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 言葉の上から泉を見ると,出る水,出水が元の形であるらしい。さきほどの地名にも出てきている。出る水,即ち湧き出る水で,その形態をさして「いづみ」と呼んでいた。湧き出た水は自然に水たまりを形成するので,溜ったところも含めて,泉と呼ぶようになったのだろう。『新古今和歌集』に  とあり,この歌も湧いて出た泉がいったん溜り,さらに流れ下って泉川になると想像した方が,時間の経過が思われておもしろくなる。
新古今のついでに,日本文学の古典には,「いづみ」を単独で扱った作品がほとんどない。木津川周辺を詠んだものがいくつかあるが,泉そのものより,泉川の形で使われている。  みかの原は現在の京都府,山城の国相楽郡の地名で,木津川が貫流している。「みか」は「瓶」で「かめ」のこと。この地域では地面に穴の開いた瓶を埋めると,そこに水が湧いてきたところから,泉の枕詞となる「みかの原」の地名となったのである。
 もう少し古いところで,万葉集巻九に  私の恋心は隠れて見えない所の湧泉の湧く岩をも通すほどだ,といった意味の歌で,湧泉を澤たづみとしている歌もある,澤に湧く水のことで「さはたずみ」は「さはいづみ」と同じであるらしい。  という形も万葉集に採られている。 語形からいうと,石(根)は澤泉(のところ)に在ることになるので,岩間から泉が湧いていることがわかる。
その他には,木津川の古名,泉州の語形でうたわれた歌に次のものがある。  泉川,澤泉の形で泉が詠み込まれ,単独に泉が出てこないことはおもしろい。
 恣意的な想像を許してもらえれば,万葉における「垂水」(滝の意でふつう使われる)が「いづみ」に似ているようだ。  固有名詞の摂津の国垂水神社の水とするより旅の途中で出会った泉の水を飲んで,長寿を願ったととった方が,枕になる「いはそそぐ」のやさしい音からは自然な気がする。
しかし,志貴皇子の  ここの垂水は,小さい川が流れていて,段差のある場所で小さな滝のように流れ落ちる様子をいっているので,垂水=泉は成立しないかもしれない。ただ,石に関連しているので「いづみ」の可能性はまだ残っているだろう。
いずれにしろ日本の古典には「いずみ」が少ない。
古事記の上巻に伊邪那美命が火の神を産んで退き去った所が「黄泉国」であるとされている。「ヨモツクニ」「ヨミツクニ」「ヨミノクニ」などと訓まれる。死者の住む国で,地下にある穢れた所と信じられていた。
『長恨歌』に神仙の術を行なう道士が,楊員妃の魂を訪ねるくだりがある。  碧落(天空)に黄泉(地下)が対比され,やはり地下の死者の国を意味している。
 黄泉は地下の泉で「泉下」「泉途」は地下,冥土のことで,「泉台」は地下の死後の世界にある高台,高殿で,死者はここに登って望郷の思いにかられるという。
 古典ギリシアでは地下の河はレーテ,忘却の河で,死者がこの河の水を飲むと前世のことを忘れるといわれる。
 地下水脈,地下水のあることを想像して,黄泉が出てきたのだろう。日本文学で泉が少ないのはこのせいかも知れない。
 平安時代になると,物語文学が生まれてくる。宮廷が生活の場になってきて,描写は箱庭的になり,泉というと庭の池になってしまう。源氏の帝木に といった具合である。寝殿造りの東西の対屋から南の池に臨む所まで伸びた廊の,その端にある部屋を泉殿と呼んだりした。池の中に突き出た,柱に屋根をのせただけの部屋で,ここで月を見たりしたわけだ。池の中程に立つ部屋なのに池殿といわず泉殿と呼んだのは。おそらく語の音の響きの良さをとったためだろう。意味よりは言葉の良さが選ばれたのだ。
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