足利市の神社資料

▊足 利 郡 『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻一-10丁
本郡は始め足利梁田の兩郡なりしを合せて明治二十九年四月一日より足利郡と改む
今本郡の地勢を見るに東北より西部に亘りて山岳重畳し南西田圃開け土地平衍にして渡良瀬川は郡の中間を貫流して舊足利梁田兩郡を別ち數條の支流は來り合して東流す 更に西南は渡良瀬川を以て上野と界し邑樂山田の兩郡と相對し東北安蘇郡に接し旗川を以て自然の區劃をなす 本郡は舊足利梁田兩郡と稱せし時は足利郡は一町八村梁田郡は五村よりなり町村制實施の當時に於て以上の町村より成りしか後數村分割の事あり現今一町十五箇村とは成りぬ
本郡には縣社一社郷社四社村社六十社及ひ有名の無格社七社あり其氏子戸數一万二千六百三十余戸人日七万六千ー百六十余人にして面積漸く十四方里に過きすして鹽谷郡栗山一村の大さに如かすと雖も人口の多きことは全國第一に居りて人文の發逹せるを知るに餘あり
本郡古來の沿革を尋ぬるに舊足利郡は聖武天皇の朝に諸國に驛家を定られし以來東山道使道に當り早く開けゆきしものか舊梁田郡は下野上野の相合して毛野と稱せし頃所謂國廳のありし所にして豊城入彥命の御子孫國造に任し永く治め給へし地なりけれは其開國も他に早かりしと見ゆ 然れとも一小郡なりし故にや事跡は沓として傳はるもの尠なし
本郡教育上に關する大なりと云ふへきは足利の聖廟及ひ足利學校の遺跡ありて往時小野篁の創立なりと歷史上にも明にして世人の能く知る所なり 既に王代一覧鎌倉大草紙和漢三才圖會他國史畧山吹日記木曾名所圖會足利學校書箱目録等にも記せり 然れとも亦分類年代記漫遊文章上野名跡考及ひ上野傳説雑記柳庵随筆には各々其記する所を異にして所謂創立に關しては諸説區々にして一定せさるも要するに珍奇なる書籍をし天下の奇室ともいふへきは上代文教の盛なりしを見るに足るへきか 明治の新天に際し廃藩置縣の后該學校は栃木縣の所轄となり殊に足利學校遺跡保存會を設立し其保存を計れり 亦明治時代の教育に就ては管内有數なる小學校を始とし到る所校舎の設立し非さるはなく殊に工業學校の設置ありて亦就學兒童の如きも他郡に優るものあり 噫蓋し其因する所遠く且つ深きものあるにより將來の教育の發逹亦以て期すへきなり
舊雨郡開國の始め二千年以前の事は漠として其要を得るに由なし中世以后傳ふへきは足利氏の事歷なりとす 其足利に源氏と藤原氏との二姓あり藤氏足利は藤原秀郷六代の孫淵名兼行の子成行なるもの足利栗崎に叶城を築きしに始り源氏足利は源義家の三男義國より出て尊氏も之より出つ 源平盛衰の時代より上杉謙信織田時代の間源姓藤姓足利兩氏の間屢變遷あり 次て豊臣氏の時世に及ひ足利小俣の諸城悉く變し又一城なきに至りしか更に徳川家の時に至り寛永元年戸田忠利を足利に封し爾來相承け明治維新に際し八代の後胤戸田忠行に至りて藩籍を奉還せしむ 明治五年廃藩置縣の事あり其後に至り栃木縣所轄となり舊足利梁田兩郡を合せて一の郡役所を足利町に置きしか明治二十九年四月に至り梁田郡を廃して舊足利郡に合し改めて足利郡と稱す
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足利の神社は関東の神社仏閣を積極的に回っていらっしゃる方のサイト【神社ぐだぐだ参拝録】に写真付きでほぼ網羅されていますので,ぜひご覧ください。
小生は地理的・体力的・経済的に回れそうもありませんので,下調べだけにとどめます。

▊足 利 町 『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻一-11丁
本町は舊足利町及ひ助戸村の一町一村を合せて一の自治區をなせしものにして其幅員東西一里十町南北三十町あり 地勢東西山岳を負ひ一方は渡良瀬川に瀕し土地概ね平坦肥沃なり 町民は商工を營み機業を以て其名海外に聞ゆ 舊助戸村も農工相半し概して勤勉の風あり活潑にして進歩の力に富み金融の活動甚しき勢あり
古來の沿革に付ては舊足利町は足利藩主戸田矦の領地に掛り助戸は高木主水正の領する所にして明治維新の後栃木縣に屬し舊足利町は第四大區七小區助戸は第四大區六小區に編入せられ各戸長役塲を異にし更に町村制實施に當り一自區を爲す故に本町には郷社一社村社二社及ひ有名の無格社一社ありて其氏子戸数三千七百六十余戸人ロ一万八千八百余人を有し殊に足利郡役所々在の地にして警察署郵便電信局停車塲及ひ有名の足利學校の遺跡等あり

八雲神社

[やくも神社]上社・惣社

栃木県足利市・緑町1-3776

主祭神:素盞嗚命 配神:櫛稲田媛命・大己貴命・少彦名命・火具土命 境内社:機神神社・天神社・琴平神社・産泰神社・三峯神社・稲荷神社
貞観十一年869創建の古社。足利・梁田両郡の総鎮守。下野天王惣社で足利天王榊大社と称した。応徳元年1084には足利梁田両郡の総鎭守と定められた。 大社でありながら明治三十五年1902刊の『下野神社沿革誌』に記録が見当たらない。 明治十年1877渡良瀬川の氾濫を避けるために天神社境内に遷座したことが遺漏と関係があるだろうか,理由が不明である。通5丁目の八雲神社から西に徒歩約15分の足利公園に鎭座。
明治四十二年1909愛宕神社を合祀。
2012年に不審火で焼失したが,2017年12月に再建され9,10日に落成式が執り行われた。再建に当たって本殿・幣殿一式は伊勢神宮の天照大神弟神の月讀尊荒御魂宮を譲り受け,移築した。
本殿右手の石鳥居額に「機神神社」その右に石鳥居と石燈籠付きの「稲荷神社」。機神神社本殿右手には石鳥居付き三対の石燈籠を備えた大黒様。
つぎの,通と大門通の八雲は『栃木県神社誌』平成18年版では[やぐも]と濁音で記録され,緑町では清音で[やくも]とされているが,正否をとやかくいうこともない。
例祭:7月21日 22日おかち渡り,当社上の宮の神輿と通五丁目の下社八雲神社神輿が下馬橋旧址に会して御幣合せ神事
詳細は https://yagumojinjya.com/yuisyo.html

八雲神社

[やぐも神社]下社・郷社

栃木県足利市・通5-2816

主祭神:素盞嗚命・猿田彦命 境内社:稲荷神社・瓊矛神社・秋葉神社
織姫神社登拝口の一の鳥居の道路向かいに鎮座。1150年ほど前に創建された古社で,社号標に「郷社八雲神社」の文字。
天保十四年1843本殿改築。大正四年1915拜殿戸神饌所を新築,昭和八年1933社務所新築,平成十二年神楽殿改築。
例祭:7月20日(夏休最初の日曜日) 20日夜緑町の上社八雲神社神輿渡御,21日夜に当下社神輿渡御,22日おかち渡り,下馬橋旧址で御幣合せ神事
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 祇園牛頭天王 足利本町 赤坂左門
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻一-12丁
足利町大宇足利五丁目鎭座 郷社 八雲神社 祭神素盞嗚命 建物本社間口五尺奥行四尺銅葺 華表一基 末社二社 氏子二千四百戸 社掌肋川芳之仝町字西宮住
本社創立は貞觀年中859~877にして衆庶崇敬の社なり 明治六年一月郷社に定めらる 社域五百十八坪本町の中央北側に鎭し本社に遶らすに石の瑞籬を以てし境内の四方には渠を構ひ古杉老樹亭々と高く聳ひ幽邃にして頗る雅致あり

八雲神社

[やぐも神社]

栃木県足利市・大門通2379-2

主祭神:素盞嗚命・奇稲田姫命 境内社:染殿神社
明治十三年1880に通四丁目の八雲神社を合祀。昭和四年1929に通二丁目2660に社殿を新築。昭和四十二年1967道路拡張のため鑁阿寺楼門南の現在地に遷宮。東隣りに足利学校。
例祭:7月21日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-12丁
足利町大字足利鎭座 村社 八雲神社 祭神素盞嗚命 櫛稻田姫命 祭日六月三十日七月二十日 建物本社一間四方 拜殿間口三間奥行二間瓦葺 華表一基 寶物正宗作刀一振月山の銘あり長さ二尺三寸東京市神田新石町某奉納 氏子八百戸總代十五員 社掌高山兼守仝町二二三番地住
社傳に曰く寶永二年1705戸田長門守此の地に移り領せし時代官風祭太郎左衛門の創立なり 元治元年1864本社拜殿氏子ー同の力を以て再建す 本社維新以前は寶珠院にて別當職を奉し復飾奉祀せしか今や氏子の矚望に依り高山氏之れか社掌たり 祭典の如きも明治元年より仝二十二年迄衰頽に赴き神輿渡行の大式は廢絶に歸したりしを同氏深く嘆して自ら私金を抛つて仝二十三年更に盛むなる祭式を擧けしより毎年例となりて漸く神威の光輝を増せり枚に其宮殿の如きも常に淸潔にして一点の汚塵を留めす其注意周到成すへし 境内九十一坪にして足利町二町目北側にあり 市街櫛比の處とて山水の美には乏しけれと紅塵万丈の間自つと閑雅幽静の洞源を爲せり 其風韻を添へたるは櫻の碑なり今左に採録して未た見ぬ人の語り草に供せん      詠櫻花歌  奥河内淸香   さへつるやかたにはあらぬ大倭國のはたこみつき匂ふ科くらかくはたちよれば老さへわすれ花みれは憂さへわする のはなの咲のさかりは貴人も賤の荒雄もむら肝旰の形ころをなしく酒呑は酒さへす〻み歌詠めは歌さへうかふ此所念へは奇しき花そ敷しまの倭嶋根にあそふ櫻哉
     明治四辛未年夏五月  創立者高山謙守補助須永廣吉

鹿島御嶽神社

[かしまみたけ神社]

栃木県足利市・助戸仲町479

主祭神:建御名方命・国之常立命 配神:船戸神ほか多数 境内社:琴平・八坂・見眼・龍王・稲荷神社
天保二年1831再建するも天保十四年1843焼失,後年再建。
例祭:10月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 鹿島大神宮 助戸 平戸→平渡大和
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-13丁
足利町大字助戸鎭座 村社 鹿嶋神社/御嶽神社 祭神建御雷命 國之常立神 建物本社五尺四方 拜殿間口四間奥行二間半 末社五社 氏子二百五十戸 社掌日下部幸山仝大字住
本社創立詳ならす 社域五百四十一坪平地にして社木森々たり

西宮神社

[にしのみや神社]

栃木県足利市・西宮町3877

主祭神:事代主命・蛭子命
『栃木県神社誌』平成18年版では慶長八年1603摂津西宮大神を勧請して創建とある。安政二年1855暴風で倒壊,仮の本殿を建築。明治十二年1879山神社を合祀。大正七年1918社殿改築。
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-13丁
足利町字西宮鐵座 無格社 西宮神社 祭神事代主命 祭日陰曆正月十月二十日 建物本社本社間口五尺八寸奥行五尺三寸 拜殿間口三間二尺奥行二間 神樂殿一宇 末社三社 社有財產山林一町四反四畝歩 氏子信徒五百八十三人總代三員 社掌助川芳之仝町五三〇番地住
社傳に曰く貞享二年1685代官笠原七郎平當町商買繁榮のため勸請する處なり 其時社地として東西七間半南北三十一間除地とし代官より寄附せられ元文四年1739本社を再建し天明四年四月拜殿を再建す 今に神威赫灼參拜者の迹を絶たす毎年の例祭には數千人の信徒協同して賑へり 今の社掌か孫紋一郎之かため繁榮講社を結成し目下遠近に講社員を有する八千餘名毎年春秋二期に大講會を開き社員の繁榮を祈り御神符神影神饌を配付するを例とし二十五年秋より今に盛むなり 社寶には正親町中府將實徳卿の筆神號の扁額天保七年十一月奉納及ひ古鏡一面を藏す 社域百三十九坪にして里俗鏡岩と稱する丘陵の崖下にあり前に足利街の西端を望み右手に瓦山と稱する岡陵を眺む 此處には松の一叢ありて緑の枝振面白く宛かも一幅の活畫を親るか如とし 境内には伊勢大神宮の御分靈を祀る 其の後に一基の碑ありて句を刻せり「たもふもの所を得たし夷講」

