雷電

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県栃木市大平町牛久400

祭神:鳴雷神 配神:大物主命 境内社:人丸神社・八坂神社
旧地名:下都賀郡大平町大字牛久字東 瑞穂村
創建等不詳。足尾鉱毒事件で廃村となった旧谷中村にあった神輿が保存されている。鮮やかな朱塗り。谷中村から約20キロを担いで当社に納めた。2017年には谷中村跡地に運び込み,故里の地を巡行した。
明治三十六年1903旗杭。大正十三年1924石燈籠。大正十四年1925石鳥居。昭和三年1928社号標,裏に納入校醫國府虎胤。昭和十六年1941狛犬。
昭和四十三年1968松苗五百本植樹之碑,明治三十三年1900鳥居寄付連名碑。
明治七甲戌1874手水石に雷電宮と大書してある。
鳥居手前に多数の庚申塔と青面金剛。元文三1738がかろうじて読める。
例祭:9月20日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 四巻-66丁
下都賀郡瑞穂村 大字牛久鎭座 村社 雷電神社 祭神 大雷神 建物本社間口一間四尺奥行二間 拝殿間口三間奥行二間 氏子五十五戸
本社創立不詳 社域八百八十八坪を有し 字東岡に在り
江戸時代には人丸大明神の方が有名だったかも知れない。明治期に合祀したと推測する。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 人丸大明神 牛久 生沢弥市 瑞穂村
*『下野掌覧』万延元年1860都賀郡之部
人丸大明神 牛久村鎮座 祭主生澤氏ナリ
川連

川連天満宮

[かわつれ・てんまんぐう]

栃木県栃木市・大平町川連516

祭神:菅原道真公 境内社:雷電神社
旧地名:下都賀郡大平町大字川連
天正年間1573~92創立。宝永六年1709焼失,御神像が梅の枝に掛かっていて無事だったという。もう少し西に鎮座したらしい。バイパスを通すにあたって昭和五十六年1981に遷宮。このとき境内に残っていた川連城の土塁も消失。
『角川地名大辞典』に川連村に愛宕神社とあるのが当社か。
鳥居脇に川連護国神社。
昭和十年1935石鳥居。
本殿左手奥に石祠二基,右手に明治三十三年1900浅間大神,小御嶽大神,内外八海大神。
例祭:4月15日 9月24日
石宮ふたつ
浅間大神 社務所
遷宮記念碑
神楽殿
護国神社
川連城址 馬頭尊 城址から天満宮
玉垣之外に城址看板 御嶽神社
手水石も
愛宕

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県栃木市大平町川連

旧地名:下都賀郡大平町大字川連 瑞穂村
祭神:軻遇突智命
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 四巻-66丁
下都賀郡瑞穂村大字川連鎭座 村社 愛宕神社 祭神 軻遇突智命 建物本社八尺四方 氏子八十九戸
本社創立不詳 社域二百二十六坪にして字宿に在り
春日神社

春日神社

[かすが神社]

栃木県栃木市大平町横堀339

旧地名:下都賀郡大平町大字横堀 瑞穂村
祭神:天児屋根命 配神:武甕槌命・経津主命・比賣神
境内社:白山神社・神明神社・八坂神社・八幡神社・天神地祇神社・三峯神社・稲荷神社・厳島神社・日枝神社・人丸神社
承応元年1652藤原頼直が大和三笠山より勧請。明治四十一年1908字原の愛宕神社,字上ノ東の八幡神社,字白山の白山神社,字中ノ西の三峯神社を合祀。翌四十二年上ノ東の八坂神社,字西の人丸神社を合祀。
明治三十五年1902暴風で拝殿,神楽殿が大破,修繕する。昭和三十一年1956,平成五年1993に幣殿,拝殿を修復。平成五年神輿殿,社務所造営。
平成11年1999日に一の鳥居,神楽殿,人丸神社本殿拝殿を新築。
例祭:4月10日 里神楽十二座を奉納
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 春日大明神 横堀 板垣采女
*『下野掌覧』万延元年1860 都賀郡之部
正一位 春日大明神 横堀村鎮座 祭主板垣氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 四巻-65丁
下都賀郡瑞穂村 大字横堀字吾妻鎭座 村社 春日神社 祭神 天兒屋根命 建物本社一間四方 雨覆一棟 拜殿間口五間半奥行二間 神樂殿間口二間奥行三間 末社三社 石華表一基 氏子八十七戸 社掌板垣信重仝村仝大字住
本社創建遼遠にして祥かならす 本社は南向にて社殿壯宏前に神池あり 社域二千四百一坪廣寛の地に小杉及ひ雜木交りて生ひ繁り古雅にして頗る幽邃なり 本社奉仕は往古より板垣氏にて代々補職たり
豊栄大神宮

豊栄大神宮

[ほうえいだいじんぐう]

栃木県栃木市大平町横堀629-5

旧地名:下都賀郡大平町大字横堀 瑞穂村
祭神:?
くわしいことは分からない。
例祭:?月日
諏訪

諏訪神社

[すわ神社]

