龍神社

[りゅう神社]

栃木市・大平町・西山田3251

主祭神:高龗神

旧地名:下都賀郡大平町大字西山田
主祭神:高龗神
大平町の歴史民族資料館と岩舟石の資料館の間,「ぶどうの里」の西はずれに鎮座。
弘仁810-24頃の創立。
『栃木県神社誌』新版では祭神の漢字を雨口なしで「高龍命」としている。旧版でも「高竜命」である。 ルビは[たかおのみこと]なので*沿革誌に記録されている「高龗神」である。
社名について鮮やかな朱色の鳥居の額と拝殿内の昭和60年改修寄付金芳名額は「八龍神社」,栃木県神社庁からの昭和51年感謝状には「龍神社氏子一同殿」と異なっている。
本殿の左右に配神。左手には「龍神社神璽」が読める。右手は「天照皇大神」,境内左手に「富士嶽神社」
拝殿内板絵は大正元年,右は不明だが,どちらも高龗神に祈願している様子。
「三十三夜大願成就 明治二十六年九月吉日」
境内右手に古そうな石塔が5基並んでいる。「奉庚申供養 宝永五戊子天」1708が読める。
以前は両部鳥居だったという。
本殿:流造木羽葺
例祭:11月第3日曜
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 八竜神 白石 村民
*『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)4巻61丁
下都賀郡富山村大字西山田字宮脇鎭座 村社 龍神社
祭神 高龗神 建物本社間口三尺一寸奥行五尺一寸 拝殿間口六間奥行三間四尺 末社五社 氏子三十八戸・総代員 社掌
本社創立不詳 社域五百二十五坪字白岩に在り
龍神社 天照皇大神
富士嶽神社
八龍神社

八龍神社

[はちりゅう神社]

栃木市・大平町・北武井227

主祭神:高龗神

旧地名:下都賀郡大平町大字北武井字番場
主祭神:高龗神[たかおかみのかみ] 配神:迦具土神,素戔嗚命
享保十二2月28日1727創立。
境内社に素戔嗚命の八坂神社。
巴波川uzuma-gawaと小山西高校の間。
春日造りの古そうな鳥居だが,残念ながら文字は見えない。
「大正九年二月」の社号標に「八龍神社」,『栃木県神社誌』昭和55年198039年版,平成18年版とも社号は「龍神社」,200年以上前の『鹿沼聞書』は「八竜神」だったので社号標が「八龍神社」と刻まれても不思議はない。
拝殿左手に3社。離れてもう1社。
左が「明治四十二年八月二十四日」の石祠。
中央が「大正六年旧八月廿四日 諏訪町建立」石祠,右となりに合掌不動明王石像を収めた祠。
拝殿内に「大々御神楽」の額。
拝殿右手が八坂神社か,不明。
(『栃木県神社誌』旧版では「地武井」になっているが「北武井」の誤植)
本殿:破風造瓦葺 幣殿:破風造瓦葺 拝殿:破風造瓦葺
例祭:10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡,正一位 八竜神 武井 東光寺
*『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)4巻66丁
下都賀郡瑞穗村大字北武井鎭座 村社 龍神社
祭神 高龗神 建物本社間口六尺奥行九尺 拝殿間口二間半奥行四間 末社三社 氏子八十二戸・総代員 社掌
本社創建不詳 社域四百十六坪にして字番塲に在り

諏訪神社

諏訪神社

[すわ神社]

