高龗神社

宇都宮市・岩本町478

[たかお神社]

使用文字[龗・罒・靇]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
配神:大山祇神,磐裂神,根裂神,伊邪那岐命,伊邪那美命,天照大神
境内社:高龗神社(高龗神,明治40年3月に豊郷村岩本字北ノ入鎮座を合祀),八坂神社,羽黒神社,稲荷神社,大国神社,浅間神社
藤原宇都宮線・北山霊園のある山の東斜面。
石段の上り口に口3つ付き正式の文字の立て看板がある。主祭神は高龗神と記してあるが,こちらの文字は「雨+罒+龍」
拝殿内の奉納額2枚とその下の「奉鎮祭・高龗神社拝殿一宇」の文字は「雨+龍」。左手の「奉納・高龗神社拝殿」板書は口みっつつきの正字。
末社見取図は「雨+龍」であるが,はじめてお目にかかった。14の境内社にすべて名称がついている。これはめずらしい。境内社にはいつも悩まされるので,とてもありがたい。
神社清掃当番もきちんとしていて,手入れの行き届いた神社である。
拝殿は山の石窟を利用してくりぬいた岩にうまく建っている。小型の本殿もくり抜いた岩に鎮座。
拝殿の「高龗大明神」額はおもしろい。「明治二年巳九月吉日」と刻んである。
維新の神仏分離で大明神も神社に変更されるが,明治二年1869には明神号がまだ残っていたことが分かる。岩本の覚性院が廃寺になるのが明治五年1872なので,そこまで大明神号も生きていたかもしれない。
明治初年までここは「高龗大明神」であった。『鹿沼聞書』では「高龗大明神」も「高尾大明神」と記録してしまったことが分かる。高龗は江戸期からすでに[タカオ]と呼ばれていたことも分かる。『下野掌覧』も『鹿沼聞書』を踏襲している。
明治五年までには「高龗神社」として登録された。沿革誌にはもちろん神仏分離後の社号が記録されている。
本殿:石祠 拝殿:流造銅板葺 例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高尾大明神,岩水,篠崎摂津
*『下野掌覧』万延元年1860刊
河内郡之部 高尾大明神 岩本村鎮座 祭主篠塚氏ナリ
*『下野神社沿革史』5巻12丁(明治35年1902刊)
河内郡豊鄕村大字岩本鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口二尺二寸奥行一尺八寸 拝殿間口二間奥行一間半 末社四社 氏子二十四戸・総代員 社掌
本社創立年月詳ならす 社域三百九十六坪あり

聞書に岩水とあるのは岩本の誤植。
口3つ付き正字 ありがたい境内社の案内
明治二年 口なし雨龍 本殿 本殿の上 口なし
平成八年拝殿建築記念 目がまん丸の狛犬
境内社が並ぶ 本殿右手の境内社
拝殿 境内社鳥居
羽黒山神社
もうひとつ丸目の狛犬 東部を望む

 

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