高龗神社

[たかお神社]

宇都宮市・西刑部町847

使用文字[龗・罒・靇]

主祭神:高龗神

旧住所:宇都宮市西刑部万所内846
主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
新4号をくぐって真岡に向かい,西願寺の先を右折,万所信号左折すぐ。
ここには宝暦六年1756と天保三年1832の三猿や現在の鳥居の1.5倍はありそうな旧鳥居の大谷石遺物,大谷石の参道など貴重なものが多いのだが,「おかみ」文字に特筆すべきことがあり,こちらを紹介する。
上の写真の明治四十一年1908石灯籠の文字は「高尾」に見える。しかし近づくと口3つ付き「龗」に修正されている。左右対になっているもう片方も「尾」が塗りこめられて「龗」に彫りなおされているのが見てとれる。
はじめ,誰かがいたずらで「尾」に彫り変えたのかと思ったが,字配り,線の太細を合わせて見ると,どうやら最初は「尾」文字で奉納されたようだ。
どなたか神社の由来に詳しい氏子の方がおられて,社格を重んじて彫り直したと推測する。平らに磨き直して彫る予算までは取れなかったのだろう,正字を残そうとするご苦労が見て取れる。当社に限っては「尾」ではいけない。その理由は次のとおり。
『鹿沼聞書・下野神名帳』では[タカオカミ大明神]と記録しているので,『日本書紀』の読み方で社号を呼んでいた。江戸末期の『下野掌覧』では「高龗大明神」と記録され,江戸期から『古事記』または『日本書紀』の表記が使われていた,栃木県では珍しい例のひとつ。維新に際して明神号を改め,高龗神社に改称した。高龗神社を名のる正当な理由のある社。
拝殿の明治40年1907の額は「高+雨神社」,拝殿内の昭和二十一年屋根改築記念額には「雨+罒+龍」
本殿屋根の明治五壬申年1872棟木に「高尾神社正殿一宇」とあり,維新数年後にはすでに[たかお]の音になってしまっていたかもしれない。
拝殿内右手の板額はよく見えないが「雨+龍」か。
拝殿内左手に「平成五年天狗面修復衣服の新調」額。
本殿:入母屋造トタン葺 拝殿:切妻造トタン葺 例祭:11月20日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡 高於加美大明神 西刑部 清水甲斐
*『下野掌覧』万延元年1860刊
河内郡之部 高龗大明神 西刑部村鎮座 祭主清水氏ナリ
*『下野神社沿革史』(明治35年1902刊)5巻7丁
河内郡瑞穗野村大字西刑部鎭座 村社 高龗神社 祭神 高龗神 建物本社間口三(ヌケ)奥行四尺 拜殿間口二間奥行二間 末社三社 華表一基 氏子八十六戸 社掌荒川大定同村同大字住
本社は本大字の鎭守神にして字萬所内の淸地に在り社域八百六十七坪あり

200年以上前の『鹿沼聞書』に高於加美大明神[タカオカミ大明神]と記録されている。「高尾」ではない。維新の神仏分離の際に大明神を神社にあらため,さらに日本書紀の祭神表記にして社号登録したことが分かる。
西刑部にはここから南に500mの地にもう一社高龗神社がある。
尾に見えるが修正されている こちらはうまく修正されている
 
拝殿
奉納額は口なし雨龍 本殿 屋根改築記念
拝殿内右手 左:天狗面修復
本殿 本殿 ぶれましたが明治五年1872
狛犬と修復燈籠 万所内集会所
手水石
大谷石の美しい参道
大杉大明神 天保九年1838
鳥居右手奥
旧鳥居
笠木 大きかった
お堂 お堂内
宝暦六子1756 宝暦六の三猿
寛政十二大青面金剛供養塔 天保三年1832の三猿 寛政十二庚申歳1800
明治41と大正4 大正十四年1925旗杭と鎮座の杜

 

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