愛宕神社

[あたご神社]

栃木県下野市・石橋364

旧地名:下都賀郡・石橋町大字石橋字白山
祭神:火産霊命 配神:倉稲魂命 境内社祭神:倉稲魂命・天照皇大神・少彦名命・譽田別尊・八幡大神・素盞嗚命・熊野大神
天平宝字三年759創建と伝わる。石橋宿等13か村の郷社であった。愛宕塚古墳上に鎭座したが東北線複線化工事により大正二年1913に稲荷神社境内に遷座。参道右手の稲荷神社脇の昭和62年1987改修記念碑に稲荷神社の由緒が刻まれている。本殿には愛宕神社と稲荷神社を合祀し,境内にある朱色の社は分社と書かれている。朱色の木製祠が昭和62年に改修したもので,石宮は昔の稲荷神社である。
昭和48年1973東北新幹線敷設にともない愛宕塚古墳の石棺石下敷座2トンの石と屋根ふた5トンの巨石を境内に運んで保存した。社殿玉垣手前に並んでいる。経緯は女神碑に刻まれている。
稲荷神社と右隣りの社に文政元年1818石燈籠,弘化四丁未1847石燈籠など。旧狛犬,石祠多数が保存されている。
例祭:11月3日 太々神楽 弥生宝神祭:石橋駅から愛宕神社まで宝神ほうかん神輿が練歩く。八坂祭:7月第三土日曜日 土曜日に中央通りのおみこし広場に神輿・山車が繰り出す。日曜日に6町内に神輿渡御。夕刻に愛宕神社に宮入。
*『下野神社沿革誌』巻4-26丁(明治三十六年1903)
下都賀郡石橋町大字石橋鎭座 村社愛宕神社 祭神 火産霊命 建物本社間口一間奥行九尺 末社一社 氏子百六十二戸
本社は字白山に鎭し創立詳ならすと雖も慶長九年1604六月二十二日徳川将軍家より仝郡五分一村地内に於て社領五石を賜はり仝勝軍世々崇敬の社なりしも明治五年1872村社に列せらる 社域一千七百六十九坪を有せり
長い参道
ケヤキ
拝殿右手 豪華な本殿
ふたつとも八坂神社 神輿
立派な神輿 愛宕神社額 神楽殿
神楽殿 稲荷神社 稲荷神社
稲荷神社由緒 稲荷神社本殿屋根
稲荷神社額
弘化四年1847 文政元年1818
木製祠祭神 稲荷神社脇
玉垣手前左手 女神碑
古墳石棺岩 御神木
鳥居方向 巨大な勝善神 4号線沿い
孝謙天皇神社

孝謙天皇神社

[こうけんてんのう神社]

栃木県下野市上大領161

祭神:孝謙天皇 配神:御篠元女官・御笹元女官
境内社:神明大神・八坂大神・稲荷大神・八幡大神・村上社
旧地名:下都賀郡石橋町上大領
四十六代孝謙天皇の舎利塔を御神体とする。徳川家が代々崇拝し、朱印地高三石を賜わる。
詳しくは由来書を。聖武天皇の娘孝謙天皇としての在位期間は749-758年。重祚して称徳天皇としての在位期間は764-770年。実際は平城宮で崩御なされている。道鏡が下野薬師寺別当に任ぜられるのは崩御の後である。天皇の高級女官として権力をふるった篠姫と笹姫も,邪魔にされて道鏡と共に下野国に配流されたというところだろう。
本殿裏手に石垣があり,柱に「下都賀郡石橋宿」と彫られている。
境内に多数の石祠が祀られている。
背後に男体山を望む。
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 4巻26丁
下都賀郡石橋町大字上大領鎭座 村社 孝謙天皇社 祭神 孝謙天皇 建物本社間口一間半奥行仝 氏子二十戸
本社創立詳かならす 社域六百七十一坪にして字江川端に在り

由来書
本殿裏手 右の石塔 左の石塔
拝殿右手 右から稲荷、八坂、神明,八幡大神 右手奥の石塔
拝殿左手 古い石塔があちこちに
  境内から男体山が見える
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県下野市・下大領361

旧地名:下都賀郡・石橋町大字下大領中ノ林
祭神:磐裂命・根裂命
大同元年806頃に当村を開拓した始祖を祀ったことに始まる。維新に際し星宮神社と改称。
平成22年2010改修。
例祭:11月22日
*『下野神社沿革誌』巻4-27丁(明治三十六年1903)
下都賀郡石橋町大字下大領鎭座 村社 星宮神社 祭神 磐裂命・根裂命
建物本社一尺五寸四方 氏子二十一戸 本社創立不詳 社域百五十二坪を有し字中の林に在り
本殿
本殿左手
八坂神社
 
