二年1845諸御神を,嘉永元年1848魔多利神を,明治四年1871天満宮,熊野神社,琴平神社,白山神社,秋葉神社,宝蔵神社を合祀。
葛生バイパス293号線田沼から201号線を北上して野上小学校の先,右手に鎮座。
例祭:10月9日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 白岩大明神 上白岩 影山豊前
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-29丁
野上村大字白岩鎭座 村社 宇都宮神社 祭神大己貴命 祭日陰曆四月三日十月九日
建物 本社間口九尺奥行一間栃葺 幣殿間口九尺奥行一間 拜殿間口三間奥行二間 前殿間口六間奥行三間萱葺 鳥居一基 石燈籠二基 末社八社 氏子五十戸惣代龜山幸吉外三員 社掌影山志善仝村大字仝十九番地住
社傳に曰く往昔は宇都宮大明神と稱し天文元1532九月九日の創立にして元祿十五1702二月十九日を以て神祇管領長より正一位の宣旨を賜はり享保五1720九月本社修繕を加ひ其后安永七1778九月本社を改造し頗る壮麗を極む 寛政元年地頭彥坂民之助より米壹石金一兩御祈願料として寄附せられしより年々歳々崇敬を加へ常例として奉納あり 維新版籍奉還に際し止めらる 本社には卜部朝臣兼雄の眞筆及地頭彥坂氏源徳純の揮毫せし額面現在せり 明治五年社格改定に際し村社となる 神主は往古より影山家にて累代奉仕せり 社域千一坪にして社地は本大字中央小字白岩にあり 本社南向寒村に稀なる平旦の地にして田甫接續し民家所々に點綴す 境内の東北には銀色の巖山奇崖巍然として特立宛も⾭天に白雲の靉靆するか如きの觀を呈せり 昔人之を稱して白岩の村と云ふ 本社の周邊には老杉古樹森々蓊蔚として晝尚暗く就中神木と稱する杉は周園二丈に垂んとして雲表に聳ひ遥に望むも其社地たるを知る 西の側に接する村立尋常小學校あり其結構美觀を極む 東奇岩の下に醫師神社あり 後山の絶壁せる奇峭は風景絶佳にして山水の幽邃なる眞に仙境に入るの思あり

宇都宮神社

[うつのみや神社]

栃木県佐野市・御神楽町807 みかぐら

主祭神:大己貴命 境内社:山神社・産泰神社
創立年不詳ながら長元元年1028再建。正月七日に矢的祭。
例祭:10月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 宇都宮大明神 御神楽 石田周防
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-29丁
野上村大字御神樂鎭座 村社 宇都宮神社 祭神大己貴命 祭日四月三日九月九日 氏子五十二戸總代五員 社掌石田盛吉仝村仝大字住
本社の由緒として記すべき程の事柄今に傳らざるは惜むべし 今少しく地誌上より之を觀察する時は本村は元と佐野庄に編し野上郷と稱して累世佐野家の所領たり 降て元和二年本田上野介代り領するや野上を割いて御神楽上下長谷塲白岩作原の五ヶ村となす 蓋だし御神樂とは例年九月九日の大祭に氏子一同にて神樂を奏せしにより其地をは自然斯く呼び習はせしより名つけしならん 元和二年1616より殆んど四十五年を經て萬治三年1660に到り本田氏に次て舘林宰相右馬頭之を領し翌寛文元年1661より天和元年1681迄恰も二十ーケ年に渉る 次て天和二年より水野内膳正知行所となり連綿として明治年間に到り日光縣の管轄を廃して栃木縣に移り爾來漸く村制實施の隆運に遭逢するを得たりしなり 故に本社も亦た土地に件ふて幾多の變遷を經來たりしには相違なきも之を詳に語るの史料なきを如何せん唯た舊記に傳らく後一條天皇の長元元年1028本社を再建せりと 今より指を屈すれば已でに八百六十九年の昔しに再建のことありたるなれば其勸請年號の如何に悠遠なるかは想像し能ふ所なるべし 維新前は三月十五日六月十五日九月九日を以て毎年大祭を行ひ小祭は毎月之を行ふことヽし祭式の如きも祭幣組九組ありて輪番に神事を補助監督し極めて荘重を旨とせしといふ 就中正月七日の矢的祭は其の重なるものなりき 又た御神樂の里は古より蓬山城の一の固めの塲なりと言ヘ傳ふて其名地方に著しかりき 地頭水野石見守の歌に「笛太鼓囃子の昔は聞へねど誰か言ひ初し御神樂の里」其后吉田殿學士⾭山筑前直虎歌に「神わざのいつこはあれど御神樂の里の御神樂とふとかりけり」云々 建物 本社間口八尺奥行九尺 拜殿間口三間奥行二間 境内地九百五十四坪位置は大字の中央に位し里俗宮山と叫ふる丘陵の半腹にあり 西向きの建設にして社前は潺湲たる蓬莱川の流れ一帶の白布を敷きたる如く一直線を畫して南に向ひて奔れり水面より龍頭迄高きこと殆んど三丈餘岩奇畳々碧苔滑なり 境内には松杉橿の老樹枝を接して自ら幽趣あり 眸を東北に放てば蜿々たる山岳其極まる所を知らず頗る鎖夏弄秋の境に適す

大鳥籠守神社

[おおとりこもり神社]

栃木県佐野市・長谷場町1101

主祭神:日本武尊・底筒男命  境内社:稲荷神社・大山祇神・秋葉神社・八坂神社
創立年不詳。両社大明神と称した。
例祭:10月第四日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 両社大明神 上長谷場 泉福寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-30丁
野上村大字長谷塲小字神長谷塲山鎭座 村社 大鳥籠守神社 祭神日本武命 底筒男命 祭日大祭陰曆三月十五日九月九日小祭一月一日六月廿四日 建物本社間口九尺奥行九尺銅葺 幣殿間口九尺奥行九尺 拜殿間口三間奥行二間瓦葺明治十七84再建 前殿間口五間奥行二間半萱葺 石燈籠二基 末社五社 木鳥居一基 社有財產御供田四畝拾歩 氏子百戸惣代四員 社掌日野織衛仝村大字仝三七番地住
社傳に曰く本村は往古野上郷なるが元和二年1616分村して作原白岩上下長谷塲御神樂の五ヶ村となる 其當時上下長谷塲の兩村鎭守兩社大明神と稱するは本社にして神長谷塲山の麓に鎭座す 創立年月遼遠にして詳かならすと雖も元祿十四年正月神祇官統領より正一位の宣旨を賜はり古老の口碑に往古佐野家に崇る事ありとか故に佐野左馬介重綱か本社を再建して本村古百性四拾八名か列席して正月一日同月七日の兩日には干柿生栗菓子根ふか鰹節昆布白赤の餅七品に神酒を備て祭典する例あり 又陰曆六月十五日には小麥のふかしを獻て祭る古例式あり 本社の大門前の馬塲は巾九尺にして百十五間あり 社域七百十七坪高燥の地にして境内には老杉周園一丈三尺餘と古橿又は梅榊の大木ありて蒼弯たり 北は山高く西に野上川の滾々たる音を聞く 前には田甫開けて風氣快爽なるを覺ゆ

宇都宮神社

[うつのみや神社]

栃木県佐野市・作原町961

主祭神:大己貴命・三穂津姫命 配神:天照皇大神・八坂大神 境内社:熊野神社・稲荷神社・疱瘡神社・白抜神社・白岩神社・秋葉神社
建武(南朝)二年1335宇都宮の二荒山神社より勧請して創建,獅子臼大明神と称した。ついで宇都宮神社,安永二年1773には宇都宮慈眼大明神と称した。
宇都宮慈現大明神の扁額が掛かっている。
葛生バイパス293号線田沼から201号線を北上して白岩の宇都宮神社を越えて左手に鎮座。
例祭:10月15日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-31丁
野上村大字作原鎭座 村社 宇都宮神社 祭神大己貴命 三穂津姫命 祭日陰曆四月一日九月九日 建物 本社間口一間奥行一間半銅葺 幣殿間口二間奥行二間瓦葺 拜殿間口三間半奥行二間 前殿間口六間奥行二間半 鳥居一基 石燈籠二基 盥漱水石一基 末社五社 氏子百三十八戸總代小平彥一郎外七員 社掌影山志善仝村大字白岩十九番地住
社傳に曰く本社は往古獅子臼大明神と稱す 本村を御神村といふ 本社は従五位下安房守廣網佐野小太郎の勸請にして建武二年1335九月九日の創立なり 其後宇都宮神社と稱へたり 安永二年1773三月朔日神祇管領長より慈現の尊號賜はり宇都宮慈現大明神と改稱せり 其當時卜部朝臣兼雄公の揮毫せし扁額を下賜せられて今尚存せり 文化二年1805村民再ひ本殿を改造し其結構頗る壯觀を呈するに至れり 明治五年村社に定めらる 別當職は往古より眞言宗眞如院なりしも維新の際神職安蘇谷主馬の受持となり繼て安蘇谷束の兼務となり同十二年二月より同村陰山宇善の受持となり同十七年九月同志善の奉仕する處となる 社域五百八十六坪にして一等里道の左傍本大字中央字岡庭の平坦の地に鎭座し本社は東南向にあり西北は連山蜿々として蓬莱山の故城趾に連り東南は開豁民家所々に點綴し野上川は其間を環流して田畝に灌漑せり 春花の曙秋山の紅葉山野に滿つる時文人墨士蓬莱泉山の名勝古蹟を探訪するもの必す杖を本社に曳く 境内には古杉老樹欝蒼として蓊蔚たり就中神木と稱する古杉は周圍二丈餘傑然として⾭天を摩するか如くにして古色靄然たり 仰けば神威彌々尊く俯ては野上川の滾々たる聲を聞くへし

野上岩嶽神社

[のがみいわたけ神社]