織姫神社

[おりひめ神社]

栃木県足利市・西宮町3889

主祭神:八千々姫命・天御鉾命
創立年不詳。明治十二年1879機神山の現在地に遷宮するまで通四丁目の八雲神社の相殿だった。翌年焼失して,時を経て昭和十二年1937社殿造営。昭和三十一年1956境内地を含めて足利公園がつくられた。境内地4613坪,とても見栄えのする立派な神社。
例祭:5月5日

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県足利市・緑町2-3753

主祭神:火軻遇突智命
平安末期に定期市に使用する倉庫の火災除のために創建。宝永六年1709戸田氏が煙硝倉を現在地に建て,合せて社殿を造営,愛宕山大権現と称した。寛保二年1742水難死者追悼の入水碑。大正十五年1926改築。
例祭:4月第二日曜日

厳島神社

[いつくしま神社]

栃木県足利市・通6-3177

主祭神:市杵島姫命・建御雷男命
弁財天を信奉した足利城主長尾氏が領内に祀った七社の一。昔は西宮町の長林寺の池の辺に鎭座した。
例祭:5月第二日曜日

厳島神社

[いつくしま神社]

栃木県足利市・大町3-2

主祭神:市杵島姫命 境内社:稲荷神社
永正年間1504~21に足利学校の東北すぐのところに創建。宝永元年1704造営の本殿が昭和六年1931新築した本殿の左に保存されている。
例祭:10月3日

三神社

[さん神社]

栃木県足利市・大町3-2

主祭神:大日孁貴命・天児屋根命・譽田別命・少彦名命・伊弉冊命
創建等不詳。明治四十三年1910熊野神社を合祀。
例祭:4月第一日曜日

伊勢神社

[いせ神社]

栃木県足利市・伊勢町2-3-1

主祭神:天照皇大神 境内社:豊受社・月読宮
仁平元年1151創建。天正年間1573~92に焼失。弘化二年1845社殿造営して復興。維新の際に廃絶さるも,明治十四年1881有志が足利駅西に遥拝所を建てて再建。明治三十九年1906官許を得て再建。大正十四年1925焼失。同年現在地に社殿を新築。昭和十七年1942伊勢宮から伊勢神社と改称。
例祭:7月17日

飯成神社

[いいなり神社]

栃木県足利市・伊勢町4-14-6

主祭神:倉稲魂命 境内社:金山神社
大宝元年701には孔子像が祀られていたという。天長年間824~834に小野篁が当社に到り足利学校を創立。往古は五社宮大神,国府野大社と称した。渡良瀬川の氾濫で昌平町に遷宮したが,元の跡地に石宮が残っていたので明治二十一年1888そこに社殿を建立するも明治二十九年1896大洪水で倒壊,後年再建。昭和六十二年1987区画整理に伴い社殿を西向きにした。
例祭:3月初午日

御嶽神社

[みたけ神社]

栃木県足利市・旭町577-1

主祭神:国常立命 境内社:稲荷神社
足利上總介が建久七年1196に創建。蔵王権現と称した。蔵王宮の扁額が残っている。
『栃木県神社誌』平成18年版に[みたけ]とあるのでそれにならった。
例祭:11月3日

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・雪輪町2461

主祭神:倉稲魂命
江戸期に足利藩主戸田家の守護神として創建。東京神田神保町の五十稲荷は当社から分詞して江戸屋敷の守護とした。大正十五年1926本城一丁目の天神社を合祀。
例祭:4月第三日曜日

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県足利市・家富町2246

主祭神:菅原道真公
創建等不詳。逆藤天満宮と称し,鑁阿寺北に鎭座。
例祭:4月第一日曜日

道祖神社

[どうそ神社]

栃木県足利市・相生町396

主祭神:?
創建等不詳。

示現稲荷神社

[じげんいなり]

栃木県足利市・栄町1-3316

主祭神:倉稲魂命
建仁三年1203以前の創建。靈狐が出現したところに示現塚がある。大正十三年1924社殿改築とともに社号に示現を付ける許可を得る。昭和十二年1937改築。平成7年1995までに屋根を銅板葺きに改修。
例祭:三月第一日曜日

厳島神社

[いつくしま神社]

栃木県足利市・本城2-1860

主祭神:市杵嶋姫命 配神:菅原道真公 境内社:機神社
永正十年1513創建。弁財天宮と称した。寛政五年1793本殿造営。
明治四十三年1910天満宮を合祀。
戦火で焼失し昭和三十年1955再建。
例祭:11月3日

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県足利市・本城1-1562

主祭神:天祖大神 配神:大雷神・市杵嶋姫命 境内社:若宮神社(天津日高日子穂穂手見命)・小谷神社(日枝大神・八坂大神)・機姫社(機大神)・生駒社・厳島神社・八雲神社
天喜二年1054創建とされるが,それ以前に上古,社殿脇の「神鳴石」を依代として原初祭祀が行われたと伝わる。小谷城の守護神として崇敬され,但馬守顯長が永正元年1504社殿造営。江戸期には領主戸田氏が崇敬,天保十三年1842「雷電大権現」の大幟を寄進。翌年拝殿新築。
明治十年1877暴風で大破するも翌年改築。
明治四十二年1909厳島神社を,大正十年1921八雲神社を合祀。
大和両神代神楽が伝わる。
例祭:4月第四日曜日 夏祭:7月20日 秋祭:10月25日

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県足利市・助戸東山町1762

主祭神:大雷神・火雷命 境内社:山神社
板倉沼が干上る旱魃の時,領主秋元侯自ら黒馬に乗って邑楽郡板倉沼畔の雷電宮に雨を祈願すると雷電山麓の田圃で雷雲生じ豪雨となる。従者の敷いた板の上で雨の収まるのを待ったので板敷田圃の名が残る。靈驗に報いるために山上に登り参拝した。この故事から雨乞いに黒駒の絵馬を奉納する習いがあった。
御神体箱書に「宝永三年1706三月二十五日神威正一位雷電大権現」と書かれている。
例祭:4月第四日曜日

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・助戸1-598

主祭神:豊宇気姫命
いつの頃か助戸村の小堀重左衛門が寺二石[ふたついし]に稲荷神を勧請。靈驗著しく参拝者が増加し,農耕に支障が出るほどであったので安永三年1774権現堂(天台宗龍泉寺)三十八世潮音和尚を別当として現在地に遷宮,二石稲荷と称した。
例祭:2月初午に近い日曜日

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・助戸493

主祭神:?
創建等詳細不詳。
例祭:月日

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・新山町2227

主祭神:?
創建等詳細不詳。
例祭:月日

浅間金刀比羅神社

[せんげんことひら神社]

栃木県足利市・助戸新山町1605

主祭神:木花開耶姫命・大物主命
創建等詳細不詳。助戸新山町尻無山の浅間神社に昭和51年1976改修に際して中腹に鎭座した金刀比羅神社を合併し,浅間金刀比羅神社と改称した。このとき改めて富士山本宮浅間神社と香川金刀比羅宮より御分霊を勧請した。
例祭:月日


▊山 前 村  『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-13丁
本村は町村制實施に際し坂西村と稱せしか明治二十六年二月分村を出願し遂に希望の如く山前三重の兩村に分れ舊大前山下の二村を合せ山前村と成る往時は足利藩の領地にして明治維新后栃木縣に屬し后今の一村となる 本村には郷社一社村社一社及ひ有名の無格社一社ありて其氏子戸数五百五十余戸人口三千五百四十余人あり

大原神社

[おおはら神社]

栃木県足利市・大前町1402

主祭神:天児屋根命・経津主命・武甕槌命・比女命 配神:譽田別命・伊耶那美命・軻遇突智命・大日孁貴命・水波能売命・宇賀廼御魂命・素盞嗚命・菅原道真公 境内社:八坂神社(背後に雨降り石)・織姫神社
明治四十三年1910八坂神社,神明宮二社,八幡宮,天満宮,八幡神社,愛宕神社,十三神社,熊野神社,水神社を合祀。翌年八幡神熊野神社を合祀して社殿大改築。昭和55年1980大改築。平成2年境内整備。平成5年国道にあった大鳥居を移築。
例祭:4月,10月第三日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-14丁
山前村大字大前鎭座 郷社 大原神社 祭神天照皇大神 天兒屋根命 武甕槌命 經津主命 祭日四月十六日 建物本社間口八尺七寸奥行七尺五寸栃葺 拜殿間口四間半奥行二間半瓦葺 饌殿間口二間奥行九尺瓦葺 雨覆二間半四方 雑社二県四方 木鳥居一基 水屋一棟 氏子二千七百餘戸總代六員 社司森山大久良仝大字一二三住社掌森山鼈次仝大字一二一住
社傳に曰く景行天皇四十二年112日本武尊東征の歸途諸國巡視の際此地に巡幸し本村字臺山の頂上に國家鎭護の爲大和國大原野大神を勸請せしなり 村民其前に住みしにより村名を大前村と稱す 后永承六年1051の春大原神社の白幣今の社地に飛來立ちしを以て大神の御慮ならんと村民議りて宮殿を造營遷座し奉る 后貞享二年1685九月氏子信徒戮力して再建せるよしは本社の棟札に記されて明かなり 享保七年神位宗源宜旨を賜ひて正一位を贈らる 文政十三年1830十一月本社及ひ拜殿を改造し明治五年十二月修繕を加へ仝五年郷社に列せらる 境内にはいと古ひたる藤の木あり故紫藤の社と云ふ今に幕提灯の器具には皆藤の九紋を用ゆるとそ 抑此大神は腹部の諸病を煩ふもの祈りて靈驗ありとて信する者遠近より陸續絶へす病者は木社より龜甲形の腹掛を借り受けて腹に掛け平癒を祈る其驗を得たる輩は新に龜甲形の腹掛を製り添へて奉納する例にして幾千となく拜殿へ掛け列らねたり 本郡は勿論上下都賀安蘇其他に渉りて上毛の新田邑樂山田群馬佐波勢多武藏の埼玉入間秩父横見大里比企下羽武の諸郡より信仰祈誓するもの月に加はり其他東京市淺草區花川戸町關根佐太郎大坂市南區板屋橋北詰上川榮治郎深く信して懇ろに其祈願を乞れりと 呼盛んなる哉神の威徳記すたに尚ほ長き心地するか〻れは氏子に到るまて欽神の心深く緝和協同して常に敬神に怠らす 嘗て本村古街道を改めて新たに縣道を開さしより木社へ脂するもの不便なるを以て氏子總代寺内音重郎卒先して社前の所有地ー反四畝十九歩及ひ工事費九十余圓に其他大々神樂面装東を献納せり 又氏子一同にて該工事人夫四百七十人を寄附して新道より直に社頭に通する長馬塲を開き大野藤三郎仝常三郎岡田淸次郎より馬塲に架せし石橋二箇所を寄附し岡嶋忠助は廣大なる花崗石の幟杭あり 現今の建物は何れも壯嚴巨大にして社地は大前の西端に位し縣道より遥に赤き華表を望む 馬塲二町弱入りて本社に達す 社域百八十八坪にして境内廣からすと雌も左右に六百年余も經たらむと覺しきー抱の藤何れも幹三本に分れて巳かまにまに榎槻の老樹に搦まり中空まて這ひ上ほれり 黄鳥春を領し翠霞靉▢くの時之れを仰かは恰も紫雲花を散するの美觀あらん

春日神社

[かすが神社]