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県下野市・東前原120

旧地名:下都賀郡・石橋町大字東前原字腰巻
祭神:磐裂命・根裂命 境内社:雷電神社・稲荷神社
天平五年733九月十三日創建と日付まで伝わる県内最古の星宮かと思われたが,正平(南朝)五年1350創立に落ち着いてしまった。維新に際し虚空蔵宮から星宮神社と改称。
一の鳥居脇に享保三年1718,宝暦十三癸未1763十九夜念仏供養など。明治四十一年1908二の鳥居。
東隣りは中大領構造改善センター,星宮神社は東前原で飛び地に鎮座。北の方に雷電神社鳥居が見える。
例祭:11月22日
*『下野神社沿革誌』巻4-26丁(明治三十六年1903)
下都賀郡石橋町大字東前原鎭座 村社 星宮神社 祭神 磐裂命・根裂命
建物本社間口四尺奥行六尺 末社二社 氏子六戸
本社勧請年月詳かならす 社域四百三十坪字腰巻に在り
二の鳥居
御神木
石祠1 石祠2
水神
一の鳥居 一の鳥居脇の十九夜 隣りは中大領
雷電神社

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県下野市・中大領270

旧地名:下都賀郡・石橋町大字中大領
祭神:大雷命 境内社:大杉神社・妙義神社
寛元四年1246に吉野佐平が字島の中の薮地を開拓し大領村を起こしたと伝わる。創立不詳ながら大昔に大雷雨により22所が被災したため大雷神を祀ったことに始まる。由緒を刻んだ岩が平成8年1996鳥居脇に設置された。
慶応元年1865石燈籠。明治三十五年1902手水石。大正七年1918石燈籠。
昭和30年1955に御神木の杉の保存台座が設けられた。
例祭:6月22日/11月22日
*『下野神社沿革誌』巻4-26丁(明治三十六年1903)
下都賀郡石橋町大字中大領鎭座 村社 雷電神社 祭神 大雷命 建物本社二尺四方 拜殿間口三間奥行二間 末社一社 氏子二十二戸 本社創立不詳 社域五百三十三坪を有し字杉の根に在り
由緒
 
慶応元年1865
由緒にある御神木 昭和30年の台座
  拝殿左手
鳥居方向
星宮神社>

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県塩谷郡下野市・上台421

旧地名:下都賀郡・石橋町大字上台字北浦
祭神:磐裂神・根裂神 境内社:夷子神社(事代主命)
虚空蔵宮と称したが維新に際し星宮神社と改称。平成元年1989に大改修・新造営を行っている。
鳥居柱に「明治三十五年1902六月廿八日暴風被害/明治三十九年1906三月一日新建」
文政八乙酉1825石燈籠。安政五戊午1858石燈籠。明治二十三年寅1890狛犬。天保六乙午年1835石燈籠。
安政六己未年1859石燈籠。
例祭:11月13日
*『下野神社沿革誌』巻4-28丁(明治三十六年1903)
下都賀郡姿村大字上臺鎭座 村社 星宮神社 祭神 磐裂命・根裂命
建物本社間口四尺奥行六尺 末社二社 氏子三十四戸 本社創立不詳 社域五百六十八坪を有し字北浦の地に在り
 
   
天保六乙午年1835
本殿裏 上臺村 安政五年1858
文政八乙酉1825
安政六年1859
 
付近の釈迦堂
釈迦如来座像は見えない 星宮神社が見える
鷲宮

鷲宮神社

[わしのみや神社]

