高男神社

日光市・芹沼1400 せりぬま
[たかお神社] 使用文字[
主祭神:[高龗神

旧地名:今市市芹沼1400
主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
日光街道七本桜を右折して461を行き,しまむらの先左手。
道路沿い入口の平成10年の鳥居額は黒地に金文字で「高男神社」
「男」を使っている「たかお神社」は県内ではあと轟の「高男荷渡神社」のみ。
旗杭に「奉納高男神社」
細い参道をしばらく行くと二の鳥居の柱に「奉造立御宝前」「宝永六巳丑天1709十二月吉祥日」。
杉林の中に紅殻屋根に白壁の小じんまりした拝殿が。
天保九戌年十二月1838の石燈籠。昭和21年の狛犬。
拝殿左手に「干時安永四乙未天七月七日」1775の「男體山禅頂供養」石塔。
右手に三対と一基の石燈籠が並ぶ。
貞享四丁1687が最古。
寛政三季亥1791十一月石燈籠には「高男大明神」の文字。
安永四未季1775九月の石燈籠にも「高男大明神」の文字。230年以上前から「男」を使っていることが分かる。
本殿の彫刻が見物。
さらに本殿裏の2本の杉がすごい。1本は根元は1つだが,U字形に巨幹が2本になってそびえ立つ。
もう1本も圧倒される巨木。
由緒沿革によれば,慶長二年丁酉1597に山城国貴布禰明神を勧請。元禄年間に現在地に遷座,天保十四年1843に社殿を再建している。
境内社:倉稲魂神の稲荷神社,天照皇大神の神明神社
本殿:流造木羽葺 例祭:10月第三日曜日
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『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高男大明神,苅沢,源五右衛門
都賀郡,高男大明神,苅沼,仲右衛門
聞書には高男が2社記録されている。河内郡の方は地名が問題。芹沼は『元禄郷帳』注に古くは芹澤村と称すとあるので苅沢は誤記とすれば河内郡があっているのでここ芹沼の高男神社。2つめ都賀郡の苅沼が芹沼かもしれない。轟と芹沼が隣接し都賀郡にも隣接する河内郡内なので聞書の混同の可能性もある。特定が難しい。県内に高男が残っているのはあとは轟のみ。
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『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)5巻25丁
河内郡豊岡村大字芹沼鎭座
村社 高男神社
祭神 高龗神 建物本社間口五尺奥行五尺五寸 拝殿雨覆各間口四間奥行三間半 石鳥居一基嘉永六年1853二月氏子奉納 末社五社 石燈籠一基沼尾太左衞門奉納 石燈一基一基渡邊左衛門奉納一基手塚四郎平外一名奉納一基氏子中外二名奉納一基渡邊六左衛門外二名奉納 氏子五十一戸・総代三員 社掌阿久津周貞同村大字町谷一番住
本社創建遼遠にして祥ならすと雖も社殿宏壯輪奐として蕭然たり 社域六百一坪平地にして本社南に向ひ馬塲一千四百七尺あり 境内には松杉檜の立木蔚々蒼々として神寂び古雅に富むるの境なり







宝永六巳丑天1709鳥居柱

天保九戌年1838




天保九戌年



安永四未季1775七月


寛政三・高男大明神

高男大明神

高男神社

貞享四丁1687の文字が!

本殿裏手



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