栃木市・大平町・真弓1531-1

龍神社祭神:高龗神

旧地名:下都賀郡大平町大字真弓1531
祭神:健御名方命
大平中学校のすぐ東,永野川沿いの小高い丘に鎮座。
さすがに郷社,とても広大な神社である。
拝殿右手に「龍神社」が「白山社」と並んで社屋に祀られている。
龍神社の祭神が高龗神[たかおかみのかみ]
このように境内社に社名表札が掲げてあるのはさすがである。
「弘化三歳」1846手水石
「嘉永二酉」1849石燈籠など
例祭:4月15日 10月9日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 諏訪大明神 真弓 大和田左京
*『下野掌覧』万延元年1860 都賀郡之部
正一位 磯山諏訪大明神 真弓村鎮座 祭主大和田氏ナリ
*『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)4巻64丁
下都賀郡瑞穗村大字眞弓字眞弓山鎭座 郷社 諏訪神社 祭神 健御名方神 祭日陰暦三月十五日九月九日
建物本社間口五尺奥行四尺 拜殿間口三間半奥行二間 雨覆間口二間半奥行三間 神樂殿間口二間奥行三間 石華表二基 氏子百十戸・総代中島藤太郎川連滋太郎田中善作野口伊三朗 社司大和田茂教仝村仝大字住
本社は本大字の西北眞弓山に在り 一名を磯山 又*下野掌覧には檀山と云へ 萬葉集二の巻の人麿の歌には眞弓の崗と詠めり 面積ニ町一反七畝十歩満山古松老杉落々として生ひ繁り本社の西側には奇岩突兀風致嫣然洵に絶奇の勝地にして 朱雀天皇の御宇藤原秀郷朝敵平將門征討の時信州諏訪神社へ戰勝を祈願し神助に依りて速に平定したるを以て東國鎭護神として本社を磯山に勸請し磯山諏訪明神と尊稱し西御庄十二郷を神領に寄附せらる故を以て御庄と號せり 明治維新の際郷社に定めらる 仝十年社格改正の節村社に列せられ仝二十八年十二月二十四日を以て再ひ郷社に昇格せらる
本社神主家往時は累代祝言太夫と稱す 降りて神祇管領長上吉田殿配下以来大和田氏と稱し世々本社に奉仕せり
社傳 豐葦原下野國西御庄眞弓郷磯宮諏方大明神之縁起夫我朝者栗散邊地乍云天神七代地神五代之天津神伊弉諾伊弉冊之尊垂仁天皇之御宇二十五年三月二十一日従高間原天下伊勢國渡居郡五十鈴河之水上神風瀬濱荻折敷従天下給號伊勢大神宮是宗廟社稷之天照御神社顕日現月給資萬國何不頂其灮成▢成雨形普天何不受其潤神功皇后迫新羅給旹彼大神宮之第一葸御歬今諏方大明神差副進攻新羅歸給後信濃國諏方郡垂跡奉仰諏方大明神普賢千手垂迹也和光同塵結縁始成故出寂光都分段同居交塵衆生給仁王六十一代御宇朱雀院御時承平將門成朝敵給爲追罸秀郷將軍給討手被下時令諸神發向給間將門無程逍討後東國崇諸神々山初進給中諏方大明神之御座地四神相應成所彼磯里垂跡座致秀郷信心深是奉仰守護神従其西御庄十二郷奉寄進御神領爲神領神號御庄依之至末代除國役雖爲代澆季明神靈威有嚴重無弓箭兵杖之怖然而村上天皇之御時九重聞勢兵絃昔以宜旨被尋於此磯里靈山有一本木搦大蛇腹持開合昔響勢兵絃音間勅使七日御神樂進此木枝一房切奉入帝見參是神之遊御弓也納宇治法藏此里可云眞弓宜旨被下彼明神ー現也利生深事以是可足就中属東國無爲天下安全百王百代可令守護給也至末世末代於斯縁起不可有疑心可仰可信者也敬白 茲時承安三年癸已1173二月日
 予初巡撿之日徃詣社境尋縁起之有亡巫官呈出斯記須臾之頃過眼紙略壌字半缺此文素雖鄙拙求一軸換古紙而以修補之永遺後世
  松平豆州刺史       小臣郷吏石川氏(←石氏川) 寄附
 旹元禄十一戊寅年1698十月十五日     石川勘右御門重宗
右縁起中 神功皇后征韓之時本社 大神擁護シ給ヒシ事及藤原秀郷朝敵追討ノ爲メ本社 大神ニ祈誓シ平將門ニ克チ遂ニ東國ヲ平定シ永ク鎭護ノ神トシテ其當時勸請セシ事當時傳說ニ符合セリ請求ニ任セ之ヲ附記ス
 明治二十八年一月十七日
        諏訪神社          禰宜 矢島正守
古文書 追て申候神領の事も如前々之無別條巳上
  磯山前々之筋目被申立候委細令分別候尤諏訪之明神可有勸請候仍如件
   天正拾六年1588戌子霜月七日 近藤出羽守 綱秀花押
      磯山
        祝言太夫殿

