高雄神社

日光市・小百1204(楢原)
[たかお神社] 使用文字[なし

小百小学校隣りの高雄神社から北西に1.1km,砥川ぞい。
「渓流の館」をめざして,手前400m左手の山中に鎮座。
神社名を示す文字はないが,ここには「一字一石塔」がある。
般若心経のような経文を紙に書けば写経。これを小石ひとつに一文字ずつ書いたものを「一字一石経」といい,地中に埋経する。その上に由来を刻んで「一字一石塔」を建てる。
文字を読み取ると「元禄七年甲戌年七月十五日」1694は県内ではかなり古い。【禄】の字は【示+ヨ+水】と縦に三文字に分解刻字。
「卍奉書冩大乗妙典一部一石一字」「為師檀 報恩也」
「下野都賀郡日光山領奈良原村安全所」「釈氏曹洞沙門荘山墀厳拝書写」,奈良原は現在の楢原。
日光(今市)市教育委員会の立てた2001年の看板に「元禄元年」とあるのは「元禄七年」の誤り。西暦は合っているので看板業者の誤植。
右側面に「施主當村 総領氏大嶋次兵衛重次」「嫡同名甚之焏」
左側面に「施主 大しま 嫡 所左ヱ門同庄右ヱ門同一郎兵衛同忠右ヱ門 伊兵衛重吉嫡庄左ヱ門同与左ヱ門同忠左ヱ門」推定。「しま」は悩んだのだが,どうやら漢字ではなく仮名。
背面に「当処男女不残軽の輩上 依此功徳二世安樂所 関本 石や 弥五右ヱ門」
「石也」もどうやら仮名,すると「の」に見えるのも仮名か?
右の着色された像は明治X三年六月廿一日
左はたぶん安政
他に「安永三甲午年」「安永三甲午四月吉祥日」1774の石塔。
大島さんに棟札の資料をみせていだだいたが,最古の棟札は「延宝二年1674
棟札には「高雄大権現」とある。「高お」の「お」がオスの「高雄」が確認できる資料としてとても貴重なもの。壬生町上稲葉の旧鳥居柱の「高雄大明神御寶前上稲葉村 元禄七甲戌天」1694よりも20年前。
後日,社名の確認のために,近くの大島さん宅をおたずねして,一字一石塔を発掘調査したときのお話をお聞きすることができた。一輪車にのせきれないほど多量の小石が出てきたとのこと。見せていただいた小石に書かれている文字は,300年以上地中にあったことが信じられないほど鮮明である。村の安全と繁栄を祈って文字を書き,地中に埋めた先祖の尊い心が今に息づいている。
「渓流の館」からさらに600m進んで左手の山に「高雄二渡神社」がある。大日如来と不動明王をお祀りしているという。
奥さまが大島さんに連絡をとってくださって,仕事先からお電話で2社のことを教えてくださいました。大島さんの奥さまには神社まで案内していただき,感謝。
砥川ぞいの山に恵まれた緑豊かな環境だけでなく,人情もすばらしいところです。

新しい燈籠がないと見つからない


安永3年


安永3年

うしろは山 竹が生えている

一字一石塔の石垣

一字一石塔

一字一石塔の右の石像

一字一石塔の左側面



古そうだが年号なし

付近の石像



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