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 栃木県日光山系に至る途中,大谷と鹿沼市の間に古賀志山と呼ばれる峻厳な岩山がある。幼年の脚力には登るには困難で,隣りのまるみをおびた多気山という椀を伏せたような山にくらべると,ある種の畏敬に似た思いを抱かせる。初めて出会ったのが八歳の頃で,近所の子供数人と真夏の埃の中を小さい自転車をこいで行くと二時間程かかったはずだ。
 古賀志山には岩松が生えていることが知られており,理由なくそれが欲しかったのだろう。登り始めると大変に急峻で,登山道はあるものの,8つの子供にはとても無理な山であった。
 二百メートルほど登ると社が岩を背に薄暗く立っており,その右手の岩をまわったあたりだったろうか,岩間から泉の湧いているところがあって,そこは夏でも涼しく,いくぶん湿り気のある場所だった。黒い岩肌が露出していて,湧き出る水はちょうど目の高さにあり,流れ落ちて足もとに澄んだ水溜りをつくり,そこからそらに右手にちょろちょろと落ちてゆく。
 岩清水というのだろう,自然の泉の水を口に合んだのはこの時が初めてだったと思う。
 尭天と名乗る大叔父,祖父の弟が,鶴田の私の家から二十キロ北の喜連川町で,蓮光院という禅寺の住職をしていて,父に連れられてよく遊びに行った。喜連川城のあった小高い山の中腹に立つこの寺は,全ての生活水を湧き水にたよっている。山腹にさし込まれた竹筒からこんこんと水が湧き出てくる。夏冷たく,冬温かいこの水は,節を抜いた猛宗竹の筧を通って,庫裡に,風呂に,大きな鯉のいる二つの蓮池に導かれている。墓参りの閼伽井ももちろんこの水で,山から導かれた水はいったんひと抱えほどの石の容器に溜められ,これが閼伽井となっていて,ここから二股に分かれ,庫裡に通じ池にそそぎ込むようになっている。私はこの水を柄杓で飲むのが大好きだった。今でも法事の折には蓮光院の湧き水を飲むことにしている。ここの水は山中の水脈から引出しているわけで,人口の装置による泉ということになるだろう。垂直に掘った井戸でなく,水平に掘った井戸になる。
 もう一つ,私は驚異的な泉を知っている。日光輪王寺の裏手,きずげ平に行く途中の山道をそれて,谷あいの河原に降りてみたときに見付けたのだが,そこは河原といっても水は流れておらず,昼なお暗い杉の古木の群落しているところである。その古木の一本の根本に岩が露出していて,直径一メートルほどの洞窟が垂直にあいていて,驚いたことに,その穴は水が地表にあふれんばかりに,どくどくと脈うっているのである。不思議なことにこの泉は外に溢れ出ないのだ。底が深くてよくわからないのだが,地下水脈が地表に露出して,そのまままた地底深く流れて行ってしまうのだろう。水が盛り上がって脈打ち躍動するこの泉に舌をつけると,自然の生命がダイナミックに伝わってくる。
 後年,S・T・コオルリッヂの長詩クブラカーンを読んだとき,この泉の記憶が鮮烈に思い出された。
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