青森県の高龗神社・闇龗神社・龗神社
判明しているのは8社。2009年10月に現地調査を行いました。
高龗神社 五所川原市 大字長富字竹崎19 闇龗神社 五所川原市 大字神山字鶉野34番1号
闇龗神社 五所川原市 大字漆川字浅井48番 闇龗神社 北津軽郡 板柳町 大字飯田字村元29番1
闇龗神社 北津軽郡 鶴田町 大字沖字岡田295番 闇龗神社 平川市 石郷 村元72-3
闇龗神社 つがる市 稲垣町 穂積桜田1番 龗神社 八戸市 内丸2丁目
長富

高龗神社

[たかお神社]

五所川原市・長富字竹崎19

使用文字[靇]

祭神:高龗神,闇龗神,倉稲魂命
339号線で五所川原の中心部より北方へ10キロ。二ノ沢溜池の手前右手に鎮座。
一の鳥居の額の位置に猿がかかっている。これは始めて見た。
左手には仏教の石碑。「大日天王・大月天王・南無妙法蓮華経。天下泰平国土安穏・萬民快楽五穀豊饒」「維時昭和十五年旧二月十四日・長富村甲子講中・外村中一同」と読める。 隣りには大正元年他の庚申塔。
石製の二の鳥居は修復されている。地震の影響かも知れない。
朱塗りの拝殿には口3つ付きの正字で「奉納高龗神社」の木札。額文字は「雨+罒+龍」。青森では始めて見る高龗神社である。他には闇龗神社5社,龗神社1社。
狐に似た狛犬と獅子の狛犬。
右手に境内社5社,左手に鳥居が2基,1基は交通安全の碑に付いている。
昭和八年の神馬の隣りのもう1基は鍵前をかけた建物に付けられている。詳細不明。
長富有志による昭和九年旧十月十七日の六手観音。
1800年代初頭の創建。
明治六年に嘉瀬八幡宮に合祀される。明治八年に独立し,九年に村社となる。
例祭:8月21日
神山

闇龗神社

[くらおかみ神社]

五所川原市・神山字鵜野34-1

使用文字[龗靇罒]

祭神:闇龗神くらおかみのかみ
五所川原市中央部の南東5キロ,水を湛えた長橋溜池のすぐ西に鎮座。
基調色に青をつかったおしゃれな社。 大正十四年七月建立社柱の見事な書が目に付く。正字である。古松の配置も見事。
一の鳥居は石製両部鳥居,二の鳥居も朱塗りの両部鳥居,さらに朱塗りが2基つづいて拝殿。
拝殿内の正面の額文字は変形口3つ付き。奉納されている白布の垂れ幕文字は「雨+罒+龍」と口3つ省略の2種類。消防署からの感謝状は口省略。
トタン葺替修復工事,平成六年の五色旗・雨戸奉納,屋根・欄干・鳥居ペンキ塗装などの棟札に代わる板書の文字も口が省かれている。
しかし,2008年の鬼奉納の板書はきちんと口3つ付きの正字で書かれているので,当分安心である。
拝殿左手奥に大正八年七月建立の社柱が残されており,こちらは「雨+罒+龍」,「社」字に特徴があり,つくりが縦に「水田」になっている。石郷と同じ。
境内左手の朱塗り2基は境内社の十和田神社の鳥居。こちらにも石灯籠と狛犬が奉納されている。
境内左手前には文化十四丁丑1817百万遍,大黒天神2基ほか文字の読めない石塔があつめて整備されている。
明暦二年1656創建,元は観音堂であったが,明治六年に闇龗神社に改称し松倉神社に合祀される。明治八年に独立し,明治17年5月に松野木観音林から現在地へ遷座。
例祭:7月17日
漆川

闇龗神社

[くらおかみ神社]

五所川原市・漆川字浅井48

使用文字[靇]