栃木県足利市・山下町1778

主祭神:天津日子番能瓊々杵芸命 配神:天児屋根命・比賣神・武甕槌命・経津主命・人丸命 境内社:厳島神社・八坂神社・天神社 『栃木県神社誌』平成18年版では『下野神社沿革誌』記載の祭神は天津瓊瓊杵命に,創建年は享録二年1529から永享二年1430に変更されている。 例祭:4月,10月第二日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-14丁
山前村大字山下鎭座 村社 春日神社 祭神天兒屋根命 經津主命 武甕槌命 比賣神 相殿祭神人丸朝臣命 祭日四月廿一日十月廿一日 建物本社間口一間奥行一間一尺栃葺 雨覆間口二間二尺奥行二間半草葺 饌殿間口一間二尺奥行一間四尺瓦葺 拜殿間口五間奥行二間瓦葺 木華表一基 氏子三百三十戸總代四員 社掌日川齊宮仝村大字仝二百番地住
社記に曰く享録二年1529三月二十七日日山の祖先杉之坊なるもの大和國奈良の春日大神の分靈を奉遷し一間四方の宮殿を建て鎭座せしより日山家代々別當職を奉仕す 后伊勢坊慈賢寛永七年1630十一月氏子信徒と協力して本社を再建す現今の宮社是なり 相殿に祀れる人九朝臣は徃古本村字臺の前野中に在りしを貞應三年1224九月検地の際當社に合祀せり后享保十二1727正月人九明神へ神階正一位を授けらる 社域二百六十一坪外に田畠山林九反四畝二十四歩と有したれは社殿將來の修繕及ひ祭典等も衰頽に至らす隆盛なむゆ社宇壯麗ならすと雖とも石の燈籠数基兩側に並列し石の幟杭左右に相對し十八階の石磴を登り数間の敷石を踏みて本社に達す 境内高燥にして古松老杉蓊蔚竹林風に動いて松聲琴の如きを聞く 東北は一帶の山陵にて南渺々たる嚝野の上に上毛金山の起伏を望み眺矚甚た佳なり

三崎稲荷神社

[みさきいなり神社]

栃木県足利市・大前町1369

主祭神:宇賀廼御魂命・猿田彦神・大宮姫神 境内社:荒神社
例祭:4月第一日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-15丁
山前村大字大前字西山鎭座 無格社 稻荷神社 祭神宇賀魂命 猿田彥命 大宮比賣命 祭日陰曆二月九月初午日 建物本社間口五尺奥行一間栃葺 雨覆間口五間奥行三間 拜殿間口五間奥行三間 拜殿間口五間奥行四間瓦葺 神樂殿間口二間奥行九尺 氏子十二戸總代三員 社掌森山久良仝村大字仝一三六番地住
社傳に曰く享保七年1722正月十三日寺内刑部少輔重久の裔寺内勘解由重淸四世の孫寺内淸兵衛の長男九山昌貞法眼玄棟(下野國足利郡大前村字丸山に住せしより寺内を丸山と改む)武戴國豊嶋郡江戸小石川土堤三崎稻荷大明神を遷座せしに創り神主は和田周防守平重親なり此等の事は棟札及ひ信徒總代寺内義三郎貯藏の舊記によりて明かなり 昌貞の子子孫は東京市芝區愛宕下町に住みしより寺内家に托して社殿保護に怠らす最も社有田二反二畝余歩山林一町六反余歩祭費金六拾余園を有し常に修繕等に目撃せり 本社は地頭土井備中守の祖先土井主計の代より累世崇敬を加へ開開運稻荷大明神と崇め天保三年1832正月士井利章より境内附山林壹町歩余免租地に附せられ仝六年十一月地頭の奏聞により宣旨を賜へて正一位を授けらる 仝七年土井利恭より正一位の扁額及ひ長保呂并に大提灯四張を奉納せらる 維新前は毎歳祭日には地頭の代參ありて大祭典の神璽は土井家上屋敷に献上家中一般に頒布せる例なり 現今の逮物は創立の儘舊形を存し壯麗なること多く見さる所なり 社域百六十二坪大前の西北隅に位し石磴を登る數十級にして本社に到る 四方遶らすに細松を以てす 北は丘陵に接し西に欝茂たる蒼樹を見る 境内高燥にして古松老杉亭々として高く聳ひ竹林風に動いて松聾琴の如きを聞く 拜殿には三十六歌仙の▢額三十六面を掛列ね傳へて雲上人の筆に揮毫したるものなりと云ふ 毎年陰曆二九月初午日を以て祭典を行ふ 詣するるの甚多く爲に境内頗る雜沓を極む

白山神社

[はくさん神社]

栃木県足利市・山下町1517


主祭神:伊耶那美命
創立年月等不詳。樹齢400年を超す樫2本。
例祭:4月第三日曜日 秋季大祭:10月第三日曜日

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県足利市・山下町1857


主祭神:軻遇突智命
鎌倉時代1192〜1333の大火を経験して火防のために古墳の頂上に勧請,愛宕山大権現と称した。寛永七年1630再建。明治二十六年1893拝殿新築。
明治四十四年1911山前村字台に遷宮。平成初年に大改築。
例祭:4月21日

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県足利市・山下町2094


主祭神:譽田別命 配神:大山咋命
創立年等不詳。明治四十三年1910日枝神社を合祀。
例祭:4月10月第三日曜日

鹿島神社

[かしま神社]

栃木県足利市・鹿島町360-1


主祭神:武甕槌命
文永年間1264~75足利泰氏が今より少し西の地に創建。元禄九年1696現在地に再建。
明治四十四年1911小字川端の神明宮,小字本宿の八坂神社を合祀。
昭和三十九年1964拝殿改築。
例祭:4月10月第二日曜日
▊三 重 村  『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-16丁
本村は町村制實施に當り五十部,今福,大岩,山下,大前の舊五村を合併して坂西村と稱せしか明治二十六年に至り之を分ち割きて三重山前の兩村と成せしものにして三重は舊五十部今福大岩の三村を合せて三重村と稱し一自治區を成せしものにして南方は渡良瀬川に瀬し土地平坦なり 徃時旗下釆地に分屬し後栃木縣に屬す
本村には村社三社及ひ有名の無格社一社ありて其氏子戸数三百七十余戸人口二千二百八十余人あり

鹿島神社

[かしま神社]

栃木県足利市・大岩町341

主祭神:武甕槌命
天喜二年1054足利大夫成行が両崖山に築城した際に西方守護として創建。宝永五年1708本殿改築。大正六年1917大改修。
例祭:4月,10月第三土曜日
【参考】
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 正一位 三騎大明神 大岩 小林氏
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-16丁
三重村大字大岩鎭座 村社鹿嶋神社 祭神武甕槌命 建物本社三尺四方 拜殿間口四間奥行二間半 氏子四十二戸
本社創立年月詳ならす 社域三百六坪あり

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・今福町320

主祭神:倉稲魂命
鎌倉初期の創建,稲荷山大権現と称した。寛保元年1741本殿拝殿改築,文化十三年1816境内社整備。
大正八年1919鳥居。大正十年1921玉垣整備。平成12年本殿覆屋と拝殿の屋根葺替。
例祭:4月,10月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 正一位 千年稲荷大明神 今福 村
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-16丁
同村大字今福鎭座 村社 稻荷神社 祭神稻倉魂命 建物本社間口三間奥行四間 末社四社 氏子八十二戸 社掌日山齊宮住所前仝
本社創建年月詳ならす 社域二百七十七坪を有す

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・今福町705

主祭神:倉稲魂命
創建等不詳。
例祭:2月二の午日

白山神社

[はくさんorしらやま神社]

栃木県足利市・今福町715

主祭神:白山比咩命
例祭:月日

南神社

[みなみ神社]

栃木県足利市・五十部[よべ]町1199

主祭神:宇迦御魂命
今福町320の稲荷神社と同じく鎌倉初期の創建,稲荷山大権現と称した。明治初期に南神社と改称。
例祭:3月28日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-16丁
三重大字五十部鎭座 村社 南神社 祭神宇迦御魂神 建物本社間口二間奥行二間半 拜殿間口三間半奥行二間 社掌同上
本社創立不詳 社域一千百九十坪を有す

大手神社

[おおて神社]

栃木県足利市・五十部町375

主祭神:天手力男命
昔は創建不詳だったが『栃木県神社誌』平成18年版から天慶三年940平將門を祀って創建とされる。表向きは天手力男命を祭神とし『下野神社沿革誌』にある大手形の奉納絵馬は16153枚あるという。
例祭:4月,10月第三日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-16丁
三重村大字五十部字高田鎭座 無格社 大手神社 祭神天手力雄命 祭日四月二十二日十一月廿一日 建物本社間口一間半奥行二間瓦葺 雨覆間口三間奥行二間瓦葺 御供所間口五間奥行三間瓦葺 額殿三棟各間口三間奥行一間 額殿三棟各間口三間奥行一間 木華表一基 石燈籠一對 水屋一棟 氏子信徒五十七戸 社掌同上 社有財產地ー反五畝一歩
社傳に曰く勸請年月詳かならす 社域二百六十一坪平地にして社宇壯巌淸洒なり 境内には古杉老榎中空まて聳ひ又珍さましきは本社の前側に千年も經たる五尋にも餘れる槻木ありて中空なるにより朽腐し中間より遂に折れしは明治七年なり今は根株のみなりしか其株の中央より淸水滾冽して旱霖とも其水滴涸なく里俗此水を神水と稱し手痛の病ひを患ふる者祈誓をなし此神水にて洗へは忽ち平癒の驗しありとて日日詣するもの麕至し平癒の報賽として大手形の額を奉納する例めしにより奉額殿三舎は透間もなく積重ねたり實に神威赫灼ならむか

水使神社

[みずし神社]

栃木県足利市・五十部町1235

主祭神:水波能売命(→罔象女神) 境内社:機神神社(天羽槌雄神)
観応(北朝)二年1351創建。影取の淵で入水した五十部小太郎の使用人イソの靈を祀ると伝わる。みずっさまと呼ばれ花柳界の女性の信仰を集めた。また,平地より上部の田に水を上げる水あげの神といわれたが維新に際し水使神社と改称した。
例祭:4月10月第三日曜日

厳島神社

[いつくしま神社]

栃木県足利市・五十部町1441

主祭神:市杵島姫命
建武(南朝)元年1334創建。内藤兵馬の妻が出流原の弁財天に子授け祈願したところ娘を授かったので当地に勧請。この娘イソは後に入水して上記水使神社に祀られることとなった。
例祭:5月初午日

八雲神社

[やくも神社]

栃木県足利市・五十部町130

主祭神:素盞嗚命
緑町の八雲神社の神田に文政十三年1830その御分霊を祀ったことに始まる。
例祭:7月17日 五十部六地区を神輿渡御

東神社

[ひがし神社]

栃木県足利市・五十部町1456

主祭神:宇迦御魂命
創建年月不詳。虚空蔵尊を祀り維新に際して星宮神社を名乗った時期がある。後に年不明だが東神社と改称。昭和五十八年1983社殿大改築。
例祭:3月28日

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・五十部町1608

主祭神:倉稲魂命
寛政二年1790笠原山に創建。嘉永二年1849以来数度の修復を重ね,平成14年大改築。
例祭:4月10月第四日曜日

山神社

[やま神社]

栃木県足利市・五十部町1679

主祭神:大山祇命
鎌倉時代1192〜1333山岳修験盛んな頃の創建。文安四年1447大岩山毘沙門天十二坊が焼失した際類焼,後年再建。60坪の境内に小さな石宮が祀られている。 例祭:10月22日

湯殿山神社

[神社]

栃木県足利市・五十部町1716

主祭神:大山祇命 配神:月読命 境内社:琴平神社・月山神社・羽黒神社
鎌倉時代1192〜1333創建,山を御神体とし社殿はなかった。湯殿山大権現と称した。文安四年1447の五十部,大岩の大火で被災したとあるのでその頃には建物があったか。昭和九年1934遥拝所を造営。玉垣が築かれ石鳥居が設けられた。
例祭:4月22日

秋葉神社

[神社]

