高龗神社

日光市・猪倉2643
[たかお神社] 使用文字[
 主祭神[高龗神

旧地名:今市市猪倉2643
主祭神:高龗神
ロマンチック村から北へ鞍掛山トンネルを抜けて最初の信号を文挟方面に左折。
ここからが難しい。左折してすぐの農家で尋ねたが、分からず。
運よく郵便屋さんがバイクで走ってきたので思い出してもらう。「うーん、名前は分からないが神社ありますよ。かなり大きいですよ」といって大まかに教えてくれた。事前調査よりも北側で、こんもりとした森の中。参道右手には音立てて水が流れている。
立派な神社。額文字は雨+龍。
昭和56年11月筆記の縁起には

「天慶3年940御祭神高龗神を奉祭し享保14年1729に正一位を吉田家より受領したと伝えられる。・・・当社は他の高龗神社とは全く異にする御祭神を祀っている。即ち高龗神は正しく菩薩像であり代々泉福寺が祀主であったのである。この由来を案ずるにそもそも平安時代の本地垂迹説による神佛調和の考え方が次第に発展して鎌倉時代には菩薩像を祭神とする神社が建立されたと国史に示されている。従って当社は全くこれに該当するわけである。神社奉祭の起源は天慶年代であってとしても現在の御祭神は鎌倉時代に祀られたことは明白である。・・・元文元年1736には現在の御本殿が造営され・・・」

維新の神仏分離で神仏習合は許されず,社号も高龗大権現から高龗神社に変更させられたが,国家統制を離れて,昭和の末にはっきりさせておこうというわけだ。明快である。鹿沼聞書記載の泉福寺は現在も社のすぐ北にある。

神社の西側から車で入ったが、鳥居をくぐって北側に抜けられる。「猪倉のヤマザクラ」がそこに鎮座している。となりに文化五歳1808男軆山の文字が見える石燈籠。ゲートボール場があり、おじiさん、おばaさんがお茶を飲んでいたので呼び方をたずねると、子どものころから「たかお」神社と言っているということだ。花の寺「泉福寺」がそこだから5月3日にまたおいで、おまつりやるからな。しゃくなげもきれいだ、と誘われる。
本殿:流造銅葺 幣殿:銅葺 拝殿:流造銅葺  例祭:11月3日
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『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,正一位高尾大権現,猪倉,泉福寺
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『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)5巻29丁
河内郡大澤村大字猪倉鎭座
村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口五尺奥行一間 拝殿間口四間奥行二間 華表一基 氏子百五戸・総代員 社掌
本社創建は天長三年826十一月にして后享保十四年1729十二月神位宗源正一位を授けらる社域九百九坪を有す










猪倉の山桜

200年前の燈籠



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