高龗神社

芳賀町・与能291 よのう

[たかお神社]

使用文字[龗

123号線,五行川のロマンの碑と芳賀南小の間の田んぼの中にある。
平成3年11月の鳥居に掲げてある額は正式な口3つ付き。
拝殿はなく素朴な覆屋なので本殿がよく見える。
「南無阿弥陀佛・文久二壬戌年」1862
年代不詳「二十三夜供養塔」「xx観世音」が田植えを終えた水田を背景に佇む。
拝殿右手にも年代不詳の3基。
口3つ付き正字

高尾神社

[たかお神社]

芳賀町・給部315 きゅうぶ

使用文字[尾]

主祭神:高龗神

宇都宮向田線。
芳賀町教育委員会の立てた案内看板には
「祭神は,高龗神(タカオカミノ神)で,闇龗神(クラオカミノ神)と共に龍神であって,雨を司る農業守護の神・・・給部は往時,隣村高根沢柏崎と一村であったが,後世になって分離されたもので下野神名帳*には高尾大明神(柏崎,別当宝蔵院)と載っています。建久年間1190-199柏崎村の鎮守として山城国貴布禰神社の遷しなる高尾神社を勧請したもので,今に給部の産土神として崇敬されている。本殿は・・・数百年以前の作」
(*『下野神名帳』が『鹿沼聞書』のことであるなら,小生が調べた限り,給部ならびに柏崎の高尾神社は掲載されていない。「箒根神社・塩屋郡柏崎・宝蔵院」は記載があるのだが。直前掲載の高尾神社は不明の地名である「原窪・法林寺」)
看板のおかみ字は「雨+罒+龍」。ルビは芳賀町教育委員会のつけたもので,正しい読みになっている。
本殿は宇都宮清厳寺にあった明暦時代1655-58の稲荷神社社殿を,天明七年1787に移築したものである。
『栃木県神社誌』昭和39年2月11日発行には「給部は往時隣村柏崎と同村なりしが故ありて,分離せるものにして建久年中,中柏崎村の鎮守にして山城の国貴布根神社の遷なる高五陵神社は,隣村大字柏崎に接する県道丘上にあり西宮と称し大黒天を祭る」という謎のような由緒が掲載されており,勧請されたのは「高五陵神社」で,県道側の丘の上にあったが,西宮と呼んで大黒天を祀っていたのがこの神社で,のちに名前を変えて高尾神社になったと読んでいいのか。高五陵神社はまったく分からない。京都の貴船といえば「高龗神」のメッカなので「五陵」は「龗」の誤植かも知れない。五は崩し字で雨に見えたかも知れない。尾なら間違わなかっただろう。高龗から高尾に社号が変わっていった社と思われる。

入り口の鳥居から両側を杉に囲まれた参道を登る。東の畑地帯とその先の高根沢の山を上から眺めることになる。
拝殿の額は文久元年1861「給部鎮守・高尾大明神」とある。維新の神仏分離で高尾神社で登録したが,神道指令で国家統制から自由になって文久の額を復活させたのだろう。昭和13年に拝殿を改築している。龍の彫刻が見事。
手水石の昭和十三年以外の文字は見つからない。
境内社に大物主神の琴平神社,倉稲魂神の稲荷神社
本殿:神明造銅葺 幣殿:亜鉛葺 拝殿:神明造亜鉛葺 例祭:11月3日
*『下野神社沿革史』6巻39丁(明治36年1903刊)
芳賀郡南高根澤村大字給部字西の入鎭座 村社 高尾神社 祭神 高龗神 建物本社間口二尺四方 拜殿間口九尺奥行二間 瑞垣延長四間 華表一基 氏子戸
本社創立不詳社域五百十坪を有し字西の入の淸洒の地に在り
文久元年1861
高尾
後方の山に中柏崎の高尾神社 ここを登る 石燈籠が見えてきた
まだ上る 鳥居脇の由緒書 正しいルビ
曲畑

高尾神社

[たかお神社]