栃木県足利市・五十部町209-2

主祭神:火産霊命
明治中期に五十部の有志が伊勢に参拝した帰り静岡の秋葉神社より勧請。
例祭:4月第三日曜日 夏祭:7月第三日曜日,子供神輿巡行 秋祭:10月第三日曜日

琴平神社

[ことひら神社]

栃木県足利市・五十部町1708

主祭神:大物主命 境内社:月山神社
創建等不詳。
例祭:旧暦11月10日


▊小 俣 村 『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-17丁
本村は町村制實施の當時舊小俣及ひ葉鹿の二村を合併して新村を成せしか明治二十六年に至り小俣葉鹿の兩村に分離せしものなり
本村は渡良瀬川の北岸にありて一條の縣道之を貫き且つ日本鐵道兩毛線停車塲あり 村民は農工を業とし殊に勤勉の風あり 往時旗下釆地たりしか後栃木縣に屬し第四大區八小區に編入せられ葉鹿村と同しく一戸長役塲の所轄となりしか現時の一村とはなれり
本村には村社一社ありて其氏子四百十戸人口三千四百八十餘人を有す

熊野神社

[くまの神社]

栃木県足利市・小俣町672

主祭神:伊弉諾命・速玉之男命・事解之男神 境内社:八坂神社・三島神社
天保六年1835または七年に再建。
例祭:4月第三日曜日 10月25日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 熊野三社大権現 小俣 長福院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-17丁
小俣村字熊野山鎭座 村社 熊野神社 祭神伊弉冊命 速玉男命 事解男命 祭日四月廿五日九月廿五日 建物本社九四尺方栃葺 雨覆一棟 木華表一基 石燈籠二基 氏四百十戸 社掌大川繁右衛門仝大字一三九番地住同石井増太郎仝住所
本社は大永六年1526二月の創立にして紀州熊野より遷座す后天保六年1835九月本社再建慶應三年十一月及ひ明治二十六年三月仝三十四年十一月修繕す 本社は吉田山の半腹東南隅に位し字熊野山(古昔妙見山と云ふ)に在りて登ること一町余石階を躋れは華表あり社域九百九十九坪高陵の地にして社殿荘嚴を極め境内には古松老樹亭々として高く聳ひ風致頗る幽邃にして南渺々たる田野の中に上毛の金山の起伏せるを望み眺矚に富むるの境なり 社有財產田三畝八歩あり

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・小俣町262


主祭神:倉稲魂命
創立年等不詳。昭和二十二年1947相生川の氾濫で流失するも二十六年に再建。
例祭:旧暦2月ニの午日に近い日曜日

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・小俣町1552


主祭神:倉稲魂命
創立年等不詳。字中妻に鎭座。
例祭:4月25日に近い日曜日

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・小俣町478


主祭神:倉稲魂命
創建等不詳,伏見稲荷神社と呼ばれる。
例祭:月日

今宮神社

[いまみや神社]

栃木県足利市・小俣町1385


主祭神:素盞嗚命
創建等不詳,
例祭:4月25日に近い日曜日

春日神社

[かすが神社]

栃木県足利市・小俣町2930


主祭神:天兒屋根命
創建等不詳,江戸期には奥宮大明神と称した。鏡形の銘板に慶安三年1650分社,享保十二年1727再遷と書かれている。江戸初期の本殿は栃木県指定文化財。
例祭:4月第三日曜日

鹿島神社

[かしま神社]

栃木県足利市・小俣町3321


主祭神:武甕槌命
慶安三年1650創建。
例祭:4月第一日曜日 10月第二日曜日

貴船神社

[きふね神社]

栃木県足利市・小俣町2427


主祭神:?
不明。

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県足利市・小俣町2764


主祭神:菅原道真公
詳細不詳。安政二年1855焼失し,再建。昭和二十六年1951雨覆,幣殿,拜殿を新築。
例祭:4月第四土曜日

日光神社

[にっこう神社]

栃木県足利市・小俣町3990


主祭神:?
不明

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県足利市・小俣町1784


主祭神:譽田別命
詳細不詳。
例祭:8月15日だったが現在は行われない

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県足利市・小俣町2575


主祭神:譽田別命
詳細不詳。

日枝神社

[ひえ神社]

栃木県足利市・小俣町2082


主祭神:大山咋命
仁寿元年851慈覚大師円仁が小俣世尊寺(鷄足寺)住持になった際に守護として山王権現を勧請して創建。八十八社と称した。
例祭:4月第三日曜日

日枝神社

[ひえ神社]

栃木県足利市・小俣町3954


主祭神:大山咋命
詳細不詳。社域73坪。
例祭:10月25日だったが現在は行われない

日枝神社

[ひえ神社]

栃木県足利市・小俣町2381


主祭神:大山咋命
詳細不詳。

二荒神社

[ふたあら神社]

栃木県足利市・小俣町1280


主祭神:大己貴命
創立年等不詳。昭和十七年1942白髭神社を合祀。
例祭:4月第三日曜日 10月25日

八雲神社

[やくも神社]

栃木県足利市・小俣町405


主祭神:素盞嗚命
詳細不詳。

山神神社

[やまがみ神社]

栃木県足利市・小俣町568


主祭神:大山祇命
江戸より前の創建らしい。詳細不明。
例祭:11月2日

山神神社

[やまがみ神社]

栃木県足利市・小俣町2063


主祭神:大山祇命
詳しいことは分からない。建物はなく間口一尺五寸奥行一尺五寸の石宮があるらしい。
例祭:3月12日

山神神社

[やまがみ神社]

栃木県足利市・小俣町3610


主祭神:大山祇命
詳細不詳。かつては301坪の境内地だったが道路拡張で削られ,177坪になった。小型の木製祠が三社祀られている。
例祭:4月12日

八坂神社

[やさか神社]

栃木県足利市・小俣町814

主祭神:素盞嗚命
詳細不詳。


▊葉 鹿 村  『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-17丁
本村は町村制實施の際舊小俣葉鹿の二村を合せー村と成せしか明治二十六年に至り各々分離して獨立一村を爲すに至りしものとす
本村は徃時幕府代官の領地にして明治維新の後栃木縣に屬し第四大區八小區に編入せられ今日に至りしものにて村社一社有名の無格社一社あり其氏子戸数三百三十餘戸人口二千百四十餘人あり

篠生神社

[ささご神社]

栃木県足利市・葉鹿町2-2-2

主祭神:素盞嗚命・櫛稲田姫命 境内社:鹿島神社・為朝神社・八坂神社・織姫神社・稲荷神社・琴平神社・浅間神社・厳島神社 斉明天皇の御代655-661に出雲国杵築社より勧請とされる。大正二年1913諏訪神社を合祀。欅の社叢は足利市天然記念物指定。
例祭:4月24日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 正一位 篠生大明神 大前 村正
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-17丁
葉鹿村大字葉鹿字緑岡鎭座 村社 篠生神社 祭神素盞嗚命 稻田姫命 建物本社五尺四方 拜殿間口五間奥行五間半 末社八社 氏子三百三十余戸 兼社掌大原神社社司森山大久良
本社創立年月詳ならすと雖も齊明天皇の御宇出雲國杵築社より御分靈を奉遷す 社域千八百四十四坪あり

熊野神社

[くまの神社]

栃木県足利市・葉鹿町1348

主祭神:伊弉諾命・櫛御気野命・五十猛命・大屋津姫命 境内社:八幡宮・天満宮・春日神社・織姫神社
本殿の彫刻チェック。
昭和十六年1941星宮神社を合祀。
例祭:4月,10月第三日曜日 八坂祭:7月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 熊野山大権現 熊堂 玄寿院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-18丁
葉鹿村字熊野鎭座 無格社 熊野神社 祭神伊邪那岐命 櫛御氣野命 五十猛命 大屋津姫命 建物本社五尺四方拜殿間口六間奥行二間 雨覆二間四方 末社四社 華表一基 氏子五十三戸 社掌同上
本砒創建年月詳ならすと雖も紀州熊野本宮より奉遷したるものにして村落を熊野(今葉鹿村熊野)と稱し地方稀なる神社にて衆庶の尊信厚く社殿も宏大壯麗にして輪奐たり 社域八百六十一坪高燥の地にあり 境内には古杉老樹蓊蔚にして神威と共に高く聳ひ幽邃にして風色絶景たり

日枝神社

[ひえ神社]

栃木県足利市・葉鹿町2256


主祭神:大山咋命 配神:湯彦神・軻遇突智命・大山祇命
創立年等不詳。明治三十二年1899改築。
大正三年1914愛宕神社を,五年に山神社,高松神社を合祀。
例祭:4月10月第四日曜日

三島神社

[みしま神社]

栃木県足利市・葉鹿町357


主祭神:事代主命 配神:大山祇神 境内社:稲荷神社
創建等不詳ながら渡良瀬川の氾濫をしずめるために勧請。山車は天保四年1833作。
例祭:4月第一日曜日 10月第三日曜日


▊梁 田 村 『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-18丁
本村は梁田,下澁垂及ひ福富の舊一宿二村を合併して一の自治區となせしものにして其幅員東西一里南北二十五町ありて渡良瀬川の南岸にあり地勢平衍にして村民は農工商を分ち活潑にして勤勉の風あり
古來の沿革に付ては往時は各村旗下釆地に分屬し明治維新の後栃木縣に屬し第四大區九小區に編入せられ毎村役塲を異にし更に合して一戸長役塲の所轄となり次て町村制實施に及ひー村となる 本村には郷社一社村社二社ありて其氏子四百十余戸人口二千七百三十余人あり

御厨神社

[みくりや神社]

栃木県足利市・福富町2005

主祭神:天照大神 境内社:豊受神社
康平六年1063源義家が創建。このとき奉幣代官として伊勢より招聘した岩井田一紀は江戸後期に社掌として記録された岩井田氏の祖ということになる。源頼朝が建久八年1197社殿再造営。
神明宮,田中神社などと称し,梁田十八郷の総鎭守であた。明治八年1875は「御厨神社」と改称,翌年郷社となる。
明治四十年1907八坂神社を,大正十四年1925八幡宮,雷電神社を合祀。
『下野神社沿革誌』の記述にあるとおり内宮と外宮に分かれていたが,渡良瀬川河川改修に伴い外宮の方に統合し昭和八年1933に現在の社殿に改築した。境内地は昔より広くなり1484坪。平成14年までに大改修を行っている。
社号標に「郷社御厨神社」とあるが拝殿額に「天照皇大神宮」とあるために混乱してGoogleなどの地図に天照皇大神宮が載ってしまった。正確ではないが調べるのはたいへんなので修正されないかもしれない。
御田植神事
御筒粥神事
例祭:10月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 両皇太神宮 神明 岩井田氏
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-18丁
梁田村大字福富字神明鎭座 舊梁田郡 郷社 御厨神社 内宮外宮兩祭神天照皇大神 豊受皇大神 祭日三月十五日九月十九日 建物内宮本社間口六尺奥行八尺萱葺 外宮本社間口九尺奥行一丈一尺萱葺 瑞籬内宮縦三間半横三間半外宮縦三間半横八間 拜殿間口二間奥行二間 兩社同し筒粥殿間口三間奥行二間 神樂殿間口三間奥行三間 木鳥居各一基 末社十社 盥漱石高さ七尺五寸横八尺五分 郷社御厨神社石標一基 氏子四十二戸總代三員 社掌船田義明仝郡御厨村大字上澁垂六十七番地住
本社の由緒は文政十二年1829八月平田篤胤大人の謹述したる碑文にて明かなれはくたくたしく此に記さす 其碑文を左に採録す 噫尊むへし信すへし
[碑の図]
天照皇大神 豊受皇大神 兩社神明宮 此に左の文あり
[碑の文]
この二柱の大神の御神徳の廣く大きに御座すことは今更に云へくも非す 古は國々に御厨とて神領多かりしこと神風鈔また神領目録なとを見て知へし 即この處はしも同書ともに下野國に二宮梁田御厨とありて
絹布綿なと献れる御側にそ有ける故是を以て當昔より此領社を勸請して神明宮と稱し今に梁田十八箇村の總鎭守と稱し奉り此村を神明村と云ふこ〻に村長なる岩井田甚五右衛門福救は古の道に志深く其由を石文に記して建年と余に其事しるしこと請ふま〻ににかく記せる時は
 文政十二年八月なり  平鷺胤謹述男平篤眞書
當社境内は平地にして老杉矗立天に聳ひ最も蓊蔚せり 本社より東南は竹林を繞らし社域各別に(六百七十四坪六百二十七坪)して毎年陰曆正月十四日后六時より十五日前六時まて神職氏子一同參集して筒粥神事を行ひ以て諸作豊凶を定む 又仝曆二月一日前六時より八時迄社庭に於て古式の田植神事を行ひ頗る盛なり