栃木県佐野市・作原町261

主祭神:市杵嶋姫命 配神:磐長姫命
藤原秀郷が唐澤城内に創建した厳島神社を建武(南朝)二年1335佐野廣綱が作原に勧請。その後,伊豆国加茂郡の雲見嶽神社より磐長姫命を勧請。文禄四年1595再建,延宝六年1678改築。
周囲7.5mの杉があった。
例祭:10月10日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 岩嶽大明神 作原 村
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-32丁
野上村大字作原鎭座 無格社 野上岩嶽神社 祭紳市杵島姫命 磐長姫命祭日陰曆三月十五日九月九日 建物本社間口四尺二寸奥行三尺三寸銅葺 幣殿間口八尺七寸奥行七尺五寸板葺 拜殿間口三間奥行二間小羽葺 前殿間口五間奥行二間蘆葺 末社五社 鳥居一基 石燈籠二基 牝牡獅子二頭 氏子三十六戸總代亀山米藏黑田榮吉龜山岩吉横塚貞藏 社掌同上
社傳に曰く往昔本村は岩嶽村と稻し鎭守は本社にして鎭守府將軍藤原朝臣秀郷安藝國嚴島神社を唐澤の城内に遷座せしか濫觴にして后従五位下安房守佐野小太郎廣綱か建武二年九月九日を以て當地に勸請し后亦伊豆國加茂郡雲見嶽神社を遷座して合祀せり 爾來五十餘戸の鎭守となりぬ 文禄四95十二月一日宮殿を建再す 明曆三年十二月一日修繕を加へ延寶六年正月七日本社改築す 享保二年三月十五日神祇官統領神祗伯雅冬王より正一位の宣旨を賜はり同王の揮毫せし神號の扁額を下し賜りて今尚存す 其后氏子絶家して廿六戸となる 后氏子信徒擧て祠殿を彩色し其結構燦爛として輪奐たり 本社は往時より鎭守たるも明治五年社格改定に際し惜むらくは無格祉となる 故に氏子等の遣憾千歳と云ふ可し 本社往古より別當職は萬壽院にて奉仕維新の際より安蘇谷主馬の受持となり繼て安蘇谷束の兼務となり明治十二年より本村影山志善の兼務となり績て影山志善の奉仕たり 社域一千百五十八坪にして本郡田沼町より蓬莱山に通する街道にして字下作原の中央に位する丘陵にあり 大門迄七十餘間の馬塲あり 本社正南に向ひ街道は本社の右傍を通じ野上川の急流滔々として其西南を迸流す 東北は愛宕山の懸崖の絶壁直径百仭にして黑嶽山は巍然として屹立し北は矢嶽前澤の諸山連然蜿々として蓬山の故城趾に至り南面は田甫接續して民家所々に點綴す 本社の周りには老杉欝蒼として天日を洩さず晝尚暗く寂寥として識らず敬神の念を起さしむ 加るに神木と稱する古杉は周圍二丈五尺矗立雲表に聳ひ遠くより望むも其神社たるを知る 實に其神々たること仙境に入るが如くなるべし

蓬莱神社

[ほうらい神社]

栃木県佐野市・作原町2267

主祭神:市杵嶋姫命
天慶三年940藤原秀郷が蓬莱城(忍山城)を築城した際に守護として安芸厳島より勧請して天慶五年942創建と伝わる。
蓬莱山は豊城入彦命の命名。東蓬莱山頂上に大山祇命の石祠,西蓬莱山頂上に市杵島姫命の石祠。
例祭:4月17日

上作原に200年以上前に近沢大明神が記録されたが現在社は分からない。近沢峠があるが。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 近沢大明神 上作原 本光院


▊新 合 村 *『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻ニ-4丁
本村は閑馬,下彥間,梅園及ひ山形の舊四ヶ村を合し一の自治區となせしものにして地形東西に狭く南北に延ひ平行四角の形様をなし東は野上三好の兩村と境界相接し西は足利郡と郡界を交へ南は赤見村に北は飛駒村と隣し村内山陵岡丘起伏する者あり土地又自ら高きものあり 彥間川は源を飛駒村の山嶽の澗より發し南流して本村を南北に貫流し舊各村皆其沿岸にあり 支流叉村内を流れ沿岸土地自ら拓けるあり 又道路交通に至ては田沼を經て山形梅園閑馬下彥間の各地を連結し飛駒村に至るあり 其他里道數線ありて不便を訴ふる事なしと云ふ
古來の沿革に付ては往時藤原秀郷の領する所にして佐野氏相繼き後幕府代官の所領となり后又宇都宮氏に屬し更に井伊家の所領となり次て明治維新の際彥根藩の所轄となり次て栃木縣の管轄となり更に町村制實施に當り合併して一村となる 本村には郷社一社及ひ村社三社ありて其氏子戸數五百餘戸人口四千四百二十餘人の多きを有す

示現神社

[じげん神社]

栃木県佐野市・閑馬町2108 かんま

主祭神:衣通姫命 配神:大己貴命・事代主命・豊城入彦命 境内社:稲荷神社・八坂神社・同神三社(龍鳥宮大神)・神明宮
弘安二年1279紀伊国和歌浦の玉津島明神より衣通姫命を勧請,総社玉津島明神と称した。その後慶長十五年1610に宇都宮二荒山神社の三神を勧請して示現神社と称す。旧郷社。
例祭:10月10日に近い日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 慈眼大明神 閑馬 村人
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-33丁
新合村大字閑馬字宮内鎭座 郷社 示現神社 祭神大己貴命 事代主命 豊城入彥命 建物間口一間奥行一間 拜殿間口三間奥行二間 幣殿二県四方 神樂殿間口五間奥行三間 華表一基 末社六社 氏子二百五十二戸 社司木村眞暁仝村仝大字住
本社勸請は慶長十五年1610にして當國二荒山神社を奉遷し示現神社と稱す 明治五年郷社に定めらる 社域千百五十八坪平坦の地にして老杉古樹蓊鬱として晝尚暗く四境田甫に接し郡内屈指の社境にして風致頗る幽邃なり 往古より神職は木村家にて代々奉仕怠たらすと云々

出雲神社

[いづも神社]

栃木県佐野市・閑馬町2239 かんま

平成14年建立の朱塗の鳥居。閑馬小学校の東向かい。

羽黒神社

[はぐろ神社]

栃木県佐野市・閑馬町2514-2

主祭神:倉稲魂命 境内社:湯殿大神・若宮八幡・八坂神社・大山祇大神
創立年不詳ながら川田丹後が出羽の羽黒山より勧請。閑馬上邑の小俣に祠を建て羽黒権現と称した。延宝六年1678神祇官領より大権現の稱號を許され,羽黒大権現と称した。宝永八年1711現在地に造営。明治六年1873の羽黒神社と改称。
例祭:10月10日に近い日曜日

八幡神社

[はちまん神社]

栃木県佐野市・閑馬町3003

主祭神:譽田別命 境内社:日光大神・秋葉大神・日本武神・若宮八幡宮・厳島神社・大己貴命・水神
永正七年1510山田某が山代の石清水八幡宮より勧請。元禄十四年1701社殿造営。
例祭:10月10日に近い日曜日

八坂神社

[やさか神社]

栃木県佐野市・閑馬町316

主祭神:健須佐之男命
寛永十年1633四月創建。小字春高に祠を建て津島天王健須佐之男命を勧請,疫病退散を祈願した。天保十年1839拝殿建立。明治五年1872牛頭天王から八坂神社と改称。
例祭:7月25日に近い日曜日

箕輪山神社

[みのわさん神社]

栃木県佐野市・閑馬町3520-1

主祭神:大山祇大神 境内社:出戸山神宮
安政五年1858五月創建。
例祭:5月3日

浅間神社

[あさま神社]

栃木県佐野市・閑馬町3857-1

主祭神:木花咲耶姫命 境内社:伊邪奈岐命‏/伊邪奈美命二柱大神・天照皇大神宮・大室神社
詳細不詳。昔は石宮だったが流造板葺の木製祠が建てられた。
例祭:4月20日に近い日曜日

宇都宮神社

[うつのみや神社]

佐野市・下彦間1048-1

主祭神:大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命 配神:高龗[たかおかみ]命・鳴雷命・速須佐之男命・大山咋命・木花咲耶姫命 境内社:駒形神社・織姫神社・八坂神社
元和三年1617に宇都宮本多上野介の支配下にあったときに,二荒山神社より御分霊を勧請して創建,宇都宮大明神と称した。下彦間鎮守。昔は境内にある駒形神社が鎮守であった。
江戸中期に慈眼大明神と改称し,明治三年再度宇都宮神社に改称。
例祭翌日の祇園祭で妖魔退散,五穀豊饒祈願の獅子舞「ささら舞」が奉納される。
戸奈良の鹿嶋神社からさらに6kmほど奥に行くと右手に鳥居が見える。
社号標は「邨社宇都宮神社」
左手に文字のない石塔が三基。杉林の奥に社殿が見える。
神楽殿付きの立派な神社。背後は山。
「安永三年甲午十二月吉日」1774手水石。
「大正三年八月一日」の旗杭。
拝殿右手に織姫神社(棚機姫命),駒形神社(宇気母智神),八坂神社(速須佐之男命)にあたる境内社3社。奥の石祠には「明治十一寅年九月一日再建」の文字。
「天保三辰年正月吉日」1832の石碑。
「享和二壬戌三月」1802の石塔。
「元禄十六癸巳年 奉造立石燈」1703これは古い。
本殿のレリーフも見事に残っている。
本殿:権現造銅版葺 幣殿:権現造銅版葺 拝殿:権現造銅版葺
例祭:8月1日に近い土曜日

*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 慈眼大明神 下彦間 小野加賀
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-33丁
同村大字下彥間字宮前鎭座 村社 宇都宮神社 祭神大已貴命 相殿田心姫命 豊城入彥命 祭日十月一日 建物本社間口三間奥行二間栃葺 幣殿間口一間四尺奥行二間 拜殿間口三間奥行二間銅葺 神饌所間口六間奥行三間 末社三社 華表一基 氏子二百三十四戸總代四員 社掌小野淸造同郡佐野町郷社朝日森神社社司
本社は元和三年1617の創立にして往古は宇都宮大明神と稱し當國二荒山神社の分靈を勸請せし社なり 中頃慈眼大明神と改稱し后明治三年宇都宮神社と復舊し同五年第九大區九小區の郷社に定められ衆庶尊敬の社なりしか同十年行政區劃の都合により村社に列せらる 社域二千三百廿六坪平坦の地にあり 社殿巨大美觀にして境内及ひ長馬塲凡三町餘には古杉老樹蔚然として生ひ繁り神寂ひて雅致あり 近年地方の有志者相議り同村岩下翁の事蹟を録したる一基の碑石を社傍に建つ 従一位久我建通公の篆額正七位葵川信近の撰文にして戸田少教正の書なり

八雲稲荷神社

[やくもいなり神社]

栃木県佐野市・下彦間町1048-1

主祭神:素盞嗚命・倉稲魂命または豊受姫命 境内社:天満宮・箱根神社(曽我十郎,五郎)・水天宮(水分神)
貞観十一年869創建。11世紀中ごろの前九年後三年役のとき源義家が戦勝祈願した。

八劍神社

[やつるぎ神社]

栃木県佐野市・梅園町607-1

主祭神:日本武尊 境内社:雷電神社・大己貴命・山神宮・産泰神社・厳島神社・八坂神社・為朝神社
天文二年1533創建。延喜式神名帳記載の愛智郡八剣神社すなわち熱田神宮別宮八剣宮から名をとって八劍神社と称した。
例祭:10月15日に近い日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 八剣大明神 梅園 岩上長門
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-34丁
同村大字梅園銀座 村社 八劍神社 祭神日本武命 建物 本社間口四尺奥行四尺 拜殿間口二間半奥行二間半 幣殿間口一間二尺奥行一間 神樂殿間口五間奥行二間半 氏子四十七戸 社掌岩上登
本社創立は天文年中本村信仰により尾張國熱田大神を奉遷して鎭守神と崇敬す 社域民有第二種にして百四十一坪を有す

人丸神社

[ひとまる神社]

