鹿島

鹿島神社

[かしま神社]

栃木県栃木市川原田町1228

祭神:武甕槌命 配神:天照皇大神・菅原道真公・経津主命・(高龗神・大山祇命)
旧地名:下都賀郡吹上村大字河原田
『栃木県神社誌』平成18年版の由緒沿革の記述に「高神社」と植字されているのが実は「高龗神社」であることが当社に参拝して判明した。
神楽殿脇の昭和四十四年1969十一月二日建立の「神楽殿新築記念碑」に「社記に曰く本社は往古より川原田町の惣鎭守神と勧請せしか創立年月詳かならす…」と『下野神社沿革誌』と同文が続く。しかしこちらには「其の后神社合祀により現在地に大正二年1913五月二十八日日光神社三島神社神明宮高龗神社を合祀の上高龗神社跡地に接続地の荒無地を編入六百五十七坪を境内地として同年十一月十日合祀移転終了す…・宮司菱沼千尋撰文」と『沿革誌』以降の貴重な情報が刻まれている。龗字は口みっつの代りに罒で代用している。(碑文は高解像度画像で読めるようにしておきます)
これを受けて平成元年建立の野中輝三撰文謹書の「拝殿建設記念碑」には合祀社に権現神社を加え鹿島と合せて六社を合祀と記されている。この六社はかつて三日月神社西隣りの栃木市運動公園中央部(現在地から900m南西)に当たるところに鎭座したが,明治三十五年1902の台風で倒壊してしまい鹿島神社を中心にして現在地に遷宮したとの説が『栃木県神社誌』に載っているが,碑文によれば高龗神社はほぼ現在地にあった。現在の境内地は712坪。
高龗神社については本ページ一番上の「おかみ考」をご覧いただきたい。当社の北西1キロの木野地と木に高龗神社が鎭座する。
昭和十六年1941狛犬。平成二十二年改修の石燈籠。昭和三十五年1960社号標。
別当は『下野神社沿革誌』と石碑に石陞院とあり,『鹿沼聞書・下野神名帳』は恵性院で異なるが河原田の鹿島は他に記録されていないので以下にあげておきます。なお,『下野神社沿革誌』も石碑も阝の右はつぶれていて陞[しょう]は推定です。
例祭:10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 鹿島大明神 河原田 恵性院
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻四-12丁
下都賀郡吹上村大字河原田鎭座 村社 鹿島神社 祭神 武甕槌命 祭日陰暦三月十九日九月十九日
建物本社間口二間奥行二間栃葺 雨覆間口三間奥行三間杉皮葺 拜殿間口三間半奥行二間瓦葺 神樂殿間口二間奥行三間杉皮葺 石鳥居一基 石燈籠一基 氏子百六十戸惣代四員 社掌芹澤彦八仝村仝大字一一二番地住
社傳に曰く本社は往古より惣鎭守神と勸請せしか創立年月詳かならす 地頭澁谷氏より五反餘歩の祭田除地を寄附あり 別當石陞院にて維新前は奉仕せり 除地は維新と共に上知せらる 神官は木村氏兼務となりしか明治十二年1879二月より芹澤氏奉祀せり 社域千百二十坪にして鳥居前に一小の神池ありて此の下流箱の森沼和田牛久川連土輿の部落此神池より流出する水を以て灌漑の用に供す 故に五ヶの部落及ひ此水を用て水車業を營むものは皆祭典の日には神饌料を供して報賽する例あり 境内には老杉古樹蓊欝として矗立し神寂ひて雅致あり
本殿 千木つき
神楽殿両側に石碑 神楽殿新築記念碑クリック拡大 高龗神社の文字
拝殿建設記念碑 高龗神社の文字
紀元二千六百一年奉納
古い方の手水石 入口
鎭座の森 境内東側
三日月神社

三日月神社

[みかづき神社]