*「下野掌覧には檀山と云」とあるが,下野掌覧の万延元年本には「磯山諏訪大明神 真弓村鎮座」と明瞭に印刷してあるので,『下野神社沿革史』の勘違いである。
一の鳥居 まだまだ遠い 二の鳥居 まだまだ先
三の鳥居 これは古そう やっと清め 広大だ
拝殿屋根に白龍
拝殿右となり 左が龍,右は白山 古そうな石祠が多い
鳥居付き境内社
八龍神社

八龍神社

[はちりゅう神社]

栃木市・藤岡町・藤岡1707

主祭神:高龗神 配神:闇龗神

下都賀郡藤岡町大字藤岡1707
主祭神:高龗神 配神:闇龗神
疫病が蔓延した時に無病息災を祈願したという。新田と呼ばれる田んぼの中に祀られ,朝夕に参拝された。
高龗神と闇龗神の最強コンビ。
神社庁掲載の「藤岡町1707」の八龍神社は見つけられず,藤岡町歴史民族資料館の方にお調べいただくと,新町公民館隣りの「八幡宮」に合祀されていることが判明した。
田んぼ道を入っていくと小社があり,拝殿額は「八幡宮」である。そろそろ300年になろうかという享保五庚子天十一月(1720)の六手青面金剛が見事。保存状態も良好。

さて,このすぐ目の前の畑にさらに小さい社があり,『栃木県神社誌』によれば,これが「八龍神社」である。合祀されて,境外社で残ったと考えていいだろう。
左隣りに明治37年の石版状の碑が石垣の中に建っており,「地神社」と彫ってある。
例祭:5月3日
すき間から撮ってみた 地神社 八幡宮
磐裂神社

磐裂神社

[いわさく神社]

栃木市・藤岡町・藤岡999

配神:闇淤加美神

下都賀郡藤岡町大字藤岡999
主祭神:磐析神 配神:闇淤加美神,闇御津羽神ほか
渡良瀬川の藤岡大橋のすぐ近く。まとまりの良い美しい境内。
祭神名と由緒の看板があるのはありがたい。
由緒沿革に南朝の元弘元年1331九月石析根析神七つ塚より奉還とある。なぜか1331が1991になっている。
昭和27年当時の配神は根裂神だけだったが昭和55年に5柱追加されている。その1神が[くらおかみのかみ] 栃木県内では珍しく『古事記』の表記で「闇淤加美」
拝殿額のiwasakuの字は磐裂で,石析ではない表記。
拝殿左手にあるのは星宮妙見堂。
石製一の鳥居は昭和31年4月,木製二の鳥居の額には屋根が付いている。
鳥居左手に「奉納杉苗三百本 明治二十八年四月吉日」石碑が残っている。かつては杉が聳えていたのだろう。
「常夜燈 寛政十二庚申十一月吉日」1800
「青面金剛 下野國都賀郡藤岡村 元文五天庚申十二月吉祥日」1740
「常夜燈 享保九年一月吉日」1724
本殿:流造銅板葺 幣殿:入母屋造銅版葺 拝殿:入母屋造銅版葺
例祭:4月13日,10月13日に近い日曜日
祭神名看板 ピンボケではなく薄くなっている
左:由緒沿革
額に屋根付 奉納杉苗の碑
青面金剛 着色されていた
星宮妙見堂 樹木の向こうは渡良瀬川
帯刀神社

帯刀神社

[たてわき神社]

栃木市・藤岡町・帯刀66-3

配神:高龗神

旧地名:下都賀郡藤岡町大字帯刀66-3
主祭神:素戔嗚命
配神:高龗神[たかおかみのかみ]ほか水速女命,大日孁貴命,誉田別命,菅原道真公,弁財天神
巴波川の土手のすぐ東。栃木市内を流れる巴波川よりはるかに川幅が広くなり,土手も高い。最初,鬼怒川と勘違いしたほどである。
500mほど北東に石川の八幡宮。
大正二年1913の「村社帯刀神社」社号標。大正三年1914の石燈籠。石の神明鳥居は昭和43年。
明治44年に水神社と神明宮を合祀し八坂神社を経て,帯刀神社と改称。
本殿:権現造瓦葺 幣殿:流造瓦葺 例祭:7月第4土曜
『鹿沼聞書』に帯刀の八幡宮が記録されている。帯刀神社配神の譽田別命の八幡宮と推定する。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 八幡宮 帯刀 光明寺
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻四-49丁
下都賀郡部屋村大字帯刀新田鎭座 村社 水神社 祭神 水速女命
建物本社間口二尺九寸奥行二尺八寸 氏子二十七戸
本社創建不詳 社域三百九坪を有し字須の古屋に在り
天満宮

