荒川右岸喜多区の田園地帯に鎮座。付近のお宅がご不在で,詳細は分からない。しかし200年以上前の古記録『鹿沼聞書・下野神名帳』に記載がある。住所が道下で記録されたが,現鎮座地は道下に隣接する玉生なので比定できるだろう。塩谷町の産業振興課の方にお尋ねしたところ,古い人は「げどうの親孝子神社」といったという。道下を逆から読んで道下の外れをさしたと思われる。別当医王寺は上記道下の薬師堂の南となりにある。また上記加茂神社の北の山中に親孝子大権現の石碑がある。
江戸時代までは「親孝子大権現」と称したが維新に際して親孝子神社と改称した。
九月初旬の八朔祭には風見太々神楽が奉納される。
鳥居額は平成20年奉納。鳥居はもっと古いが年代不明。平成22年親孝子神社建立記念碑が建てられており,社殿が新築されたことが分かる。
拝殿格子から見える年代物の本殿はかなり大きそうだ。
昭和十七年1942狛犬手前の石燈籠は大正十一年1922。
鳥居脇に「二十三夜塔」「庚申塔」石仏二体があるが,いずれも年号が読めない。
鳥居をくぐって右手に石宮二基。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 親孝子大権現 道下 医王寺