星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県塩谷郡高根沢町中阿久津1808[字上ノ台]

旧地名:塩谷郡・高根沢町大字中阿久津
祭神:磐裂神・根裂神 境内社:神内神社・富士神社・龍神社・湯殿神社
建長五年1253九月創建。寛永四年1627落雷によって消失し,文化十年1813に再建。
鬼怒川左岸の丘陵崖下に鎮座。崖上すぐ北に龍神八幡宮。
江戸期の狛犬が保存されている。台座に「天保五甲午年1834・九月吉祥日」,この頃は星宮大明神と称し,虚空蔵菩薩を祀っていた。
昭和四十八年1973石鳥居と平成九年1997朱塗の両部鳥居。天保四年1833石燈籠。大正三年1914石階。昭和七年1932奉納星宮神社碑。
昭和四十八年1973皇大神宮遷宮記念・石大鳥居奉納記念碑。
例祭:11月9日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 星宮大明神 中阿久津 自性院
*『下野神社沿革誌』巻7-22丁(明治三十五年1902)
鹽谷郡阿久津村大字中阿久津鎭座 村社 星宮神社 祭神 磐裂神 根裂神 建物本社間口二間奥行 拜殿間口三間奥行一間半 末社三社 氏子四十九戸
本社創立不詳 社域八百一坪にして字上の臺にあり
昭和四十八年1973石鳥居 中腹に鎮座 大正六年1917額
鳥居右手
両部鳥居 天保五年1834狛犬
天保五甲午年
そろそろ200歳
天保四年1833石燈籠 大正三年1914石階
大正八年1919石燈籠
本殿
幣殿
本殿 旗杭 木立の向う上側に龍神八幡宮
龍神八幡宮

龍神八幡宮

[りゅうじんはちまんぐう]

栃木県塩谷郡高根沢町中阿久津1

祭神:
鬼怒川左岸の丘陵の崖上に鎮座。かなり分かりにくい。道も狭いので徒歩で歩き回っていると水田のはずれに小さな建造物が見える。近づくと社があった。
天井に涼人利之さんが龍を描いている。
すぐ南の崖下に阿久津1808の星宮神社の屋根が見下ろせたが降りられないので大きく迂回して下の田んぼ道に入る。
例祭:日
本殿
龍神八幡宮本宮
涼人利之画
奉納幟多数 石燈籠一対
鬼怒川方面を見下ろす
写真中央に見える ポチっと見える 見過しそうだ
天満宮

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県塩谷郡高根沢町中阿久津350[字下ノ台]

祭神:菅原道真公
推定創建正徳三年1713六月。元治元年1864奉納の旗が保存されている。昭和六年1931社殿造営。
4号線東の丘陵の麓に鎮座。東北本線を挟んだ東に石末の八幡宮。南隣りは阿久津中学校の運動場。西には鬼怒川まで広大な田園地帯が広がっている。昔は華蔵寺の境内であった。中阿久津東組が奉祭する。
「天満宮由来」「天祭について」の立看板には詳細な解説が書かれている。看板背面にも「中阿久津に祀られている十二社の案内」,天祭にまつわる「十二天」の解説が見える。
十二社のうち与作稲荷と弁財天は境内右手の上り坂途中に鎮座。疱瘡除神大杉様(2行で書かれているがこれで1社)は拝殿左手の旧拝殿内に。
大正五年1916狛犬。平成12年公民館建築記念碑。公民館は伝統文化伝承館を兼ねており,ここの舞台で菅原伝授手習鑑などの歌舞伎が演じられる。
嘉永六癸丑年1853庚申供養塔,安政四丁巳年1857十九夜,明治四十三年1910弘法大師,明治三十四年1901念仏供養塔,昭和六年1931聖徳太子,昭和三年1928馬頭尊,大正十一年1922十九夜。奥に男體山,湯殿山。
『神社明細帳』(昭和十七年1942刊)には中阿久津字清水川に八坂神社が記録されている。
例祭:3月第1土曜日 天祭:8月第1日曜日
繭?
千木あり 本殿覆屋 本殿
天神額 左横に旧拝殿 旧拝殿
昭和六年1931石碑
八幡宮由来 天祭について 中阿久津12社
十二天 天祭たな及ひその行事 昭和33年公民館建築記念碑
  大正十年1921狛犬
昭和七年1932
公民館・伝統文化伝承館 平成12年公民館・伝承館竣功記念碑
境内社と石塔群
境内社石段 左:弁財天 右:稲荷
中央:安政四年1857 すぐ北に六地蔵
八幡宮

