群馬県の龗神社
kyonsight
御沼龗神社
榛名湖
[みぬま・おかみ神社]
使用文字[龗罒]祭神:?
榛名湖は水面標高1084m,周囲6kmのカルデラ湖。榛名湖に至る道は5本あるが,高崎から箕郷を抜けて上ってみた。
紅葉には少し早いが好天に恵まれ,気持ちのいい眺め。ふじや旅館のすぐ前の湖畔に昭和41年の鳥居。
鳥居すぐ前の群北第一交通のバス停標識には「木部神社前」,地元の愛称「木部さま」を採用している。
右手の昭和26年11月3日の社柱には口三つ簡略のヨンカシラ形つき正式龗字で「御沼龗神社」
右側面に「龍軆院殿自山貞性大姉」
御沼minumaは榛名神社の御手洗沼である榛名湖のこと。
立派な千木と堅魚木つきの拝殿が湖を背にしてぴったり立っている。拝殿額はなし。
「旧蕨城主渋川公夫妻奉替会」が昭和46年に建立した石碑が正面左手に建っている。宝樹印殿渋川(義基)公が永禄十年1567八月に房州国府台で討ち死にしたことの記述に続いて「公の悲報を聞いた夫人龍体院殿は,夫宝樹印殿??悲しみの余り侍女と共に榛名湖にいたり天を仰いで??行縁の地蕨邑に雪雹の患無からしめよと念じつつ侍女と共に入水し龍軆と化したといわれるこの因縁によって蕨邑の雨乞いは霊験あらたかだという」と刻んである。
「龍軆」と「雨乞い」はまさに龗神社にふさわしい。
拝殿内左手に「木部神社」の奉納額がある。拝殿左手に香炉を置いた石塔が大小2塔。
左手の小さい塔には「十二月 久屋妙昌xx 二十七日」
右大きい塔には「十二月 龍軆院殿自山貞性大姉xxx往 二十七日 x縁埜x木部?x」
縁埜郡midonoは上野国,木部はいまの高崎市木部町。すると木部姫関係の石碑だ。
箕輪城主長野業政の娘で高崎の木部城主範虎の妻が木部姫。武田信玄に攻められた範虎が箕輪城に入り,妻を山中に落ち延びさせる。しかし落城を知った妻は湖に投身自殺。お供の久屋も入水。
この木部姫伝説による供養塔ということだろう。
すると蕨の石碑の言い伝えと同じシチュエーション。
信玄が箕輪城を攻め落としたのが永禄九年1566か永禄十年1567。つまり九年末あたりとすると12月27日の日付が現実味をおびてくる。
木部範虎が天目山(山梨の木賊の方,榛名湖の南の天目山ではない)で討死にするのが天正10年1582,妻の木部姫没後15年か16年生きたことになる。
永禄十年は渋川公夫人の入水の年。木部姫に後れること8か月となる。
400年以上前によくこんなところまで登ってきたものだ。車でもたいへんなのに。

鳥居前にバス停




木部姫神社の奉納額

渋川公の碑



中央のかすんでいるのが榛名山

【参考】榛名神社
榛名神社は直線で500m湖から降りたところに鎮座。天神峠で4km下。榛名神社には「双龍門」に見事な龍の彫刻がある。拝殿には柱に巻きついた紅龍,白龍をはじめ龍の彫刻が数多く彫られている。時代は下がるが「降雨龍」祈願彫刻も自然石に刻まれている。線描なのだが,残念ながら「降雨龍 相馬村陰陽学士小野関三太夫清繁自作 祀大正十三甲子年九月一日」の文字しか見えなかった。「大龍坊」という名の宿坊料理屋さんまである。雨乞いの萬年泉といい榛名は龗神に縁がある。

降雨龍が彫られている巨石

拝殿の白龍


双龍門とびらの龍



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