kyonsight
人は皆,みずから知らず,
自身の断片を散りばめながらこの地上を過ぎてゆく。
かたときも休息することなく,光とともに闇とともに。
形姿,仕草,言葉,思考。
どの断片も一回限りのものであると思うと,美しい。
これらの断片を他人が拾い集めると,
きみ自身に似てきみではない映像が誕生する。
自身の断片は他人にあっては決して正しく縫い合わされることはない。
きみ自身の中でさえも。
人は自身の発散させた言葉の意味を思い出しはしても,
その時の声,くちびるの動き,まばたきを自分で見ることができ ないから。
声を見る。声さえも他人にあっては映像となる。
一つの声で百の表情を思い出す。
声が先か笑顔が先か?
他人の中で新しくはじまった,きみの断片によるきみ自身の物語りは
美しいひとつの誤解だ。
まぎれもなく自身をめぐっての物語りであったかも知れない見知らぬ物語り,
というものが,どこかの街かどで進行したかも知れない。
だれも知らない美しい誤解。

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