日光本宮神社
[にっこうほんぐう神社]
栃木県鹿沼市口粟野町666

旧地名:上都賀郡粟野町口粟野。通称:山王様さんのうさま。粟野歴史民俗資料館隣り,粟野第一小学校南東。
境内社に大山祇命の白山神社。
安永四年1775白雲山石塔。
明治三拾六年1903鳥居
由緒沿革:延長年間創立にして、日光二荒山神社の分霊を勧請す。古老の伝説に旱天に当し諸作物枯死せんとす。又悪病流行し死する者多くその際平野翁が豊産業祖神、医薬神として大己貴命を祀り味耜高彦根命,田心姫命の分霊を迎えて祈願し降雨ありて諸作物共豊二五穀成就し悪病退散町内安全となり、その後日光本宮神社という。
粟野には他に,口粟野町1789,中粟野1081,入粟野60,入粟野616-1に日光神社がある。また上粕尾に一社。このあたりには日光と名のつく神社が6社。
さらに口粟野の口粟野神社は往古「日光神宮」と称していたが明治五年に改称している。
『下野神社沿革誌』の粟野村に記述されているのは中粟野の日光神社一社のみ。
粟野の5社のご祭神は共に「大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命」






由緒沿革

本殿右手に白雲山

白雲山解説

鳥居



日光神社
[にっこう神社]
栃木県鹿沼市中粟野町1081

中粟野大栗地区の日光神社。旧地名:上都賀郡粟野町中粟野字板名
境内社に山神社(大山祇命),雷電神社(別雷神)
由緒沿革:弘仁二年811勧請す。宝暦十三年1763五月再建(以下略)
*『下野神社沿革誌』三巻45丁 明治三十五年1902
下都賀郡粟野村大字中粟野鎮座 村社日光神社
祭神大己貴命 田心姫命 味耜高彦根命 建物本社間口一間奥行同 拝殿間口四間奥行二間半 末社四社 氏子百六戸
本社は弘仁二年811の創建にして宝暦十三年1763五月本社再築せり社域四百五十七坪字大栗り清地に在り


左は大栗公民館









鈴が2つ






日光神社
[にっこう神社]
栃木県鹿沼市入粟野町60

旧地名:上都賀郡粟野町入粟野。出口地区の日光神社で宮入の集落に奉斎されている。宮内日光神社。
旧版由緒沿革:安永五年戊子1776再建。
新版由緒沿革:宝永五年1708再建。
「安永」から「宝永」に再建年が変更されている。
鳥井脇に万延元年1860の庚申塔。





本殿








安永三甲午歳1774


日光神社
[にっこう神社]
栃木県鹿沼市入粟野町616-1

旧地名:上都賀郡粟野町入粟野。水沢地区の日光神社。通称権現様。
境内社に山神社(大山祇神)、稲荷神社(稲倉魂命)・境外社に青龍権現社(水波能売神=罔象女神)新版では青龍神社。
由緒沿革:社殿明和五年1768三月再建大正七年1918本殿改築幣殿拝殿新築現在に至る。(以下略)
昭和8年社柱に「無格社日光神社」
一の鳥居右手に「大正四年1915十一月日光神社二殿改築之碑」
天明二年1782「御廣前」石燈籠
二の鳥居に「昭和八年一月建之」の銅版がはめ込まれている。「加蘇山神社々司兼務社掌齋藤能武雄」とも。
拝殿左右の2枚の額は:「日光神社本殿屋根葺替寄附芳名」大正拾壹年四月
「日光神社玉垣参道社號標築工寄付者芳名」昭和九年四月


大正四年1915

二の鳥居・昭和8年

大正11年

昭和9年






昭和8年


馬返橋停留所の前に鎮座

日光滝尾神社
[にっこうたきお神社]
栃木県鹿沼市口粟野町1789

旧地名:上都賀郡粟野町口粟野。口粟野の町の北方に鎮座
扁額は「滝尾神社」
由緒沿革:延長年間創立にして、始め山玉大権現と称し、伝説によると当地に病気流行し病死者多数なりし時日光町鎮座二荒神社大神の分霊を(?と)瀧尾神社祭神田心姫命の分霊を勧請せり。悪病は退散し村内安全となる。その後更に大己貴命、味耜高彦根命合祀し今は日光滝尾神社という。
『栃木県神社誌』昭和39年2月11日発行『栃木県神社誌』平成18年7月12日発行ともに「日光」つきで収録されている。旧版では「たきのを」,新版で「たきお」に読みが替わっている。
昭和50年の屋根改修寄進芳名板に「滝尾神社」
昭和51年の栃木県神社廰長額賀大典発行の感謝状に「滝尾神社」
鳥居は「元文四己未1739十二月吉祥日」
御神木の杉は巨木。脇に傘を置いて撮影したので,巨大さが分かると思う。
スギなのかカヤなのかについては拝殿内に昭和51年の「すぎの大木コンクール」認定証がかろうじて見えたのでスギとした。『栃木県神社誌』でもスギ。



元文四己未1739


拝殿内



相当の巨木

雨傘と比較



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