高男荷渡神社

[たかお・にわたり神社]

日光市・轟1239 とどろく

使用文字[男]

主祭神:高龗神,軻遇突智神

旧地名:今市[いまいち]市轟1239 河内郡豊岡村大字轟字北川1239
主祭神:高龗神[たおかみのかみ],軻遇槌神[かぐつちのかみ]
境内社:倉稲魂神の稲荷神社,大山祇神の山神社
芹沼から461を行き轟交差点を左折して600m左手。
「たかお・にわたり」神社,一説に[たかおにわたし]神社。あるいは沿革誌の記述のように [たかお神社][にわたり神社]と2社か。聞書は高尾大明神と記録。
入口の明治九年十一月五日の旗杭に「征露凱旋記念奉納・高男荷渡神社御廣前」
鳥居柱には「享保廿一丙辰天四月吉日」1736の文字がくっきりと残っている(『栃木県神社誌』新旧版とも享保20とあるのは誤りで,写真のように21である)。
「寛延二己巳天九月」1749の石燈籠。
拝殿左手には「庚申供養塔 申十月日轟村中 寛政十二年」1800を始めとする庚申塔が5基ずらり。
その左は「妙義山 石裂山供養」
さらに「湯殿山 男體山供養 享和二壬戌年正月日」1802石塔。
この隣りの長方形にくりぬかれた石塔が不明。かろうじて「愛宕山」の文字。石像が安置されていたのだろうか。
お隣りのお宅の方のお話では,昭和10年代に火事で全焼して建て直されたとのこと。
『下野神社沿革史』記載のヒノキは残念ながら見つからない。
それでも270年以上前の鳥居が現存している。
東洋の島国の神社という特殊空間を大事にしたい。
「男」を使っている「たかお神社」は県内ではあと2社,芹沼と荊沢に「高男神社」があるのみ。
(小百筒置のniwatariは「高雄二渡神社」。「荷渡神社」は栃木県・岩舟町など数社,福島矢祭に1社,山形県に4社。「庭渡神社」は山形県に1社,福島県に13社。他にも表記の異なるniwatariはかなりの数あり)
本殿:流造木羽葺 拝殿:流造銅板葺 例祭:10月最終日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡,高尾大明神,轟村民
(河内郡,高男大明神,苅沢,源五右衛門)
(都賀郡,高男大明神,苅沼,仲右衛門)
『鹿沼聞書』には高男が2社記録されている。珍しい地名の轟は都賀郡に分類されているが都賀郡に轟の地名はなかった。河内郡轟である。社号は高尾だが,『鹿沼聞書』では,[たかお]の音をひとつの例外を除いてすべて「高尾」の尾字で記録しているので「男」の可能性が高い。「轟村民」を根拠として「都賀郡」は「河内郡」と混同した記述と考えておく。
**『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)5巻26丁
河内郡 豊岡村 大字轟 鎭座 村社 高男神社荷渡神社
祭神 高龗加美・大山祇命 祭日陰曆九月拾九日 氏子二十八戸総代三員 社掌狐塚小三郎同村同大字十二番地住
社傳に曰く當社は本村開闢の時字古宮の丘陵に勸請せしか中世今の社地に遷座せしむと 因に云ふ本村往古は字古宮の邊に民家五十戸はかり在しを後移転せしものなりと 今其屋敷跡の舊形を存す 本社は巽方に向へり 明治二十三年1890六月の再築にして荘厳美麗の宮殿なり 繞らすに石垣(高さ四尺文政八年1825築立なり)を以てす 社域四百五十五坪にして平地なれども淸潔にて前に北川の淸流あり 東西には里道を控へ北は擴原を経て遙に高原山の高峰を望む 境内には老松古杉檜の空に聳ひ森々として日中尚暗く中にも神木と稱する老檜は頗る大木にして地方稀なる境内なり
享保廿一天1736 高男/荷渡と2行に 寛延二年1749
享和二年1802

 

 神社目次へ 
 ページトップ