星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県塩谷郡塩谷町風見山田747

主祭神:磐裂神・根裂神・経津主命
境内社:猿田彦神社・八丈島神社・琴平神社
後山の麓,長福禅寺の南隣りに鎮座。それらしい草道の入口に青年会奉納の石が置いてあり,入っていくと朱鳥居。
鳥居左に嘉永元年1848「二十三夜塔」,右手に嘉永六癸丑年1853「男體山」
拝殿前に宝永六年1709石燈籠。
このあたりの星宮神社祭神は『下野神社沿革誌』と異なり,經津主命はそのままだが,天御中主命と武甕槌命は『栃木県神社誌』昭和39年版で磐裂神と根裂神に変化している。『栃木県神社誌』は宮司さんのアンケートを編集するので,何社も兼務する宮司さんが祭神を統一するためだろう。また神か命かの表記の違いでは,栃木県に限っていえば圧倒的に命が多い。塩谷でもここ風見山田と大久保,上平,泉,金枝は例外的に神を採用し同じ宮司さんの田所では命と表記している。
例祭:11月13日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡  星宮大明神 風見山田 北条万吉
*『下野掌覧』万延元年1860 塩屋郡之部
星宮大明神 風見山田村鎮座 祭主北條氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七・25丁
鹽谷郡 大宮村 大字風見山田鎭座 村社 星宮神社 祭神 天御中主命 經津主命 武甕槌命 建物本社間口五尺奥行五尺 雨覆間口二間奥行一間半 石燈籠二基 木鳥居一基 末社一社 氏子二十戸 社掌小島光永同村同大字十六番地住
本社創建勸請年月詳ならす 社域高燥の地にして石磴二十六階躋りて風致頗る佳なり
嘉永元年1848 嘉永六年1853
拝殿内に星宮神社額
宝永六年1709石燈籠 300年以上前の文字が
神輿庫
本殿
社殿左上に祠
入口方向
入口 青年会奉納 東の方角
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県塩谷郡塩谷町泉359

主祭神:磐裂神・根裂神・経津主命
境内社:稲荷神社・湯殿神社・琴平神社
250年ほど前には社殿を建立している。『鹿沼聞書』に記録されているほどなので創建はもっと前だろう。元稲荷神社の境内地だったが維新の地租改正で官有地となった際に遷宮。字宮の免と称した。現在の本殿は昭和二十二年1947改築,拝殿は明治三十二年1899再建のもの。 少し前までは杉に囲まれていたが伐採されてさっぱりしすぎ。後がなくて鳥居を正面から撮影できない。鳥居脇に寛政九丁巳年1797「湯殿山大権現」と明治三十三年1900「二荒山神社」。神庫脇に寛政六年1794「庚申供養塔」と寛政五年1793「二十三夜塔」。大正八己未年1919手水石。
大正三年1914石燈籠。正徳五乙未天1715石燈籠。社殿左手前に境内社。
東となりに多数の石塔のあるお堂。鳥居の先には羽黒山。
下記『下野神社沿革誌』とは境内坪数等が異なるが,泉で記録された社は他にないので掲載しておく。
例祭:11月13日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡  星宮大明神 泉
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七・26丁
鹽谷郡大宮村大字泉鎭座 村社 星宮神社 祭神 天御中主命 經津主命 武甕槌命 祭日十一月十三日 建物本社間口五尺奥行五尺 雨覆間口二間半奥行二間 拜殿間口二間半奥行二間 鳥居一基 石燈籠二基 末社一社 氏子二十戸 社掌小島光永同村同大字十六番地住
本社勸請年月詳ならす 社域三十坪なり
二荒山
湯殿山 庚申塔と二十三夜
境内社
拝殿内
杉に囲まれていた
羽黒山 となりにお堂
多数の石塔
 塩谷町神社目次 
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県塩谷郡塩谷町飯岡437

主祭神:経津主命 配神:磐裂命・根裂命
境内社:八坂神社・天満宮
石尊山の東山麓に鎮座。
本殿彫刻に特徴がある。いったいどういう技術で彫ったのか。立体のレリーフといっても分かりにくいので写真をどうぞ。
昭和三十七年1962狛犬手前に文久四甲子年1864庚申塔 大正九庚申歳1920庚申塔
石段途中の右手に天満宮と天王山,その隣りに六手不空羂索観音。
拝殿左手前に昭和八年1933台座の上に石燈籠 両脇の石祠は明治三十五年1902大字一同奉納。
鳥居脇に平成五年「星宮神社鳥居建設記念碑」
例祭:11月13日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七・28丁
鹽谷郡玉生村大字飯岡鎭座 村社 星宮神社 祭神 經津主命 建物本社間口二間奥行同 氏子三十一戸
本社は弘治元年1555三月十三日の勸請なり 社域二百七十三坪字宮脇に在り
鳥居建設記念碑
庚申塔
階段途中の境内社
本殿左手前 右手
レリーフというより彫刻
厚さがある
石が祀られている
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県塩谷郡塩谷町田所1362