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・下渋垂町505

主祭神:保食命 配神:譽田別命・大日孁貴命・木花咲耶姫神
正応二年1289創建,天正年間1573~92に再建。
明治四十年1907字雷電の八幡宮を合祀。
昭和二十七年1952大改修。
例祭:10月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 正一位 稲荷大明神 下渋垂 自性院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-19丁
梁田村大字下澁垂鎭座 舊梁田郡 村社 稻荷神社 祭神保食命 祭日二月初午日九月廿五日 建物本社五尺四方 拜殿間口三間奥行二間 末社一社 華表一基 氏子百六戸總代三員 社掌小堀英治大字仝五十七番地住
社傳に曰く本社の創立は本村開始の時豪家稻村家の地内に勸請せしものなりと云ふ 本村は古昔潮垂と云へし由にて又壚嶋ともいひならわせり 本社より五丁程隔り今も潮嶋あるを見れは澁は潮より脱化し來りしものならんか 然るに何時の代にか今の社地に遷座せしものなりと 享保年中宣旨を賜はり正一位を授けらる寛保三年十一月本社再建す 天保十二年十一月拜殿を再建す 社域四百六坪澁垂の西端に位し東方に點々たる村落を望み西御厨村に接す 他は渺茫として際涯なき御厨田甫を一渺の下に眺む 境地古松老杉參差として相接し淸閑の中一望廣濶爽涼の氣人に逼まる

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県足利市・下渋垂町298


主祭神:大雷命 配神:大物主命・須佐之男命・木花咲耶姫命
天正十八年1590十月十八日創建。昭和十八年1943幣殿拝殿改築。
江戸中期に始った保多喜祭は明治期に途絶えていたが大正十四年1925に復活した。
例祭:5月10日保多喜祭

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県足利市・福富町1815

主祭神:譽田別命 配神:木花咲耶姫之命・須佐之男命 境内社:内田稲荷神社
昔は創立不詳だったが『栃木県神社誌』平成18年版から永承六年1051源頼義が創建とされる。 例祭:4月第二日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 八幡宮 猿田 遍照寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-19丁
梁田村大字福富南猿田鎭座 舊梁田郡 村社 八幡宮 祭神譽田別命 祭日三月十五日八月十五日 建物本社間口三尺三寸奥行二尺九寸栃葺 雨覆間口二間一尺五寸奥行二間二尺六寸瓦葺 拜殿間口二間一尺五寸二間一尺奥行瓦葺 石華表一基 石燈籠二基 洗手磐一個 末社七社 氏子三十戸 社掌船田義明住所仝前
本社創立年月日詳かならす 社域百七十一坪を有す

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県足利市・福富町1248


主祭神:菅原道真公 配神:譽田別命・木花咲耶姫命
応永元年1394創立。現在の本殿は享保年間1716~36再建のもの。
境内の馬神社碑の台座に塩島村中とある。簗田御厨は伊勢神宮の神領で,その中心の塩嶋郷に農業守護神として当社が勧請された。塩嶋は江戸時代には塩島と表記され明治八年1875福富町の一部となった。『鹿沼聞書』にある円成院は隣りに現存する。
例祭:4月第二日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 天満宮 塩島 円成院

鹿島神社

[かしま神社]

栃木県足利市・福富町849


主祭神:武甕槌命 配神:木花咲耶姫命・大己貴命
延文(北朝)三年1358創建。当時は生河郷,江戸期には小生obu川村。享保年間1716~36には鹿島大明神と称した。昭和四十二年1967に渡良瀬川改修工事に伴い福富町591から現在地に遷宮,本殿以外の建物を新築した。
40号線沿い『鹿沼聞書』にある普門寺の南裏に鎭座。
例祭:4月第二日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 鹿島大明神 小生川 普門寺

金山神社

[かなやま神社]

栃木県足利市・福富町726-24


主祭神:推定・金山彦命
足利鉄工団地協同組合で祀ったか。

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県足利市・梁田町495

写真提供:Roku Jiiさん


主祭神:天津日高彦火瓊瓊杵尊 配神:大物主命・須佐之男命・保食命・大山祇命
正徳五年1715虚空蔵尊を奉祭する。維新に際し星宮神社と改称。本殿は精緻な彩色彫刻で覆われている。享和二年1802本殿覆屋造営,明治十九年1886萱葺から瓦葺に改装。大正元年1912拝殿新築。
明治四十年1907天満宮,浅間神社,雷電神社,平田稲荷神社,十二社神社,三峯神社,八幡宮,豊川稲荷神社,八坂神社を合祀。
例祭:4月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 星宮大明神 梁田 成就院
合祀社が祀られている
地租改正絵馬 改築の経緯
豊川稲荷 金刀比羅宮か


▊山 邊 村 『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-19丁
本村は八幡堀込借宿朝倉田中の舊五村を合せーの自治區をなせしものにして其幅員東西三十町南北二十五町あり 地勢平坦にして北は渡良瀬川の長流に瀕し南に矢塲川を控ひ西は群馬縣上野國山田郡に接し渡良瀬川の支流其中間を流れ村民活潑にして農工を専務とす
古來の沿革に付ては往時は足利戸田氏及び旗下の所領たりしか明治維新の後栃木縣に屬し第四大區九小區に編入せられ一戸長役塲の所轄となり更に町村制實施に當り今の一村となれるものにして縣社ー社村社四社ありて其氏子戸數四百九十餘戸人口三千二百七十人許あり

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県足利市・八幡町387-4

主祭神:譽田別命・大帯姫命・姫大神 境内社:八坂神社,稲荷神社,道祖神社,川込神社,日枝神社,天満宮,若宮八幡宮,山神社,三峯神社
当社は220年以上前の『鹿沼聞書・下野神名帳』と170年前の『下野国誌』に同名の神主県因幡が記録されていて,『下野国誌』は嘉永元年1848脱稿がはっきりしているので,年代不詳の『鹿沼聞書・下野神名帳』の成立時期の推定に重要な手がかりとなっている。
社伝は『下野神社沿革誌』に詳しい。
例祭:4月10日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 八幡 八幡 県因幡
*『下野国誌』嘉永元年1848脱稿 嘉永三年1850刊行 巻四
八幡郷 八幡宮 梁田郡八幡村にあり,圭田五十石別當神宮寺真言宗なり,神主縣因幡といふ,足利式部大輔吉國の建立まて足利家代々の産神なり,足利義兼朝臣,足利将軍尊氏卿に至りても代々再建ありしといへり
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-20丁
山邊村大字八幡字宮前鎭座 舊梁田郡 縣社 八幡宮 祭神譽田別命 大帶姫命 姫大神 祭日陰曆正月十六日三月十六日八月十六日  建物本社二間四方銅葺弘化四年1847八月再建 拜殿間口四間半奥行二間半瓦葺明和七1770三月再建 幣殿間口三間半奥行二間瓦葺再建仝上 神樂殿間口三間奥行三間 唐銅鳥居一基高一丈四尺寛政四年1792建設 末社七社 社務所間口六間奥行四間半瓦葺 社有財產田原野二町二反二十五歩  氏子六十五戸總代五員 社掌丸山榮舜仝村大字朝倉一九番地住
本社は天喜年中1053~58源義家の創立にして一國一社八幡宮と稱し明治五年郷社に定められ仝三十五年一月縣社に昇格せらる 社傳に曰く天喜年中源義家奥羽追討の勅令を蒙り奥州下向の際當地堀込地に陣營を設け戰勝祈願の爲め男山八幡宮を遷座し(其當時渡良瀬川は本社の地前を流れたれは新に橋を架し本社に請せしと以て今尚陣川橋の名あり又當地出陣の時荷物を越したる所を御荷越坂又借宿と云ふ地名又荷物を繼立たる驛家岡田家の奮跡今尚存せり)遂に賊を平け凱旋の功を奏し康平年中歸京の砌り當社に公自ら兵器を納めて報賽せり 後足利義國甲胃二領を献し武運長久を祈り若干の神田を寄附せられ爾來足利織田豊臣の諸公より代々社領を寄附せられ武將の帰依不淺 又文明八年八月長尾景長自ら筆を染めて境内社木伐採禁▢札を下賜せらる 元和七年1621十一月及慶安元年1648十月を以て徳川將軍より仝郡仝村地内に於て廿石の朱印地を賜はり神威盛にして衆庶の崇敬禰厚し 其頃は別當神宮寺執行として三家の社人(冨長冨増手▢)の外圓光坊妙義坊南林寶乗禅月の五坊燦然として備はり常に奉祀怠らさりしよしは祭典記録に明なり 而るに維新に際し別當神宮寺は復飾して平林緑と改名し縣氏と共に奉祀せしか明治五年の改正に方り兩氏退職し新弁正善祠官に補し奉仕中不幸にも社務所(舊別當寺)は祝融の災に罹り悉く鳥有に歸したれは同氏奮て再建を企謀せられしも事成すして遂に退任せり 祠掌船田義明兼務となり祭祀儼かなりと雖も宮殿▢破に傾きしより明治二十二年中信仰有志の寄附を募り神橋を花崗石にて改架し一國一社の標石をも建設し尋て仝廿六年氏子總代等奮勵して境内の雜木を願下け之を基本とし工事を起し拜殿幣殿神樂殿本社に繞らす 瑞籬等悉く修繕し尋て社務所を新築しける其費用總計一千貳百余圓の外起工以來の人夫は氏子一同の寄附に成れる仝二十七年工事竣工して茲に宮殿の結構輪奐たり是皆神矚及ひ氏子總代か奮て共衝に當り經營したる結果なりと謂はさるを得す仝二十八年九山氏社司に補任し悉く其職を盡す 社寶には旗竿(源義家奥羽追討用たるものにて長さ二間余)緋威黑皮威の甲胃 祭典記録(延文三年1358八月)一巻再建勸進化縁狀(大永三年1523八月十五日)一巻を藏す 社域二万一千六十六坪平坦にして大字八幡の中央にあり 街路に沿ふて蒼々たる常磐木の一むれを見る中に覆われたるは則本社なり 一▢の石階を越へて拜殿に到れは境地淸洒俗膓を洗ふ 東西南の三方は人家に接し北の一方山陵蜒々相連なる中に一間余の石あり面平かにして滑かなる事砥の如く形八咫の鏡に似たり故人呼んて鏡石と云ふ 又神池あり面積三百余坪水淸らかに心自ら澄む鏡石と相待って神明の畏さを覺ゆ 本社の東側には募化修放生會の碑ありて(寛延二年1749十一月)苔色巳にさめて文字朽鏨鮮やかに讀まるへからす往時は境内の四方に下馬札を建て前后に遠鳥居あり今は其舊跡を存するのみ

四所神社

[ししょ神社]

