高龗神社

[たかお神社]

益子町・生田目1214

使用文字[なし]

旧地名:芳賀郡益子町大字生田目1214
主祭神:軻遇突智命
益子駅の南2キロ,つくば益子線の東側の山の上。
駅のとなりの益子観光協会で調べてもらうと,地図では雨+龍。
神社には名前を示すものは何も見つからない。拝殿もカーテンできちんと隠されていて,中は覗けない。
対の石燈籠に「大正十二年」,手水石に「明治十三歳・奉納・当邨加藤某氏」が読み取れるだけ。
800m西に小貝川が流れる。
大同二年807創立。生田目総社。
*聞書によれば江戸期には[タカオカミ大明神]と称していた。神仏分離で高龗神社に改号。
本殿:神明造板葺 幣殿:杉板葺 拝殿:萱葺 例祭:11月5日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡,正一位高於加美大明神,生田目村,小林求馬
*『下野掌覧』万延元年1860刊
芳賀郡之部 正一位高龗大明神 生田目村鎮座 祭主小林氏ナリ
*『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)6巻16丁
芳賀郡益子町大字生田目字和合神鎭座 村社 高龗神社
祭神 軻遇突智命 祭日陰曆九月二十九日 建物本社間口四尺八寸奥行五尺板葺 拝殿間口三間奥行二間萱葺 幣殿間口七尺奥行一丈杉皮葺 雨覆間口二間奥行仝 末社二十八社 石華表一基 ガス燈籠二基 氏子五十六戸・総代五員 社掌小林淸記仝村仝大字四七番地住
本社創立は大同二年807にして往時は南組の領主津田八郎右衛門北組の領主金丸杢之助兩氏崇敬の社にして若干の神田を附せられ生田目鄕の惣社と崇む 後大關伊豫守の領地となるも本社を崇敬して祭典料として米四俵宛毎年奉納せらる 享保七年1722十一月十九日宣旨を以て正一位を授けらる 社寶には神祇管料長卜部朝臣の揮毫せる神號の扇額且什器には安永三年1774氏子中より奉納せる大旗及ひ氏子十一名より奉納の旗 嘉永六年1853正月加藤甚平の奉納せる錦の戸張 加藤弥平太外八名より奉納せる大鼓 加藤常三郎より奉納の錦の戸張其他二十余名より奉納の神鏡及ひ數品を蔵す 明治二十七年1894氏子中にて花崗石の大華表を建立す

 

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