龗にかかわる神社,神社数など
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「高お神社」を推測する

 目的または命令があって神社を計画する。その時点で祭祀する神は決まっている。
 農作地帯で水の神をまつり、旱魃には雨乞いをする。この場合は「龗神」がまつられる。そして神社の命名の際には学のある人が『日本書紀』から引いてきて「高龗神社」と漢字で書く。読み方は村の中心人物だけが聞く。「たかおkamiさまとかなんとか言ってたな」。村の人へ「たかおのkamiさまだ」と伝える。「たかお神社さまでげすか」
 こんなことが何十年か何百年かの間にあって「たかおかみ神社」から「たかお神社」ができあがったのではないだろうか。
 また『日本書紀』で「雷神・大山祇神」は字がついているのに「たかお」の後ろに「神」字が付いていないので「たかおかみ」の「かみ」を「」に当ててしまったことも考えられる。するとすんなり「たかお社」になってしまう。
 関東北部の田舎は「おらぢ」「おらげ」の世界である。甲類乙類もあやしい。
 「たかお神社」の場合も神社の縁起には「たかおかみ神を祀る」と書いてある。神社の立て看板は後年というか近年建てたものが多いので、地元の識者にお尋ねしたりして書くため正式な「おかみ」が出てくるのだろう。
 相当年月「たかお神社」と言い習わしてきたことを考えると、 そのままでなければいけないだろう。 もともとは「たかおかみ神」なのだから「たかお」は間違いである、ということはできない。
 
奈良県の場合は「たかお神社」が7社,「たかおかみ神社」が3社。(小生の浅学の範囲数)
栃木県の場合は「たかお神社」が80社,
「闇お神社」が1社。
神社庁によれば「たかおかみ神社」が1社のはずが,土地の人は「たかお」。
同じく神社庁によれば「たかおおかみ神社」が1社のはずが,土地の人は「たかお」。
旧今市の轟あたりに「高男神社」が2社=「高男荷渡神社」(たかお・にわたり)1社を含む。
 
 また残念なことに雨の下の口をはぶいて龍を書いた社が多数ある。漢字はいくらでもつくれるとはいえ,神社名としては古い文献に出てくる文字を使う方がいいと思う。龗も靇も書家にとってどちらが簡単ということもない。

 もちろん書家の漢字力の問題が残る。日本書紀まで調べようとしない書家が額文字を書くという恐ろしいことも起きる。
 さらに奉納される額や燈籠におかしな字が書かれることも多い。文字が混在する原因になっている。西刑部・万所の石燈籠は「尾」を「龗」に修正している。
栃木飛山城跡前の神社のように口3つがヨコメ・アミガシラ、つまり箱を縦棒二本で区切っている字形も多い。始めは違和感があったが,口3つなしが多いことに気づき,尾に出会ったりすると罒はまだまだましと思えるようになった。
 
 高雄4社・高尾11社・高男3社は高龗と無関係かも知れないと思っていたが,記紀に高尾・高雄・高男の神はいないではないか。であれば,「龗」を[お]と発音するにともなって漢字を勝手に換えた可能性も捨てきれない。
 福井市本堂町の「高雄」は十一面観音・阿弥陀如来・聖観音菩薩。アメのうずめと猿田彦である。水の神とは関係がないが「 高雄」は社名としてあり得るか,と思っていたら,「」を「」に書き換えた神社が壬生町上稲葉にあった。この社の由来書には建礼門院にお仕えした「少納言高尾」の遺言で因幡の国の「高尾大明神」を勧請したと書かれている。しかし「高尾神社」は江戸時代には「高雄神社」であった証拠がここには残っている。
」は八王子の高尾山に引きずられたか。まさか龍の尻尾のつもりではないと思うが。
「高尾大明神」と書かれることがほとんどなので,江戸時代の吉原の花魁高尾太夫が有名になって,奉納額に「尾」を使ってしまった可能性も高いと思う。しかし稲荷社で,水神社とはずいぶん差があるが。 「尾」と「雄」は混同され,花魁高雄の文字も多い。 (栃木県以外に「尾」を使っているのは12社,「雄」は4社しかないのだが)
 
