千本神社もと高龗神社

[せんぼん神社・たかお神社]

茂木町・千本1595

主祭神:高龗神 軻遇突智命

芳賀郡茂木町千本1595
主祭神 高龗神 軻遇突智命
天矢場から294号線バイパスを烏山に向かって走ると須藤局の先に鳥居が見える。
天照皇太神,十九夜塔,聖徳太子などの古そうな石祠がいくつも見えるが年代は確認できない。草土に埋もれている石祠もある。「須藤村道路元標」も見つかった。
岩肌を削った急な石段を登る。さらに上方に石段が続く。石段が途切れ赤土の坂をしばらく登ると社殿が見えてくる。
平成十八年四月の「千本神社改名合祀百年奉祝」の石灯籠が拝殿前に立っている。そこから数えて百年前は明治40年1907年あたりになる。
明治35年刊の『下野神社沿革誌』では,社名は高龗神社で掲載されている。
*聞書の時代には[タカオカミ]の呼び方が残っていた。維新の神仏分離で高龗神社に改号し,沿革誌に記録されたとすると 「改名合祀百年」とあるのはそれから5, 6年後に高龗神社から千本神社へ改称したことを指すのだろうか。
昭和59年刊の『角川日本地名大辞典・栃木県』中根村の項には千本が括弧つきで「高龗(千本)神社」と植字されている。1980年代にもまだ高龗神社の呼称が生きていたことが分かる。
拝殿額は千本神社。
嘉永四辛亥1851九?月吉日の石灯籠。
地名の千本は[せんぼ]が通称だが,社号は『栃木県神社誌』昭和39年2月11日発行では[せんぼん]と振られている。『角川日本地名大辞典・栃木県』のかな見出しも[せんぼん]で<「せんぼ」ともいう>と書かれている。
* 『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡,高於加美大明神,千本中根町,常福院
*『下野掌覧』万延元年1860刊
芳賀郡之部 大宮六所大明神 中根村鎮座 祭主櫻井氏ナリ
*『下野神社沿革史』6巻33丁(明治36年1903刊)
芳賀郡須藤村大字千本字中根鎭座 村社 高龗神社 祭神 高龗神 軻遇突智命 祭日陰曆九月十五日 建物 本社間口四尺奥行三尺 幣殿間口七尺奥行二間二尺 拜殿間口三間半奥行き二間半 鳥居一基 氏子八十戸総代五員 社掌櫻井明仝住所
本社は文龜三年1503の創立にして永正年間領主千本山城守本殿造營す 後領主代々崇敬の社にして正一位を授けらる 明治六年五月鄕社に定めらる 仝十年八月区画改正に際し村社に列せらる 社域千三百六十五坪高燥の地にして登ること七十二間 境内には古樹蔚然と生ひ繁り幽靜にして雅致あり

祭主が常福院でなく櫻井氏になったので『下野掌覧』(祭主神主ノ部ノミ載テ寺院村持ノ部ハ載ズ)に収録された。当社をさすのか混乱するが,千本には他に該当社が見つからない。なお茂木町九石では大宮五所大明神から高龗神社に改称している。
緑の小山 最初の石段 石段が続く
拝殿 千本神社の額
左手 拝殿左手の祇園社 拝殿右手の神楽殿?
手水石 嘉永四年
改名合祀百年の文字 須藤村道路元標 古い石塔
十九夜塔 天照皇太神
震災で 十九夜塔

 

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