栃木県足利市・朝倉町3-34-20

主祭神:大日孁貴命・大己貴命・足仲彦命・市杵島姫命 境内社:富士山嶽神社・二荒山神社
承保三年1076伊勢神宮の神領朝倉郷に創建。南北朝時代に菊池氏が香椎宮・宗像神社,安土桃山に亀井氏が出雲大社を勧請,計四神を祀って四所大明神と称した。文化四年1807,弘化四年1847に社殿再建。
例祭:10月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 正一位 四所大明神 朝倉 藤左衛▢
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-21丁
山邊村大字朝倉字明神山鎭座 舊梁田郡 村社 四所神社 祭神 大日孁貴命 大己貴命 市杵嶋姫命 足仲彥命 祭日三月二十日六月十五日九月二十九日 建物本社間口一間二尺奥行一間三尺栃葺 雨覆間口二間半奥行三間萱葺 拜殿間口三間奥行二間瓦葺 石木華表二基 社有財產田畠四反四畝廿二歩山林二反六畝四歩 氏子九十六戸總代三員 社掌丸山榮舜仝村大字仝一九番地住
社傳に曰く本社は朝倉山万法院にて代々別當職を奉し〻か文政十一年1828三月二十日祝融の災に罹りしに依り由緒書并に古書類等燒失せり惜むしと云ふへし只寛政年間に建設せし石の華表に正一位四所大明神の扁額と木造の鳥居に正一位の扁額有のみ 弘化四年1847に宮殿を再建せり 其建築には村吏及ひ氏子九山久平龜井定次郎丸山儀平丸山團次郎仝仁平早川利平丸山文吉半田豊藏早川彌十郎松葉▢藏半田新七仝安兵衛田中金藏等力を効して成功せり 社域千九百九十六坪にして本大字朝倉の西端に位し字明神山の半腹にあり高九十尺餘ー名加籠山と稱ふ人此山に登りて足を踏めは恰も鼓を打つ如き音を聞く故に其名あり 本社は東向きにして末社に富士淺間神社及ひ二荒山神社あり 境地は岩石峨々として峙ち千年の苔滑かに松杉繁茂し稀に異鳥の聲を聞く 恨むらくは維新の際古樹大木を伐採したゐとて老木なきは物足らね心地すれと風致顛る幽邃なり 南に上毛の山田の沃士を見全郡内一眸の間にあり試に晴光の朝岩石の上に踞して手を翳せは西より南に利根の大流明鏡の如く白帆片々明滅の間に飛禽の落つるを望むへし仰いて快活の氣を吸ひ伏して此明美を掬す實に百年の毒を延すに足らんか

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県足利市・朝倉町426-3


主祭神:菅原道真公 配神:倉稲魂命
天明四年1784創建。天明の大飢饉を経て雷神として道真公を祀った。
大正十一年1922稲荷神社を合祀。
昭和四十七年1972環状線開通のため現在地に遷宮。
例祭:11月第三日曜日

八雲神社

[やぐも神社]

栃木県足利市・田中町193

主祭神:素盞嗚命 境内社:三峯神社・厳島神社
昔は創建不詳だったが『栃木県神社誌』平成18年版から貞観十年868創建とされた。当社の解説では通五丁目と緑町の八雲神社も同年創建としている。
牛頭天王から八雲神社に改称したのは明治二年1869。明治四十二年1909天満宮,阿夫利神社を合祀。平成9年に本殿彫刻の彩色を補修。
例祭:4月25日に近い日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 正一位 牛頭大明神 田中 医王寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-21丁
山邊村大字田中鎭座 村社 八雲神社 祭神素盞嗚命 建物本社四尺四方 拜殿間口三間奥行一間半 雨覆一間四方 末社二社 氏子八十四戸 社掌井下田忠明御厨村住
本社勸請年月詳かならす 社域千四百十七坪を有す

浅間神社 上浅間

[あさま神社かみせんげん]

栃木県足利市・田中町230


主祭神:木花咲耶毘賣命
天喜二年1054足利成行が両崖山の足利城築城にあたり勧請。足利富士と尊崇される。高いほうの山に鎮座する社を上社の男浅間,低いほ方の下社を女浅間と呼ぶ。鉄道敷設などの近代化で上社の参道が失われ荒廃したが現在は二方向から上れる。本殿は昭和十年1935改築。渡良瀬橋南の山頂に鎭座。
例祭:6月1日

浅間神社 下浅間

[あさま神社しもせんげん]

栃木県足利市・田中町240


主祭神:木花咲耶毘賣命
天喜二年1054足利成行が足利城築城にあたり勧請。足利富士と尊崇される。高いほうの山に鎮座する社を上社の男浅間,低いほ方の下社を女浅間と呼ぶ。鉄道敷設などの近代化で上下社の往来が困難になり上社は荒廃した。現在の下社本殿は昭和十年1935改築。平成7年本殿改築。渡良瀬橋の三差路に鎭座。
例祭:6月1日 ペタンコ祭

八坂神社

[やさか神社]

栃木県足利市・借宿町412

主祭神:素盞嗚男命 境内社:稲荷・古峯神社
源義家の二男足利義国が仁平元年1151創建。安永七年1778改築。昭和十年1935本殿雨覆改築,幣殿拝殿新築。
例祭:7月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 牛頭天王 狩野 村人
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-21丁
山邊村大宇借宿鎭座 村社 八坂神社 祭神素盞嗚命 建物本社間口四尺奥行五尺 拜殿間口二間奥行二間半 末社三社 氏子五十三戸 社掌丸山舜榮住所仝上
本社創立不詳 社域百七十九坪を有す

白山神社

[しらやま神社]

栃木県足利市・堀込町2252

主祭神:伊耶那美命・伊耶那岐命
寛永十二年1635加賀白山比咩神社より勧請して創建。白山大権現と称した。
明治四十年1907厳島神社二社,琴平神社,天満宮,八幡宮,大店伯神社を合祀。明治四十二年1909稲荷神社を合祀。
例祭:10月第二日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 正一位 白山大権現 堀込 村正
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-22丁
山邊村大字堀込鎭座 村社 白山神社 祭神伊郎那美命 建物本社間口一間半奥行二間半 拜殿間口四間奥行二間 社掌井下田忠明住所仝上
社域六百十九坪を有し境内淸洒に在り

石上神社

[いしかみ神社]

栃木県足利市・西新井町3236


主祭神:石凝登賣命(→石凝姥命) 境内社:雷電神社・八坂神社
依代として信仰された神石のところに天正七年1579須永某が祠を建てて創建。元禄年間1688~1704に氏子が伊勢参宮の帰途,大和の石上神宮より御分霊を勧請,石神を石上に変えて改称した。
明治三十九年1906稲荷神社を,四十年天満宮,疱瘡神社を合祀。
旧山辺町堀込字西新井。
例祭:4月第二日曜日

神明宮

[しんめいぐう]

栃木県足利市・中川町3749

主祭神:大日孁貴命
渡良瀬川右岸,隣りは群馬県で,境内地が県境になっている。
旧山辺町堀込字中川
例祭:4月第一日曜日 10月第三日曜日


▊御 厨 村 『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-22丁
本村は福居高冨(事百頭)嶋田及ひ上澁垂の舊一町三村を合せ一の自治區となせしものにて其幅員東西一里南北三十町あり 地勢平坦にして矢塲川は其西南を流れ御厨川は其中部を貫流せり 風俗活潑にして農工を營み交際親和なり 各地の交通に付ては假定縣道梁田より來りて福居を貫き他に里道開通し往來の便あり
古來の沿革に付ては徃時は旗本采地に分屬せしか明治維新后戸栃木縣に屬し第四大區九小區に編入せられ更に一戸長役塲の所轄となり後町村制實施に當り相合して現時の一村に至りしものにして村社六社ありて其氏子戸數五百五十余戸人口三千九百十余人あり

赤城神社

[あかぎ神社]

栃木県足利市・上渋垂町119

主祭神:磐裂神 配神:豊受気姫命・埴山姫命・大日孁貴命
弘仁二年811創建。建仁年間1201~04新田義重が社殿造営。元禄十三年1700再建。文政十年1827焼失,嘉永四年1851再建。本殿に百足の彫刻など。
例祭:4月15日
『鹿沼聞書』の渋岳は渋垂の誤記又は誤植。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 正一位 赤城大明神 渋岳 快楽院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-22丁
御厨村大字上澁垂鎭座 舊梁田郡 村社 赤城神社 祭神磐裂命 相殿豊城入彥命 日本武尊 祭日陰曆四月八日九月廿九日 建物本社一間四方 幣殿間口九尺奥行二間 拜殿間口三間奥行二間半 雨覆間口三間奥行四間 鳥居一基 末社四社 氏子百二十戸總代八員 社掌船田義明仝村仝大字七十八番地住
本社創立は遼遠にして年月日詳かならすと雖も元禄十三1800中の再建の由は棟札に記して明かなり 社殿宏壯神威赫灼たり 正徳4二月十六日神位宣旨を以て正一位を授けらる 往古より船田家別頭職にして快乗院と號し代々奉仕せしか維新の際復飾して神官となり日々奉祀怠す 社寶には神鏡二面を藏す一面は則▢原周重の作にして(直徑四寸八分)神祗管領殿より奉献の品なり 又鈴三箇ありーは越後國直江津古川氏より奉納の品なり 外二箇は氏子邊見佐吉石川利一よりの奉納なり 社域九百五十六坪平地にして末社四社並列し木華表石の籏杭左右に並ひて氏子石川淸平の奉納に掛るものなり 本社の位置は舊例幣使街道の南にして小字文撰の西北隅に鎭座す 本社の後に一大老杉あり回り一丈五尺余にして矗立雲際屹立す 本社の東南に神職の屋敷あり 又境内に一少丘あり之れに登れは東南一帶御厨の田野に望み秋冬の候天氣睛朗なる時冨岳の西南に聳ゆるを見る西方は近く大田の金山遠きは信濃の淺間山に望み殊に眺望頗る佳なり

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・島田町1025

主祭神:倉稲魂命 配神:天照皇大神・大山咋命・菅原道真公・猿田彦命・五十猛命
寛永九年1632創建。
明治四十三年1910八坂神社を境外社とし天満宮を境内社とする。同年大神宮,湯殿山神社,白山神社,熊野神社を合祀。
明治四十四年1911字天神の現在地に遷宮。
大正十四年1925に中央役人の命令で合祀した八坂神社を独立させることができた。この天慶二年939創建の八坂神社は島田984に鎮座する。
例祭:10月17日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 正一位 稲荷大明神 島田 覚性院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-23丁
御厨村大字嶋田字權現鎭座 舊梁田郡 村社 稻荷神社 祭神保食命 祭日陰曆三月十五日九月十九日 建物本社間口三尺奥行二尺七寸 雨覆間口二間奥行二間半 拜殿間口三間三尺奥行二間 華表一基 氏子六十九戸總代三員 井下田忠明仝村大字仝六十八番地住
社傳に曰く足利上總介義兼の創立にして維新前は稻荷山覺性院にて奉仕す 后明治三年九月神佛分割に際し別當寺村役人氏子ー同協議の上舘林藩廳へ出願し認可を得て井下田氏初めて本社の神織となる 是より先享保四年十二月十三日宗源宣旨を賜はり正一位を授けらる 古より衆庶の尊信する社なり 社域七百十九坪にして四境繞らすに渺々たる田甫を以てし境内古杉老樹蓊蔚として繁茂し快風一陣袂を次いて琴瑟の聲を生し月夜廊下に逍遥して龍蛇の影地に印するを見るへし人をして天空海濶の想あらしむ

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県足利市・島田町364


主祭神:菅原道真公
矢場川左岸に鎭座。詳細不詳。

御厨神社

[みくりや神社]

栃木県足利市・島田町795-3


主祭神:天照皇大神
矢場川と例幣使街道の間の田園地帯に鎭座,向いに下記の八坂神社。詳細不詳。

八坂神社

[やさか神社]

栃木県足利市・島田町984


主祭神:素盞嗚命
矢場川と例幣使街道の間の田園地帯に鎭座,向いに上記の御厨神社。詳細不詳。

神明宮

[しんめいぐう]

栃木県足利市・百頭町1994 ももがしら

主祭神:天照皇大神 配神:保食命・木花咲耶姫神
大同二年807創建の古社。
例祭:4月第三日曜日 秋祭:10月第三日曜
『鹿沼聞書』の百比は記述の順などから百頭の誤記または誤植とした。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 正一位 神明宮 百比 村
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-23丁
御厨村大字高富(字百頭)鎭座 舊梁田郡 村社 神明宮 祭神大日孁女命 祭日三月十五日九月十九日 建物本社間口七尺奥行八尺葦萱葺 幣殿間口六尺七寸奥行一間半鐵葺 雨覆間口三間奥行二間半萱葺 拜殿間口三間半奥行二間 末社一社 木鳥居一基 石旗杭二基 手洗磐一基 氏子五十戸總代三員 社掌船田義明住所前仝
本社創建は大同二年807にして社殿宏壯輪奐たり 社域二千六十三坪平地にして境内には老杉古樹点々として高く聳へ若木蓊蔚にして風光絶景なり