祭神:闇龗神くらおかみのかみ
津軽鉄道五所川原駅のつぎの十川駅東南。
すぐ近くの平成2年3月竣工の「新漆橋」橋桁には四隅に龍の着色彫刻が設置されている。この造形はかなりユニーク。
一の鳥居左手の明治三十九年七月十七日建立の社柱は「口なし雨龍」
二の鳥居右手の木製祠のひとつに石製の龍頭が祀られている。
2009年10月9日現在,拝殿は改修工事中であった。
「昭和?三年六月 大正六己午の狛犬。大正十一年の石灯籠 。
明暦1655頃の創建。寛文二年1662に再建している。明治6年4月に飛龍宮から闇龗神社に改称した。
例祭:8月6日
板柳

闇龗神社

[くらおかみ神社]

北津軽郡・板柳町・飯田字村元29-1

使用文字[龗靇罒]

祭神:闇淤加美神くらおかみのかみ
339号線で藤崎を越え飯田会館を目印に右折してすぐ。
昭和六年六月十八日建立の社柱は口なし雨龍。
その右手の古い社柱と両部鳥居の額文字は口3つ付きの「闇龗神社」,石郷の社柱と同じで,龍の左半分がが帝になっている珍しい字形。
二の鳥居は石製。
三の鳥居は朱塗りの両部鳥居。左に直角に折れて石製四の鳥居,正面が拝殿。右手に鳥居が二基。
拝殿右に「闇龗神社八千代杉」の標識があり,「くらおうじんじゃ」とルビがふってある。おかみ字は口なし。目通り周囲5.5メートルの巨木だったらしいが,残念ながら今はない。
右手に石製鳥居つきで天保三年壬辰1832の猿田彦大神,大正十三年の二十三夜塔。
昭和八年飯田村中婦人一同寄進による狛犬。軍馬神が一対。
馬のレリーフのある石塔にも木製鳥居がついている。
その奥の対の石には看板があるが文字は消えて読めない。
昭和十二年の拝殿額は金文字で「雨+罒+龍」
青森県神社庁の呼び方では「くらおかみ」神社となっているのと,祭神が「くらおかみのかみ」なので,社名は八千代杉の看板を踏襲せず「くらおかみ神社」としておく。
例祭:旧6月18日
鶴田

闇龗神社

[くらおかみ神社]

北津軽郡・鶴田町・沖字岡田295

使用文字[龗靇罒]

祭神:闇於加美神くらおかみのかみ 青森県神社庁の表記は闇龗神くらおかみのかみ
339号線を北上し左手の陸奥鶴田駅から東に至る150号線を右折してすぐ。
平成21年の由緒書きには口3つ付きの正字が使われており,ルビも「くらおかみ神社」と正確に書かれていて気持ちがいい。祭神表記は『古事記』ふう。詳細は2枚目写真を。
拝殿に正面から入る鳥居は朱塗りの木製。
昭和36年12月18日建立の「闇龗神社新築記念碑」の文字は「雨+罒+龍」
社柱と真鍮様の二基の鳥居額文字も「雨+罒+龍」
左手の大正十五年石柱は口なし。
「昭和五十八年五月二十六日,日本海中部地震により石の大鳥居くずれ再建する 昭和五十九年四月十八日」と刻まれた「闇龗神社大鳥居寄付者御芳名」の銅板文字は「雨+罒+龍」。御神馬も地震で倒れたので再建した旨が刻まれている。
拝殿の奉納額は口なし靇。
境内右手奥の木製鳥居は4基の石塔につけられている。左が二十三夜塔,右3基は庚申塔。
延暦年間に坂上田村麿によって創建されたと言い伝えられている。明治六年に狐森稲荷神社に合祀される。明治八年に独立し,九年に村社となる。
例祭:8月1日
平川

闇龗神社

[くらおかみ神社]

平川市・石郷村元72-3

使用文字[龗靇罒]

