星宮神社
星宮神社
[ほしのみや神社]
栃木県塩谷郡塩谷町風見山田747
星宮神社
星宮神社
[ほしのみや神社]
栃木県塩谷郡塩谷町泉359
星宮神社
星宮神社
[ほしのみや神社]
栃木県塩谷郡塩谷町飯岡437
星宮神社
星宮神社
[ほしのみや神社]
栃木県塩谷郡塩谷町田所1362
智恵神社
智恵神社
[ちえ神社]
栃木県塩谷郡塩谷町原荻野目182
主祭神:天智天皇
境内社:稲荷神社・加茂神社・湯殿神社
JAしおのや塩谷支店の道路向かい東の森に鎮座。
江戸末期の『鹿沼聞書』では「
鶏頭大明神」で記録され,明治中の『下野神社沿革誌』には「
鶏大權現」と称したとある。境内の由緒書では「
御渡権現[みわたり]」の文字を宛てている。比較的多い表記では「荷渡」と書き,県内では鹿沼西沢地区に「荷渡神社」,三幸町に「鶏神社」,見野に「鶏神社」,徳次郎に「鶏渡神社」[にわたり],旧今市轟に「高男荷渡神社」[にわたり],小百に「高尾荷渡神社」[にわたり],岩舟に荷渡神社[にわたし],野木と大平町に「根渡神社」[ねわたり],氏家に「鶏神社」[にわとり],上金井に「鶏鳥神社」[にわとり],新里に「鶏大権現」,芳志戸に「荷渡権現」がある。
関東以北では[に][ね][み]の音をあてた漢字を用いる社もある。庭渡,御渡,美渡,子渡,根渡,三渡,見渡など。読み方も変化して[にわたし」[みわたり」などとなる。他に二羽渡・仁和多利・新渡・海渡・三輪足・鬼渡などさまざまだ。
正徳三年1713境内社の稲荷神社を造営。明治の神社改変で権現山から加茂神社(享保二年1717創建),湯殿神社境内から湯殿神社(慶長四年1599創建)を合祀している。
『栃木県神社誌』昭和39年版では祭神を『下野神社沿革誌』記載の「
思兼神」で記録しているが,明治十二年1879書写の神社記録に「祭神 天智天皇 天命開別大神」とあることが分かり,『栃木県神社誌』平成18年版から祭神を「天智天皇」とあらためた。
思兼神は天磐戸神話で長鳴鳥を集めて長鳴きさせた神なのでトリのつく社の祭神とした。
鳥居右手の顕彰碑と同文が拝殿内板書に筆書されている。明治十二年川上弥十郎が書写した縁起も拝殿内に板書してある。社号は「御渡権現/智恵神社」と併記している。残念ながらフラッシュピンボケで次の機会に。
「是智恵神と稱し奉 然る処當今御渡権現と申し奉る也」と書いたのは支配年寄弥右衛門で1800年より前のことだろう。創建に近い頃は智恵神と称し,200年以上前のどこかの時代に鶏にかかわる権現か明神になり,維新に際して権現明神号は禁止されるので智恵神に因んで「智恵神社」と改称したと推定できる。
しかし「石の燈籠左右に並列し」はどこにいったのだろう。『下野神社沿革誌』の記録違いか。あるいは参道がJAしおのやの方まで長かったか。境内は現在も1220坪と広いので燈籠を遺棄する必要はないだろうから。
例祭:11月13日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 鶏頭大明神 荻野目 玉雲寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七・28丁
鹽谷郡玉生村大字原荻野目鎭座 村社 智惠神社 祭神 思兼命 建物本社間口三尺奥行三尺二寸 末社二社 氏子十三戸
本社は大同元年806十一月十五日の創建にして往時は鶏大權現と稱し小児の瘜を治するを守る神とて衆庶尊信厚く病治すれは鶏の畫額を献する例ありて今尚本社に積重せり 社域一千百廿坪平坦の地にして境内には石の燈籠左右に並列し杉檜森々と繁茂し幽邃にして神々たり
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平成10年狛犬 |
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智恵神社 |
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顕彰碑 |
社号併記 |
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拝殿内の御由来 |
拝殿内の神社記録 |
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稲荷神社・加茂神社 |
湯殿山 |
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JAしおのや方向 |
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鎮座の杜 |
西方に地蔵尊 |
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惨劇の記録 |
左と同文 |