母衣輪神社

[ほろわ神社]

栃木県足利市・福居町631

主祭神:日子番能邇邇芸命 配神:日本武尊・比賣神 境内社:八坂神社・朏神社・機神社・稲荷神社
『下野神社沿革誌』では祭神を日本武命で記録したが,現在はヒコホノニニギノミコト。『栃木県神社誌』平成18年版では日本武命が東征の際に戦勝祈願に邇邇芸命を祀ったという説をとっている。同書では保呂羽大明神と称したとあるが『鹿沼聞書』では母衣羽山大権現で記録された。
創建年は長暦三年1039説も伝わる。明治六年1873に母衣輪神社と改称。
▶母衣輪神社のイチョウ
例祭:4月第二日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 母衣羽山大権現 八木 持明院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-23丁
御厨村大字福居鎭座 舊梁田郡 村社 母衣輪神社 祭神日本武尊 祭日三月十五日九月十九日 建物本社間口三尺奥行五尺板葺 雨覆間口二間奥行二間半 幣殿間口九尺奥行二間 拜殿間口三間奥行二間各瓦葺 木鳥居一基 石旗杭二基 七五三柱高一丈二尺巾一尺二寸二本加藤半七郎奉納 末社六社 盥漱石一基 氏子四十五戸總代三員 社掌同上
本社の創立年月詳ならすと雖も神威盛んなり 社域六百四十八坪民有第三種にして平地なり 末社六社ありて木鳥居并石の旗杭盥漱石等壯嚴として建設あり 境内には老杉亭々として高く聳ひ風致愛すへし

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・福居町94

主祭神:保食命 配神:菅原道真朝臣)
貞観十四年872創建の友野郷鎭守。『下野神社沿革誌』では祭神を豊受姫命で記録している。
現在の本殿は天明六年1786改築のもの。
天明年間1781~89の額面二,文政年間1818~30の画面一を所蔵。
例祭:4月第二日曜日
『鹿沼聞書』の南友野江は南友之郷のことでいいだろう,明治七年1874福居町の一部になった。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 正一位 稲荷大明神 南友野江 村
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-23丁
御厨村大字福居南友之郷鎭座 舊梁田郡 村社 稻荷神社 祭神豊受姫命 祭日三月十五日九月十九日 建物本社間口二尺二寸五分奥行一尺五寸八分栃葺 幣殿間口九尺奥行二間 拜殿間口三間奥行二間各瓦葺 雨覆間口二間奥行二間半 鳥居一基 石燈籠一基 盥水石一基 氏子二十三戸總代三員 社掌同上
本社勸請詳ならすと雖も社殿淸冽にして庶人信仰厚く境内には石の燈龍左右に並列して鳥居盥漱水盤等に至るまて全備したるは氏子僅少なるにも稀なる社なり 社域二百九坪若杉蓊蔚にして幽邃なり

飯有神社

[いいあり神社]

栃木県足利市・福居町1237-1

主祭神:伊邪奈岐命・伊邪奈美命 配神:五十猛[いたける]命・大雷命 境内社:諏訪神社・稲荷神社
天平九年737梁田郡衙の守護神として字大宮上に創建。明治三十八年1905区画整理で諏訪神社境内に遷宮。
『鹿沼聞書・下野神名帳』に有大明神とあるのは単なる誤植か。とても珍しい社号だが由来はまだ不明。
例祭:4月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 正一位 有大明神 中里 橋本氏
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-23丁
御厨同村大字福居字中里鎭座 舊梁田郡 村社 飯有神社 祭神伊弉諾命・伊弉冊命 祭日三月十五日九月十九日 建物本社間口五尺四寸奥行四尺六寸栃葺 雨覆間口三間一尺奥行三間瓦葺 末社一社 鳥居一基 氏子四十五戸總代六員 社掌同上
本社創建年月日詳かならすと雖も正一位の神階を授けらる 享保年中神子を置かれ神樂等怠たりなく奏上し文政年中には神主を置かれ橋本筑後正綱貞奉仕せり 社域千五百七十八坪を有す

赤城神社

[あかぎ神社]

栃木県足利市・福居町1986


主祭神:磐裂命・磐筒男命・大物主命・大国主命
康元元年1256四月五日創建。赤城大明神と称した。
明治四十二年1909境内社だった琴平神社を本殿に合祀。
例祭:4月第二日曜日

ニ柱神社

[ふたはしら神社]

栃木県足利市・福居町1068


主祭神:大己貴神・少彦名神
寛永六年1629創建。聖天宮と称した。明治六年1873改称。
大正十三年1924境内を拡張し,幣殿と拝殿を増築した。翌年恵比寿講社を創設。
昭和二十九年1954と平成十三年に改築。
例祭:4月15日

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・福居町631-2


主祭神:倉稲魂命
詳細不詳。

鹿島神社

[かしま神社]

栃木県足利市・福居町845


主祭神:武甕槌命 配神:素盞嗚命・倉稲魂命 境内社:浅間神社・天満宮・木宮神社(奇稲田姫命)・秋葉神社(火具突知命)
天正四年1576創建。昔,天王村と称し八坂神社を奉祭したが鹿島大神宮に代わった。
明治四十三年1910八坂神社と稲荷神社を合祀。
素盞嗚命が八岐大蛇退治の時に櫛に変身させて頭髪に挿して後に妻としたのが奇稲田姫。最初の子は大己貴命。『日本書紀』はこの後一書第五に素盞嗚命が毛を吹いて杉や檜を生やす話が出てくる。木宮に関係するだろうか。あるいは単に本宮の書き違えか。木宮は八坂神社を鎭守としていた頃に奥宮とされたとの言い伝えが残っている。
例祭:10月第三日曜日


▊筑 波 村 『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-24丁
本村は小曾根,羽刈,高松,高富(字縣)の舊四村を合せて一村をなせしものにして其幅員東西三十町南北十五町に過きす地勢平坦にして矢塲及ひ御厨の二川西南を限り中央に御厨の支流あり 村民活潑にして農工に能く従事す 古來の沿革に付ては各村旗本采地に分屬せしか明治に到り栃木縣に屬し第四第區九小區に編入せられ高富を除き一戸長役塲の所轄となり後町村制實施に當り更に相合して一自治區となす 本村には村社四社氏子戸數五百七十餘戸人口三千四百七十人許あり

御厨神社

[みくりや神社]

栃木県足利市・小曽根町250-1

主祭神:天照皇大神 配神:建速須佐之男命
『栃木県神社誌』平成18年版では慶長三年1598創建としている。『下野神社沿革誌』では室町幕府の初代征夷大将軍(1338年-58年)足利尊氏に社領を没収されたとあり,もっと古い時代の創建のようだ。明治五年1872に天照大神宮から御厨神社と改称。
明治四十一年1908無格社七社を合祀,四十二年には雷電神社,稲荷神社を合祀。
昭和十四年1939渡良瀬川氾濫で社殿流失したため福富町の御厨神社より御分霊を勧請。昭和二十一年1946拝殿幣殿改築,昭和二十九年1954本殿改築。
例祭:4月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 天照大神宮 小曾根 村井数馬
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-24丁
筑波村大字小曽根字宮上鎭座 舊梁田郡 村社 御厨神社 祭神大日孁貴命 神日本磐余彥命 建物本社三間半四方 拜殿間口三間半奥行二間 氏子百七戸 社掌松井峯尊仝村大字仝住
本社は往古天照皇大神宮と稱し松井家にて奉仕し由緒等も明かなりしも貞享元年1684十月二十八日松井家祝融の災に罹りしより由緒書灰燼に歸し詳ならすと雖も往古は盛大なる社にして社領をも附しあるも足利尊氏の時没収せられしと云々 明治五年七月松井家八代孫峯尊氏に至り天照皇大神宮を御厨神社と改號したき旨栃木縣廳へ出願せしに許されて御厨神社と改稱す 社域七百坪平坦の地にして古杉老樹森々として繁茂し神寂て頗る雅致あり

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県足利市・小曽根町209


主祭神:火産霊命or軻遇突智命
不明。

神明神社

[しんめい神社]

栃木県足利市・羽刈町728

主祭神:天照皇大神 配神:建速須佐之男命
天平二年730西ヶ原に創建,いつの時代かに字下ノ宮の現在地に遷宮。樹齢1300年の大欅が聳えていたが昭和四十五年1970に伐採された。
神明宮と称したが明治三十七年1904に神明神社と改号した。
例祭:4月15日 八坂祭:7月25日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 正一位 神明宮 羽苅 村
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-24丁
筑波村大字羽刈鎭座 村社 神明神社 祭神大日靈女貴命 建物建物本社三尺七寸四方 雨覆二間半四方 拜殿間口三間半奥行二間 末社二社 廊下間口一間奥行一丈 華表一基 氏子百三十七戸 社掌橋本與七仝村仝大字住 社傳に曰く本社創立は天平二年にして檎本徳安の勸請なり 往古本村を上橡境原と稱せしか永禄十一1668年十一月南方より會々大鷲來りて戰争歌のよふなる聲にて嗚きけれは土人弓に箭をつかへて放ては忽ち左羽射落したり此より上境原を羽刈原と改めたり 元亀元1570本社を以て一村の鎭守神と崇敬し橋本徳安十八代の孫橋本好通社人となり専心本社に奉仕せり 明治六年神明宮と改号し村社に列せらる 社域六百四十三坪平坦の地にして社木森々として繁茂し中に神木と稱する老槻は周圍廿一尺枝下四十八尺ありて雲表に聳ひ風景顛る愛すへし

神明宮

[しんめいぐう]

栃木県足利市・県町12318

主祭神:天照皇大神 配神:須佐之男命・木花咲耶姫神・火軻遇突智命・保食神
永享四年1432創建と伝わる。明治二十三年1890幣殿拝殿本殿覆屋を改築。
明治四十一年1908八坂神社を合祀。
例祭:4月第一日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 正一位 神明宮 縣 早河出雲
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-25丁
筑波村大字高富縣鐵座 舊梁田郡 村社 神明宮 祭神大日靈女命 祭日三月七日九月十九日 建物本社四尺四方栃葺 雨覆三間四方萱葺 幣殿間口九尺奥行二間杉皮葺 拜殿間口三間半奥行二間萱葺 末社三社 石旗杭二基 氏子二百十五戸總代三員 社掌船田義明住所仝上
本社勸請年月日を詳かにせすと雖も社殿輪奐として神威赫灼たり 社域千二百九十六坪平地にして石の盥激盤華表等屹立と建設し境内には古槻老樹若木蔚然として生ひ繁り神寂ひて雅致あり

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県足利市・高松町525

主祭神:譽田別命 配神:磐筒男命・軻遇突智命・大日孁貴命・木花咲耶姫神・菅原道真公
永承六年1051源頼義が安倍頼時追討の途次戦勝祈願のため創建。
明治四十二年1909赤城神社,八剣神社,愛宕神社を合祀して境内社する。
平成13年幣殿拝殿を改築。
癪除八幡宮と呼ばれる。
例祭:4月第二日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 八幡大神宮 高松 村
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-25丁
筑波村大字高松鎭座 村社 八幡宮 祭神譽田別命 建物本社間口四尺奥行四尺五寸 拜殿間口二間奥行三間 雨覆間口一間半奥行二間 饌殿間口一間奥行三間 氏子百四十六戸 社掌松井峯尊
本社創立詳ならす 社域四百十九坪平坦の地にあり

産泰神社

[さんたい神社]

栃木県足利市・高松町1200

主祭神:木花開耶姫命
不明。西方すぐに愛宕神社。
板倉町964にも産泰神社がある。

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県足利市・高松町1222

主祭神:火産霊命or軻遇突智命
不明。東方100mほどに産泰神社。

菅原神社

[すがわら神社]

栃木県足利市・荒金町109

主祭神:菅原道真公 配神:鵜葺屋葺不合命・久久能智命 境内社:八坂神社・愛宕神社・石神社・稲荷神社・厳島神社
平治元年1159創建。
明治四十二年1909字大明神の鵜戸神社と境内社の秋葉神社を合祀。
平成13年大改修。
例祭:4月第一日曜日

