宇都宮神社

[うつのみや神社]

佐野市・下彦間1048-1

配神[高龗神]

旧地名:安蘇郡田沼町大字彦間字宮前
主祭神:大己貴命,田心tagori姫命,味耜ajisuki高彦根命
配神:高龗[たかおかみ]命,速須佐之男命,鳴雷命,大山咋命,木花咲耶姫命(配神の記述『栃木県神社誌』新版にはなし) 境内社:駒形神社・織姫神社・八坂神社
元和三年1617に宇都宮本多上野介の支配下にあったときに,二荒山神社より勧請したので社名となった。下彦間鎮守。昔は境内にある駒形神社が鎮守であった。
江戸中期に慈眼大明神と改称し,明治三年再度宇都宮神社に改称。
例祭翌日の祇園祭で妖魔退散,五穀豊饒祈願の獅子舞「ささら舞」が奉納される。
戸奈良の鹿嶋神社からさらに6kmほど奥に行くと右手に鳥居が見える。
社号標は「邨社宇都宮神社」
左手に文字のない石塔が三基。杉林の奥に社殿が見える。
神楽殿付きの立派な神社。背後は山。
「安永三年甲午十二月吉日」1774手水石。
「大正三年八月一日」の旗杭。
拝殿右手に織姫神社(棚機姫命),駒形神社(宇気母智神),八坂神社(速須佐之男命)にあたる境内社3社。奥の石祠には明治十一寅年九月一日再建」の文字。
「天保三辰年正月吉日」1832の石碑。
「享和二壬戌三月」1802の石塔。
「元禄十六癸巳年 奉造立石燈」1703これは古い。
本殿のレリーフも見事に残っている。
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本殿:権現造銅版葺 幣殿:権現造銅版葺 拝殿:権現造銅版葺
例祭:8月1日に近い土曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 慈眼大明神 下彦間 小野加賀
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻二19丁
新合村大字下彦間字宮前鎮座 村社 宇都宮神社 祭神大已貴命 相殿田心姫命 豊城入彦命 祭日十月一日 建物本社間口三間奥行二間栃葺 幣殿間口一間四尺奥行二間 拜殿間口三間奥行二間銅葺 神饌所間口六間奥行三間 末社三社 華表一基 氏子二百三十四戸總代四員 社掌小野清造同郡佐野町號社朝日森神社社司
本社は元和三年1617の創立にして往古は宇都宮大明神と稱し當國二荒山神社の分靈を勸請せし社なり 中頃慈眼大明神と改稱し后明治三年宇都宮神社と復舊し同五年第九大區九小區の郷社に定められ衆庶尊敬の社なりしか同十年行政區劃の都合により村社に列せらる 社域二千三百廿六坪平坦の地にあり 社殿巨大美觀にして境内及ひ長馬塲凡三町餘には古杉老樹蔚然として生ひ繁り神寂ひて雅致あり 近年地方の有志者相議り同村岩下翁の事蹟を録したる一基の碑石を社傍に建つ 従一位久我建通公の篆額正七位葵川信近の撰文にして戸田少教正の書なり
瓦屋根つき鳥居
枯山水
拝殿右手
山菅

安蘇澤神社

[あそざわ神社]

佐野市・山菅町3539

配神:[高龗神]

旧地名:安蘇郡田沼町大字山菅
主祭神:別雷神
配神:高龗神[たかおかみのかみ],大宮売命,水波乃女命
下野国の在庁長官であった藤原秀郷(根古谷唐澤城主田原藤太)が霊夢により武運長久,領土安穏祈願のため勧請。天明七年1787社殿を建築。山菅鎮守として尊崇されてきた。秀郷が勧請した多数の神社のひとつ。
安蘇澤鎭守にもかかわらず地図に載せてもらえないので探しにくいが,葛生原人発掘跡から見て,道路を挟んで南東方面向かい側の山に鎮座。
目印は正明寺と山菅公民館。この先の山野井採石工業の前。
大正十年十月の御影石明神鳥居。
「常夜燈 安政五午年九月吉日」1858
境内社として記録されている「八坂神社,浅間神社,菅原神社,秋葉神社」のどれか不明だが,拝殿右手の石垣に2社並んでいる。「x納xx三社xx xxxx丁卯」だけ読める石燈籠が2基。
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本殿:明神造銅版葺 拝殿:入母屋造亜鉛葺 幣殿:切妻造亜鉛葺
例祭:10月19
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 雷天宮大富士権現 山菅 山菅氏
鹿嶋神社

鹿嶋神社

[かしま神社]

佐野市・戸奈良2008

配神:[高龗神]

