高龗神社

[たかお神社]

日光市・薄井沢535

使用文字[龗・靇]

旧地名:今市市薄井沢388
主祭神:大山祇命 *沿革誌では祭神は高龗神で記録している。
日光街道・御殿工場入口信号を右。1.5km先を右。
鳥居には「高雨+龍神社」。大正十年十一月十四日氏子某氏寄進の社柱も「村社高雨+龍神社」。ただし,拝殿の昭和9年の奉納額は正式に口3つ付き。さらに年中行事の案内板も正式。
古い石仏がきちんと残されており,造形的にもおもしろいものがある。
「宝暦九年1759六月十二日」「宝暦四1754x月七日・姉○○妃」「文化九年1812・○六夜供養十一月吉日」(養は左右書き)「嘉永五年1852子六月吉日・村講中」(壬子の壬は省かれている)「安政三辰年1856七月一日」(丙辰の丙は省かれている)「萬延元年1860申十一月十五日村中」(庚申の庚は省かれている)の文字が読み取れる。
翼のあるお不動さんのかわいらしい彫刻がある。右手には剣よりは笏に見える棒,左手にはまるめた羂索,踏みつけているよりは乗っているかのような生物は子熊のおもむき。天地40センチほど。不空羂索菩薩。
鳥居の左手に「電燈點火記念・昭和四年十一月三日・薄井澤電燈利用組合」の碑。
「たかおと言ってるよ,もっと大きいのはあっちだよ」と大室を教えていただく。
由緒沿革によれば,安永八年1779の10月創立。宝光院という神宮寺があったが廃寺となり神社境内地とした。
境内社に八坂神社(素戔嗚命),新渡神社(日本武尊),月読神社(月夜見命),稲荷神社(倉稲魂命),水神社(水速女命=罔象女神)
本殿:流造亜鉛葺 幣殿:亜鉛葺 拝殿:流造亜鉛葺 例祭:12月2日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡,高尾大明神,薄井村民
*『下野掌覧』万延元年1860刊
都賀郡之部 高尾山大明神 薄井村鎮座 祭主水無氏ナリ
*『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)5巻29丁
河内郡大澤村大字薄井澤鎭座 村社 高龗神社 祭神 高龗神 建物本社間口四尺二寸奥行四尺二寸 末社三社 石燈籠一基 氏子二十八戸・総代員 社掌
本社創勸請月詳ならす 社域六百九十一坪高燥の地に在り

『下野掌覧』では「山」をつけて「高尾山大明神」で,それより60年以上前の『鹿沼聞書』では高尾大明神。いずれが正しいか判断できないが,維新に際して高尾大明神または高龗大明神から「高龗神社」に改称した。
高龗神社額 拝殿正面 口みっつ付正字で
口みっつ付正字 こちらは雨+龍
鮮やかな本殿
水神宮
万延元年1860 嘉永二年1849
安政三年1856 正和四年1315

 

 神社目次へ 
 ページトップ