栃木県栃木市川原田町535

主祭神:月読命
旧地名:下都賀郡吹上村大字河原田字月森下
鳥居額は「朏[みかづき]尊」と表記されている。拝殿額も謎々のような書体だが「朏尊」,拝殿内中央も「朏尊」。
平成四年1992社号標,平成九年1997華表奉献記念碑。
社務所手前に詳細な由緒がぴかぴかの御影石に刻まれている。背が高い上に反射で読みにくいが,とてもおもしろいので全部読んでしまった。下記の『下野神社沿革誌』と同じ内容。
大正十二年1923神楽殿造營記念碑。
明治三十四年1901石燈籠。昭和十二年1937「三日月神社大願成就」と刻まれた石燈籠。
旧手水石と安政五戊午年1858石燈籠。
例大祭:1月3日 例祭:旧3月3日
*『下野掌覧』万延元年1860 都賀郡之部
三日月大明神 河原田村鎮座 社主芹沢氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 4巻14丁
下都賀郡吹上村大字河原田字月森下鎭座 無格社 三日月神社 祭神 月讀命 祭日大祭陰暦正月三日小祭仝毎月三日
建物本社間口三尺奥行四尺小羽葺寛政七年1795再建 雨覆間口一丈奥行一丈 拜殿間口三間奥行二間瓦葺明治二十八年1895再建 神樂殿間口二間奥行三間半 石鳥居一基 手洗石一個 寶物古鏡一面 太刀一振 信徒十一戸惣代三員 社掌芹澤彦八仝村大字仝一二一番地住
社傳に曰く當社は芹澤伊賀守の勸請にして氏神と崇敬せし社なり 本社々記等も往古は保存ありしも惜しむらくは元治元年1864祝融の災に罹り烏有に属す 今は只口碑に残れる儘を記して曰く 芹澤家に往昔或る十二月晦日の夜盗賊押入し金錢物品を掠奪し持去んとす 然に祖先傳來の寶刀(三日月丸長さ三尺)を抜き放ち其盗賊を切伏たり 而るに地頭澁谷の館に不思議なる哉晦日の夜なるに三日月の出現を見る故に地頭館舎に何か災害の兆ならんやと心痛せしに幾程もなく領分河原田村芹澤より盗賊押入の始末を上申ありしを領主も三日月神の霊験著しきを感賞し其年より年々三日月神社の御供米として米五斗つゝ奉納ありて領主代々崇敬あり 随て衆庶の信仰厚く日々賽するもの實に猪の如し 社域三百四十三坪田甫の中に一群の亭々たる森林を見る 此の中央に本社拜殿神樂殿あり 皆壯麗美觀にして高潔老杉森々として社頭を擁し幽静にして愛すへし
朏尊 拝殿
朏尊 拝殿内
本殿 朏尊
明治三十四年1901石燈籠 昭和五十九年1984手水石 昭和十二年1937石燈籠
奉納三日月神社大願成就
安政五戊午年1858 神楽殿
神楽殿造營記念碑
社務所 華表奉献記念碑
鎮座の杜
天満宮

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県栃木市川原田町1398

祭神:菅原道真命
旧地名:下都賀郡吹上村大字河原田
詳しいことは分からない。赤羽根家の氏神を地域で奉祭するようになった。氏子143戸。549坪。
二股の太い御神木がみごと。
入口に元治元甲子年1864青面金剛。
すぐ東の37号栃木粟野線と177号上久我栃木線の分岐に安政七庚申年1860の庚申塔と土台に「左尾鑿山道」と刻まれた石燈籠。
例祭:2月11日 4月25日
覆屋内
古木
元治元甲子年1864青面金剛 青面金剛
鎭座の杜 付近の庚申塔 左尾鑿山道
大杉

大杉神社

[おおすぎ神社]

栃木県栃木市川原田町1237

祭神:?
詳しいことは分からない。栃木県では大杉神社は付近の大きな社の神輿庫になっていて,素盞嗚命,大山祇命,大杉大神などを祭神とする。地理的には鹿島神社が親か?
右手に明治三十一年1898十九夜。明和元年1764,文化六年1809,文政十三年1830,嘉永二年1849,十九夜など石像多数。境内は墓地になっていて,墓に挟まれて薬師堂も。
向かいに大正十辛酉年1921石宮一基。
付近に國界神社,左端の石宮は明治廿九年1896稲荷神社,中央は赤羽家の祖霊神。明治廿九年1896馬力神。
大杉神社の神輿
薬師堂 右端に石祠
大正十辛酉年1921 十九夜
付近の國界神社
付近の石宮 付近のお宅に
浅間

冨士浅間神社

[ふじせんげん神社]

栃木県栃木市川原田町1246

祭神:木花開耶姫命
鹿島神社の南西,37号線手前の冨士塚に鎭座。石祠三基のうち中央に昭和五十五年1980前野自治会奉納の石宮。鳥居脇に明治三十四年1901「石宮?石塚寄付連名」碑。境内に前野公民館。朱色鳥居の木製社は稲荷神社。
冨士塚石段 石宮三基 裏から
石坂寄付連名 石塚の上は石宮?
稲荷神社鳥居 稲荷神社
かつては森があった
前野公民館 冨士塚
八坂

八坂神社

[やさか神社]