天満宮

[てんまんぐう]

栃木市・藤岡町・緑川479-1

配神:高龗神


主祭神:菅原道真公
巴波川右岸の田園地帯に鎮座。
昭和元年の石鳥居に「十二所神社合社八十周年記念」とある。
社殿も昭和元年に新築され,記念碑が建てられている。
詳細は不明だが『栃木県神社誌』新版の巻末付録p.1086に配神「高龗神」と記録されている。『鹿沼聞書』に緑川の八竜大明神が記録されている。この祭神の可能性がある。
年代不詳の石祠が2基。いずれかが高龗神社なのかもしれない。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 八竜大明神 緑川 村正
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻四-50丁
下都賀郡部屋村大字緑川鎭座 村社 天満宮 祭神 菅原道真公
建物本社一間四方 拜殿間口二間奥行三間 末社三社 氏子三十四戸
本社創建年月詳かならす 社域四百七十二坪 字十二所に在り
参道両側に稲 新しい鳥居
背後から
左手に1基 東側にもう1基
星宮神社

星宮神社

栃木市・岩舟町・静4165

[ほしのみや神社]

配神:高龗神

旧地名:下都賀郡岩舟町大字静4165
主祭神:香々背男命
配神:高龗神[たかおかみのかみ],大雷命,稲倉魂命,健御名方命,素戔嗚命
50号線から南に入って淨蓮寺の500mほど南の森に鎮座。周囲には田畑が広がる。
地名は静だが,羽抜地区に入る。
昭和15年の一の鳥居額に「星宮大神」。平成11年の二の鳥居には「星宮神社」
「常夜燈 文政七甲申年」1824
手水石は明治十四年。
「昭和十三年」の旗杭。立派な神楽殿が右手に。文政七年1824以前の創立。
100年前より氏子数は3倍に増加している。
本殿:破風造瓦葺 拝殿:入母屋造瓦葺
例祭:12月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 星宮大明神 羽抜 村正某 >羽抜は明治九年1876静村に
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻四-58丁
下都賀郡岩船村大字靜鎭座 村社 星宮神社 祭神 瓊々杵命
建物本社間口二間奥行三間 拜殿間口三間半奥行二間半 氏子六十七戸
本社創建詳かならす 社域一千五百七十八坪 字宮の下に在り
鷲宮神社

鷲宮神社

[わしのみや神社]

