宮目神社

[みやのめ神社]

栃木県栃木市田村町宮辺313

祭神:大山祇命・雷神・大物主神
配神:雷神・竈神・保食神
境内社:竃神(祭神竈神)・稲荷神社(祭神稲荷大神)
下野国丁跡資料館の北隣りに鎮座。
「宮目神社」と「宮野辺神社」表記が混在している。
奉納額に「宮野邊二柱神社」
鈴の綱の引き手には「宮目神社」
旗杭脇の環境庁が立てた「下野国庁跡」看板には「宮野辺神社」と記載。
神社境内に未発掘の政庁正殿が建っていたと推定されると書かれている「前殿」前の解説版には「なお,前殿の北側(宮目神社境内)には正殿が建っていたと推定されます」と「宮目神社」と記載。
栃木市教育委員会の立てた看板には「宮野辺神社の祭儀習俗」
拝殿内に「栃木市田村町宮辺鎮座・宮目神社祈祷之神璽」が貼ってある。『栃木県神社誌』も宮目神社。したがって社号は「宮目神社」とした。
さて,『栃木県神社誌』昭和39年2月11日発行には配神と境内社に「竈神」と「かまど」の文字で植字されている。小生の調べた限りでは,竈神の名を祭神にしている社は栃木県には他に皆無である。『古事記』に「御年神…天知迦流美豆比賣を娶して生める子は、奧津日子神。次に奧津比賣命。亦の名は大戸比賣神。此は諸人の以ち拜く竃神ぞ」とあり,[カマノカミ]と読んでいる。
社号ではその奥津毘古命・奥津毘女命を祭神とする那須町大畑の「竈神社」と,那珂川町矢又の鷲子山上神社の境内社の計2社のみが分かっている。
また『文徳天皇実録』に大炊寮大八島竈神が記録され,宮目神社の北3kmにある大神神社に関わる室の八島とともに論じられるが,無関係か。
石祠は本殿左手に2社,右手に1社。さらに自然石が祀られている。いずれも文字はなく社名は特定できない。
昭和三年の石燈籠。
由緒沿革に創立寛政二庚戌1790とある。創建は室の八島の大神神社に合わせて崇神天皇47年としている。延暦年間に坂上田村麻呂が当社に戦勝祈願をしたことから「田村」の地名となった。
下野国庁跡が特定されたのは1979年(昭和54)以降である。『下野神社沿革誌』(明治三十五年1902)に記載されていない理由のひとつだろう。発掘以前の昭和39年2月11日発行『栃木県神社誌』宮目神社の項に「その後火災があり灰燼に帰することもあったが造格現今に至り,今なお土中より,古瓦,礎石等も出てくることがある」と記録されているのは,あるいは下野国庁正殿の礎石か。
2012年9月3日に参拝したが,蚊の大群に悩まされる。1300年前の人々を悩ませた蚊の末裔かと思うとなかなか叩くことも出来ず,7匹に平成の血を分けてあげることとなった。
環境庁看板
市教委看板
社殿右手 社殿右手
  右の柱に神璽 社殿左手
社殿左手 社殿左手に前殿 鳥居から見た入り口方向
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県栃木市田村町941

栃木市・田村町字上館941
祭神:軻遇突智神
境内社:稲荷神社
下野国庁跡の北1キロ,44号線沿いに鎮座。
古墳の上に丸山正観音を祀って信仰していた。徳川家光のころに神明造りの社殿を建立。神仏分離で明治二年に祭神を軻遇突智命として星宮神社を名乗ることとなった。明治三十五年1902の暴風で社殿が倒壊し現在の仮宮となった。
稀に見るイチョウの巨木が健在で,畳2畳分くらいの敷地に幹が10階建てのビルの高さまで伸びている感じの質量。土地の方は樹木を山に見立てて「ぎんなん山」と呼ぶ。
  近づくと巨大さが実感できる 田村公民館と読める

 

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