高橋神社もと高龗神社

[たかはし・たかお神社]

芳賀町・東高橋3645

主祭神:軻遇突智命

芳賀郡芳賀町東高橋3645
主祭神 軻遇突智命 大己貴命
123号線を東に行って五行川を渡って道路沿い左手に明治36年の一の鳥居が見える。奥の方の森に二の鳥居。
平成二年の御影石の由緒沿革によれば,大同二年(807)の創建。正徳七年1717に宗源宣旨をもって高橋大明神の神号を賜る。
芳賀町教育委員会の白看板によれば正徳二年1712に神祇官領長より高橋大明神の神号を賜る。県知事横川信夫書の「改築記念碑」の裏にも由緒が書かれているが,まだ解読できない。
**下野神社沿革誌には昔は高龗神社と称し,明治維新の際に高橋神社に改号したとあるが,由緒沿革では明治二年の寺社制度変遷によって社有地田畑を召し上げられた記述はあるが社名変更には触れられていない。沿革誌付録の芳賀郡賛助会員名簿に「村社高橋神社社掌阿久津利平君」とあるので沿革誌の記述を無視することはできない。
さらに鎮座地の「字高尾神」はまさに「タカオカミ」=高龗である。
しかし,1800年頃成立の『鹿沼聞書・下野神名帳』には「芳賀郡・正一位高橋大明神・高橋・手塚丹波」と書かれている。
すると沿革誌より100年以上前から「高橋」で,社の由緒書どおりである。維新の神仏分離では大明神を神社に変更したのである。
もと高龗神社であったとしても1712年以前のことになる。

平成18年の「鎮座1200年 社殿改修記念碑」
年代不詳の石祠が4基。
昭和10年の狛犬。
明治36年の旗杭。
* 『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡,正一位高橋大明神,高橋,手塚丹波
**『下野掌覧』万延元年1860刊
芳賀郡之部 高橋大明神 髙橋村鎮座 祭主手塚氏ナリ
**『下野神社沿革史』6巻42丁(明治36年1903刊)
水橋村大字東高橋字高尾神鎭座
村社高橋神社 祭神軻遇突智命 祭日陰暦九月二十九日 建物 本社間口一間半奥行仝(=同) 拝殿間口五間奥行き二間半 雨覆間口三間奥行仝 華表(鳥居)二基 末社三社 氏子百七戸総代七員 社掌阿久津利平仝村大字西高橋住
本社は大同二年(807)の創建にして往時高龗神社と称し手塚氏代々神職を務め一村の鎮守神たり 維新に際し高橋神社と改號す 後阿久津氏繼て社掌たり 社域五百七十九坪 渺汒たる田圃の中に在りて仮縣道より北に入る二町余にして老杉古樹亭々と高く聳ひ幽邃にして風致愛すへし
一の鳥居 二の鳥居 教育委員会の由来書
平成2年の由来書 拝殿 本殿
高橋神社の額
手水舎 手水石

 

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