大宮神社

[おおみや神社]

栃木県栃木市西方町真名子3110

旧地名:上都賀郡・西方村大字真名子
祭神:大国主命 配神:事代主命・田心姫命・菊理姫命
境内社:大倉山神社・五霊神社
大同二年807創建の古社。天保十三年1842造営の拝殿天井には若林文章筆の小倉百人一首と極彩色の花鳥草木図が描かれていたが,明治三十八年1905焼失してしまった。明治四十二年1909愛宕山上の愛宕神社境内地に再建。このとき近郷の小社を合祀した。平成10年1998には真名子184にあった菊理姫命を奉斎する白山神社を合祀,幣殿に祀った。拝殿内の大宮神社額の後ろに合祀した社の社号板が並んでいる。暗い上に格子が小さく,フラッシュも効かないので5秒露光で無理やり撮影したところ,なんと「高尾神社」が合祀されていることが分かった。ほかに「大倉神社」「大山神社」「十二社神社」が確認でき,白山神社は新しいので左端にはっきり見える。額に隠れていると推測できるので17社は合祀していそうだ。
明治四十三年1910社号標。明治三十五年1902旗杭。嘉永三庚戌年1850九月の一の鳥居。石段上り口に寛政七乙卯年1795と文化四年1807の石燈籠。右手に御影石の由緒書。
石段右側に根の露出した杉の古木がつぎつぎに現れて二の鳥居に。最後の石段を上ると大きな社殿が見えてくる。
嘉永と二月が読める石燈籠,石屋根の重厚な手水舎,明治四十三年1910手水石に根古屋。
明治四十二年1909狛犬,平成4年1992水鉢。
本殿右手奧に「五霊神社」,左手奥に「大倉山神社」。
安永三甲午1774「大倉山嶺祀神石/風雨隨天令長▢/村中」,▢は艸か。
例祭:11月第一日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 星宮大明神 真名子 若松但馬
*『下野神社沿革誌』巻三-41丁 明治三十五年1902
上都賀郡眞名子村大字眞名子鎭座 村社 大宮神社 祭神 大國主命・事代主命・田心姫命 祭日三月十九日十一月十九日
建物本社間口六尺奥行六尺栃葺 幣殿間口九尺奥行二間半杉皮葺 雨覆間口三間奥行三間麻から葺 拜殿間口三間半奥行二間半麻から葺 末社六社 石鳥居一基 石燈籠一基 氏子三百十七戸總代三員 社掌若松靜麿同村七十九番地住
本社創建は大同二年807にして後眞名子城主岡本若狭守秀勝崇敬の社なり 寶永八年1711正月二十三日を以て神位宗源宣旨正一位を進めらる 殊に領主本多大隅守より祭祀料及ひ掃除料として畑三反七畝餘歩を寄附せられしも維新の際上地とはなりぬ 神職は眞名子城陥落以降若松家の奉祀にして今尚職にあり 本社は粟野街道より入ること四丁弱西に入り社域九百十五坪甫中に在りて老杉古檜蓊蔚に繁茂し晝尚暗く神々として幽邃絶景なり 社殿も又宏壯にして天保十三年1842の再築に掛り拜殿の裏板は郷天井にして平田篤胤門人若林文章の揮毫する小倉百人一首及ひ草木花鳥等を描き丹青絢爛たり
寛政七乙卯年1795 左端は文化四年1807 由緒書
   
  二の鳥居
 
拝殿 拝殿額
見事な彫刻
拝殿内 年代不明の石燈籠
年代不明の石燈籠 神楽殿と手水舎
石製
明治四十二年1909狛犬
五霊神社
大倉山神社 大倉山嶺祀神石
大正十一年1922出征記念碑
眼下に真名子小学校
二の鳥居
巨木の跡 山上に鎮座
大山祇神

大山祇神社

[おおやまつみ神社]

栃木県栃木市西方町真名子2498-1

旧地名:上都賀郡・西方村大字真名子
祭神:大山祇神
鹿沼の粟野柏木に到るかなりの山奥,永野川に合流する逆川上流の真上地区に鎮座。この付近には徒歩圏内にあと3社鎮座する。いずれも手に入る資料には記録されていない。
平成2年1990に新築した際の寄付御芳名板書。もう一枚の古い方の寄付芳名板書と二枚の額は読めない。
昭和四十六年1971の集中豪雨で逆川が決壊,昭和48年1973に完了した砂防工事を記念する石碑がとなりに立っている。
午後の2時半に社殿うしろに元気なイノシシの子どもが三匹,作物を食い荒すので獸除けの電線が社殿周りにも張られている。
例祭:月日
本殿
本殿 寄付芳名
寄付芳名 額二枚
川べりに鎮座
昭和四十八年1973記念碑 記念碑裏 社殿後ろにイノシシ
石尊神社

石尊神社

[せきそん神社]

栃木県栃木市西方町真名子2472

旧地名:上都賀郡・西方村大字真名子
祭神:大山祇命
上記大山祇神社から徒歩で5分ほど下って戻った逆川左岸の山裾に鎮座。国土地理院地図に神社マーク。
江戸時代までは「石尊大權現」と称した。祭神には日本武命も加わるかもしれないが不明。栃木県の場合は闇龗神,高龗神を祀る可能性も残る。
安政四丁巳年1857七月吉日「犬鶴山/男體山・永代常夜燈」
もうひとつの石燈籠は年代読めず,天,石川,大塚,岩▢,広橋などの文字。
寛政十弐申祀1800三月吉日「庚申塔」,寛政十二年庚申1800四月「白雲山」
安政七年1860二月「猨田比子大神」,『日本書紀』記載の「猨」の文字。
文久四年1864正月吉日「甲子大神」
最上部に安政三丙辰年1856四月吉日「男體山」
道路を隔てて真名子のケヤキと稲荷神社。
例祭:月日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 愛宕大權現 金崎 千手院
年代不明
安政四年1857石燈籠 犬鶴山・男體山
御武運長久天下泰平 寛政十二年1800
安政七年1860猨田彦大神 文久四年1864甲子大神
安政三年1856男體山  
真名子のケヤキ お隣りのお宅に
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県栃木市西方町真名子2472

旧地名:上都賀郡・西方村大字真名子
祭神:倉稲魂命
上記石尊神社の道路向かいの山腹に鎮座。国土地理院地図に神社マーク。
神札に「奉献・鳥居/再建・稲荷大明神・天下泰平国家安全・五穀…・大工真名子なんとか川石川なんとか」,年代は読めない。
本殿右裏に「天長地久改築・昭和三十六年1961三月吉日氏子一同」棟札。
このあたりは栃の大木が繁茂していたので字名を「栃谷」という。昭和60年1985設置の「真上のけやき」の看板に中野組合稲荷神社なんとかと書かれているが読めない。
ケヤキは社殿の上部にあり,巨岩を抱き込んで聳えていて,町に住む者を十二分に驚かす威容を誇っている。
本殿 稲荷大明神
真名子のケヤキ
ケヤキ解説 岩を抱いて
石尊神社が見える
見落しそうだ 道路向かいに石尊神社 平成三年1991記念碑
三峯神社

三峯神社

[みつみね神社]

栃木県栃木市西方町真名子2475

旧地名:上都賀郡・西方村大字真名子
祭神:伊弉諾命・伊弉冊命
上記稲荷神社,石尊神社の手前,逆川右岸の崖に鎭座。
石燈籠が一基奉納されている。石屋根の堅牢な覆屋に石製本殿,背後には大岩が聳えている。
くわしいことは分からないが,稲荷神社の境内社か。
本殿
  石葺 巨岩
  赤矢印に神社

 

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