高龗神社

宇都宮市・長岡町1198

[たかお神社]

使用文字[靇罒]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
配神:大日孁貴,猿田彦命
境内社:大日神社(大日孁貴),八坂神社,稲荷神社,神明社
日光街道と環状線の交差点から東に行くと「長岡百穴」があり,その500m先に鳥居が見える。
慶應二年1866の鳥居をくぐって石段を上る。均整のとれた拝殿が林を背景に建つ。
中の本殿は正和四年1315造営と伝えられ,現存の社殿としては県内屈指の古社殿。

『鹿沼聞書』*によれば200年以上前には[タカオ]ではなく[タカオカミ大明神]と呼ばれていた。『下野神社沿革史』**祭神表記は「多加淤神」なので100年前くらいから[タカオ神社]と呼ぶようになったことが分かる。維新の神仏分離で社号を日本書紀の表記を採用し「高龗神社」として登録した。

注連縄の上の古そうな額の文字は「雨+罒+龍」。
右手前の昭和五十三年玉垣改修記念碑には「雨+龍」。額文字は無視されてしまった。龍字の最後の三画も2本に省略。氏子さんと書家の力関係か。書家は雨に口3つなんてあるわけない,龍のヒゲは2本と言い張ったのだろう。まだ「竜」の方がましだった。御影石なので今後は雨龍にされてしまうのが残念だ。
年代不詳の石燈籠がおもしろい。紅葉や鹿が彫ってある。
明治四十年二月二十六日に字権現山の大日孁貴神社,字百穴の古道則神社,字南上の神明宮を合祀した。
「長岡町字大橋九十四番地先,向川の水辺にあって,男体山登拝祭のみそきにゆかりする洗足石」を後世に残すために平成の向川改修工事を機に神社左手に移してきたことを記す碑がある。
本殿:流造石葺 例祭:11月3日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高於加美大明神,長岡,篠原摂津
*『下野掌覧』万延元年1860刊
河内郡之部 高龗大明神 長岡村鎮座 祭主篠崎氏ナリ
*『下野神社沿革史』5巻12丁(明治35年1902刊)
河内郡豊鄕村大字長岡鎭座 村社 高龗神社
祭神 多加淤神 祭日陰曆久我地九日 建物本社間口二尺奥行二尺五寸石葺 鳥居一基 氏子三十二戸・総代員 社掌小堀長十郎
本社勸請年月詳ならす 社域百坪淸洒の地に在り

口変形 こちらは口なし
環状線方向
洗足石の碑

 

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