那須神社

[なす神社]

大田原市・南金丸1628

配神:[高龗神]

主祭神:応神天皇
配神は高龗神[たかおかみのかみ]の他に,別雷命,大己貴命,少彦名命,稲倉魂命,須佐之男命,火産霊神,武甕槌命
境内社:高良神社・宗像神社・神明宮・愛宕神社・日本武神社・祖霊社
高龗神は大正五年に合祀された「八龍神社」の祭神であったろうか。
境内社愛宕神社の祭神が加具津知命(迦具土)
下野国造奈良別命が国家鎮護のため金瓊(金の玉)を埋め,天照皇大神・日本武尊・春日大神を祭ったのがはじまり。
征夷大将軍坂上田村麻呂が応神天皇を勧請して金丸八幡宮となずける。
那須与一が扇の的を射るとき心中に念じたのがここの八幡大神で,天下に有名になる。
明治六年に那須神社と改称。
例祭:9月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 惣社 八幡宮 金丸 大宮司
*『下野国誌』嘉永元年1848脱稿 嘉永三年1850刊行 四巻
金丸八幡宮 那須郡金丸村にあり。神主小泉石見と云,社領五十石黒羽候より寄附なり,傳へ云源義家朝臣,奥州征伐の刻,建立する所なりといへり
*『下野掌覧』万延元年1860 那須郡之部 惣社 八幡宮 金丸村鎮座 祭主小林氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903刊 巻八-63丁
那須郡金田村大字南金丸鎭座 郷社 那須神社 祭神 譽田別命 祭日陰暦二月十五日/八月十五日
建物本社間口三間奥行二間 拜殿間口五間半奥行二間 神樂殿間口三間奥行二間 社用塲間口三間奥行二間 神門間口三間五尺奥行二間 末社高良神社外數社有り 一鳥居木造 二華表⾭銅造 石燈籠四基 洗手水磐一個 社務所間口七間奥行二間半 寳物弓一張久壽二年1155三浦介義澄奉納 矢ノ根仝年上仝氏奉納 太刀一振文治三年1187那須與市奉納 太刀一振白川關入道義親奉納 鰐口一口文和(北朝)四年1355那須忠彷奉納 鰐口一口天正五年1577大關安碩奉納 鴿骨寛永十七年1640本社修理の時鴿箱より発見せしもの今に朽壊せす 八幡宮宇佐記十五巻 愚童訓二巻 四摩制伏箭四本 御像繪一幅延寶九年1681八月中大關増榮奉納 鎧大關因幡守増義奉納 靈竹一竿より二股に分れたるもの 氏子百八九十戸總代藤田勇馬磯助右衛門室井祜之亟松本幸之助 社掌津田政信本村大字仝住
本社記を按するに人皇十七代仁徳天皇御宇下野國造奈良別王國家鎭護として本地清浄の地を撰ひ金瓊を埋め宮を建て天照皇大神・日本武尊・春日大明神を祀りしか濫觴にして當時此の地を野澤と云へしを金丸と改稱せしと 後延暦年中782~806征夷大将軍坂上田村麿奥夷征討の時此地の森々として奇樹あるを視て望めは古塚に小祠あり 此に應神天皇を勸請して金丸八幡宮と稱し戰勝を祈る 後冷泉天皇の御宇天喜五年1057源頼義義家奥州征伐の時粟野驛に宿陣しけるに西の杜に白鳩の飛交ふを見近習をして視さしめしに八幡宮の祠ありと告く 義家大いに喜ひ身親ら戰勝を祈り勝利を得は宮殿を建立し此里を神領に寄附せんとを誓ひて奥州に下向し速に賊を平き歸陣のとき首藤權守資家に仰せて宮殿を建立し馬塲を奥州街路まて貫き以て兩側には松杉檜等を植並へ神領五十石を寄附せらる 后ち堀川院の御宇寛治二年1088出羽の賊淸原武衡家衡等亂をなす 源義家に命して追討せしむ 義家下校の時本社に詣して立願ありしか凱陣の時再ひ首藤資家に仰て神門及ひ地主大神の本社を修理せしむ 久壽二年1155三浦上總介義澄命を奉して那須野悪狐を退治せし時も本社に祈願し容易く射止ることを得たりとて其弓を奉納せり 元暦元年1184那須與市宗隆四國の八嶋にて扇的を射る時本社に祈誓して名誉を揚けしかは文治三年1187土佐杉を以て本社を再築し太刀一腰的扇を射し弓をも納め神領として本郡乙連澤村を寄附し那須家世々の鎭守神となし大華表を建立し総社八幡宮と金色の字を彫刻し扁額を捧け社領を寄附し重實の太刀をも奉納し月々幣帛を献し四時の神樂を奏し神意を慰め奉りける 後寛永十七年1640黒羽の城主大關信濃守増榮本社を改築し金丸村檜木澤村の地内に於て社領五十石を寄附し累代崇敬せしむ 明治六年1873那須神社と改稱し南金丸外十三村の郷社に列せられ仝十二年南金丸北金丸村の郷社となる 神職は建久年中1190~99小泉忠治那須宗隆の命により社務を司りしより小泉忠友に至るまて三十二代本社宮司の職に補し世々従五位下に叙られ世襲するも明治三年1870忠友職を罷め三田稱平祠官となり幾もなく職を辞す 津田政信祠掌となりしより今に奉仕す 社域六千五百九十四坪平坦の地にして境内には古杉老樹蓊蔚として枝を交へ馬塲の長さ百八十間あり社前に淸流ありて之に神橋を架し此の流れを御水洗とはなれり 慈鎭和尚の歌に東路の野澤と云へしは此の處なりと云ふ「東路のかすみけふはかりあやめの名をもかりてけるかな」社寶は前に顕せし三浦介か奉納せし弓を始め古太刀古書一々枚挙に遑あらす 好古の士は社務所に請ふて一見せは頗る美術工藝の参考に資するものあらんや
寛永十九年1642手水石
本殿
社殿裏手 金丸塚

 

 神社目次へ 
 ページトップ