浅間神社‏/富士浅間宮

[あさま神社 ふじあさま宮]

茂木町烏生田408

祭神[木花咲耶姫命]

主祭神:木花咲耶姫命
ここに取り上げた理由は『栃木県神社誌』昭和39年2月11日発行記載の由緒沿革に「高龗山法院」の文字が現れるからである。
「文政元年1818九月吉日須藤村大字大瀬権現堂より烏,生田富士山に一羽の白鳥が御幣をくわえて飛来せり。よって字民大いに不思議に思い直ちに神官に依頼し,祭祀を執行せしに,神官は富士浅間神社と称し,その年宇都宮治兵衛より富士浅間と書したる一幅を高龗山法院を通じ下せり,その翌年より旧九月十八日を祭典日と定め,氏子崇敬を集め現在に及ぶ」
生田(富士)山と烏から,烏生田[うごうだ]の地名とし,どこからか呼んできた神官の管轄する社を社名として富士浅間神社としたのである。生田山は字塩郷の富士山。
高龗山法院というからには仏教系の寺院があって,宇都宮治兵衛が社名書をその寺に渡したのだろう。烏生田には曹洞宗の昌福寺があったが今はすでにない。
付近にある九石の高龗神社は明治以前は五所大明神だったので,関係があるとすると大瀬の高龗神社か。享保三1718年の手水石が残っているとても古い神社なのだが,記録がまったく見つけられない。茂木には他に河井森下と黒田に高龗神社がある。

烏生田の消防施設にいらした方に神社の所在をおたずねすると,「民宿たばた」の方が居合わせ,「それ,うちの神社だ」といって案内してくださった。感謝。「高龗山法院」については不明とのこと。
昔は杉だった神明鳥居は石製に。繊細な印象の年代不詳の石燈籠。拝殿額は「浅間神社」,額の隣りの蜂の巣が巨大。
鳥居右手に年代不詳(明治期か?)の「奉待十三夜供養」, 左手に「太子尊・明治二十九年」 1896,「大黒天・明治九年當村・子十一月講中拾九人」1876.
本殿は近づけないのではっきりしないが,板葺きである。

さて,社殿右手から奥の宮に登れるらしいので挑戦。ところがこれが難儀。石段があったらしいがすでに崩れており,立っているだけで転げ落ちそうな急坂,45度だと思えばちょうど。鉄の鎖が張ってあり,これをたよりにしばらく登る。 途中であきらめようかと思ったが,下を見ると怖いので5回休憩してひたすら登坂,やっと祠が見えてきた。
見えたのは旧祠で,奥に現在の本殿が鎮座。「富士浅間宮」の額文字。
まさに頂上で両側は切り立っている。
「あさま」の呼称は『栃木県神社誌』による。
本殿:神明造板葺白木塗 拝殿:神明造鉄板葺
例祭:旧9月18日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・34丁
芳賀郡須藤村大字烏生田鎭座 村社 淺間神社 祭神 木花開耶姫命 建物本社一間一尺四方 氏子二十三戸
本社創立不詳 社域百坪字鹽郷の清洒の地に在り
石製鳥居 大きな蜂の巣
浅間神社 本殿
きれいな石組み この右手を登る 登山のための鎖が・・・
途中の祠 両サイドに注目
こちらは富士がつく
かなた下方に那珂川 嵐に耐え
左2本は垂直,他の木は・・・
なにやら恐ろしげな文字が 民宿たばた

 

 神社目次へ 
 ページトップ