 栃木県には「龗」と「尾・雄」が混在する神社がある。
 社柱には「高尾」と書いてあるが氏子さんの奉納額は「高龗神社」になっているのが上阿久津。この逆で鳥居額が「高龗神社」,拝殿額が「 高尾」 となっているのが立伏。
芳賀町給部の「高神社」の祭神は「高龗神」。したがって「龗」と「尾」は関係が深いどころの話ではない。
尾と雄はもともとは「」であった。
まとめてみると:
龗・尾が混在9社
河内町立伏
さくら市上阿久津
益子町益子
宇都宮市下篠井
宇都宮市石井町(鬼怒橋)
宇都宮市上桑島
宇都宮市東刑部
宇都宮市梁瀬
宇都宮市駒生
龗・雄が混在3社
益子町下大羽
日光市沓掛
雄・尾が混在1社
壬生町上稲葉
7社
日光に2社,芹沼・轟と1.5km以内に隣接している
「男」は全国的にも珍しく栃木県の旧今市市の2社以外にまだ見つからない。今市は高龗神社のメッカである。芹沼には,「高男大明神」と刻まれた 1775年の 石燈籠がある。230年前にはすでに「男」が使われている。しかし祭神は高龗神なので「男」も,もとは「」であったか?「高男神社」情報をぜひお寄せ頂きたい。

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茨城・千葉・東京・新潟・群馬・秋田・福島・山形・青森の「高龗・闇龗」に関わる神社


現地未調査1社。「関東以北の高龗神社」に掲載。 新潟県
高尾神社 柏崎市 高柳町
高龗神社 十日町市中条瀬戸
秋田県
高尾神社 秋田市 雄和女米木
山形県
遠賀美神社 酒田市 飛島勝浦(未)
青森県
高龗神社 五所川原市 長富竹崎19
闇龗神社 五所川原市 大字神山字鶉野34番1号
闇龗神社 五所川原市 大字漆川字浅井48番
闇龗神社 北津軽郡板柳町 大字飯田字村元29番1
闇龗神社 北津軽郡鶴田町 大字沖字岡田295番
闇龗神社 平川市石郷 村元72-3
闇龗神社 つがる市稲垣町 穂積桜田1番
龗神社  八戸市内丸2丁目
福島県
意加美神社 南会津郡下郷町 大字小沼崎字家ノ平乙1465番
意加美神社 南会津郡南会津町 関本字龍神下267番(不明)
於加美神社 南会津郡南会津町 片貝字船久保甲55番
於加美神社 南会津郡南会津町0番 木伏字上ノ山157
高尾神社  大沼郡三島町 大石田・上居平406
茨城県
高龗神社 笠間市土師
高尾
神社 桜川市 富谷1075
高尾
神社 常総市 羽生町881
龗神社 坂東市生子632 龍か?
龗神社 筑西市下郷谷36 龍か? 八龍社
千葉県
高龗神社 松戸市 六高台一丁目15五香六実
高龗神社 四街道市成山
龗神社 鹿嶋市宮中2306 鹿島神宮参道
龗神社 神栖市居切1615
群馬県
御沼龗神社 榛名湖
東京都
高尾神社 あきる野市高尾
 しっぽの「高尾神社」は北方では秋田雄和女米木にあるのみ。つまり福島県1社,新潟県1社,秋田県1社,茨城県2社の計6社しかないという珍しい名前の神社である。東京都1社,栃木に14社。
高龗神社」は北方では青森県五所川原市長富に1社,新潟1社のみ。千葉2社,茨城1社。
青森には「闇龗神社」が6社見つかる。
千葉県松戸市六甲台高龗神社の真北が茨城県常総市羽生町高尾神社,さらに北北東ほとんど真北に茨城県桜川市羽生町高尾神社,ここから栃木県の二宮町三谷の高龗神社まで4kmしか離れていない。