主祭神:磐裂命・根裂命・経津主命 境内社:琴平神社
遠方から見える鎭座の杜に離れて二基の鳥居が見える。近づくと畔に大正十三年1924社号標があり,そこから鳥居まで車で入っていける。鳥居手前に真新しい橋が架かっており,柱に「社城橋」「べんてんがわ」。社城で[やしろ]と読む。
石段を上がった二の鳥居脇に大正十二年1923石燈籠。つぎの石段を上がって狛犬隣りには300年以上前の「宝永七庚寅1710」石燈籠。創建はもう少し遡るだろう。
本殿右手に朱色の鳥居があるのが「琴平神社」で昭和七年1932の記念碑がある。大きな琴の字の上に小さな琴平の字が彫ってある。現場では気がつかず写真を見て判明したので撮影ミスかと思ったがどうもそのとおりのようだ。理由は不明。琴平神社本殿右となりのガラスケースに神輿。
森のはずれにある簡易鳥居には八坂神社が祀られている。
例祭:10月中の日曜日 風見の神楽奉納
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡  星宮大明神 田所 医王院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七・26丁
鹽谷郡大字田所字社城續鎭座 村社 星宮神社 祭神 磐裂命 根裂命 經津主命 建物本社間口五尺七寸奥行一間四尺 雨覆一棟 石華表一基 木鳥居一基 石燈籠二基 氏子五十二戸 社掌田宮積善同村同大字住
本社の創立年月詳ならすと雖も奉仕には別當藥王山醫王院を置き以て奉仕せしむ 醫王院故ありて大永七年1527積善院と改號し夫れより十三代の間別當職たりしか明治維新の際復飾し田宮と改め本社に懃續せしむ 抑本社星宮神社は往古より別當積善院の境内に鎭座在りしか明治四年中1871氏子協議の上本大字中央なる字權現山無各社琴平神社の境内に奉遷す 社域六百坪字高燥の地にして若杉森々たらんとして風色閑雅なり
石段を上がって二の鳥居 大正十二年1923石燈籠 二の鳥居
ふたつめの階段 300年前の石燈籠
くっきりと宝永七庚寅1710
拝殿
琴平神社
琴が二重に 琴平神社
右に神輿 琴が裏手
鳥居が二つ見える
社号標 社号標から見た神社 橋が架かっている
八坂神社鳥居 八坂神社
 塩谷町神社目次 
智恵神社

智恵神社

[ちえ神社]

栃木県塩谷郡塩谷町原荻野目182

主祭神:天智天皇
境内社:稲荷神社・加茂神社・湯殿神社
JAしおのや塩谷支店の道路向かい東の森に鎮座。
江戸末期の『鹿沼聞書』では「鶏頭大明神」で記録され,明治中の『下野神社沿革誌』には「鶏大權現」と称したとある。境内の由緒書では「御渡権現[みわたり]」の文字を宛てている。比較的多い表記では「荷渡」と書き,県内では鹿沼西沢地区に「荷渡神社」,三幸町に「鶏神社」,見野に「鶏神社」,徳次郎に「鶏渡神社」[にわたり],旧今市轟に「高男荷渡神社」[にわたり],小百に「高尾荷渡神社」[にわたり],岩舟に荷渡神社[にわたし],野木と大平町に「根渡神社」[ねわたり],氏家に「鶏神社」[にわとり],上金井に「鶏鳥神社」[にわとり],新里に「鶏大権現」,芳志戸に「荷渡権現」がある。
関東以北では[に][ね][み]の音をあてた漢字を用いる社もある。庭渡,御渡,美渡,子渡,根渡,三渡,見渡など。読み方も変化して[にわたし」[みわたり」などとなる。他に二羽渡・仁和多利・新渡・海渡・三輪足・鬼渡などさまざまだ。
正徳三年1713境内社の稲荷神社を造営。明治の神社改変で権現山から加茂神社(享保二年1717創建),湯殿神社境内から湯殿神社(慶長四年1599創建)を合祀している。
『栃木県神社誌』昭和39年版では祭神を『下野神社沿革誌』記載の「思兼神」で記録しているが,明治十二年1879書写の神社記録に「祭神 天智天皇 天命開別大神」とあることが分かり,『栃木県神社誌』平成18年版から祭神を「天智天皇」とあらためた。
思兼神は天磐戸神話で長鳴鳥を集めて長鳴きさせた神なのでトリのつく社の祭神とした。
鳥居右手の顕彰碑と同文が拝殿内板書に筆書されている。明治十二年川上弥十郎が書写した縁起も拝殿内に板書してある。社号は「御渡権現/智恵神社」と併記している。残念ながらフラッシュピンボケで次の機会に。
「是智恵神と稱し奉 然る処當今御渡権現と申し奉る也」と書いたのは支配年寄弥右衛門で1800年より前のことだろう。創建に近い頃は智恵神と称し,200年以上前のどこかの時代に鶏にかかわる権現か明神になり,維新に際して権現明神号は禁止されるので智恵神に因んで「智恵神社」と改称したと推定できる。
しかし「石の燈籠左右に並列し」はどこにいったのだろう。『下野神社沿革誌』の記録違いか。あるいは参道がJAしおのやの方まで長かったか。境内は現在も1220坪と広いので燈籠を遺棄する必要はないだろうから。
例祭:11月13日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡  
鶏頭大明神 荻野目 玉雲寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七・28丁
鹽谷郡玉生村大字原荻野目鎭座 村社 智惠神社 祭神 思兼命 建物本社間口三尺奥行三尺二寸 末社二社 氏子十三戸
本社は大同元年806十一月十五日の創建にして往時は鶏大權現と稱し小児の瘜を治するを守る神とて衆庶尊信厚く病治すれは鶏の畫額を献する例ありて今尚本社に積重せり 社域一千百廿坪平坦の地にして境内には石の燈籠左右に並列し杉檜森々と繁茂し幽邃にして神々たり
平成10年狛犬 智恵神社
顕彰碑 社号併記
拝殿内の御由来 拝殿内の神社記録
稲荷神社・加茂神社 湯殿山
JAしおのや方向
鎮座の杜 西方に地蔵尊
惨劇の記録 左と同文

 

 塩谷町神社目次 
 ページトップ