高雄神社

日光市・川室630 かわむろ
[たかお神社] 使用文字[
主祭神:[高龗神

旧地名:今市市川室630
主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
轟から1km先,左手の山の中にある。
「高雄神社」社柱の右に鳥居があり,右手に水田を見て参道を行き,石段を上る。
あるいは社柱の左手の山道を登る。
驚いたことに5mくらい上ると山腹を小川が流れ落ちている。しかも東西2本も。 社柱と社柱右手の奉納鳥居額も「高雄神社」。
山の上にしては立派な神社である。杉に囲まれていながら,妙に明るい。
境内の鳥居は「寳暦七丁丑天三月吉日」1757
「元文元X1736八月X」「元文二丁巳1737」「嘉永七寅年1854六月」の石燈籠。
「寛政七乙卯年六月吉X」1795湯殿山男體山石塔。
「文化八未年七月吉祥日」1811石燈篭。
田んぼ側から上る石段の途中に大正の不動尊。
石に刻まれた大正の文字もすでに読み取れない。
境内社に大山祇命の山神社,菅原道真公の天満神社
本殿:流造トタン葺 拝殿:トタン葺 例祭:11月23日
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『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡,高尾大権現,川室
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『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)5巻26丁
河内郡 豊岡村 大字川室新田鎭座
村社 高龗神社
祭神 大山祇命 祭日陰曆十一月十五日 氏子四十六戸総代三員 社掌齋藤牛松同村大字同十六番地住 建物本社間口一間奥行一間栃葺 末社八社 石華表一基
社傳に曰く本社は元祿十五年1702星新左衛門(本村開墾草分と稱)か本村鎭守神として字上原に勸請せしものなり 其時日光神領なり 検地吏山口圖書手代大出傳右衛門下島甚右衛門高澤某縄入の際本社祭免として田畠宅地合反別二反二畝十歩の除地を附せられ維新前は別當文殊院にて奉祀す 社地高丘にして高さ七丈石階二十六階磴り小川あり 神橋を渡り又三十二階陞りて本社に達す 社域五百三十七坪にして中央に本社荘厳末社囲繞し石の華表石燈籠十基左右に並列し東西擴原の中に𥿻(ツクリ㫖で植字kinu)川長蛇の如く廻り西北田甫を隔て黑髪高原の峻峰靄然として天に連り風色絶景實に活畫圖の如し 境内には松杉蓊蔚として茂生し頗る幽邃涼昧掬すへし

川室新田は昭和12年から川室に。沿革誌では雄ではなく龗で記録されている。祭神も境内社山神社の祭神,大山祇命の方を記録。『栃木県神社誌』の由緒沿革は,『下野神社沿革誌』のこの記述を参照したことを明記しているので,この社に該当する。沿革誌の単なる記述ミスの可能性あり。

道路脇の社柱


明るい境内

高雄神社の文字





















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