栃木県佐野市・山形町1223

主祭神:柿本人丸朝臣命 境内社:稲荷神社・大海山竜命・雷電神社・神明宮・八幡宮・土神社・長等神社・疱瘡神社・大福津日神
創建不詳。「
正徳三年1713七月二十七日神祇管領兼教 文久二年1862壬戌三月二十一日遷宮」とある箱書が残っている。明治四十二年1909嘉永六年1853創建?山越加茂御分霊雷電神社,阿夫利神社,八坂神社を合祀。
例祭:10月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 人丸大明神 山形 本明院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-34丁
同村大字山形鎭座 村社人丸神社 祭評柿本人麿璽 建物本社本社間口五尺奥行五尺 拜殿間口三間奥行二間 幣殿間口一間奥行一間半 末社七社 石燈籠一基 氏子百二十四戸 社掌藤掛數間
本社創立年月詳ならす 社域六百廿一坪を有す


▊飛駒村 *『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻ニ-34丁
本村は地域現時の新合村と接し上彥間下彥間とは素より離る可からさる種々の關係なきに非らす雖も上下彥間を一の自治村となすは地域に於て廣大に過くる感ありて本村は舊上彥間村一村を獨立せしめ以て一自治村をなせしものにして其幅員東西一里南北三里餘面積四千六百五十四町餘歩を有せり 地勢北より東に亘りて山脉重畳連亘し西一帶亦幾多の山脉起伏して足利郡との郡界をなせり 根本山は本村の東北端に十二岳は西北端に聳ひ高嶽を以て名あり 東は野上村に隣し南は新合村に接し全村土地自ら高峻にして中央より以南は南下するに従ひ低くして其間耕地開くるあるも全村の面積の十分の二位に過きす 村民は農耕を營むものあれと多くは木材薪炭業に従事す 土地凌角にして到底農業の利を得るに難きに依れり 其物產として木材薪炭の外近時養蠶製糸業の進歩し產額少なからす且紙及ひ石灰等を產せり
古來の沿革に就ては往時佐野氏の所領たり 尋て佐野信吉領地を没収せらるヽに際し幕府代官の支配となり後幾多の領主を經て寛永十年中彥根井伊家の領地となる 明治維新の際彥根藩の支配となり然して明治四年栃木縣の所轄となり町村制實施の際一村獨立して一自治村となり飛駒村と改稱す 本村には村社一社及ひ有名なる無格社根本山神社外一社ありて氏子戸數五百十餘戸人口三千二百三十餘人あり

駒形神社

[こまかた神社]

栃木県佐野市・飛駒町1486

主祭神:天児屋根命・大己貴命・少彦名命 配神:市杵嶋姫命・水波之女命(罔象女神) 境内社:西宮大神宮・稲荷神社・天満宮・根本神社
『栃木県神社誌』平成18年版では天文十一年1542創立としているが『下野神社沿革誌』は治承年間1177~81駒寄正八幡宮として創建としている。また「飛駒」「閑馬」の由来も記している。天文十一年1542駒形大明神と改称。明治六年1873駒形神社とす。
大正三年1914四月,字中木戸川西の山神社,字出川の水神社,字多高の阿夫利神社,十月字坂本の厳島神社を合祀。
例祭:10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 駒方大明神 上彦間 神山伊賀
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-35丁
飛駒村大字上彥間小字宮原鎭座 村社 駒形神社 祭神天兒屋根命 大己貴命 少彥名命 祭日大四月十五日小九月十五日 氏子五百十八戸總代七員 社掌藤倉若丸同村大字入彥間四二三番地住小野誠一郎同村大字上彥間二三一番地住神山信吉同村大字同二一三番地住
本村は舊麻郡/今安蘇郡と改む/佐野庄に編して遠原の郷と呼びしか后ち上下に分かれて上遠原と稱せらる 其頃は草より出てゝ草に入る月の武藏野ならなくに只た茫々たる山野にして頗る野馬を蕃息せり 時に治承年間1177~81二頭の良馬出づ一は土人上遠原の中央なる毛野山の麓に獲一は脱して下遠原に至り止る遂に二つながら之を擒へて源賴朝に献ず 即池月磨墨にして共に公か秘藏の逸物とはなれり 故を以て上遠原を飛駒村に下遠原を閑馬村に改め產土神を駒寄正八幡宮と稱して創立せしもの即ち本社の濫觴なりと/按するに池月磨墨の良馬も元とは野馬のことゝて悍にして馭す可からざりしならん故に其走ること飛ふことくなるを以後飛駒と改稱し叉仙の一頭は飛び出して下遠原に至り閑まりし故閑馬村と稱せし者なるぺし殊に今も木村の字に中木戸又た中木戸川などあるを以て見れば牧塲の木戸に充てたる所の名を存ずるものと想はる/其の創立の年號は詳ならさるも右の口碑に依り察するときは恐らくは七百餘年前の創設に係る古社なりしことは疑べくものあらず 其后天文十一年三月駒方大明神と改稱し降つて元録四年三月宣旨正一位を授けらる 明治六年社格改正の際改めて駒形神社と稱す 傳ふる所の由緒正に斯の如きのみ 因に云ふ元との飛駒村も后ち又上下に分ち寛永十年四月江州彥根の城主井伊候の領となるに及ひて彥根の彥を用ひて彥間と書き改ためしが明治廿一年町村制實施の際復た飛駒に改たむ
建物本社間口九尺奥行六尺小羽葺 拜殿間口三間半奥行二間半瓦葺 神樂殿間口六間奥行三間半茅葺 石華表一基 境内地千七百三坪本大字の中央平地にあり宮殿は南向きにして四方廣濶人家の點々たるを見る 前は飛駒の流水潺湲として晝夜を舎てず風籟と相和し琴瑟を聞くが如とし 境内には杉檜樫の大木あり緑り濃やかに適ま異禽の喈聲を弄するあり眞に耳目を爽やかならしむる別乾坤なり

根本山神社

[ねもとやま神社]

栃木県佐野市・飛駒町7822

主祭神:大山祇命 配神:薬師大神(如来)
役行者が富士山から東北を見ると瑞雲たなびく山が見えたのでやってきたのが飛駒の地,雲の根方に奇峰を見つけ根本山と名付けた。ここに天正元年1573良西が創立。桐生口と飛駒口にそれぞれ里宮の遥拝所がある。飛駒口は根古屋森林公園に,桐生口は田沼から群馬県に編入された今倉にあったらしいが,桐生川ダムに沈んだか。
例祭:5月3日登拝祭 11月15日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-35丁
同村字根本山鎭座 無格社 根本山神社 祭神大山祇命 祭日四月二十四日十一月十五日 信徒五百十八戸總代六員 社掌藤倉若丸同村大字入彥間四二三番地住小野誠一郎同村大字上彥間二三一番地住 當社は天正元年1573四月一日先師良西行者の創立にして世襲の神地靈塲たり 舊記を按ずるに往昔役行者富士山に上ぼり東北を臨みしに瑞雲天に靆くの山あり即ち其雲を指して至れは雲の根方に古木蓊蔚として⾭苔滑かに荊棘途を埋めて怪岩地に峙つの奇峰あり故に之を根本山と名づく 後ち弘法大師東國飛錫の時登山して之れ神靈擁護の地なり後世遠近の輩群參の靈塲となるべしと云へり 果せる哉幾星霜を經て中興の法印良西桐生川の流れにしたかひ登山して相承の秘法を修し嫡々相傳ふる 二百餘年始めは信徒等參詣せんとせしに山中霹靂鳴動して咫尺を辮ぜざるか故に登山すること能はざりしが苦練修行の効空しからず遂に是の靈境を開らき信心の輩無羨に登參するを得るに到りしなりと かヽる由緒あれはにや舊領主井伊掃部頭は本社を祈願所と崇め毎歳祈禱を執行して神札を/長さ三尺檜神札/拜受するの例あり 又た高家宮原弾正大弼旗本野々山丹後守横瀬美濃守等も同じく神札を拜受して金穀物品を寄進すること其例となれり 且つ天保二年四月徳川家康公の妾歌浦殿病氣の際も當社永良印師御召を蒙むりて本丸に登城し病氣平愈の所禱をなしたる効により紫縮緬幕を寄進されたり 今ま神札に對する毎年の寄進高を列記すれば左の如くなりき 金千匹御供米二俵領主井伊侯より金二百匹御供米二俵野々山丹後守金三百匹御供米二俵高家宮原弾正金二千匹御供米二俵横瀬美濃守右は其重もなる大略に過ぎすと雖も上は將軍家より下庶民に及ふまて其の尊敬の篤かりしを知るに足るへし 社地の如きも彥根藩の領といへ自然一區域をなして恰も除地を以て過せらる されと維新以降地券發行山岳丈量の際誤つて境内と官林との區域を失ひ未た訂正を乞ふに到らずと雖も古史圖に徴して明なり
建物本社間口一尺七寸奥行二尺に寸石造 拜殿間口一丈四尺奥行九尺コケラ葺 境内地六坪一合五夕 群山重畳の中突兀として高く聳ゆるものは根本山なり 本社は即ち其項に鎭座す 滿山老樹欝茂奇巖峨々として飛泉珠を飛ばし異艸香を放つ 幽邃極まりて却つて寂寥眞に仙襄靈域たるの想あり 若し夫れ秋氣淸涼の候には楓樹千万錦を織り紅を染む美觀言ふべからず 一度び吟笻を曳いて登山せば淸風自ら湧くが如く靈氣身を襲ひて轉た天地の大寂に入るを感ぜん

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県佐野市・飛駒町6914

主祭神:田原又太郎忠綱公霊 境内社:天神様(菅原大神,八幡大神,春日大神)
建久五年1194創建。田原又太郎忠綱終焉の地。
例祭:4月15日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-36丁
同村字皆澤鎭座 無格社 八幡神社 祭神田原又太郎忠綱公靈 祭日陰曆三月十五日九月一日 信徒七十二戸總代三員 社掌藤倉若丸同村大字入彥間四二三番地住
今を去ること七百八年前即ち建久五年1194三月十五日の創立に係る是より先き治承四年高倉宮謀叛の暴あるや田原又太郎忠綱といへる人あり位は従四位上にして官は足利下野守たり力量衆に抽んて勇武絶倫を以て稱せられ殊に音聲は雷の如く一里の外に逹するといふされば是時も宇治川の戰に先陣となつて功あり平淸盛之を賞するに蝶の紋章を許るし且つ舊地足利に於て十二萬石を領すべきを以てす後建久五年に迨び故ありて今の飛駒の地に戰死すと傳ふ 其状況の口碑に残れる大略を擧ぐれば是時忠綱公には味方の手のもの散々に打なされ今は早や賴み少なく見へけれど英氣は日頃に百倍して單騎敵軍に突撃し當るを幸ひ薙立て切立て或は馬の蹄に掛け恰も夜叉の荒れたる如き振舞に縦横無盡と馳せ回はり爰を先途と戰へと甚は鐵石に非れば衆寡の勢當り難く今は是迄なりと飽まで血汐に塗みれたる刄を打振り一方の血路を開いて奔り出てある民家に潜伏せしに又もや烈しく追ひ來る敵のために見出され詮方盡きて再び戰を挑みしものから數か所の創痍に且つ戰ひ且つ退き次第々々に山の麓へ逹せしかば爰ぞと一聲をつと喚めいて項きへ馳せ上り或る大木の下に隠れ血を舐り息を凝らしていたりける开は今の神祠のある處即ち是なり 姑くして敵軍の率ひる一頭の白犬あり公の跡を躡ふて來たり 遂に其所在を見出したりけん狺々と吠へて之を敵に通知せしむ 時に敵将某遥に之を視て山鳥の羽すげたる征矢を番ヘて公を射る忠綱終に死す敵其死骸を棄て去る土民之を現今の世地に埋罪し其靈を祀り入彥間郷の鎭守と崇む是れ其の由緒の梗概なり 因にいふ爾來入彥間郷内にては白犬を飼ひ山鳥の羽毛を携ふることを忌むの傳へありて偶々兒童等の之を弄ふことあるも忽ち災凶到れりと今に及ぶまて相傳へて此事を警禁せり
建物本社間口五尺五寸奥行五尺五寸コケラ葺 拜殿間口二間奥行三間板葺
境内地八百七坪土地高燥にして古松老杉蔚然天外に聳立し殿
賑蒼然として晝尚を暗く古稚荘嚴の仙境なり飛駒川其下を回り屈曲透進として長蛇の奔る如く水急にして淸冽なり殊に此地岩石に富み劍崖千例或は途を要し或は川に峙ち龍婚虎据の状をなす其北浦より眺望するもの尤も絶佳たり嗚呼此濠趣心なき行旅と雖も件立低個去るに忍びさらん慎
に天然の圏謡といわんか有聲の詩といはんか筆描く能はず口語る能はず

