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 意識と感性が分離し始める以前の記憶をたどってゆくと,水滴が露草の葉からこぽれ落ちる瞬間の輝きを思い出す。
 陽の当たる春先の縁側にじっとうずくまっていた丸い幼時。ゆっくりと時が落ちてゆく。目の前には大きなツゲの古木があって,枝葉の下には枯れた池があった。池の周囲に紫露草が群生していて,濃い紫色の花をつけるためにインキ草と呼んでいた。背後には寒椿,柿,栗,山茶花,茶の木などが繁っていた。
 ツゲの丸葉を透かしてこぼれる陽光に射されて,一瞬ルビー色に光を放った水滴。その紅色の光輝は何か奇妙に懐かしいものに思えた。
 家の北側には大谷石を積んだ堀井戸があって,まだ鉄の釣瓶が残っていた。この井戸には一匹の鯉がいて,祖母によると井戸にわく虫や苔などを鯉が食べるので水が澄むのだということだった。その後,鉄のパイプをこの井戸に取付けてポンプ式にして勝手からも汲み上げられるようになった。水道が通るようになってしばらくして危険防止の意味もあって,この井戸は埋められたのだった。この時,中の鯉を引き上げたのだが,盥(たらい)の半分を占めるほど大きな鯉だったのをかすかに覚えている。
 家の南側にはパイプを地中に埋めて地下水を汲み出す井戸があった。竹の筒を繋いで,池に水を送ったりした。この井戸はまだ健在で,電動式になったものの,市の水道とは別に家の中から井戸水が汲めるようになっていて,茶を飲んだり,真水を飲むにはこちらの蛇口を捻っている。もっとも宇都宮の水道は旨い水の部類に入るはずで,水源は日光中禅寺湖。華厳の瀧から大谷川を経て各家庭に配られている。それでも水道管の迷路のない分だけ地下水の方がやはり良い。
 いずれにしろ人と水とは切離し得ず,井戸掘りの技術が開発される以前には,河川,泉が人間の集落する場所を決定していた。村井戸と呼ばれたものは大部分が自然の湧き水,泉であった。泉が生命にとって大切なものであったので,社とも関係が深い。常陸の国風土記の行方郡条に と書かれていたりする。フランスの民族伝承を著わしたセビヨも言っている。  妖精の話は後に語りたいが,神社にまつわる泉の話ではあまり面白くないので,地名だけにすると,和泉国府御館森の和泉の井が湧く泉井上神社がある。また,弘法大師の杖の湧かせた泉,八幡太郎の弓で突いて湧かせた泉も多い。新潟・佐渡の伝説を集めた『越佐の伝説』(野島出版)を例にとると,この中には,弘法清水,龍神清水,上人清水などと呼ばれる泉の話が採られている。型は同じで,行脚途中の日蓮上人などが,水を分けて欲しいと一軒の家に行く。その家には井戸があるのに分けてくれない。隣の家に行くと,湧き水をもたないのだが,遠くまで行って水を汲んで来て飲ませてくれる。そこでお礼にといってその家の地面に杖を刺すと,ありがたや泉が湧く,といったパターンである。
 最初から自分で泉を湧かせればいいようなものだが,それでは教訓にもならないし,ありがた味もないからこんな話がでてきたのだろう。ついでに地名をいくつか挙げると,鹿児島県出水平野,和泉氏の出水城,和泉大和市,泉市,平泉。今泉,泉町などの地名は各地に数えきれない。
 イスラム教で沐浴みそぎをするところは泉だし,霊泉,神泉(渋谷にこの地名がある)などと呼ばれる泉も多い。
 病気を癒す効力を持った泉も多い。人体の三分の二が水なら,新鮮な泉の清洌な水を飲むことで人聞はある程度回復したに違いない。透明な泉に,蘇生,回復の希望を思い入れるために,効果が増幅されることもあるのだろう。透明性はまた,精神も清浄にする。冷たい水が身体を流れ落ちると想像すると,清らかな音さえ聞こえるようだ。
 ローマのアルバ山の麓,ネミ女神の聖林にあるエゲリアの泉は,安産の守り神の役を担っているし,祈願して病を癒すとも言われている。
 泉と生誕の結びつきは興味深いものがある。なぜなら,泉とは女性そのものだから。このことも後でふれよう。ここでは生命と泉の話を統けたい。生命と泉は深い関係にあるので,泉に抱くイメージは,活発,明るさ,透明性になる。濁った水,死んだ水,暗い水はそれゆえ不吉になる。
 透明性は空気と水にとって正しいあり方だ。泉は自然の透明性を深い貯えの中からほとばしらせているのだ。新鮮な透明性は生命にとって回復の条件となる。
透明な空気の中に湧出する泉は冷ややかさをまとっている。冷やかさは空間を引き締める。そして人をも聖なる緊張の状態に引き込む。
 泉の持つ明るさは,人を暗い場所から真昼へと連れ出す。人は光の中で新しくなる。
 泉の活発さは,泉の本質が動きであることころからくる。雪に囲まれていても泉は決して氷らない。
 冷たい温かさという言葉の矛盾が調和するのが泉である。
 温かい泉という観念はなぜか詩的イメージを喚起しないが,温泉を思えば病気治癒の役割を果たす泉の,現世的な姿が明らかになる。だが温泉を飲む気は起こらない。
 冷たい温かさを秘めた泉でなければならない。
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