高龗神社

茂木町・黒田502
[たかお神社] 使用文字[

旧地名:芳賀郡茂木町黒田502
主祭神:軻遇突智命
配神:大巳貴命,少彦名命
河井から「和の道」でずっと下に那珂川を望みながら那須烏山市にいったん抜けてから294号線を南下。
生井に至る道端に。参道部分は山と一緒に削られて道が貫通したため,雨龍の「村社高龗神社」の石柱はコンクリートの土止めの中からにょっきり立っている。その上に鳥居。
拝殿内部の額は「正一位高雨+龍大明神」
昭和十xの「社殿新築覚寄付連名」の板にも「高雨+龍神社」
昭和十五?年の狛犬。
記録では天保十一1840年九月に欅朱塗りの鳥居建立,昭和三年十一月に拝殿と覆屋を新築,昭和十四年に階段を新築し,社柱を建てている。すると道路拡張に伴う現在の形態は昭和14年のものか。あるいはその後社殿新築覚寄付連名の不明年にさらに新築しているのか。
通りかかった方におたずねすると「たかお神社」
「ここの神様はたいした力があるよ。××から夜中に逃げた時に神様がこっちさこいって手招きするんだ。必死で神社に逃げ込んだら,××は下の方で左行ったり右行ったりして探してるけど,こっちには来なかったなぁ」
黒田からほどなくのところに「闇龗神社」があり,そこの「御木曳奉仕参拝記念」石碑に「市貝町続谷闇龗神社」と「茂木町黒田高龗神社」が連名で彫られている。そちらは正式な口3つ付きである。
「おかみ考」をお読みいただければ高龗と闇龗が兄弟神であることがお分かりいただける。
本殿:流造木羽葺 幣殿:切妻造銅板葺 拝殿:入母屋造銅板葺
例祭:11月第1日曜日
*聞書によれば江戸期には[タカオカミ大明神]と呼んでいたことが分かる。沿革誌記載の祭神は高龗神であった。
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『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡,高於加美大明神,黒田,本覚寺
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『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)6巻34丁
芳賀郡須藤村大字黑田鎭座
村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口二尺九寸四方 拝殿間口三間奥行二間 鳥居一基 氏子二十五戸・総代員 社掌
本社創建年月不詳社域百四十四坪淸瀟の地にして字宮上に在り

道路拡張の結果


雨龍

正一位高龗大明神 雨龍





上の拡大 雨龍



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