栃木県下野市・橋本630

旧地名:下都賀郡・石橋町大字橋本字鷲宮
祭神:天日鷲命 配神:天照皇大神・武甕槌神・大物主大神・経津主神 境内社:稲荷神社・千勝神社・琴平神社・月読神社
大化改新以前の創建と伝わる下野古社19社の一つだが,すべて再建されているため,境内の明神神社古墳が往時を偲ぶよすがとなる。
寛保三年1743改築するも文化九年1812に大火によって灰燼に帰す。文政八年1825に壬生領主によって再建される。
『下野神社沿革誌』の「源家敕」は源義家。また同書に「今は僅かに仮殿の儘なり」とあるのは明治四年1871七月の大烈風によって社殿ことごとく倒壊したためで,昭和55年1980になって本殿・幣殿・拝殿を新築した。
2704坪の広大な境内。
享保の二か三か五年の石鳥居。戌のように読めるので享保三年1718か。石鳥居に石を投げ上げて乗せると算数ソロバンが上達するとされたが,スマホ電卓の今はどうだろう。
古そうな手水石は「鷲大明神」とあるので江戸時代のものだろう。
文化二己丑歳1805石燈籠。
境内地無償譲渡記念碑。その右に昭和55年1980の「改築記念碑」があり,裏面に由緒が刻まれている。
例祭:2月20日/7月31日輪潜祭/12月10日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 鷲宮大明神 橋本 宇賀神大和
*『下野神社沿革誌』巻4-28丁(明治三十六年1903)
下都賀郡姿村大字橋本/國分寺村大字箕輪小字宮山鎭座 兩大字鷲宮神社 祭神 天日鷲命 相殿 天照皇大神 武甕槌命 經津主命 大物主命 祭日陰暦大祭十月十日小祭六月廿日月並祭毎月十日
建物本社間口九尺奥行二間 拜殿間口三間奥行二間 末社四社 石鳥居一基 手洗石一基 寳物神鏡一面 太刀一振 氏子橋本七十二戸惣代四員/箕輪六十一戸惣代三員
本社創建は遼遠にして詳かならすと雖も寛治五年1091源家敕をして奥州征伐の際本社に戰勝を祈る 既に事平け歸陣の節報賽として本社に奉納せし神鏡今尚存せり 太刀は慶長九年1604二月下野守宇都宮友網より奉納せしものなり 寛文年中1661~73壬生の城主加藤越中守より橋本村地内に於て一反三畝十四歩箕輪村内地に於て一反四畝七歩の御供田を寄附せられ今は僅かに仮殿の儘なり 神職は往古より宇賀神家にて世々繼續し怠たらす奉仕す 社域一千六百八十六坪にして橋本箕輪の兩村境の平地にありて蓊蔚たる森林蒼穹して晝尚暗く中にも古杉老樅矗立せり 本社馬塲の長さ九百六十尺にして石の大華表あり 石の燈籠左右に並列し境内中央の小丘に鎭座す 四境田甫にして東に姿川の淙々たるを聞き西に藤井戸の旧跡あり 其幽邃淸雅は地方稀にして夫翠滴るの朝風淸きの夕此境に遊はは邪念忽に散するを覺む
 
鷲宮額 本殿
享保三?
   
鷲大明神 文化二乙丑1805
左:境内地無償譲渡記念碑 由緒 御神木
御神木となりの祠 稲荷・千勝神社
稲荷・千勝神社
古墳から 鎮座の杜
明神神社古墳 なんとキジが
平成の市町村整理合併以前,鷲宮神社は明治二十二年1889南半分が国分寺村に,北半分が姿村→石橋町に編入された。現在も箕輪・橋本地区の両氏子によって奉祭されている。
橋本神社

橋本神社

[はしもと神社]

栃木県下野市・橋本612

旧地名:下都賀郡・石橋町大字橋本字鷲宮
祭神:天照皇大神・須佐之男命・建御名方命・倉稲魂命・大山祇命・火産霊命・大雷神・猿田彦命・菅原道真
明治三十五年1902の大暴風雨によって字内の11社が倒壊してしまったので,明治三十七年1904十一月に字鷲宮の現在地に全社を合祀して地名をとって橋本神社として創建。11社は以下のとおり:字天神の天満宮,字館の内の神明宮二社,愛宕神社,稲荷神社,字鷲宮の八坂神社,大杉神社,諏訪神社,稲荷神社,雷電神社,猿田彦神社。
2087坪の広大な境内。
昭和61年1986石鳥居。寛政二庚戌歳1790石鳥居。 例祭:4月15日/11月15日
右:神楽殿
本殿
本殿
一の鳥居から 二の鳥居
寛政二年1790
従軍之碑 神楽殿 橋本共有地整理記念碑
境内左手
石塔多数 庚申供養
元文五年1740 寛政十二年1800 万延元年1860
台座に三猿
太々神楽保存地区
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県下野市細谷732-1

旧地名:下都賀郡・石橋町大字細谷字北原732
祭神:磐裂命・根裂命 配神:須佐之男命,罔象女神,事代主命,鳴雷神,菅原道真公,早良親王,伊予親王,藤原夫人,藤原広嗣,立花逸勢
配神:須佐之男命・罔象女神ほか8神
石橋中学校の南西1キロ,姿川の西500m,352号線沿いに鎮座。
昭和56年に行われた星宮神社古墳発掘調査を記念して石碑が建てられている。
神社は円墳の上に鎮座。
鳥居は文化五辰歳1808
古い方の石燈籠は大正元年1912
大正元年1912の狛犬。
宝永元年甲申霜月1704の庚申塔が隣地に残っている。
永享年間に1429~41消失し,宝永三年1706に再建。明治三十五年1902の大暴風雨で倒壊。明治四十三年1910再建。このとき千勝神社,五霊神社,水神社,八坂神社,菅原神社,愛宕神社を合祀。
例祭:11月15日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 4巻-28丁
下都賀郡姿村大字細谷鎭座 村社星宮神社 祭神 磐裂命・根裂命 建物本社間口三尺五寸奥行三尺 末社一社 氏子三十戸 本社創立不詳 社域二百五十二坪清洒の地に在り

200年を経た鳥居
古墳発掘記念碑
社殿右奥 境内地東側 300年以上前の庚申塔

 

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