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高男神社の「男」は?
芹沼・高男神社関連

 宮司を務められた渡辺一雄さんが栃木県の神社庁の高男神社由来を書かれています。
「4月8日の辻固め 疫病を防ぐために村界(村の境界)に大草鞋をつるし,獅子舞があり太刀を揮って舞う」
「9月1日は風祭りで荒き風を防ぐ獅子舞を鎮守社前で舞う」
ここに記述されている「大草鞋」は高男神社より500メートルほど東の富士山麓にある富士浅間神社入り口に掛かっています。昔は春の風神祭に奉納されたものです。風神祭は約1300年前に養老律令で定められた道饗祭michiaeに由来します。
「芹沼地区には,このような大きな草鞋を履く大男がいるから,悪者は立ち寄るな,疫病も立ち去れ」というメッセージが込められているわけです。
 長さ三尺半,幅一尺半(105X45センチ)の大きさで踵がなく,稲穂と,竹筒に入れたお神酒を大草鞋に飾り付けます。
富士浅間神社鳥居の左手に「厄払い大草鞋と獅子舞」の案内板があり,小見出しに「獅子舞=富士山不動尊・高男神社・芹沼十文字」と書かれています。
「芹沼地区の獅子舞は文挟流の流れを汲む獅子舞で,日光東照宮造営に際して舞ったのが最初と言われています。昔は辻固め(辻切り)の旧暦4月8日と,八朔の3日前に行う風祭りの年2回,獅子舞が奉納されておりました」
現在は8月最後の日曜日に厄払い大草鞋を奉納する辻固めと同じ日に「辻切り獅子舞」の名称で守り伝えられ,獅子舞が奉納されています。
 道饗祭みちあへのまつりは疫神祭ともいわれ,疫病,疱瘡が村に侵入するのを防ぐために,境界に塞神=道祖神を祀り,饗応=もてなしたので「饗」の字があてられている。塞は要塞のサイでふさぐ,ふせぐの意。『古事記』に「塞sayaります黄泉戸yomidoの大神」,書記に「黄門yomidoの塞saheの大神」とあるのが道祖神のご先祖で,『奥の細道』序「そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず」でメジャーになる。「さへの神」からsae, saiと変形し,障・歳・才・齋・幸・妻など多数の文字があてられています。

 芹沼の「辻切り」は道に境界線を引く,「辻固め」は境界を決める,閉ざすという意味で,この線からこっちに疫病神は入ってくるなという願いが込められた名称です。
 こんな大きなワラジを履く大男神がこの村にはいるから,悪,災厄は入ってくるなというわけです。
すると芹沼の高男神社は大草鞋に見あった背の高いオトコ神を祀る神社ということになるのかも知れない。
宮司さんの由来書では祭神は「高龗神・大山祇神」であるが。

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高龗神社の数

貴船神社のHPに:
>>貴船神社という名前ではないが、お祀(まつ)りされている神様が同じで高(おかみ)神社、(おかみ)神社、意賀美(おかみ)神社、闇(くらおかみ)神社といった神社もたくさんあり、平成8年秋にこれらの神社の数を調べたところ2000社を越すことがわかり<<
とあり,戸部民夫氏の『神社のルーツ』p.94には>>総本宮貴船神社調べ<<として同じく2千社としている。これらを受けてWikipediaの貴船神社の項にも:
>>祭神の「おかみ」を社名とする神社(龗神社、高龗神社、闇龗神社、意賀美神社…など)は2000社を超える<<
とあり,2000社という大きな数字が生きている。
 さて,神社の総数は分かるのだろうか? 明治39年1906には約19万社,滅茶苦茶な神社合祀によって明治の終わり頃には約12万社に減少。
 1982年刊の『全国神社名鑑』に掲載されている県別リストの総数は8万3000社。
 明治末の12万との差の3万7000社が調べようがない。
 老眼のkyonsightが拡大鏡で調べられたのは,つぎの計196社しかない。
高龗神社=118
高尾神社=27
高雄神社=10
高男神社=3
意加美神社=12
於加美神社=2
遠賀美神社=1
多加意加美神社=1
闇龗神社=9
龗神社(龍神社ではなく「おかみ神社」)=9
雄神神社=4
 個人では,この10倍を探し出すための『全国神社名鑑』以外の資料,書籍またはデータを見つけ出すことができない。貴船神社ともなると,独自のネットワークがあるのだろう,ぜひ平成8年調査の2000社を公表していただきたい。
 Webでは神社本庁がリストの公開を停止してしまったが,「日本神社」www.jinja.inが神社本庁にあったものと同じと思われるデータを公開している。今市の瀬川を漱川としている誤植も同じ,鬼怒川温泉滝を単に日光市滝としている箇所も同じである。県によっては県の神社庁がWebにリストを公開している。全都道府県ではない。いずれのデータも『全国神社名鑑』を超えるものではない。
『名鑑』でも瀬川を漱川と印刷しているのでWebデータも『名鑑』を元にしている可能性が高い。
おかみ字については『名鑑』でも「雨+口みっつ+龍」を竹かんむりの籠神社で印字していたりする。83000社もあれば誤植はあってあたりまえ。それよりもリストを作ったこと自体を高く評価すべきである。さて,この他にドラゴンの「龍神社」「八龍神社」「五龍神社」「九龍神社」「飛龍神社」「白龍神社」「青龍神社」などが高龗神,闇龗神を祭神としている場合がある。
 栃木県に限ってはほぼ見てきました。「高龗に関係のある神社」をご覧ください。

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