旧地名:安蘇郡田沼町大字戸奈良2008
主祭神:武甕槌命,経津主神,天児屋根命
配神:高龗神[たかおかみのかみ],大山祇命,大日孁貴命,稲倉魂命,素戔嗚尊,誉田別尊,伊邪那美命,柿本人丸朝臣命
境内社に白山姫命の白山神社,石井兼孝神霊の兼孝神社,報国神社
正治元年1199に戸奈良五郎宗綱が常陸の国鹿島神宮より勧請。三床山の麓に奉祭された。
佐野家が尊崇し,衰退して村の鎮守となる。天保二年1831火災に遭い天保十年1839再建。明治五年に村社。
明治42年2月に戸奈良1729にあった「高龗神」を祭神とする無各社の「八龍神社」を合祀。
その後も同年6月に八坂,八幡宮,神明宮,稲荷神社,人丸神社,三王神社,白山神社を合祀している。
本社は人里から離れ,参拝に不便であったため,昭和27年に遥拝殿を建立。
【遥拝殿】
葛生の町を後にして県道66号線を北上する。ゴールド佐野CCの先を右に入るとすぐに「村社鹿嶋神社」(大正14年1月)の石柱。
朱色の木製灯篭が並び立つ,とても美しい神社。手入れも行き届いている。
社柱のうしろに石塔が二基。大きい方は昭和28年4月の「遥拝殿新築記念」碑。社の由来が細字でびっしり刻んである。
その隣りは「戸奈良共有地」の碑。田畑山林を神社のための村の共有地に名義変更した記録である。昭和29年。
このあたりは宇都宮からはかなり高地になるので,4月20日でも神楽殿脇に桜が満開。社の西には田が広がる。
拝殿内の額には「鹿嶋大神宮」の文字。拝殿右手に境内社2社。
左手は「報国神社」。鳥居柱には「明治三十九年建之」と「昭和四十一年十一月移轉建之」
右手は「包孝霊社」。「包孝祠創建之碑」弘化四年1847。
「弘化四年歳x丁未秋八月」1847の手水石。
清掃をなさっている方にお聞きすると,ずっと奥の方に本殿があるとのこと。ここは遥拝殿の方。
【本殿】
車で入っていくと,なるほど,かなり離れた山の方に神社の杜らしき古木が見えてくる。
ここも草取りの方がいらして,手入れが行き届いている。すっきりと気持ちのいい神社だ。
「大正四年」の旗杭。「嘉永二年歳次己酉春二月上澣建」1849の石燈籠。
樫?と杉の巨木の間に「弘化五年龍集戊申春三月吉」1848の神明鳥居。額文字は「正一位鹿嶋大明神」
右手に文久元酉年1861の「猿田彦大神」石塔。
昭和五年三月の狛犬は絶品。足が細いわけでも,頭が小さいわけでもなく,全体が細みに見える造形。見間違いでなければ,左右とも「阿」
さらに進むと「嘉永紀元戊申九月」1848の手水石。
「嘉永二酉年年三月吉日」1849の石燈籠。
ここから石垣が組まれて正面に朱塗りの本殿。背後に深い森が広がる。
右手に「正徳四年甲午二月」1714の手水石。これは古い。
「奉納御寶前 明和六己丑年」1769の石燈籠。
「文化六己巳年五月吉日」1809の石燈籠。
慶應元年1865の石塔。
左手の少し離れたところに石祠の境内社。これが白山神社だろうか。
昭和8年の石のベンチなどが残っている。この神社の文字は300年前のものでもはっきり読める。石の質にもよるのだろうが,長く村の方に尊崇されて清められてきたのではないかと思う。 鹿嶋のシマの字形は『栃木県神社誌』では新旧とも「島」だが,現地では「嶋」で統一されている。
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本殿:明神流造亜鉛葺 幣殿:瓦葺 拝殿:瓦葺 例祭=4月20日に近い日曜日
『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻二19丁
田沼町大字戸奈良字鹿島鎮座 村社 鹿島神社 祭紳武甕槌命 建物本社間口三間奥行五間 拜殿間口二間奥行三間 幣殿間口一間半奥行一間半 神樂殿間口二間奥行三間 氏子二百六十五戸 社掌川田源治
本社創立は正治元年二月五日にして常州鹿島神宮を奉遜遷したるものなり 社域九百五十坪を有す
遥拝殿
美しい 遥拝殿に神楽殿 境内社2社
本殿入口 巨木の間を
傑作
つい別の角度から 撮影したくなる
正徳四年1714は古い 新しいか?
箱石神社

箱石神社

[はこいし神社]

佐野市・豊代町252

配神:[高龗神]

旧地名:安蘇郡葛生町豊代中沢8256
主祭神:大国主命 配神:高龗神,伊弉那岐命,事代主命,市杵島姫命,大綿津見命
平将門を破った藤原秀郷により天慶二年939創立。明治五年に常盤村村社となる。
秋山川沿いに葛生中学校を背に,願成寺を過ぎ,道なり二股を右に行ってすぐ右手。
途中右手に小社が3社並んでいるのは個人の崇敬社。ただし,左端は箱石神社を勧請している。明治42年10月16日に「八龍,保呂羽,白山,厳島,八幡」を合祀している。
拝殿右手に石垣が組んであり,4社並んでいる。左端は「御神燈 文政十二己丑二月」1829
その左に離れて1社。
このうちのどれかが,祭神が「高龗神[たかおかみのかみ]」の「八龍神社」である。
「文化二乙丑正月」1805の御影石明神鳥居に掛けられている額は「村社箱石大神」
「宝暦十三癸未天三月吉日」1763燈籠その右手に「生馬大?神 明治二十四」
「常夜燈 文化十五年戌寅三」1818石塔
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本殿:神明造亜鉛葺 拝殿:平屋造亜鉛葺 例祭11月23

 

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