那須烏山市・曲畑383 そりはた

使用文字[尾]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
配神:健御名方命<<建御名方命
旧地名:那須郡南那須村大字曲畑字宮本
宇都宮向田線。給部のすぐ東。ケヤキの大木が目印。
神社の名前は賽銭箱に小さな字で「高尾神社」とあるのみ。
維新の神仏分離までは「高龗大明神*」だったが龗を尾に変えて登録された珍しい社。『鹿沼聞書』では多くの社は「高尾」または「高於加美」の表記で記録されており,「高龗」と書かれたのは,ここ曲畑と宇都宮市下川俣の2社のみだったが,残念ながらこちらは「高尾」に変わってしまった。
明治36年の三十三夜塔,明治40年の石燈籠が古い文字。昭和4年の石燈籠も壊れていた。
建武元年1334創立。
大正四年10月に字大赤根坪の諏訪神社(建御名方命)を合祀している。
ここのケヤキは見もの。500年以上たつ。
本殿:流造木羽葺 幣殿・拝殿:トタン葺 例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 高龗大明神 曲畑 千葉院
*『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)8巻-20丁
那須郡荒川村大字曲畑鎭座 村社 高尾神社 祭神 高龗神 建物本社間口一間一尺奥行五尺 拜殿間口三間奥行二間 氏子四十七戸
本社は建武元年1334九月の創立にして字宮本に在りて社域四百五十二坪を有せり
高尾神社の文字
背後から
背後から 昭和四年石燈籠
500年大ケヤキ
十九夜塔 見事な根 根元にコートを置いてみた
南隣りは芳賀町
髙橋

高橋神社もと高龗神社

[たかはし・たかお神社]

芳賀町・東高橋3645

主祭神:軻遇突智命

芳賀郡芳賀町東高橋3645
主祭神 軻遇突智命 大己貴命
123号線を東に行って五行川を渡って道路沿い左手に明治36年の一の鳥居が見える。奥の方の森に二の鳥居。
平成二年の御影石の由緒沿革によれば,大同二年(807)の創建。正徳七年1717に宗源宣旨をもって高橋大明神の神号を賜る。
芳賀町教育委員会の白看板によれば正徳二年1712に神祇官領長より高橋大明神の神号を賜る。県知事横川信夫書の「改築記念碑」の裏にも由緒が書かれているが,まだ解読できない。
**下野神社沿革誌には昔は高龗神社と称し,明治維新の際に高橋神社に改号したとあるが,由緒沿革では明治二年の寺社制度変遷によって社有地田畑を召し上げられた記述はあるが社名変更には触れられていない。沿革誌付録の芳賀郡賛助会員名簿に「村社高橋神社社掌阿久津利平君」とあるので沿革誌の記述を無視することはできない。
さらに鎮座地の「字高尾神」はまさに「タカオカミ」=高龗である。
しかし,1800年頃成立の『鹿沼聞書・下野神名帳』には「芳賀郡・正一位高橋大明神・高橋・手塚丹波」と書かれている。
すると沿革誌より100年以上前から「高橋」で,社の由緒書どおりである。維新の神仏分離では大明神を神社に変更したのである。
もと高龗神社であったとしても1712年以前のことになる。

平成18年の「鎮座1200年 社殿改修記念碑」
年代不詳の石祠が4基。
昭和10年の狛犬。
明治36年の旗杭。
* *『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 正一位高橋大明神 高橋 手塚丹波
*『下野掌覧』万延元年1860刊
芳賀郡之部 高橋大明神 髙橋村鎮座 祭主手塚氏ナリ
*『下野神社沿革史』6巻42丁(明治36年1903刊)
水橋村大字東高橋字高尾神鎭座 村社 高橋神社 祭神軻遇突智命 祭日陰暦九月二十九日 建物 本社間口一間半奥行仝(=同) 拜殿間口五間奥行二間半 雨覆間口三間奥行仝 華表(鳥居)二基 末社三社 氏子百七戸総代七員 社掌阿久津利平仝村大字西高橋住
本社は大同二年(807)の創建にして往時高龗神社と称し手塚氏代々神職を務め一村の鎮守神たり 維新に際し高橋神社と改號す 後阿久津氏繼て社掌たり 社域五百七十九坪 渺汒たる田圃の中に在りて仮縣道より北に入る二町余にして老杉古樹亭々と高く聳ひ幽邃にして風致愛すへし
一の鳥居 二の鳥居 教育委員会の由来書
平成2年の由来書 拝殿 本殿
高橋神社の額
手水舎 手水石

 

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