塩釜神社

[しおがま神社]

栃木県佐野市・飛駒町1952

主祭神:味耜高彦根命 境内社:八坂神社
創建年月石燈籠不詳。鍋沢の吉田某が仙台の塩竈神社より勧請と伝わる。
安産祈願の社。
例祭:3月10日に近い日曜日 獅子舞奉納

神明宮

[しんめいぐう]

栃木県佐野市・飛駒町2395

主祭神:天照皇大神 配神:譽田別命・迦具土命・伊耶那美命・大山祇命・宇賀之御魂命・日光山神 境内社:八坂神社・疱瘡神社(道祖比売神) 境外社:八坂神社・山神社(大山祇神)
以前は町屋395に鎭座した。かつては八坂神社大祭には神輿が六か村を回り,花屋台が出て盛大だったが,いまは神明宮拝殿に納めてある神輿を出して飾るだけとなった。
例祭:3月15日 境外社八坂神社大祭:7月21日

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県佐野市・飛駒町2622

主祭神:菅原道真公 境内社:浅間神社・稲荷神社(豊受姫命)
詳細不詳。
例祭:2月25日 9月16日

大塚神社

[おおつか神社]

栃木県佐野市・飛駒町3505

主祭神:天児屋根命 境内社:大杉神社 境外社:雷電神社
飛駒町1486の駒形神社より前に神山家の祖が創建しい信仰していた。神山家が宮原に子孫を居住させたときに駒形神社を祀るので,駒形神社の本宮と伝わる。
例祭:4月10日に近い日曜日

山神社

[さん神社]

栃木県佐野市・飛駒町5758

主祭神:大山祇命
詳細不詳。
例祭:4月1日 9月16日

羽黒神社

[はぐろ神社]

栃木県佐野市・飛駒町589

主祭神:倉稲魂命 境内社:秋葉神社(火産霊命)・山神社・稲荷神社(豊受姫命)
詳しいことは分からない。
例祭:3月28日


▊三好村 *『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻ニ-37丁
本村は船越,岩崎,戸室の舊三村を合併してー自治區となせしものなり 其位置北は野上村南は田沼町東は葛生町及ひ常磐村に西は新合村と境界相接せり 野上川は村の東方一帶を限りて流れ水利用水の便多く之に係れり 村民朴直にして勤倹の風あり専ら農業を勉め交際親密なり
古來の沿革に付ては往古佐野氏の所領にして其子孫連綿として相幾き之を領せり 后各地とも或は代官知行所となり其他各藩の領地となりしか明治維新の后栃木縣に屬し次て町村制實施に至り現今の一村とはなりぬ 本村には村社五社ありて其氏子戸數五百餘戸人口三千二百二十餘人あり

熊野神社

[くまの神社]

栃木県佐野市・船越町309

主祭神:伊弉冊命・速玉之男命・事解之男命 境内社:琴平神社ほか5社
齊明天皇七年661というとんでもない創建説が伝わる。『下野神社沿革誌』には文久二年1862の火災の際,左甚五郎作の木製狛犬が動き出した逸話が載っている。
例祭:4月10日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-38丁
三好村大字船越鎭座 村社 熊野神社 祭神 祭日三月十五日九月十五日 氏子六十二戸 社掌阿部覚人同村同大字五十一番地住
社傳に曰く本社は齊明七年661三月十五日紀州熊野本宮より當佐野上へ鎭座したるものにして其後天長元年824中上毛野に赤岩左近といへるもの者*ありて武藏國羽生あたりの強盗と共に常に黨類を催して人民を脅し財物を掠め暴害盆す甚しく衆其堵に安んする能はす而して強賊等は上武の間を横行して變出鬼没極りなく勢日に猖獗なり 時に前従二位中納言贈正一位大政大臣長良卿大に之を憂へ神力に依りて効を奏せんと欲し遂に本社に祈誓をかけて賊を討伐せしめ給ふ然るにさしもの豪賊風の木の葉を捲くか如く忽ち蔟滅しけれは只管大神の靈驗に感じ一族弾正聖大弼良綱に仰あつて禮代のため此に宮閣を再建せしめけるよしは慥かに記録に明かなり 文久二年1862三月の出火にて本社拜殿雜舎共に類焼に罹りしか幣殿本社は元治元年1864を以て再建し拜殿は明治廿七年に到り氏子諸氏の盡力によって再建するを得たり 又た弘化二年十月地頭中山大助より武運長久の祈禱免として神主阿部家所有地の内上田一反九畝二十二歩新田三畝十五歩山ニヶ所六反一畝歩を本社除地に寄附せられたり
(以下細字)/此社につきいと珍らしき話柄あれは掲くへし頃は文久二年1862三月十八日折しも西風烈しく樹枝を折り砂を飛ばす程なりしか何れよのか火は熾んに燃へ來りて神主阿部家は勿論本社拜殿にまてみるみる燃へうつりたり風急なれば人々防くに術なくあれよあれよと眺むるのみ時に阿部氏は不在にて夫人ツヤ子のみ必死となりて奴僕を指揮し器具財物等を運び出さんと猛火の傍りを往來せる時何地より來りけん一匹の唐犬常にツヤ子に随ひて奔走し其傍を離れす其時は危危の塲合とて心にもとめさりしか程すぎて鎭火の後考へみるに飛騨の甚五郎が作なる木狗は嘗てより本社に納めありしが定めて名人の細工とて魂のこもり居ることゆへ神の惜しませたまいしにやと思いつき阿部氏歸宅の後此ことをはなせりにさもありなんとて氏もいたく其災に罹りたるを惜みしと云‏ふ‏/‏
建物 本社間口六尺三寸奥行五尺一寸瓦葺 拜殿間口九尺奥行五尺七寸瓦葺 幣殿九尺間口奥行二間瓦葺 神樂殿間口二間奥行三間半 鳥居一基 石燈籠二基 境内地四百坪
本社は未に向ひて大字の中央小高き地處にあり 坤より西方には人家を臨み東北には田畝を控へたり 境内には⾭苔滑らに殆んと三百年を繼たらんと覺しき木あまたありされど重に繁茂せるは杉にして之も百有餘年前後のものと思はる 淸涼の氣を吸はんと欲するもの賛稱して措ざる勝地なり

三騎神社

[さんき神社]

栃木県佐野市・船越町2828

主祭神:天津兒屋根命 配神:大己貴命・大日孁貴命・軻遇突智命・大山祇命・菅原道真公・瀬織津姫命・水速玉命・水速貴命・大雷神命・火産霊命・白山姫命 境内社:稲荷神社・天満宮
天慶五年942藤原秀郷が創建。本殿に彩色彫刻。
例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 三騎大明神 上船越 神宮寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-38-39丁
三好村大字船越三騎山鎭座 村社 三騎神社 祭神天兒屋根命 建物本社間口五尺奥行四尺 幣殿間口一間奥行一間四尺 拜殿間口二間四尺奥行一間四尺 末社二社 氏子百十一戸
本社創立は天慶五年942九月十五日にして藤原秀郷の勸請なり 后天正十八年1590船越六郎再建せしも正保三年燹火の災に罹り后享保十年1725中氏子村民造營す 社域百四十二坪を有す

上宮神社

[じょうぐう神社]

栃木県佐野市・船越町675

主祭神:橘豊日命・豊聡耳命(聖徳太子) 境内社:雷電神社・二荒山神社・三日月神社・白山神社・八坂神社・白山神社
天慶四年941藤原秀郷が創建。貞享年間1684~88焼失。元禄六年1693再建。明治四十三年1910焼失。大正六年1917再建なって正遷座式。
例祭:4月10日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 吉大明神 下船越 蓮乗院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-39丁
三好村大字船越字上の宮鎭座 村社 上宮神社 祭神橘豊日命 豊聰耳命 建物本社一宇 拜殿間口三間半奥行三間半 水盥屋間口一間奥行四尺
本社創建は天慶四年941二月廿二日にして藤原秀郷の勸請なり 后佐野家にて再建 其后貞享年中祝融の災により灰儘に歸す 元録六年二月村民の再建する所にして社域七百廿五坪を有す

鞍掛神社

[くらかけ神社]

栃木県佐野市・戸室町1524

主祭神:鵜葺屋葺不合命・天児屋根命・戸矢子[へやこ]七郎有綱朝臣命
『下野神社沿革誌』は「にして」が2回出てきて分かりにくいが,戸矢子七郎有綱が鞍掛山に落ち延びて自害する。藤原秀郷の末裔なので村人が祠を建てて祀り鞍掛大明神と称した。三度の修造のうち元禄は年号が定かでない。元禄元年1688(『栃木県神社誌』平成18年版)または元禄十年1697(『下野神社沿革誌』)修繕。『栃木県神社誌』は元禄元年でなく一年と記載しているので十の違いかもしれない。
例祭:4月第二日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 鞍掛大明神 戸室 亀田淡路
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-39丁
三好村大字戸室字宮前鎭座 村社 鞍掛神社 祭神藤原有網靈命 建物本社間口一間奥行一間 拜殿間口三間奥行二間 末社六社 氏子百二十四戸
本社創立は文治二年1186十一月にして鎭守府將軍田原藤太秀郷十五代孫中宮亮戸矢子七郎有綱にして故ありて爰に祭祀す 后寛永十三年1636七月及ひ元録十年二月延享二年1745十月の再建なり 社域百五十坪民有第二種にあり

