高雄二渡神社

[たかおにわたり神社]

日光市・小百1451(筒置)

使用文字[雄]

「渓流の館」の先約600m左手の山中に鎮座。
神社名を示す文字はない。「一字一石塔」のある高雄神社をお祀りする一族の氏神様。
今市・轟の方は「高男荷渡神社」と「男」だが,こちらは「雄」。男=雄と考えていいだろう。
栃木県内では「高お・にわたり神社」は2社しかまだ発見できない。とてもめずらしい貴重な社。こちらの鳥居も古そう。杉山の幹に同化していて大島さんに案内してもらわなかったら,とても発見できなかった。
鳥居左手は沢になっている。
登り口の右手に大正十四年の馬力神。となりに安永四1775の合掌石塔。
拝殿左右に狛犬と,対の石燈籠。燈籠には「安永十辛丑天 奉納御宮前」1781の文字が読み取れる。
拝殿左手斜面に5つの境内社。右手に1社。右手斜面の離れたところに石塔と石燈籠が残されている。
大島さんに見せていただいた資料によると,古いもので「元禄十七年1704」の棟札が残っている。
「天明五年1785」までの棟札には「鎮守御宝殿」とあり,「天保十三年1842」に始めて「高雄二渡大権現」が記録され,同年に「高雄大権現」と「二渡大権現」の旗が染められている。昭和には「高雄二渡大神鎮座」の棟札。
楢原の「高雄神社」の氏子が奉祭するので「高雄大権現」が祀られるのは素直に納得できるが,ではそれ以前の「御宝殿」とは何だったのだろう。御宝殿といえば諏訪大社の建築であり,福島いわきの錦町熊野神社の地名である。錦町の場合は宝刀がもとで御宝刀殿で建築をさす。
楢原の高雄神社の方が時代的に先ならば,筒置の方は別殿の意味で「高雄神社の御宝殿」になるかもしれない。もし筒置が先なら「鎮守」である「御宝殿」を思いつくのは諏訪か磐城の出身者かもしれないが,それなら八坂神社や熊野神社を社名とするのではないか,謎は深まるばかりだ。
『栃木県神社誌』には掲載されていない。
山の斜面に鎮座 右は1775年
1781年の石燈籠
左手の境内社 小ぶりの本殿
右手 右手の斜面 鳥居を見下ろす
狛犬の背面

 

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