栃木県栃木市仲方町281 なかがた

祭神:素盞嗚命(素盞之男命) 配神:木花開耶姫命・大山津見命・石尊大神 境内社:愛宕神社
創立年は『下野神社沿革誌』と異なり『栃木県神社誌』平成18年版には「安永八年1779」と記録された。
鳥居左手に平成十一年迂回道路竣工記念碑,その後ろに大正十四年1925鳥居建築記念碑,右手に昭和三十二年1957参道改築記念碑。大正七年1918旗杭。
拝殿額はなく,内部は真っ暗で見えず。左手の神輿庫に「八坂神社」額。格子が狭くうまく写らなかった。
拝殿右手に昭和三十五年1960拝殿新築記念碑。
例祭:7月15日 4月15日に神代神楽奉納
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 大明神 中方 村民
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻四-13丁
下都賀郡吹上村大字仲方鎭座 村社 八坂神社 祭神 素盞嗚命
建物本社間口九尺奥行一丈 末社一社 氏子二十一戸
本社は安永五年1776の創立にして尾張の津島牛頭天王を勧請し鎭守神と崇む 明治五年1872村社に列して舊号を改め八坂神社と稱す 社域百八十三坪 字内山に在り
車道開通記念碑 鳥居建築記念 参道改築記念
拝殿
拝殿左手 八坂神社神輿庫
ぶれ神輿 拝殿右手
拝殿新築記念
昭和二十年1945狛犬
旗杭
八幡宮

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県栃木市千塚町743-2

祭神:譽田別命 境内社:鹿島・熊野・五社・黒岩・日高
『下野神社沿革誌』に「本社の由緒明瞭」とあるのは延宝元年1673創立と刻まれた石碑による。文政九年1826本殿造営。明治四十年1907鹿島・熊野・五社・黒岩・田高神社を合祀。昭和三年1928拝殿を改築。日参旗神事が行われている。
昭和三年1928御大典記念碑に「霊元天皇の御宇延寶の年に創めて此處に静宮の常宮と鎭り座して…」と刻まれている。延宝年間1673~81の創建。境内を整備し拝殿を改築したことも記されている。
昭和五十四年1979社号標。大正十x年石鳥居。 享保十三年1728石燈籠。昭和四十一年1966狛犬 例祭:10月19日に誓い日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 八幡宮 千手(>千塚の誤記) 平等寺
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻四-12丁
下都賀郡吹上村大字千塚鎭座 村社 八幡宮 祭神 譽田別命 祭日陰暦三月十五日八月十五日
建物本社間口四尺五寸三分奥行四尺一寸八分栃葺 上屋間口三間奥行二間瓦葺 拜殿間口三間奥行二間瓦葺 神輿庫間口一間奥行一間半 石華表一基 氏子百戸惣代琴寄兵治仝孝一郎高久邦三郎 社掌関口佐吉仝所仝上
本社の由緒明瞭なるも惜らくは文化三年1806十一月十六日民家火災の際烈風の爲めに本社及別當平等院まて延焼に依り悉く由緒寳物記録等烏有に歸す 故に明記するものなし 社域千六百七十一坪高さ四十尺の山腹にありて西北の二面は山林にして東南開豁田甫に向へ石階二段にして八十二級を躋りて社殿に達す 境内には石の燈籠列立し社宇結構宏壯を極む 古杉老檜聳立し翠色優雅にして愛すへし

八幡宮案内
八幡宮額
拝殿
本殿が見える 本殿 右側面
裏面 左側面
額が見える 堂々たる額文字
昭和三年1928御大典記念碑 「延寶の年」の文字 本殿左手
享保十三1728 五社様
五社様千木つき 社殿ふたつ
昭和四十一年1966狛犬 神庫
天王様
すなわち神輿庫 暗いが神輿 鳥居を見下ろす
立派な社務所

永野川対岸の千塚町86-1の大杉神社神輿庫
神輿が見える
雷電

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県栃木市千塚町340

祭神:推定大雷神
上記八幡宮の北北東480m,永野川右岸の千塚町民公園前に鎮座。永野川まで280mほど。詳しいことは分からない。周囲に家一軒なし。工業団地が形成されつつある印象。広大な水田があったと推測する。
雨+田で雷。ライさまが鳴ると雨が降って田が潤う。窒素も増えて作物に良し。田んぼの稲の伴侶なので稲妻。稲作地帯に雷電宮となる。
右手に寛政十二年1800,安政七年1860などの庚申塔と青面金剛。
雷電神社額 となりに石塔
本殿 本殿屋根 御神木
庚申塔
前は千塚町民公園
住吉

住吉神社

[すみよし神社]

栃木県栃木市吹上町433

祭神:表筒男命・中筒男命・底筒男命 配神:素盞嗚(之男)命・罔象女命(美都波能売)・少彦名命 境内社:星宮神社(磐裂神・根裂神)
大同二年807摂津住吉神社より御分霊を伊吹山に勧請して創建。寛政四年1792焼失,代官高梨丹次の寄進で再築。現行の社殿は寛政五年1793修築のもの。弘化二年1845地頭有馬兵庫が本殿裏に城を構築,城守の社として崇敬した。
例祭:10月19日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 住吉大明神 吹上 新川掃部
*『下野掌覧』万延元年1860 都賀郡之部
正一位 住吉大明神 吹上村鎮座 祭主荒川氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻四-13丁
下都賀郡吹上村大字吹上鎭座 村社 住吉神社 祭神 表筒男神 中筒男神 底筒男神
建物本社間口五尺五寸奥行四尺八寸 拜殿間口二間半奥行二間 末社三社 氏子二百四戸 社掌荒川左藤仝村仝大字住
本社創立年月不詳 字元陳屋に鎭して卅一階の石磴を躋りて神門あり 社域八百四十四坪を有し淸洒の地にあり
星宮