栃木市・都賀町・家中450

配神:闇龗神

旧地名:下都賀郡都賀村大字家中450
主祭神:天日鷲命,大己貴命,豊受姫命,火産霊命
配神:闇龗命 息長帯媛命
上の写真中央の鳥居付きが「闇龗神社」
境内社は『栃木県神社誌』新版では闇龗神社,高龗神社,愛宕神社,八坂神社,御嶽神社,稲荷神社,大杉神社,吾妻神社,金精神社,三社神社の10社。旧版では菅原,八坂,琴平,鹿嶋,吾妻5社。
大同三年808創立の古社。小倉川そばにあったが洪水のため承平元年931に現在地に遷宮。
近年2000年から11月23日に強卵式を行っている。北条政子が息子の頼家の百日咳快癒を卵断ちして祈願した故事にならって,強飯式と反対に卵は食べない。
鳥居付きの境内社が多数あり,中に「闇龗神社」を見つける。
入口鳥居の右手に「祖霊社」,拝殿右側に神楽殿,その右手に「愛宕神社」,神楽殿の左手から順に「八坂神社」「八龍神社」「御嶽神社」「闇龗神社」「稲荷神社」「大杉神社」「八坂神社」「琴平神社」「菅原神社」「鹿島神社」「金勢神社」「吾妻神社」と11社が並ぶ。境内社としては立派な社が多い。
八龍神社は下八龍神社で祭神に「闇御津羽神・八大竜王」とある。鳥居は靖国型。
闇龗神社は上八龍神社で祭神に「闇淤加美神・八大竜王」とある。鳥居は明神型。
ふりがなは[くらお]神社になってしまった。どうして[くらおかみ]にしなかったのか?県内の「高お神社」に影響されたか。社名木札の表記は古事記ふう。
「正一位八龍大明神」の扁額が社の左手,正面から見えない位置に立て掛けてある。
八龍は八岐大蛇なら神道風だが祭神にはしない。法華経の護法善神八龍のうち娑羯羅竜王shgaraが雨を司るので,もとはインド仏教の八龍なのだが,8頭の龍やシャガラ龍王を意識せずに単に雨に関係のある龍神として祀られていることが多い。社柱や額文字や石燈籠の刻字が八龍と龍と混在している神社もある。
排仏毀釈により仏教風の神社はいかがなものか,とおしかりがあって日本書紀の闇龗kuraokamiを社名に当てはめた可能性もある。『栃木県神社誌』記載の「高龗神社」が見当たらないので,この下八龍にあたるかもしれない。祭神が異なってしまうが。
本殿:流造銅版葺 幣殿:流造銅版葺 拝殿:流造銅版葺
例祭:11月23日 9月19日は闇龗祭
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 鷲宮大明神 家中 菱沼下総
*『下野掌覧』万延元年1860 都賀郡之部
正一位 鷲宮大明神 家中村鎮座 祭主菱沼氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻四16丁
下都賀郡家中村大字家中鎭座 村社 鷲宮神社 祭神 大己貴命/天日鷲命 祭日陰暦十一月初酉日 建物本社間口一間奥行一間銅葺 拜殿間口五間奥行二間 幣殿間口二間奥行二間 末社六社 石鳥居一基寛文八年1668三月建設 石燈籠三基 神樂殿間口二間奥行三間 御供水井一箇所 手洗石二基 制札一基明治卅一年1898八月廿五日栃木県廳より下附 社有財産郡村宅地及畑等あり 氏子四百廿六戸 社掌菱沼義正仝村仝大字七十番地住
本社創立は遼遠にして詳かならすと雖も承平元936辛卯年十一月初酉日本社改造せしは明かなり 文禄三年1594本村検地之際二反七畝二十六歩餘地として寄附せらる 享保十一年1726十二月十一日を以て正一位の神階を授けらるるより衆庶の崇敬彌盛なり 殊に毎年大祭には維新前は藩主より有社參ありて最も嚴かに祭典を執行せり 本社奉仕は往古より菱沼家神職にして代々奉仕せり 然るに嘉永年中1848~54該家焼失の爲め社記録及ひ家系譜等悉皆烏有に属したる故に由緒沿革等を詳にする能はす 社域九百八十六坪平地にして古杉老樹矗立陰森優雅にして愛すへし 頗る社殿の宏壯美麗にして輪奐ならさるはなし
闇龗神社 八龍大明神
闇龗神社 闇龗神社の古そうな鳥居 鳥居の奥,木に隠れて闇龗神社
八龍神社 境内社が並ぶ
鷲宮神社 大きな神社である 神楽殿
神楽殿右の愛宕神社 愛宕神社
拝殿右手から境内社が 多数並ぶ
金勢と金精 八坂神社,左が八龍神社 稲荷神社
大杉神社
愛宕神社

愛宕神社

[あたご神社]

栃木市・大塚町1122

配神[高龗神]

主祭神:軻遇突智神
配神:天照皇大神,応神天皇,高龗神[たかおかみのかみ](『栃木県神社誌』旧版で高雷竜と植字されている神さま),素戔嗚尊,磐裂神
壬生駅と新栃木駅の間の野州大塚駅の北の田園地帯に鎮座。
大正4年の合社記念碑に「昔ヨリ大塚村内ニ在リシ神社ヲ統一シ・・・宿區八坂神社 中區愛宕神社,星宮神社,八龍神社 上區八幡神社 癸生區神明神社,浅間神社ヲ星ノ宮神社千百二十二番地星之宮神社ヘ合併ノ上村社愛宕神社トナシ」とあるうちの「八龍神社」の祭神が高龗神である。合祀されたのは大正4年。
拝殿右手に愛染稲荷。その右手の大きい社殿は八坂神社。明治廿七年の石塔。
由緒沿革によれば永禄八年1565創立。1160坪と広大。春秋の祭典には小松流・平砥流の五段囃子が奉納される。
本殿:流造板葺 拝殿:流造瓦葺 例祭:4月29日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻四-21丁
下都賀郡國府村大字大塚鎭座 村社 愛宕神社 祭神 軻遇突智命
建物本社間口二間奥行三間 氏子百八十戸
本社創建不詳 社域五百九十五坪を有し字愛宕にあり

 

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