那須神社

[なす神社]

大田原市・南金丸1628

配神:[高龗神]

主祭神:応神天皇 配神は高龗神[たかおかみのかみ]の他に,別雷命,大己貴命,少彦名命,稲倉魂命,須佐之男命,火産霊神,武甕槌命
境内社:高良神社・宗像神社・神明宮・愛宕神社・日本武神社・祖霊社ほか
高龗神は大正五年に合祀された「八龍神社」の祭神か。由緒看板の文字は口みっつ付きの正字で,高龗神。
下野国造奈良別命が国家鎮護のため金瓊(金の玉)を埋め,天照皇大神・日本武尊・春日大神を祭ったのがはじまり。4世紀頃の創建となる古社。
延暦年中782-806征夷大将軍坂上田村麻呂が応神天皇を勧請して金丸八幡宮と名づける。
那須与一が扇の的を射るとき心中に念じたのがここの八幡大神で,天下に有名になる。
元禄二年1689芭蕉が参詣。「那須の篠原をわけて玉藻の前の古墳をとふ。それより八幡宮に詣ず。与一扇の的を射し時,別しては我国氏神正八幡と誓ひしもこの神社にてはべると聞けば,感應殊にしきりに覚えらる」(『奥の細道』)。 寛永十八年1641修繕の本殿。
本殿は天正五年1577に建立されたものを寛永十七年1640黒羽の城主大関高増が修繕したもの。寛永大修理銘銅版が保存されており「施主大關土佐守丹氏高増 于時寛永十八年辛巳 猛夏吉祥辰日欽日 奉行大沼助左右門貞清…」と刻まれている。
寛永十九年建立の楼門。
本殿前の石燈籠も寛永十八年1641奉納の貴重品。
本殿左に加具津知命(軻遇突智命)の愛宕神社,右手に神明宮。
明治三十八年1905一の鳥居。明治十二年1879再建の銅製二の鳥居(寛永十七年1640建立を改修と推定)。 楼門右手に手前から足尾大神,淡島大神,高良大神・春日大神。
文化三丙申1806石燈籠,明治四十二年1909石燈籠。昭和二十八年1953石燈籠。
明治六年に「那須神社」と改称。6717坪の大社。
大正五年1916十一月三日以下の社を合併
・北金丸荒町・別雷神社とその境内社疱瘡神社‏/荒町・八雲神社‏‏/真菰沫・温泉神社‏/北境・稲荷神社,八龍神社‏/堀之内・稲荷神社,鹿島神社
大正九年1920十一月二十七日以下の境内社を合祀
・温泉神社,雷神社,愛宕神社,八雲神社
昭和十六年1941,北金丸荒田の愛宕神社を境内社として合祀
例祭:9月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 惣社 八幡宮 金丸 大宮司
*『下野国誌』嘉永元年1848脱稿 嘉永三年1850刊行 四巻
金丸八幡宮 那須郡金丸村にあり。神主小泉石見と云,社領五十石黒羽候より寄附なり,傳へ云源義家朝臣,奥州征伐の刻,建立する所なりといへり
*『下野掌覧』万延元年1860 那須郡之部 惣社 八幡宮 金丸村鎮座 祭主小林氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-63-64丁
那須郡金田村大字南金丸鎭座 郷社 那須神社 祭神 譽田別命 祭日陰暦二月十五日/八月十五日
建物本社間口三間奥行二間 拜殿間口五間半奥行二間 神樂殿間口三間奥行二間 社用塲間口三間奥行二間 神門間口三間五尺奥行二間 末社高良神社外數社有り 一鳥居木造 二華表⾭銅造 石燈籠四基 洗手水磐一個 社務所間口七間奥行二間半 寳物弓一張久壽二年1155三浦介義澄奉納 矢ノ根仝年上仝氏奉納 太刀一振文治三年1187那須與市奉納 太刀一振白川關入道義親奉納 鰐口一口文和四年1355那須忠彷奉納 鰐口一口天正五年1577大關安碩奉納 鴿骨寛永十七年1640本社修理の時箱棟より発見せしもの今に朽壊せす 八幡宮宇佐記十五巻 愚童訓二巻 愚童記二巻 四摩制伏箭四本 御像繪一幅以上延寶九年1681八月中大關増榮奉納 鎧大關因幡守増義奉納 靈竹一竿より二股に分れたるもの 氏子百九十戸總代藤田勇馬磯助右衛門室井祜之亟松本幸之助 社掌津田政信本村大字仝住