栃木県栃木市大平町蔵井1080

旧地名:下都賀郡大平町大字蔵井 瑞穂村
祭神:建御名方命 配神:少彦名命・櫛御気野命
境内社:大杉神社・愛宕神社
天慶二年939頃藤原秀郷が將門追討に際し信濃の諏訪神を勧請。一説に坂上田村麿勧請とも。
明治三十六年1903字西本の羽黒神社,字永東田の永東神社,字山ノ下の井臺神社,明治四十二年1909字西本の愛宕神社を合祀。
大正十年1921社殿造営。
例祭:4月11日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 四巻-65丁
下都賀郡瑞穂村 大字蔵井鎭座 村社 諏訪神社 祭神 健御名方神 建物本社間口一間一寸奥行一間四尺 拝殿間口二間二尺四尺奥行一間四尺 末社一社 氏子九十一戸
本社創立年月祥かならす 社域一千九坪にして字西元小磯山の高燥の地に鎭して境内には老杉古松蓊蔚として雅色あり
愛宕

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県栃木市大平町土与300

旧地名:下都賀郡大平町大字土与字東 瑞穂村
祭神:火産霊命 配神:市杵嶋姫命
境内社:浅間神社
明治三十六年1903本殿再建。明治四十年1907神明宮を合祀。
かつて厳島神社を合祀したが村人に病が蔓延してしまったので元の鎮座地に戻したことが伝わっている。配神の記録はその時のものか。あるいは愛宕神社境内が近郷村落の水源地にあたるところから,もともと市杵嶋姫命を祀っていたとも考えられる。
例祭:9月24日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 弁才天 土与 村民
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 四巻-66丁
下都賀郡瑞穂村 大字土與鎭座 村社 愛宕神社 祭神 火產靈命 建物本社間口二尺奥行三尺 拝殿間口九尺奥行二間 末社一社 氏子四十九戸
本社は字東に在りて 社域二百六十坪瀟洒の地に鎭す
高島神社

高島神社

[たかしま神社]

栃木県栃木市大平町下高島867-1

旧地名:下都賀郡大平町大字下高島 瑞穂村
祭神:武甕槌命
藤原秀郷が將門追討に際し常陸鹿島神宮や牛頭天王宮八坂神社を勧請して武運長久を祈願した。当社もそのひとつで天慶二年939頃の創建で,鹿島神社と称したが明治四十二年1909に高島神社と改称して社殿建立。大正十四年1925社殿再建。
例祭:9月19日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 四巻-66丁
下都賀郡瑞穂村 大字下高島鎭座 村社 鹿島神社 祭神 武甕槌命 建物本社六尺四方 拝殿間口二間奥行三間 氏子七十一戸
本社創立詳かならす 社域千百二十五坪字鹿島に鎭す
 
鹿島

鹿島神社

[かしま神社]

栃木県栃木市大平町上高島499-1

旧地名:下都賀郡大平町大字上高島 瑞穂村
祭神:武甕槌命 境内社:愛宕神社・浅間神社・大杉神社・弁天宮・(天満宮)
いつの頃からか高島村字八反田(のちの地名は上高島)に鎮座したが,明治四十二年1909五月十三日に現在地の愛宕神社境内に遷宮し,愛宕神社を合併して鹿島神社と名乗る。
嘉永元年1848石燈籠。
例祭:4月10日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 四巻-66丁
下都賀郡瑞穂村 大字上高島鎭座 村社 鹿島神社 祭神 武甕槌命 建物本社間口三尺奥行六尺 拝殿間口二間奥行三間半 氏子六十三戸
本社は字八反田に鎭して 社域二百七十八坪を有す
200年前の栃木県神社リストである『鹿沼聞書・下野神名帳』には大平町にあったと推測できる次の社が記録されているが,現在社は不明である。
都賀郡 諏訪大明神 底谷 盛光院 >西水代の八坂神社に合祀か
都賀郡 白山大権現 西浦 盛光寺
都賀郡 正八幡大神宮 下宮 竜蔵院

以下の3社は写真あり
八龍神社・大平町北武井
諏訪神社・大平町真弓

*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 四巻-63丁
●瑞穂村
本村は眞弓,横堀,北武井,上下高島,牛久,藏井,土與,川連の舊九村を合せて自治團体を組織せしものにて其幅員凡一里二十町南北凡一里十八町あり 横堀牛久上下高島は野木街道に沿ふて聚落をなし北武井は其東に川面土與眞弓は其西南部を限り相接近す 而して仮定縣道及ひ里道を以て縦横聯絡を通し徃來頗る便なり
地勢平坦開濶にして田圃多く穣々たる瑞穗を見るあり 又河川に至ては東北に巴波川を帶ひ永野川は其西南を貫流し自ら一區域をなし風俗概ね質素にして能く農耕に従事し頗る勤勉の風あり
舊各村沿革を尋ねるに往時は各其領主を異にせしも維新後共に第一大區二小區に編成せられ後四戸長役塲の所轄に分属せられ次て町村制實施に當り今の一村となりぬ
本村には有名なる諏訪郷社及ひ村社八社ありて其氏子戸數六百八十余戸人口四千四百九十余人を有す

 

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