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県栃木市宮町802

祭神:経津主命 配神:磐裂神・根裂神・道祖神 境内社:稲荷神社・八坂神社
『下野神社沿革誌』記載の祭神と異なるが,境内地坪数は同じなので当社にあたるだろう。
例祭:10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 星宮大明神 美谷 金田氏
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻四-12丁
下都賀郡吹上村大字宮鎭座 村社 星宮神社 祭神 天津彦火々瓊々杵命 祭日陰暦五月一日九月十三日
建物本社二間奥行二間トタン葺 拜殿間口三間奥行二間瓦葺 鳥居一基 社有財産田八歩金五十余圓 氏子六十五戸總代四員 社掌關口佐吉住所仝上
本社創立は元文五年1740九月にして寳物には古風の獅子頭三個あり社域五百三十八坪の中央に本社拜殿嚴然として結構宏壯を極め最も本社は明治三十九年1906九月十六日改造の工を起し十月八日に竣工せしは氏子惣代増茂周藏金子東五郎小林依松坂巻喜代藏外六十余名の盡力より成れるもの實に成功の速かなること驚くの外なからん 境内には老杉古檜矗立し翠色滴る如く衣を染めんとするの韻致あり
[参考]
*『下野掌覧』万延元年1860 都賀郡之部
八幡宮 宮村鎮座 祭主金田氏ナリ
藤宮

藤宮神社

[ふじのみや神社]

栃木県栃木市細堀町234

栃木市・小野口町宮前
祭神:経津主命 配神:武甕槌命・天児屋根命 境内社:八坂神社
『下野神社沿革誌』では天津兒屋根命をあげて社号の由来を説いている。享保六年1721御幣箱に「藤宮大明神」の文字があるので,それを遡るはるか昔に春日大明神と称した。嘉永六年1853石鳥居。
例祭:4月4日前後の日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 藤宮大明神 細堀 稲葉隼人
*『下野掌覧』万延元年1860 都賀郡之部
正一位 藤宮大明神 細堀鎮座 祭主稲葉氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻四-12丁
下都賀郡吹上村大字細堀字森北鎭座 村社 藤宮神社 祭神 天津兒屋根命 經津主命 武甕槌命 比賣神
建物本社間口二間奥行二間 拜殿間口四間半奥行二間 石華表一基 神樂殿間口二間奥行三間 末社一社 氏子五十二戸 社掌因幡喜重郎仝村仝大字住
本社創立遼遠にして詳ならす 往古は春日大明神と稱す 境内に最も古ひたる藤ありて花時には境内ために紫の香雲棚引か如く殊に祭神天兒屋根命にして藤原の祖神なる故に因みて藤宮と改稱せしにやあらんか 社域五百二十八坪平坦の地にして神池あり 又老杉古樹生え茂り蔚々蒼々として社殿を繚繞し瀟洒にして嚴粛神寂ひて古雅に富むるの境なり
鹿島

鹿島神社

[かしま神社]

栃木県栃木市大森町398-1

祭神:素盞嗚命
礎石に享保十二年1727建立の文字が刻まれている。大正十年1921鳥居修理の際,笠木受に宝暦三年1753の彫刻が見つかった。鹿島池。
例祭:10月19日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 鹿島大明神 大森 村民
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻四-13丁
下都賀郡吹上村大字大森鎭座 村社 鹿島神社 祭神 武甕槌命
建物本社間口三間奥行二間 末社四社 氏子三十二戸
本社創立不詳 社域八百五十一坪を有し 字中に在り
長宮

長宮神社

[ながみや神社]

栃木県栃木市野中町1103

祭神:伊佐奈岐命・伊佐奈美命の表記で伝わっている 配神:別雷神・迦具土神・思兼(金神・大雷命
弘化三年1846の「長宮大明神」額。野中には幕末の剣豪・能書家山岡鉄舟が晩年を過したので鉄舟の書が多数残る。
例祭:4月15日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻四-13丁
下都賀郡吹上村大字野中鎭座 村社 長宮神社 祭神 伊弉冊命
建物本社間口二間奥行三間 末社二社 氏子百五戸
本社創建不詳 社域一千十一坪を有し 字米山の高燥の地に在り

 

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