本社記を按するに人皇十七代仁徳天皇御宇下野國造奈良別王國家鎭護として本地清浄の地を撰ひ金瓊を埋め宮を建て天照皇大神日本武尊春日大明神を祀りしか濫觴にして當時此の地を野澤と云へしを金丸と改稱せしと 後延暦年中782~806征夷大将軍坂上田村麿奥夷征討の時此地の森々として奇樹あるを視て望めは古塚に小祠あり 此に應神天皇を勸請して金丸八幡宮と稱し戰勝を祈る 後冷泉天皇の御宇天喜五年1057源頼義源義家奥州征伐の時粟野驛に宿陣しけるに西の杜に白鳩の飛交ふを見近習をして視さしめしに八幡宮の祠ありと告く 義家大いに喜ひ身親ら戰勝を祈り勝利を得は宮殿を建立し此里を神領に寄附せんとを誓ひて奥州に下向し速に賊を平き歸陣のとき首藤權守資家に仰せて宮殿を建立し馬塲を奥州街路まて貫き以て兩側には松杉檜等を植並へ神領五十石を寄附せらる 后ち堀川院の御宇寛治二年1088出羽の賊淸原武衡家衡等亂をなす 源義家に命して追討せしむ 義家下向の時本社に詣して立願ありしか凱陣の時再ひ首藤資家に仰て神門及ひ地主大神の本社を修理せしむ 久壽二年1155三浦上總介義澄命を奉して那須野悪狐を退治せし時も本社に祈願し容易く射止ることを得たりとて其弓を奉納せり 元暦元年1184那須與市宗隆四國の八嶋にて扇的を射る時本社に祈誓して名誉を揚けしかは文治三年1187土佐杉を以て本社を再築し太刀一腰的扇を射し弓をも納め神領として本郡乙連澤村を寄附し那須家世々の鎭守神となし大華表を建立し總社八幡宮と金色の字を彫刻し扁額を捧け社領を寄附し重實の太刀をも奉納し月々幣帛を献し四時の神樂を奏し神意を慰め奉りける 後寛永十七年1640黒羽の城主大關信濃守増榮→高増本社を改築し金丸村檜木澤村の地内に於て社領五十石を寄附し累代崇敬せしむ 明治六年1873那須神社と改稱し南金丸外十三村の郷社に列せられ仝十二年南金丸北金丸村の郷社となる 神職は建久年中1190~99小泉忠治那須宗隆の命により社務を司りしより小泉忠友に至るまて三十二代本社宮司の職に補し世々従五位下に叙られ世襲するも明治三年1870忠友職を罷め三田稱平祠官となり幾もなく職を辞す 津田政信祠掌となりしより今に奉仕す 社域六千五百九十四坪平坦の地にして境内には古杉老樹蓊蔚として枝を交へ馬塲の長さ百八十間あり 社前に淸流ありて之に神橋を架し此の流れを御水洗とはなれり 慈鎭和尚の歌に東路の野澤と云へしは此の處なりと云ふ「東路のかすみけふはかりあやめの名をもかりてけるかな」社寶は前に顕せし三浦介か奉納せし弓を始め古太刀古書一々枚擧に遑あらす 好古の士は社務所に請ふて一見せは頗る美術工藝の参考に資するものあらんや
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 鹿島大明神 北金丸 大宮司
那須郡 湯泉大明神 金丸 森本筑後
*『下野掌覧』万延元年1860 那須部之部
鹿嶋大明神 金丸村鎮座 祭主直篦氏ナリ
湯泉大明神 金丸村鎮座 祭主小泉氏社家森下氏ナリ
明治三十八年1905一の鳥居
二の鳥居 明治十二年1879再建 袴の上は寛永十七年1640造立
永代神楽解説
由緒 寛永十九年1642手水石
天明八戊申年1788石燈籠 楼門 八幡宮額
弓を持っている
二の鳥居方向
寛永十九年1642奉納石燈籠 石燈籠解説
于時寛永十九壬午年の文字
拝殿 總社八幡宮額
文治三年1187現物? 拝殿内 矢が見える
本殿 本殿
本殿 本殿裏,着色されていた
2018本殿裏から 2006本殿裏から 本殿右手
稲荷社 神明宮 愛宕神社
愛宕神社裏手 本殿左手
金丸塚 金丸塚解説 以前の解説板
神門手前右手 左から足尾,淡島,高良・春日大神
楼門から 昭和九年1934狛犬 昭和十年1935本殿屋根模様替之碑
那須神社の文化財について 御神木

 

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