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県佐野市・岩崎町1682-1

主祭神:譽田別命 境内社:天神宮・熊野・稲荷・諏訪神社ほか5社
『下野神社沿革誌』は「宮崎」で記録したが「岩崎」の誤記または誤植だろう。岩崎は三好村で一致,昭和三十九年1964の岩崎の八幡宮の記録の本社,拝殿の間口奥行も一致。氏子戸数もほぼ一致。
御神体の応神天皇像は木曽家に伝来し,木曾佐馬介義持が岩崎弥太夫と変名し岩崎家が氏神として奉祭したが明応八年1499から村の神社とした。
明治四十二年1909稲荷神社,八坂神社を合祀。
本殿の素盞嗚命の八岐大蛇退治などの彩色彫刻がみごと。
例祭:4月10日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 八幡宮 岩崎 西光院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-39丁
三好村大字宮崎鎭座 本社 八幡宮 祭神譽田別命 建物本社間口一間奥行一間 拜殿間口三間奥行二間 石燈籠一基 末社二社 氏子百四十九戸 社掌阿部覚人同村大字船越住
本社創立年月不詳 社域百四十八坪宇三角に在り

鹿島神社

[かしま神社]

栃木県佐野市・岩崎町1616

主祭神:武甕槌命
玉垣のある立派な神社。八幡宮の西。

*****************旧・葛生町***************

▊葛生町 *『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻ニ-19丁
本町は舊葛生,中,會澤及ひ山菅の一宿三村を合併して一の自治區をなせしものにして南方田沼町と相接し往來頗る頻繁にして近來一市衆をなすの觀なきに非す 地勢東方は出流山系連亘し來りて山脉起伏し田沼に走りて唐澤山系となり土地自ら高崇なり 西は三好村に接し北は常磐村と界し其間耕地開け居るを見る 町民は農商工にして葛生は商工多く殊に有名なる石灰產地なり 其他は多く農業を營めり 各地の風俗概して敦厚にして勵精勤勉し交際親密なり 又道路交通の便に至りては田沼町に劣るも非す四通八逹にして縣道は栃木より來り田沼より集中し各地に走り里道亦此間に連絡し頗る便あり 加ふるに佐野鐵道開通以來交通の利一層の利を加へ従て產業發逹等近來大に見るへきものあり 秋山川は町の西方を流れ南下し其他幾多の支流細川ありて頗る用水に便なりと云ふ
古來の沿革に付ては各地共徃時佐野氏の累代領する所たりしか後葛生,會澤,中等は宇都宮本多家の所領となり更に舘林城主の領地となり次て幕府代官の知行所となりしか明治維新の後に至り共に栃木縣に屬し一戸長役塲の所轄となり次て町村制實施に至り舊町村分合の結果之を合併して一町となし葛生町と稱す
本町には郷社一社村社五社及ひ有名の無格社一社ありて其氏子戸數八百餘戸人口五千五百四十餘人あり

八坂神社

[やさか神社]

栃木県佐野市・葛生西1-10-36

主祭神:素盞嗚命 配神:稲田姫命・大名持命 境内社:手摩乳大神・足摩乳大神・応神天皇の八幡宮・疱瘡大神・三日月大神・稲荷大神・市神・松尾大神・愛宕大神・龍神・熊野大神・三峯大神・北野大神・浅間大神
建仁元年1201に牧村の天王澤に牛頭天王を祀ったことに始る。
暦応(北朝)二年1339の大洪水で社殿流失。下流の葛ケ原山本の里に流れ着いた神饌と神鏡を拾った石川氏が葛生2703番地,現在の葛生西1丁目の現社地に祠を建てて祀った。明治十年1877郷社。
昭和三年1928拝殿新築,昭和十年1935神樂殿など造営。
例祭:7月第三土曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 牛頭天王宮 葛生 柴田安芸
*『下野掌覧』万延元年1860 安蘇郡之部
天王神社 葛生町鎮座 祭主戸賀崎氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-20丁
葛生町大字葛生字倭町鎭座 郷社 八坂神社 祭神健須佐之雄命 祭日陰曆六月十三日九月十三日 氏子百八十戸總代三員 社司毛利眞守仝郡田沼町大字多田住 社掌富田彌四郎仝町大字仝七六番地住
社傳に曰く土御門天皇の御宇建仁元年1201の春に當り本郡到る處疫癘の流行劇しく勢益猖獗なるを以て其年六月同郡牧村の郷民は疫癘解除五穀成熟を禱るため新たに一社を勸請し牛頭天王と崇む 今の天王澤の地は即ち其故迹なり 初め比企藤七郎能宗といへる人神主職を奉じたりしが後に氏を宮田と改む 藤七郎能宗の子宮田外記能宣より累世相承けて其職を奉ぜり 神威赫灼衆民倚安四隣無事なりき 然るに降つて曆應二年1339に迨び洪水汎濫家屋を流出し人畜の死傷せるもの又算なし 時に神殿漂潰して神幣水に従つて流れ終に山本の里[今の葛生町を云ふ]に止り着く 石川某之を拾ひ上げ神慮の存する所を忖り衆民と共に現今の處に一社を創建して崇め祀る本社の由來は即ち是なり 後ち終に宮田氏随従し來り尚ほ神主職を奉ず寶永年間宮田を柴田と改め文政年間又た戸賀崎と改め明治の初年先祖能宣より十二代の裔壹岐正精敏に迨んて再び宮田に復す 當代彌四郎氏に到るまて三十三代の久しき統を更へずして本社に事つるは蓋だし神意の偶然ならざるものあるに似たり 明治五年神號を八坂神社と改稱し葛生町外九宿町村の郷社と定めらる 是より威靈彌よ驗著ならん
建物 本社間口二間奥行一間銅葺 拜殿間口三間奥行二間板葺 神庫一棟 石燈籠三基 石華表一基 末社十四社
境内地五百坪を有し倭町の西側にありて東向きに建てられたり 東南北三面は町家を控ひ西僅に沃野を望む 馬塲を入りて兩側にいと大なる玉椿二株あり 梅櫻又た枝を參へて春色の光景に乏しからず 境内には重に杉銀杏樫の大木の蓊鬱たるを見る中に一際すくれて目覺しきはいと古ひたる杉の樹の三股に枝をひろげて遠く雲表に屹立せるものにして恰も高士一たび怒つて髪天を衝くの慨あり 要するに未だ塵懐を脱せすと雖も長風蓬然淸嵐の颯々たるを聞かは無量の淸興萬斛の雅趣油然として湧き又た一勝區たるに妨げざるの地なり

鹿島神社

[かしま神社]

栃木県佐野市・葛生西2-4-1

主祭神:武甕槌命 境内社:八坂神社・八幡神社・木市大神・菅原大神
延暦八年789創建の古社。治承元年1177大洪水で流失,400mほど流された先の岩窟から大蛇が抜け出て泳いだと伝わる。明治元年1868葛生の中心部泉町の西に遷宮。明治八年1875幣殿・拝殿新築。明治十七年1884花崗岩鳥居奉納。昭和四十六年1971本殿改築。
例祭:11月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 鹿島大明神 葛生 村樫摂津
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-21丁
葛生町大字葛生字泉町鎭座 村社 鹿島神社 祭神武甕槌命 祭日陽曆五月一日陰曆十一月十五日 氏子四百四十八戸總代五員 社掌村樫榮次仝町大字仝二百五番地住
社傳に曰く桓武天皇の御宇延曆八年789四月朔日坂上田村麿奥夷征伐の際天下太平祈願のため山本里[當時葛生]の北山奥に建立し鹿島太神と稱したるより創り靈現殊に著しきを以て後に葛生以北梅澤以北山中の十八ヶ村崇祀の鎭守となり星霜を經る三百九十九*[388?]年治承元年1177の夏に當り霖雨の末疾風雷鳴劇しく起り石を飛はし枝を折り其勢ひ凄なんと云ふばかりなし天地爲めに震ひ河海爲めに溢れ山崩れ谷嘯き家屋の破損人畜の死傷枚擧するに遑あらず實に空前絶後の大洪水なりき是時鹿島の神殿も此れがために流出し凡そ四丁程隔りたる處に止まりしに忽ち大蛇傍への岩窟より抜け出しと云ふこと口碑に残り今も其神殿の流れとまりし處を宮澤と稱し且つ大蛇の抜穴をも存せり 今も尚ほ山脈の崩壊せる土中よりは往々朽木,埋木などを發見せるよしなり 舊社殿に通ずる大門の迹僅かに存す 其長さ四百餘間あり 又た鳥居の處に老杉二株あり注連曳杉と云ふ 开は毎歳祭禮の時注連を是の杉に張りて祭るの例あるによりて此の名ありとか 文治年85~90右大將賴朝覇府を鎌倉に建し比ひ十八ヶ村の氏子祭禮の式に於ける座次を論じたる末終に分れて神靈を各地に分祀することヽなり是に随つて神官も又た各地に置れたりといふ され共就中當社のみは衆庶の信仰衰へず依然敬崇のもの日に其多きを加へ其威徳卒いて各村にまても及ほせり 弘長年間南家藤原右大稱良定二十一代の裔次郎太夫吉政なるもの此地に來り一村落を開らき自ら神主となる 地多く樫を植ゆ故に村樫を以て氏となす 其子四人あり各地に散じて同じく神主となり氏を各別ち改めて持田村樫矢部林の四氏となる 大祖吉政より明治年間榮次に至るまて二十八代代々本社に奉祀す 當社は中古佐野家の崇敬する處となり高六十三石の神領を奉ぜられ徳川政府の頃は常に時の領主に欽仰せらる 明治五年の改正に際し氏子一同相謀り葛生町の中央字泉町の西に新たに社殿を營み鹿島神社と改稱して村社に定めらる
建物 本社間口六尺二寸奥行六尺 拜殿間口四間奥行二間半 末社六社
境内地ー反十九歩本社位置は泉町の西側にあり社は南向きにして南北町家を控ヘ西には洋々たる田甫を望む 茅軒其間に點々たり 境内には疎林空闊幽邃淸雅塵懐自ら洗ふか如とし
山菅

安蘇澤神社

[あそざわ神社]

佐野市・山菅町3539

配神:[高龗神]

旧地名:安蘇郡田沼町大字山菅
主祭神:別雷神
配神:高龗神[たかおかみのかみ],大宮売命,水波乃女命
下野国の在庁長官であった藤原秀郷(根古谷唐澤城主田原藤太)が霊夢により武運長久,領土安穏祈願のため勧請。天明七年1787社殿を建築。山菅鎮守として尊崇されてきた。秀郷が勧請した多数の神社のひとつ。
安蘇澤鎭守にもかかわらず地図に載せてもらえないので探しにくいが,葛生原人発掘跡から見て,道路を挟んで南東方面向かい側の山に鎮座。
目印は正明寺と山菅公民館。この先の山野井採石工業の前。
大正十年十月の御影石明神鳥居。
「常夜燈 安政五午年九月吉日」1858
境内社として記録されている「八坂神社,浅間神社,菅原神社,秋葉神社」のどれか不明だが,拝殿右手の石垣に2社並んでいる。「x納xx三社xx xxxx丁卯」だけ読める石燈籠が2基。
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本殿:明神造銅版葺 拝殿:入母屋造亜鉛葺 幣殿:切妻造亜鉛葺
例祭:10月19
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 雷天宮大富士権現 山菅 山菅氏