祭神:闇龗神くらおかみのかみ
平川市は平賀町と尾上町と碇ケ関村が合併して平成18年1月1日に誕生した新しい市で,闇龗神社は旧平賀町石郷の平野部に鎮座する。
東北道大鰐弘前インターから2キロ,弘南線平賀駅の南3キロあたり。 石郷地区は縄文後期から晩期前半3000から2500年前の遺跡が発掘されており,「石郷遺跡」の解説板が両部鳥居右手に掲げられている。
明治39年の社柱には変形口3つ付きの「闇龗神社」,龍の左半分がが帝になっている珍しい字形。
鳥居には酒樽が載せてある。
石灯籠と手水石に「石郷村中」と刻まれている。
拝殿内正面の額文字は口なし雨+龍。左手の額は変形口3つ付き,「社」字に特徴がある。
いまだに色鮮やかな板絵が3枚。 白馬が二頭。通常,白馬は祈晴の儀式に用いられる。
本殿は拝殿に対して右手に直角に配置されている。その手前の境内社は不明。
天保三年の庚申塔。
拝殿内の額に「石郷闇龗神社由来之記」として 「今迄発掘された埋蔵文化遺跡に示されるように相当早くから開田耕作されて居たと思われるが水の不自由の上で困難を感じていた爲,雨を降らせる神として闇龗神を勧請して産土神と崇敬して来たという。但し,何時の頃からか不明である」
稲垣

闇龗神社

つがる市・稲垣町・穂積字桜田1

[くらおかみ神社]

使用文字[龗靇罒]

祭神:闇龗神くらおかみのかみ
岩木川の西側土手の道路43号線を進むと鳥居のある徳蔵寺が見える。ここから真北に500メートル。隣りに細沼集会所。
脚部が御影石の両部鳥居にかかる額文字は,口3つ付きの正式な闇龗神社。社柱は変形口3つ付き。 拝殿内の額も正字と変形口3つ付きの両方が使われている。
明治六年四月に繁田の稲荷社,繁田の八幡宮,穂積の八幡宮,福富村の胸肩神社を合祀している。明治七年十二月にはまた分離するが,現在の拝殿の入口頭上に額が残っている。八幡宮の文字が2つあるのはこの事情による。
口2つの珍しい字形の奉納額がアンモン貝の額の隣りに見える。雨と龍の間になにか書かねばという意識があるわけで,まったく省略されるよりいいだろう。
鳥居寄付者の名を連ねた額は残念ながら口を省略されてしまった。
板絵が4枚。
左右の弓矢を持つ真新しい像は不明。
大正十三年八月十六日の摂政宮御成婚記念碑に「石鳥居寄附人名」と彫られている。石鳥居というのは御影石脚の鳥居をさすのだろう。
大正元年の石灯籠。
境内左手に岩木山を描いた奉斎板に猿田彦大神,天鈿女命,月夜見大神の文字が見える。すぐ隣りの慶應四年の二十三夜塔,廿と九月が読める石塔,いちばん大きい石に猿田彦の文字がかろうじて読める。
全体にきちんと手入れをされて大事にされている社で,気持ちがいい。
享保三年1718六月十七日の創建。
例祭:7月17日
八戸

龗神社

[おがみ神社]

八戸市・内丸2-1-51

使用文字[龗罒]

主祭神:高龗神たかおかみのかみ,法霊大明神
本八戸駅南口からすぐ。内丸という地名のとおり三戸郡八戸城,略して三八城miyagiの二の丸跡地に鎮座。現在は三八城公園になっている。
堂々たる社柱の刻字は口3つ付きの正字が使われている。八戸観光協会の掲げた「伝説」源義経北方コースの案内板に「おがみ」と濁点付きでルビが振ってある。境内にいらした地元の方にもお聞きすると,やはり「おがみ」と発音なさっている。
拝殿額は変形口3つだが,拝殿内は正字が使われている。
「土足を禁ず」「車輌出入口」「龗神社告知板」などの看板でも口3つ付きの正字がつかわれていて,とても気持ちがいい。
拝殿左手に数多くの境内社が祀られている。「天龍稲荷」「水神・山神」などは五穀豊饒にぴったりである。「八大龍神」の石塔もある。
拝殿裏手に2本の巨樹がある。このイチョウは黄葉したらさらに見物だろう。
例祭:9月2日
なお,社名の龗については「おかみ考」をご覧頂きたい。義経のおかみさん説や女神説はちょっといただけない。祈雨,祈晴に関係する当神社の祭神である高龗神,あるいは青森に6社ある闇龗神社の闇龗神の「龗=発音オカミ」に由来する。また青森県唯一の高龗神社は五所川原市長富竹崎に鎮座する。また長者山新羅神社に境内社として高龗神社が祀られている。 (2009/10/9)

 

 神社目次へ 
 ページトップ