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県塩谷郡高根沢町石末2873[西台]

祭神:譽田別命 境内社:稲荷神社・雷電神社・太神宮 合祀:浅間神社・八幡宮
貞和(北朝)四年1348阿久津城築城に際し三の丸南方の守護神として創建,鳥居右手に「阿久津城跡」入口標識が立っている。北方守護は浅間神社。
往古に「石居」と書いたが村が衰退し土台石だけが残って「礎」と呼ばれ,その後復興して末長くの願いを込めて「石末」と書くようになった。
寛文年間1661~73以降の開発で「笹原新田」と「向原新田」が成立し,それぞれ下記の『鹿沼聞書』記載の社を奉斎していたが,大正十年1921に現在の社に合併した。
明治百年紀年石鳥居をくぐって石段を上がると鳥居の礎石が残っている。二の鳥居があったが震災で倒壊。
昭和五年1930狛犬。
例祭:10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 八幡宮 石末
塩谷郡 八幡大神 笹原新田 大聖寺
*『下野神社沿革誌』巻7-22丁(明治三十五年1902)
鹽谷郡阿久津村大字石末鎭座 村社 八幡宮 祭神 譽田別命 建物本社間口四尺奥行五尺 拜殿間口二間奥行九尺 末社三社 氏子四十戸總代二員 社掌阿久津伊勢松同村大字同五六番地住
本社創立不詳にして社域一千五百十一坪字西臺の瀟洒の地に在り 大祭は毎年陰暦八月十五日を以て執行す
昭和五年1930狛犬
古そうな石燈籠 年号が読めない
本殿
昔の本殿は大きかった
裏手に東北線鉄路
鳥居跡
鳥居跡 阿久津城跡入口
礎神社

礎神社

[いしづえ神社]

栃木県塩谷郡高根沢町石末1985[字権現堂]

旧地名:塩谷郡・高根沢町大字石末
主祭神:月読命・倉稲魂命・大山祇命 配神:経津主命・譽田別命・白鳥命 境内社:稲荷神社・八坂神社・富士神社(配神は『栃木県神社誌』昭和39年版による。実際は下記の祭神が加わるだろう。白鳥命は日本武命)
大正六年1917十一月「礎神社記念碑」に合祀社が詳記されている。この碑文は宇都宮市の作新学院の前身である下野中学校の校長船田兵吾撰文,書は同校教諭龜山金治郎による。
元禄十年1697四月十五日に出羽三山を勧請し字権現堂の湯殿権現に祀ったことに始まる。碑文末に「幽邃其苑 崇高其祠 諸神同殿 恩頼無涯」とあるとおり石末南部の多数の社を湯殿神社に合祀している。
明治三十九年1906勅令により字和田星宮神社(磐裂命・根裂命),境内社の稲荷神社,琴平神社,三嶋神社,字上和田内野神社(大日孁貴命),字海道上八幡宮(譽田別命),境内社稲荷神社,琴平神社,字上野原白鳥神社(日本武命),字上東原龍神社(稲田姫命),字屋敷西八坂神社(素盞嗚命),字踏切富士神社(木花咲耶姫命),字雨沼龍神社(稲田姫命)
大正二年1913湯殿神社を奉遷修築する際に礎神社と改称,境内を整え付属舎も新築し翌大正三年1914に盛大に式典を行う。
大正四年1915九月には,さらに元禄以降石末の新田集落がそれぞれ奉祭してきた字赤堀の白鳥神社,字柳林の星宮神社,字籠関の八幡宮,字原坪の湯殿神社を合祀。
昭和十二年1937狛犬。狛犬脇に大正四年1915石燈籠。
例祭:10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 白鳥大明神 赤堀新田 正願寺
塩谷郡 星宮大明神 柳村>柳林の誤記 村正>村民の誤記
塩谷郡 八幡宮 籠関新田 大聖寺
塩谷郡 内野権現 原 神宮寺 >字上和田内野権現,または原村字内野の湯殿権現
拝殿額
本殿 神庫
少しだけ本殿が見える
本殿左手の石宮
本殿裏手 本殿右手の石宮
震災で倒壊
礎神社記念碑
熊野神社