小藤神社

[こふじ神社]

栃木県佐野市・中町449

主祭神:天児屋根命 配神:木花咲耶姫命 境内社:今宮・八坂神社
天正二年1574創建。これを遡ること500年ほど前の治安三年1023九月十九日然生神社(伊耶那岐命),赤城神社,日吉神社を赤城明神と総称して赤石城内に祀った。後に諏訪神社と富士浅間神社を合祀,天正二年に本郷の今宮神社境内に遷宮。この年号を小藤神社創建年としているようだ。この既存の神社に夜泣き石を祀って小富士神社と称した。
これとは別に『下野神社沿革誌』では夜泣き石を祀って小藤明神を創建した説を載せている。
境内に中公民館。
例祭:10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 小藤大明神 中村 村
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-22丁
葛生町大字中字明神山鎭座 村社 小藤神社 祭神天兒屋根命 祭日三月十五日九月九日 氏子百三十五戸 社掌石田茂禱仝村大字仝五八番地住
本社は天正二年1574年正月の創建なり 古老の傳ふる所に因れば其頃藤坂與三といふ人あり或夜此明神山の側りを通行せしに赤兒の啼く聾頻りに聞へければ捨子にてもありなんと开處彼處尋ねしに夫かと思ふものはなけれどたゝ圍り一尺長さ八寸程なる⾭白き石ありて啼聲は全く此より發しゐたり あまりの不思議さに與三此石を神種として小藤明神と祀れり 依て其坂を藤坂峠ともいふよし凡そ宇宙のことに於ける玄妙にして人智の較く判すベからざるものあり 蓋だし理の當に然るべからさる如きものにして事の應さに然るべきものある 猶は小夜の中山夜啼石の人口に膾炙すると同一轍の如きものか暫らく口碑のまヽを記しをく
姓は藤原故に此▢石を神種として其遠祖たね天兒屋根命を祀りたるなり又た藤坂峠といふは本社を東へ距る二丁餘の山坂なり
建物本社本社間口一間奥行一間小羽葺 拜殿間口三間奥行二間瓦葺 幣殿間口二間奥行三間瓦葺 鳥居一基 末社七社
境内地七百七十九坪 社有財產田畝一反三畝八歩山林五反一畝十五歩
明神山は大字の中央にありて田甫の中に屹立せり 高さ五十間餘山の形圓るくして甚だ奇なり 本社は其半腹にありて巌石の山に築れたり 境内は小松生ひ繁りて白沙と相映じ一幅の畫を見る如とし 开は明治二十四年中氏子総代谷孫三郎氏外ー名の奉納にかゝるものなりとそ 其外には樹木多らねど二百餘年を經たらんと覺しき楓及び松杉樫の大木等見るべきものあり 又た眺望に到つては西南人家田甫を隔てヽ小澤山に對し[此山松に富み松茸を産す地方の名産なり]秋山川其間を流る 尚ほ西に谷津山を控ヘ東宮の入山に連り下都賀郡に界す 風光明媚頗る吟笻を曳くの價あり/又た本社を南へ距る田の中に與三墓といへる石碑あり然れども惜むべし其文字は摩滅して明ならず

浅間神社

[せんげん神社]

栃木県佐野市・中町809

主祭神:木花咲耶姫命
46坪の境内に権現造の小ぶりの石宮。中沖地区。岩船町小野寺との境辺りの山中か。見つからない。
例祭:10月17日

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県佐野市・中町734

主祭神:雷大神
小藤神社の北あたりか,小ぶりの石宮だけのようで,見つからない。
例祭:4月15日

会沢神社

[あいざわ神社]

栃木県佐野市・会沢町524

主祭神:表筒男命・底筒男命
明治四十二年1909下記の大海神社と会沢の不明社が合併して会沢神社と改称する。昭和四十三年1968現在地に遷宮。
小曽戸は明治九年1876会沢村へ。
例祭:10月第三日曜日 子供神輿渡御
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 大海大明神 小曾戸 蓮乗院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-22丁
葛生町大字會澤字大海鎭座
村社 大海神社 祭神上筒男之命 建物本社間口四尺八寸奥行四尺三寸 拜殿間口壹間半奥行壹間 神輿庫間口一間半奥行二間 祭器庫間口三間奥行一間 氏子百戸 本社勸請詳ならす 社域四百十一坪あり

青木神社

[あおき神社]

栃木県佐野市・会沢

主祭神:猿田彦命
小室は明治九年1876会沢村へ。当社は下記に記録されたが,現在社が分からない。あるいは上記会沢神社になったか?
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 青木大明神 小室 石川肥後
*『下野掌覧』万延元年1860 安蘇郡之部
青木大明神 小室村鎮座 祭主石川氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-22丁
葛生町大字會澤字沖の澤鎭座 村社 ⾭木神社 祭神猿田彥命 建物 本社間口三尺五寸奥行三尺五寸 拜殿間口一間半奥行一間 氏子二十九戸
本社創立詳ならす 社域百九十八坪あり

浅間神社

[せんげん神社]

栃木県佐野市・嘉多山町1786

主祭神:木花咲耶姫命 配神:天津彦火瓊瓊杵命・大山祇命・事代主命・別雷命・軻遇突智命・水波之売命・埴山姫命 境内社:金精大明神・富士浅間大神・秋葉山
弘長二年1262創建と伝わる。境内に良質の石灰岩が埋蔵されていることが分かり,業者が採掘したが粉塵等により荒廃甚だしく昭和四十三年1968葛生字富士山3824より500m西の現在地に遷宮。
例祭:5月1日 子供神輿渡御 神楽舞奉納
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 富士山大権現 葛生 村樫摂津
*『下野掌覧』万延元年1860 安蘇郡之部
冨士浅間宮 葛生村鎮座 祭主村樫氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-23丁
葛生町大字葛生字村樫鎭座 無格社 淺間神社 祭神木花開郎姫命 祭日陰曆四月初申日 氏子二百三十三戸總代五員 社掌兼務村樫榮次仝村仝大字二百五番地住
惜ひ哉本社の創立年月は詳ならす唯だ舊記に傳ふらく天正十八年徳川家康の覇府を江戸に開くや臣僚榊原式部太夫康政をして上野國邑樂郡舘林に藩鎭たらしむ 康政頓に敬神の志あり本社を崇敬すること常に篤つし事家康に聞へ遂に台命を承けて本宮には富士淺間大神,中宮には粟島大明神,稻荷大神,金精權現,道了權現を併せ祀つり玉垣拜殿,神樂殿,鳥居等をも創建し天正十九年を以て遷宮式を執行す 翌文祿元年八月全く其功を竣り造營の奉行は石川佐治右衛門是を勤めしといふ 其頃奉仕の神主を村樫加賀と稱す 名望一郷に著しき人なり 寛永九年康政の嫡遠江守康勝の嗣子松平式部太夫忠次,安川角之丞,石黑喜左右衛門を以て奉行となし本社中宮修復のことに衝らしめ同五月朔日を以て遷宮の式を行ふ 後承應元1652九月十五日舘林城主松平和泉守乗壽の代に到り奉行内山五兵衛,石田曾兵衛をして再建の事に衝らしむ 今の宮殿は即ち之なりと 要するに本社は世々舘林城の鬼門鎭護の社として崇祀せられたるを以て當時に於ける神の威徳は熾んなる者にて有しなり 明治五年の改正に際し今の祭神に更ためて淺間神社と稱す
建物本社間口一間奥行二間五尺 拜殿間口四間奥行二間五尺 末社五社
境内地三反二畝歩字村樫の中心より南北に當つて蜿蜒山脈の連なる處中に一岡丘の峙つあり之を村樫富士と稱す 頂上は即ち本社のある處なり 宮殿は南に面し馬塲大門は坤向きにして即ち舘林城よりの鬼門に當れり 山上の眺望は田野山嶽尺幅の間に其明媚なる風光を集するを得可く眞に眼界の雄大なるを覺ゆ 境内は松杉樅の類蓊鬱として翠緑滴る如く煩襟頓に消滅す 遠山紫に近水明なるの狀眞に天然の畫圖を爲し薫風松籟を送り來つては身は已てに詩中にあるを感ぜん 若し夫れ玉塵紛々として空林枯木香りふき花を咲かしめ白銀の天地と變じたる暁き試みに此丘陵に對せば蓋だし宛然小芙蓉峰を望むの想あるべし

厳島神社

[いつくしま神社]

栃木県佐野市・嘉多山町3871→1786

主祭神:市杵嶋姫命・厳島大神
築地には井戸が無く山のふもとの清水を用水とした。感謝のため天保五年1834石宮を建てて水神を祀った。本町,倭町,相生町の住民も用水を使用していたので同じく石宮を祀り,合同で祭典を行う。残念ながら磯山の採掘で湧水は枯渇。出流原の磯山弁天とは別の磯山。嘉多山町3871は欠番で現在地が分からない。石宮が三基石垣に乗っている写真があるが。
真南の築地町公民館にある富士浅間神社は氏神さまか。
例祭:4月10日

山神社

[さん神社]

栃木県佐野市・嘉多山町3607

主祭神:大山祇命
石灰採掘の事故防止に昭和二十年1945山菅字北山にあった山神社を当地に遷宮。葛生武道館の裏手に鎭座。もう少し登ると嘉多山稲荷神社がある。
例祭:5月7日


▊常 磐 村 *『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻ニ-23丁
本村は仙波,牧,豊代の舊三ヶ村を合せしものにして其面積千七百四十町餘歩にして地勢東北一帶山脉連り北は高原山系あり東に出流連脉あり土地自ら高唆西南の一部平坦にして田圃開くるを見る 南方葛生町と土壌相界し三好村及ひ氷室村は西及ひ西北にありて本村と相接せり 村民一般に農工を業とし勤勉の風あり 道路は一條の假定縣道あり 葛生町より來る其他里道貫通して交通の不便を感ずるに至らす 秋山川は北より南に流る 其他數條の支流ありて用水灌漑の便を之に仰けり
各地往古の沿革に就ては仙波農代の兩村は往時佐野氏の所領たり後ち宗氏の所轄となり牧村は幕府代官の支配する所にして後叉宗氏の所領となり明治維新に際し日光縣に屬し更に栃木縣所轄となり各戸長役塲に分屬せしか町村制實施に當り合併して現時の一村となるに至る 本村には村社三社ありて其氏子戸敷五百三十餘戸人口三千九百三十餘人あり

今宮神社

[いまみや神社]

