高龗神社

宇都宮市・石那田町1493
[たかお神社] 使用文字[
主祭神:[高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
日光街道から鹿沼の文挟に通じる道に入って右手。花工房のそば。
かなり広大な神社の森の中に鎮座。
年代不詳の石鳥居の額文字は「雨+罒+龍」
他に社名を示す文字は見つからない。
「寳暦四甲x年1754十月」の石塔。
境内社:稲荷神社(倉稲魂命),豊受姫神社(豊受姫命),琴平神社(猿田彦命)
境内社の小ぶりの狛犬がめずらしい。二匹ともこちらを向いている。
由緒沿革には弓削道鏡が宝亀八年777日光参拝の途中に石那田を通りかかり,大旱魃の惨状を目の当たりにして,仲根坪の田川の龍神に降雨祈願をする。すると6月7日の昼から8日に渡って大雨が降りそそいだ。村人感謝し9月16日その龍神を勧請して高龗神に合祀して創立する(この表現不明)。
社殿も宝亀八年創建,明治26年焼失し,翌27年再建今日に至る。
県内では7番目に古い,なんと奈良時代の古社である。奈良創建は他に日光市瀬川の高龗神社がある。
本殿:流造亜鉛葺 幣殿:亜鉛葺 拝殿:銅板葺
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『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,正一位高尾神社,石名田,手塚山城
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『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)5巻22丁
河内郡篠井村大字石那田鎭座
村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口一間奥行五尺 雨覆一棟 末社二社 石華表一基 石燈籠四基 氏子七十五戸・総代員 社掌石鉈主馬同村同字同住
本社創建年月遼遠にして祥ならす往古は社殿壯麗なりしも惜らくは明治廿六年1893三月廿六日祝融の災に遭ひ灰燼に帰したるにあり 同廿九年十一月本社再建す 社域千八百二十五坪平坦の地に在り 本社巽方に向ひ境内には老松古樹亭々として高く聳ひ風色嫣然として掬すへし 神職は往古より石鉈家にて代々奉仕せり

江戸期から明治22までは石名田村,石那田とも書いた。[いしなた]と清音で読む。沿革誌記載の社掌が石鉈さんである。

口変形の正字








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