熊野神社/笠野稲荷神社

[くまの神社]

栃木県塩谷郡高根沢町石末2048

祭神:伊弉諾命・伊弉冊命/倉稲魂命
「遷座熊野神社」と刻まれた御即位記念石標は大正四年1915十一月建立。
石鳥居は平成十一年1999奉納。奉納者四家で奉祭している。
本殿裏手に享保五年1720廿六夜供養塔など石塔4基。
左手の石宮は笠野稲荷神社。熊野神社とともに百年前には少し高い所に別々に鎮座していたが,町を造成した際に遷宮することになり,熊野神社の境内を借り受けたという。稲荷神社は笠間稲荷から御分霊を勧請して創建され,天神坂の住民が奉祭している。大正十年1921「笠間▢霊笠野稲荷神社」社号標裏に「大正十四年1925階段新設紀年」と追加で彫られている。
道路向かいの上方の木立の中にも小ぶりの木製祠が祀られている。住民の方のお話しによれば,大昔は天神坂の神輿が,こちらの神社に巡行したが,今は社号も分からないとのこと。数軒でお守りしているらしい。向かって右手の石段を上って左の薮に入り,篠竹をかきわけて手探りで進むと社殿の後ろに出る。石燈籠が一対。覆屋内には千木を供えた木羽葺きの本殿が祀られている。大正三年1914に上屋を修繕している。右手の壁に奉納の文字だけ残っている紙が貼られているが,残念ながら下が千切れていて社号が分からない。ご存じの方ぜひご教示ください。
町中の神社で交通量が多く,路駐はできないので,すぐ北の役場に駐車させてもらう。
ここから北北東の田にも稲荷神社が鎮座する。たぶん個人の神社。
遷座と彫られている
大正四年1915 本殿
熊野神社鳥居奉納 本殿裏手
笠野稲荷神社 大正十年1921社号標 鳥居向こうの森に一社
不明社 本殿
奉納の文字 年号無しの石燈籠
ここを入る 本殿裏に出る
稲荷神社 鳥居が見える
稲荷神社

与作稲荷神社

[よさくいなり神社]

栃木県塩谷郡高根沢町上阿久津760-2[字中妻]

祭神:倉稲魂命
宝積寺545の稲荷神社の北,4号線沿い左手に石鳥居が見える。
大正六年1917石鳥居。昭和三年1928狛犬,土台は平成27年に修復されている。
本殿左手に平成8年1996石宮。脇に明治十三年1880庚申神など4基。右手に石宮2基。
隣りに中妻公民館。町史には「中妻にある与作稲荷」とあるのでそれにならった。なおもう少し北に行くとさくら市の上阿久津にも与作稲荷神社が鎮座する。与作は作物を与えるところから。両社に万蔵に関わる同一の伝承が伝わっている。
本殿屋根
本殿真下
平成27年土台
本殿右手
本殿右手
本殿左手 西から
八幡宮

向原八幡宮

[むかいはらはちまんぐう]

栃木県塩谷郡高根沢町石末3103-3

祭神:譽田別命
烏山線北部の一大田園地帯に鎮座。鳥居の前が水田なので正面からは撮影できない。朱塗の木製祠が祀られ,平成3年1991奉納の八幡宮額が掛けられている。
明治十年1877に上記八幡宮のご分霊を勧請して祀ったが大正十年1921に笹原とともに石末の八幡宮に合祀した。合祀されたとはいえ年月が経つと再び土地の人に奉祭されることがある。とくにお上の都合で合祀された場合は再度祀られることが多い。
向原八幡宮額
本殿 右手に石祠
広大な水田
鳥居前は水田 鳥居が見える

 

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