栃木県佐野市・仙波町2444

主祭神:天津兒屋根命 配神:建速素盞嗚命・大鷦鷯命・彦火瓊瓊杵命・大名持命
天慶二年939藤原秀郷が創建。明治四十二年1909六月十四日,秋葉神社,八坂神社,若宮八幡宮,太平神社を合祀。昭和二十一年1946拝殿再建。
例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 今宮大明神 仙波 光明寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-24丁
常磐村大字仙波小字伊與鳥屋山鎭座 村社 今宮神社 祭神天津兒屋根命 祭日太陽曆三月廿八日小陰曆十一月十五日 氏子百八十五戸總代五員 社掌天笠範十郎同村大字同五十番地住
社記に曰く天慶二年939平將門叛するや藤原秀郷を以て鎭守府將軍となし兼ねて追討の命を賜ふ 秀郷逆賊鎭滅祈願のため同年十一月十五日を以て本社を創立し丹誠を凝らし身心を抽んで遂に勦戮の功を奏せしかば其子孫に到るまて代々崇敬して奉祀を怠らず遂に佐野修理太夫昌綱の代に及んて同氏大檀那となりて宮殿を修造せり 其頃は二十餘町歩の社領ありて佐野家の總鎭守と稱し又た之を管理する別當職には光明寺なるものありて頗る壯觀を極めしか今は僅かに數反の畑を有するに過きずして坐ろに輪奐の美を盡せし往時を追想せしむるの紀念たる二三の寶物等の存在を認むるかため却て一度本社に詣てし者をして轉た懐舊の情に堪へさらしむ事績已てに斯の如くなれば明治五年社格改正に際し田名網小屋上下仙波牧柿平水ノ木秋山八ヶ村の郷社に定められしか同十年八月の縣令に依つて村社に改定せらる
建物 本社間口六尺奥行五尺 幣殿間口二間奥行一間五尺 拜殿間口二間半奥行二間 雨覆間口二間半奥行三間半 神樂殿間口二間半奥行三間半 寶庫間口八尺奥行九尺 末社十五社 石壁社前長さ十五間高さ一丈二尺なり明治九年1876氏子戸森下▢作の寄進に係る 石燈籠七基 境内地千四百拾坪 境外社有地畑三反五歩其他山林若干あり 寶物 短刀一口長さ九尺五分▢紅錦を以て包む藤原秀郷公の守刀なりしと云ふ 水入瓢一箇/經概ね一尺あり夕顔を似成る/ 神社位記一巻/正徳四年1714従二位卜部朝臣▢筆/大般若六百巻/近衛天皇の久安五年1149願主平忠常の妻藤原氏祈願のため僧快圓に命じ大般若祿百巻を書寫し之を當社に収め元暦元年1184十一月廿三日より慶應年問まて毎年展讀せしめ來りたりや今や冩本は朽敗散減収拾すへからさるに致れり見るへきもの僅に數十巻に過きるを以て寛文十一年1671弘長なるもの願主となり寄附したる板本の大般若經六百巻‏を之に併せて共に保存せり‏/古棟札二枚/表に奉上吹今宮大權現とありて裏に大檀那藤原信綱藤原光俊永享三年1431辛亥年八月別當寶生寺大法師榮俊とあり 他の一枝は下野庄仙波奉修別當權少僧都昌俊大檀那藤原憲綱と記しありて裏書には應仁元年1467丁亥二月吉日出流山▢月坊少貳上とあり/
本村里道を入る八十間餘渺漠たる耕地の上に嶄然屹立せるの小丘を見る 之を字伊與鳥屋山と云ふ 本社は即ち其項にあり 五十三段の石階を上りて漸く社頭に逹すへし 又た本社より右の側に當り五十五階の石磴あり 其上に天照大神を祀り嶺の宮といふ 此地北方山嶽を負ひ他の三面は洋々たる田圃にして快濶の氣を吸ふを得へし 加ふるに境内老杉蓊欝枝を參へて天日を洩さす 其幽邃淸雅は地方稀に見る所若し夫翠滴るの朝風淸きの夕此境に遊はヽ登臨一番邪念の頓に散するを覺へむ
江戸時代に常盤村に次の社があったことが記録されている。 *『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 諏訪大明神 田名綱 村

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県佐野市・仙波町1746

主祭神:菅原道真朝臣命
創立不詳。大沢騎乗という山伏が船越の政長院で粗末にされていた道真公神像を厨子に入れて運んできて成就院に数年安置した後,現在地に祠を建てて祀った。弘化四年1847「大澤山天神」掛軸。
例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 大沢天神宮 仙波 村民

三騎神社

[さんき神社]

栃木県佐野市・仙波町320

主祭神:田原又太郎忠綱・戸屋子七郎有綱・小野寺前目太郎道綱 配神:武甕槌命・級長津彦命・級長津姫命
祭神は戦に敗れ落ち延びて当地で亡くなった三人の武将。
明治四十年1907岩崎の鹿島神社,根渡神社(志那都彦命・志那都姫命)
昭和四年1929焼失するも翌年再建。
例祭:4月29日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 三崎大明神 岳崎 森伊勢 仙波は明治9年までは都賀郡
*『下野掌覧』万延元年1860 安蘇郡之部
正一位 三嵜大明神 岩嵜村鎮座 祭主森氏ナリ

常磐神社

[ときわ神社]

栃木県佐野市・牧町792

主祭神:菅原道真朝臣命 配神:大雷命・天照皇大神・大山祇命・伊耶那岐命・素盞嗚命・木花咲耶姫命
貞和(北朝)二年1346創建。正保年間1644~48に天神山から現在地に遷宮。菅原道真公神社と称した。
明治四十二年1909五月二十四日,雷電神社,神明宮,山神社,熊野神社,産泰神社,八坂神社,唐渡天満宮を合祀して常磐神社と改称。
例祭:11月25日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 天満宮 小屋
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-25丁
常磐村大字牧字九通鎭座 村社 菅原神社 祭神菅原道眞靈 建物 本社間口三尺二寸奥行二尺八寸栃葺 拜殿間口二間半奥行二間 雨覆間口二間半奥行二間 雑含一棟 木鳥居一基 氏子二百三十二戸 社掌小松原仙三郎仝村大字豊代一一三番地住
本社は貞和二年1346九月廿八日の創立佐野越前守成綱の勸請にして筑紫大宰府安樂寺より奉遷すと云ふ 社域二百三十二坪を有す 往古は天神山の中腹に在りしを正保年中今の地に移遷し今は該山の東麓に位し東に向ひ前は田圃を隔て秋山の淸流滾々として耳を洗ふに足る 境内には古杉老槻‏/一丈八尺回り‏/櫻等ありて頗る幽邃にして雅致あり

東宮神社

[とうぐう神社]

栃木県佐野市・牧町1871←葛生町大字牧

主祭神:建御名方命・譽田別命 境内社:厳島神社・山神社・神明神社・神明宮・八幡神社・駒形神社 元永二年1119創建,東宮大明神と称した。大永三年1523長島藤三郎行房が再建,諏訪八幡宮と改称。享保十年1725以降数度の遷宮。明治四十二年1909六社を合祀し境内社とする。このとき東宮神社と改称。
旗杭脇に大きな庚申塔。
昭和三十年1955常磐村から葛生町に変更。
例祭:11月25日t

浅間大神神社

[せんげんおおかみ神社]

栃木県佐野市・牧町2337-1←葛生町牧年通り

主祭神:木花咲耶姫命 配神:大山祇命・磐長姫命
昭和三十年1955常磐村から葛生町に変更。
明治四十年1907八月,牧3330にあった石尊神社(大山祇命・磐長姫命)を合祀。
サンモリッツの中か?
例祭:8月1日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 八竜浅間大明神 牧 広瀬氏
*『下野掌覧』万延元年1860 安蘇郡之部
八龍浅間大明神 牧村鎮座 祭主廣瀬氏ナリ

箱石神社

[はこいし神社]

栃木県佐野市・豊代町252

主祭神:大国主命 配神:高龗神,伊弉那岐命,事代主命,市杵島姫命,大綿津見命
平将門を破った藤原秀郷により天慶二年939創立。明治五年に常盤村村社となる。
秋山川沿いに葛生中学校を背に,願成寺を過ぎ,道なり二股を右に行ってすぐ右手。
途中右手に小社が3社並んでいるのは氏神様。ただし,左端は箱石神社を勧請している。明治42年10月16日に「八龍,保呂羽,白山,厳島,八幡」を合祀している。
拝殿右手に石垣が組んであり,4社並んでいる。左端は「御神燈 文政十二己丑二月」1829
その左に離れて1社。
このうちのどれかが,祭神が「高龗神[たかおかみのかみ]」の「八龍神社」である。
「文化二乙丑正月」1805の御影石明神鳥居に掛けられている額は「村社箱石大神」
「宝暦十三癸未天三月吉日」1763燈籠その右手に「生馬大?神 明治二十四」
「常夜燈 文化十五年戌寅三」1818石塔
本殿:神明造亜鉛葺 拝殿:平屋造亜鉛葺
例祭11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 箱石大明神 正雲寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-25丁
常磐村大字豊代字中澤入鎭座 村社 箱石神社 祭神大國主命 建物本社間口一間奥行一間 拜殿間口二間奥行九尺 末社三社 氏子七十戸
本社創立は鎭守府將軍藤原秀郷にして天慶二年939なり其後天正元年佐野修理亮宗綱修繕を加へ享和三年本社祝融の災に罹り后再建す 寶曆十二年四月十日神位宗源宜旨を以て正一位を授けらる 社域二百五坪を有す
明治四十二年1909五月箱石神社に合祀。
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-25丁
常磐村大字豊代字石澤入鎭座 無格社 保呂羽神社 祭神事代主命 日本武命 祭日陰暦正月七月十六日 建物本社間口五尺奥行五尺 雨覆二間四方 幣殿間口一丈五尺五寸奥行二間 拜殿間口二間奥行九尺各杉皮萱 末社四社 石標三所 木鳥居一基 石華表一基石澤茂八石井五右衛門奉納 石燈籠二基宝暦十三年1763天明町上山本氏奉納 同燈籠二基文化十五年1818石澤氏奉納 石唐獅子二基 手洗磐一基正徳?元年1711奉納 寶物笈 金剛杖伯信上人の遺物 佐野源左衛門常世奉納の馬具及ひ天徳寺法印の守本尊 古畫幅 氏子七十二戸 社掌畠山亘仝村仝大字六十一番地住
本社創立は長祿元年1457正月にして伯信上人の勸請なり
本社は出羽國庄内領八鷺に鎭座せる金峰山神を遷祀したるものにて往古は金峰山保呂羽大權現と稱し衆庶崇信の社にして享保六年八月廿一日神位宣旨を以て正一位を授けらる 維新に際し權現號を止めて保呂羽神社と改む 又本社は卅三年毎に開扉の例あり 文祿四年十月本社再建の擧あり 后寛文四年十月十八日の再建にして頗る輪奐たり 拜殿は寶永五年1708正月四日の造營にあり 社域九十三坪境外坪數一千九百四十四坪高燥の地にして境内には老樹蓊蔚として圍繞し又白櫻ありて花時には恰も雪に埋るヽか如く此金峰山に詣するところの騒人詩客多く來る

八幡神社

[はちまん神社]

栃木県佐野市・豊代町1129

主祭神:譽田別命 配神:豊受姫命・大彦命・武渟川別命・吉備津彦命・大山祇命
延文(北朝)元年1356戸叶孫右衛門が創建。昭和四十年1965境内の松檜を伐採して拝殿を新改築。
例祭:11月23日

