さくら市喜連川の喜連川神社
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喜連川神社
[きつれがわ神社]
栃木県さくら・喜連川4491

祭神:素盞嗚命 櫛名田姫命
旧地名:塩谷郡喜連川町大字喜連川
古くは「天王宮」であった。1800年ごろに「牛頭天王」で記録されている。倉ケ崎城=喜連川城の南側 斜面に鎮座。尾張国津島牛頭天王宮の分霊を勧請して永祿六年1563に創建。明治維新に際し「喜連川神社」と改称した。
社殿は元は南面し荒川方向から北に向かう参道があったが,明治四十年1907に町筋から入れるよう参道を開通し,拝殿を改築して社殿はそのまま90度東に向きを変え,現在に至る。
喜連川の中心地にある郷社で明治40年から44年にかけて以下の23社を合祀している。
伯耆禰神社(倉ケ崎)/稲荷神社(倉ケ崎)/神明神社(松田裏)/神明社(上り山)/金鶏神社(上り山)/金鶏神社(大杉前)/日枝神社(山王)/山神社(西河原)/厳島神社(弁天山)/星宮神社(葛城細久保)/神明社(葛城権現堂)/稲荷神社(葛城稲荷森)/八幡宮(八幡河原)/八幡神社(八幡台)/八龍神社(八龍神)/雷神社(雷神山下)/八幡宮(松並)/御霊神社(松並)/太白神社(小入)/加茂神社(小入)/浅間神社(小入)/滝尾神社(小入)/稲荷神社(廿人町)
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 牛頭天王 (空白) 竜蔵院
**『下野神社沿革誌』7巻12丁(明治三十五年1902十一月十八日発行)
鹽谷郡喜連川町鎭座 村社 喜連川神社 祭神 素盞嗚命 奇名田姫命 天王宮

合祀された社のうち古記録に次の星宮神社2社が記されている。
『鹿沼聞書・下野神名帳』塩谷郡 正一位 星宮神社 (空白)
『下野神社沿革誌』7巻14丁 鹽谷郡喜連川町大字葛城鎭座 村社 星宮神社 祭神 經津主命 正徳六年1716創立

●南参道から
タイムスリップしたような御用堀沿いの住宅街を西に進む。神社は右手上方の高所の木立の中にある。こちらの社柱は明治四十年1907,鳥居は平成20年。ここを入ると社務所。わきに平成元年の高塩背山と若山牧水の双歌碑と歌碑建設記念碑が建っている。
「時をおき老樹の雫おつるごとしづけき酒は朝にこそあれ 牧水」
「かぜとよむ桜若葉のあひだよりのこれる花のちるはさびしき 背山」
石段左手に明治三十一年1898「奉祝祭紀念碑」
石段を上がると巨大な石燈籠が正面に見え,拝殿を横から望む位置に出る。 「凱旋」奉納額隣りに大正二年1913瑞垣建設記念碑。
拝殿左手の杉も太いが,本殿と拝殿の間に聳える欅も巨木だ。 本殿裏手は震災で崩落した斜面の補強工事が行なわれている。瑞垣の一部も破壊されて傾いたままで,社殿はよくぞ震災に耐えたと感心する。

御用堀

樹木上方に社殿

平成20年鳥居

双歌碑標識

双歌碑

落葉が屋根に

落ち着いた社殿

荒川方面

略史看板

略史看板

拝殿の沿革板書


右手

左手の杉




太い根元

真裏補強工事中

左手を逆から

立派な石燈籠

御輿倉

御輿倉の和歌の板書

御輿倉の板絵

手水舎

祭神と祭日

文政六癸未年1823

大正二年1913瑞垣建設記念碑
 
●東参道から
表通り沿いの石鳥居は大正三年1914発起人喜連川町消防組。
参道を行くと左右に巨大な欅が。石の塊のようだ。手前に昭和8年6月20日「郷社氏子篤志記念碑」。昭和3年の社柱の後ろに見える朱色の鳥居は伯耆禰神社。
2つ目の石段左手に「拝殿改築記念碑」明治四十三年1910,石工金田弥一郎,金田渓谷刻。
石段を上っていくと最初の狛犬。昭和十二年,石工諏訪武作?
さらに上ると大正八年1919狛犬。石工金田渓谷。

電柱の脇を入る

大正三年1914鳥居

石段両脇に欅の巨木

中央は郷社氏子篤志記念碑

右奥に伯耆禰神社

拝殿改築記念碑

最初の狛犬



社殿が見える

拝殿手前の狛犬




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