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県佐野市・豊代町2031

主祭神:菅原道真朝臣命
長禄二年1458創建。
例祭:4月29日 弓引行事

三日月神社

[みかづき神社]

栃木県佐野市・豊代町2222

主祭神:月読命
創立年等不詳。昭和四十年1965拝殿改築。小屋町鎮守。
例祭:1月3日


▊氷室村 *『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻ニ-26丁
本村は柿平,秋山及ひ水木の舊三村を合して一自治區と爲せしものにして全村の面積千五百二十餘町歩に逹せり 地勢高陵にして山嶽多く平地少にして東北は一帶の山脉連亘して境界を限り氷室山十二岳等此間に聳立して上都賀及ひ上野の勢多郡と界し西は野上村に隣し漸く土地の開くるを見る 南は常磐村と相接せり 本村郡内は山丘の多き地にして高山も亦實に此地に在り 村民は農耕を専務とし木材薪炭業に従事するもの亦多し 縣道は秋山水木を通し葛生町に逹すヘく其他幾線の里道なきに非さるも山間の地方にて交通の便多少欠くるものなきに非さるなり 秋山川は本村氷室山より發す 本村此川により用水路を開き灌漑に供す
古來の沿革に就ては各村共往時本多上野介の所領たりしか后幕府代官の領する所となり后又幾多の領主を代へしか明治維新の后日光縣の管轄となり次て栃木縣に屬し同一戸長役塲の支配となり更に町村制實施に當り合併して一村とはなりぬ
本村には村社三社及ひ有名の無格社氷室山神社外一社あり 其氏子戸數三百餘戸人口二千四百四十餘人あり

富俵山神社

[ふたわらやま神社]

栃木県佐野市・柿平町392

主祭神:大名持命・事代主命・田心姫命 配神:武甕槌命・少彦名命・素盞嗚命・月読命・軻遇突智命
明治四十年1907四月,柿平の鹿島神社,温泉神社,八坂神社を合祀,祭神を配神とする。
二荒山の縁起のいい字で富俵山だと推測する。『栃木県神社誌』平成18年版のルビは[とみたわらやま]だが,旧版では[ふたわらやま]。
例祭:5月3日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-26丁
氷室村大字柿平北之内鎭座 村社 富俵神社 祭神大名持命 味耜高彥根命 田心姫命 祭日陰曆三月三十日九月十五日 建物本社白木惣彫惣槻造高一丈餘 幣殿間口一間奥行二間 雨覆間口二間奥行二間 拜殿間口五間奥行二間萱葺 末社二社 木鳥居一基 氏子百戸總代三員 社掌田濤仙郎仝村大字仝十三番地住
本社の創立年月詳かならずと雖も文久三年1863白川伯王殿の勸遷にて正一位の宣旨を授けられ共に神號の扁額を下し賜りて今尚存せり 維新の際村社に列せらる 社境は里道の西側にあり 社域三百七坪高燥の地にして石磴十二階登りて拜殿に逹す 境内には梅櫻常磐木交接して相連る 殊に槻の老樹ありて神々しく感せらる
次の温泉神社は明治四十年1907四月三日,鹿島神社,八坂神社と合併して富俵山神社と改称。
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-28丁
氷室村大字柿平小字湯谷鎭座 無格社 温泉神社 祭神武甕槌命 少彥名命 祭日陰曆四月一日九月十九日 建物本社白木惣彫惣槻造高一丈餘 雨覆間口二間奥行二間 拜殿間口五間奥行二間萱葺 木鳥居一基 末社六社 氏子信徒六十三戸總代三員 社掌田濤仙郎仝村大字仝十三番地住
社傳に曰く當社は往古湯谷權現と稱す 又此社地をも湯谷と稱へ温泉涌出せし所にして縁記にも古昔温泉ありて浴客群集せり中古天正年間浮浪の徒此社地に屯集し温泉に浴するを名とし叛を謀る事上聞に逹し當國唐澤山の城主佐野氏命を蒙り征討の際鮮血淋漓として社地及泉原を瀆せしにより忽ち温泉變して冷泉となると 緑記及古老の口碑に傳ふる處なり 然とも今尚浴客群集益々年に月に盛んなり 社域六百三十一坪にして後ろに高山を負ひ山端に位せる丘陵にて六十七階の石磴を踏みて本殿に逹す 境内には古杉老樹森々蓊蔚として繁茂し春は梅櫻馥郁と薫香を發し初夏の如きは藤色爛漫樹上に蟠垂し秋季は滿山の紅葉本社を輝し其眺望實に言語に盡し難し實に山水明美の佳境なり
因に曰ふ本社再建の際明治廿二年五月氏子村民等が本社の神徳を不朽に残さんとて本社の由緒及古老の口碑等を録して一大碑を社側に建設せり
柿平には200年以上前に2社記録されているが,現在社は分からない。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 塩釜大明神 柿平 湯屋源介
安蘇郡 慈現大明神 上柿平

鹿島神社

[かしま神社]

栃木県佐野市・水木町664

主祭神:武甕槌命 配神:菅原道真朝臣命・天津古屋根命
* 旧地名:安蘇郡・葛生町大字水木岩沢664/安蘇郡・氷室村大字水木字岩澤
仙波を抜け県道283号線から続く山道を下りて行くと県道200号線に入る。その手前の氷室の集落上に鎮座。
拝殿左手の道沿いに招魂社の石祠。
鹿嶋神社から秋山川をさかのぼると秋山川源流大滝に行ける。さらに進むと思川上流の山の神バンガローに出る。下って行くと発光路経由で粕尾に出る。 創建年等不詳。明治四十年1907十月水木の天満宮,今宮神社(天津古屋根命)を合祀。
例祭:11月3日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 鹿島大明神 水野木 広瀬氏
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-27丁
氷室村大字水木字岩澤鎭座 村社 鹿嶋社 祭神武甕槌神 建物本社間口二間奥行一間半 拜殿間口五間奥行二間 末社三社 氏子六十八戸総代-員 社掌田濤仙郎仝村大字柿平住
本社創立詳かならす 社域六百三十坪を有す

氷室山神社

[ひむろさん神社]

栃木県佐野市・秋山町695

主祭神:建御名方命 配神:大山祇命・武甕槌命・素盞嗚命?
『栃木県神社誌』昭和39年版,平成18年版では同文で,至徳(北朝)元年1384創建。明治四十二年1909四月,山神社,八坂?神社,鹿島神社を合祀,梅木鹿島神社(『鹿沼聞書・下野神名帳』に記録されている)跡地に奉祭して氷室山神社と改称とされる。
しかし『下野神社沿革誌』では仁和元年885創建で別の縁起を伝える。昭和五十一年1976拝殿改築碑に沿革誌記載の江戸大火の件が刻まれている。
また碑文では合祀社は八坂神社ではなく諏訪神社となっている。すると秋山字諏訪に記録された諏訪神社で整合性がとれる。諏訪神社の建御名方命を氷室山神社の主祭神にしたことになる。
例祭:11月3日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 鹿島大明神 梅木 菅原隼人
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-27丁
氷室村大字秋山小字氷室鎭座 無格社 氷室神社 祭神大山祇命 祭日三月七日十月七日 氏子百五十戸總代七員 社掌萱原重安同村同大字三十六番地住
本社は元と安賀部山神と稱し安蘇郡の北隅安蘇川の水源なる字氷室に鎭座せしものにて人皇五十九代宇多天皇の御宇仁和元年885秋山村開闢の時勸請せしものなりと傳ふ 其後天保五年1834江戸に大火あり當時領主宗對馬守の舘已てに危ふく見へければ不取敢領地内なる安賀部山神へ火難退除の祈願をなし精神を罩めて三度拜伏するや否や其誠神に通ぜしと見へ何人の手にも餘りしさしもの大火も鎭まりて無難なりしを以て感喜に堪へず是れか禮意を表せんため對馬守は遥る上京して大に本社のために盡す處ありたりといふ 元とより其頃の事なれば九重の雲深く鎖ざし禁廷の摸様などは知るに由しなしと雖も夫れかあらぬか果せる哉遂に帝の叡聞に逹せしと見へ弘化四年十二月十七日を以て正一位氷室山神との勅宣を下し給ふ 畏しと申すも中々に愚なり/今ま其寫しを得たれと絛々しけれは載せず/其他に種々の事績あれ共姑らく之を畧す
建物 本社間口十尺奥行十尺板葺 拜殿間口五間半奥行二間半 寶庫間口九間奥行二間 雑舎四棟 境内地千五百坪 寶物不見引幕一張猩々火地に聞く柄を金にて縫ふ領主宗對馬守の奉納に係る 御神酒器一組松平加賀守より國産九谷焼を奉納せし也 太刀一本有馬玄蕃頭殿の奉納にて無銘なり 小太刀一本奉納は井伊掃部頭にして亂れ焼きなり 外に種々あれども畧す
本社は大字秋山に峨々として霄漢を磨するの高峰あり之を氷室山となす 本社は即ち其項に鎭座す 眸を放つて四邊を眺望すれは東に筑波加波足尾の諸山を臨み大瀧百川の釜淵等は袵席の下に點々指顧すヘし 西は赤城の脈を隔て淺間山に對すべく北に日光中禪寺足尾銅山那須嶽磐梯山を望むべし若し夫れ南方視線の極まる所に至つては東京横濱は勿論豆州熱海の風光を眼中に牧むるを得べし 亦た是塵懐を脱するの別境なり
明治中期に秋山に諏訪神社が記録されているが現在社は分からない。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 諏訪大明神 秋山 菅原隼人
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-27丁
氷室村大字秋山字諏訪鎭座 村祉 諏訪神社 祭神健御名方命 建物本社間口五尺奥行七尺 拜殿間口五間一尺奥行三間 末社三社 華表一基 氏子百四十戸總代七員 社掌萱原重安仝村仝大字三十六番地住
本社創立年月詳ならすと雖も往古より一村の產土神にして大字秋山の東端に位し社域三百廿三坪高燥の地にして古杉老檜蓊蔚として深邃なり

山神社

[さん神社]

栃木県佐野市・長坂町4033←大字葛生4033

主祭神:大山祇命
由緒等分からないが,『栃木県神社誌』昭和39年版に崇敬者が3000人,境内地2550坪とある。新版には非掲載。セメント鳥居,本殿と昔の本殿の記録が残っている。
葛生は複雑に町名変更があって旧住所の対照表が見つからないので市役所に行かないと確定できない。Webに対照表を公開して欲しい。
長坂の山の上でいいと思うのだが確定できない。
例祭:5月7日

丸嶽山神社

[まるたけさん神社]

栃木県佐野市・多田町2479

主祭神:大山祇命 配神:水波之女命(罔象女神)・須佐之男命・勝速日命 境内社:天満宮
永享六年1434創建。元禄二年1689再建。
明治四十二年1909九月,八坂神社,境内にあった麻多利神社を合祀。大正十一年1922三月,水神社を合祀。
例祭:10月第二日曜日

 

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