生駒神社

[いこま神社]

栃木県足利市・県町1125

不明。


▊久 野 村 『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-25丁
本村は久保田,野田,瑞穂野の舊三村を合せ一の自治區をなせしものにして其幅員東西一里十八町南北二十五町ありて其地形半圓形をなし地勢平坦にして渡良瀬矢塲御厨の三川は東南北の三面を限りて經流せり 村民活潑にして農工に従事し親和をなす
古來の沿革に付ては往時各村旗下釆地に分屬し明治維新后栃木縣に屬し第四大區九小區に編入せられ各村役塲を異にし明治十六年瑞穂野を除き一戸長役塲の所轄となり町村制實施に及ひ相合して一村をなす 本村には村社三社ありて其氏子戸數四百八十餘戸人口三千三百二十餘人を有す

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県足利市・久保田町1383

主祭神:譽田別命 境内社:菅原神社・雷電神社
延暦二年783創建説が伝わる。
明治四十一年1908木皿木神社,大神神社,稲荷神社を合祀。
例祭:4月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 八幡大明神 加子 村
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-25丁
久野村大字久保田鎭座 村社 八幡宮 祭神譽田別命 建物本社一間二尺四方 拜殿間口二間奥行三間 氏子三十六戸 社掌松井峯尊
本社は字八幡に在りて社域二百八十一坪を有す

赤城神社

[あかぎ神社]

栃木県足利市・瑞穂野1320

主祭神:豊城入彦命・磐筒男命 境内社:貴船神社(高龗神)・道祖神社・落合稲荷神社・天満宮
天慶二年1054三月15日の創建と伝わる。1418坪。
50号線で渡良瀬大橋を渡って2km先を左に入ると,それらしき林が見える。渡良瀬川と多々良沼の間に位置する。 中日向古墳群は姥川沿いの前方後円墳2基と円墳3基からなる。1号墳の後円部の上に赤城神社が鎮座する。 石製の神明鳥居をくぐる。本殿左手に菅原道真の天満宮があり,右手の小殿には大1社,わきに小2社あるので。計4社。 すると右手のどれかが高龗神を祭神とする貴船神社で,あとのふたつが道祖神社(猿田彦命)と落合稲荷神社(蔵稲魂命→倉稲魂命)ということになる。 本殿:権現造瓦葺 拝殿:権現造瓦葺 幣殿:瓦葺
例祭:10月15日に近い日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 正一位 赤城大明神 日向 村人
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-25丁
久野村大字瑞穂野鎭座 村社 赤城神社 祭神磐筒男命 建物本社間口一間奥行一間半 拜殿間口三間奥行五間 末社四社 氏子九十四戸 社掌同上
本社創立不詳 社域一千四百十八坪を有し平坦の地に在り

赤城神社

[あかぎ神社]

栃木県足利市・瑞穂野915

写真提供:Roku Jiiさん

主祭神:豊城入彦命・菅原道真命・磐筒男命
天慶二年1054三月15日の創建と伝わる。正徳四年1714に神祇官領長上吉田家から正一位の神階を授かる。561坪。
『鹿沼聞書』の荒萩は明治七年1874瑞穂野村の一部となる。
例祭:10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 正一位 赤城大明神 荒萩 喜宝院

神明神社

[しんめい神社]

栃木県足利市・瑞穂野町295

主祭神:天照大御神
文禄二年1593創建と伝わる。
例祭:旧暦11月6日

人丸神社

[ひとまる神社]

栃木県足利市・野田町1811

主祭神:柿本人丸霊 境内社:雷電神社・水分神社・稲荷神社
元慶元年877創建と伝わる。
明治四十三年1910神明宮二社,天満宮,愛宕神社,浅間神社,八坂神社,稲荷神社を合祀。
例祭:4月10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 正一位 柿本人丸大明神 野田 宝蔵院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-25丁
久野村大字野田鎭座 村社 人丸神社 祭神柿本人丸靈 建物本社間口二間半奥行五間 饌殿間口二間奥行一間半 末社六社 氏子百九十戸
本社創立不詳 再建は嘉永四年1851四月にして社域五百六十三坪を有す

御嶽神社

[おんたけ神社]

栃木県足利市・野田町2252

主祭神:国常立命
天正三年1575創建。安政四年1857再建。
明治四十年1907八坂神社,湯殿神社を合祀。
天の岩戸の絵馬。
例祭:10月15日

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・野田町64

主祭神:倉稲魂命 境内社:天満宮
詳細不詳。
例祭:旧暦三月ニの午日

八坂神社

[やさか神社]

栃木県足利市・野田町1409

主祭神:素盞嗚命
詳細不詳。

八幡神社

[はちまん神社]

栃木県足利市・久保田町1500

主祭神:譽田別命 境内社:菅原神社・雷電神社 境外社:綾織神社(八千々姫命)
延暦二年783創建。
例祭:4月15日 10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 八幡大明神 加子 村

神明宮

[しんめいぐう]

栃木県足利市・久保田町113-3

主祭神:大日孁貴命
慶応元年1865姥川沿いに創建。安政の大獄1859に続く社会不安を鎮めるために6年後になって社を建てた。珍しい縁起である。
昭和三十八年1963台風で流失し現在地に遷宮。
例祭:4月15日

浅間神社

[せんげん神社]

栃木県足利市・久保田町1246

主祭神:木花開耶毘賣命 境内社:厳島神社・天満宮・稲荷神社
『栃木県神社誌』平成18年版では康暦六年創建とあるが康暦は三年までしかない。旧版は年が抜けていて「六月勧請」となっている。1050年頃の創建ということだろう。
享和元年1801改築,嘉永元年1848修理。
例祭:5月1日

四十九神社

[よそく神社]

栃木県足利市・久保田町576

主祭神:豊城入彦命 境内社:八坂神社
慶長二年1597創建と伝わる。享保十八年1733本殿改築。明治三十八年1905大改修。
明治四十二年1909神明神社,八幡宮,稲荷神社を合祀。
例祭:4月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 正一位 四十九社太郎大明神 村正

御嶽神社

[おんたけ神社]

栃木県足利市・久保田町790

主祭神:国常立命 配神:譽田別命・大山咋命・大日孁貴命
弘化年間1844~48創立。明治十二年1879と大改修。
大正四年1915八幡宮二社,若宮神社,日枝神社を合祀。
例祭:4月15日 10月15日


▊毛 野 村 『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-26丁
本村は川崎,勸農,岩井,常見,大久保,八椚,鵤木,山川,北猿田の舊十村を合併して一自治區をなせしものにして幅員東西二里南北一里十八町ありて縣道里道開通して各村に連絡せり 地勢南は渡良瀬川の長流を以て限り三方は山岳相連りて起伏重畳し内部は稍々平衍なり 村民質朴にして農業に勤勉し且つ敬神の志風あり 本村には郷社一社及ひ村社九社ありて其氏子戸數七百餘戸人口四千三百九十餘人あり 往時は十余名の旗下釆地に屬し各村所領を異にせしか明治維新後に至り共に栃木縣に屬し第四大區一小區に編入せられ次て各村戸長役塲を分離し明治十六年以來二戸長役塲を置き終りに町村制實施以來更に相合して一村となる

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県足利市・川崎町1934

主祭神:菅原道真公 配神:応神天皇・宇賀能御魂命・久那戸神・八衢毘古神・八衢毘女神 境内社:日枝大神・稲荷大神・浅間大神
田島,川崎,奥戸が開発されたとき建久元年1190三か村の総鎭守として創建。続いて田島には八幡神と稲荷神,奥戸には春日神が祀られた。
明治四十年1907八幡宮と稲荷社を合祀。大正五年1916に塞神社を合祀。
昭和五十年1975渡良瀬川改修にともない現在地に遷宮。
旧郷社であるが『鹿沼聞書・下野神名帳』には見当たらず,境内社の日枝大神と思しき山王権現が載っている。
例祭:4月第一日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 正一位 山王権現 川崎 薬王寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-26丁
毛野村大字川崎鎭座 郷社 天滿宮 祭神菅原道真朝臣命 祭日陰曆三月廿五日九月廿五日 建物本社間口一間六寸五分奥行五尺一寸 拜殿間口三間奥行二間半 饌殿間口五間奥行二間 神樂殿間口三間奥行三間 末社六社 鳥居一基 氏子百七十四戸總代三員 社司龜田多門仝郡吾妻村大字村上八十七番地住社掌小野寺龍丸仝郡仝村大字大久保五十六番地住
社傳に曰く勸請年月は遼遠にして詳かならすと雖も古昔は摂?社にして維新の際まて例幣使日光御參向には必す御立寄御拜禮奉納物等ありたる程なれは庶人の崇敬厚つきは勿論なりし故に明治五年郷社に列せられ仝六年一月小野寺氏奉仕せられしより氏子一同協議の上元村社日枝大神の神殿を移して當社の神殿に改造し大に壯觀を極む 明治九1876更に第四大區六小區の郷社となる 神威愈盛なり 是より先天保十一1840年四月鷲尾前大納言純卿例幣使として日光御社參の時本社に詣せられ奉納の短冊に「わか君は人をか〻美と見かくなる心くもらて千代もつかへむ」又仝十三年四月中山宰相中將忠能卿泰納の短冊に「萬代の初めを今日を祈りおきていま行末は神所知るらん」仝十四年四月綾小路宰相有長卿も本社へ參詣せられ歸途には立ち寄られすして急きたまふに梁田まて參られし途中如何なしけん駕籠の中に座して着用の冠を失ひたまひけれは大に不審の末神靈の御仕業と考へていたく恐れたまい直に本社へ代參を立てられ御詫ひこと申せしとそ其時奉納の歌に(幣の使にことしは徃行して此宿にいこいけれは「行かへり旅のねかひを天滿る神のめくみをやなたにそしる」とありて皆本社の寳物なり 郷社の列に加へられしも此等の爲なりといへは神徳の洪大なる貴み仰くへし 社域六百九十四坪にして川崎の中央街道に沿ひて平坦の地にあり周圍人家に接すと雖とも地内疎放にして淸洒後ろに田甫を扣へ又た常磐木の類壯殿に接して聳ゆるはいと神々しく感せらる 殊には老梅林をなして屈曲龍の雲に躍るか如きもの傲牙虎の伏する如きもの枝を接して相連る若し 黄鳥東風に睛を弄するの時此境に遊は〻氷骨玉肌錦を纏ひて芬香馥郁詩魂自ら▢脱せん

赤城神社

[あかぎ神社]

栃木県足利市・岩井町752

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【Roku JiiさんYouTube】

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主祭神:磐筒男命・磐筒女命 配神:菅原道真公・伊邪奈岐命・伊邪奈美命 境内社:金刀比羅神社
鎌倉初期の創建。天保十年1839渡良瀬川洪水を避けるため現在地に遷宮。
明治四十三年1910天満宮を,大正三年1914石神社,十二神社を合祀。昭和十四年1939境内社殿大幅に改築。
『栃木県神社誌』昭和39年版記載の住所は足利市勧農町岩井山752なので下の勸農字岩井山の赤城神社に比定される。
例祭:4月第二日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-27丁
毛野村大字勸農字岩井山鎭座 村社 亦城神社 祭神岩筒男命 岩筒女命 祭日陰曆三月十四日九月十九日 建物本社間口五尺奥行一間 拜殿間口三間半奥行二間 社寶古文書二通 氏子百余戸總代三員 社掌勸農秀學仝村大字仝四十五番地住
由緒沿革詳かならすと雖とも享保十八1733二月宜旨を賜り正一位を授けらる 本社は本大宇(勸農村)を離れて坤の方岩井山の頂きにあり(按するに本社は岩井村地中勸農村飛地に在り岩井村鎭守も赤城神社はあり傳いて往古南村一村にて當社か鎭守神なりしか分郷に際し岩井村にも分靈して別に一社を奉祀すといふ)花崗石の華表を潜くり石磴を登り拜殿に至る 夫より一間の石階を躋り本社あり 總彫物組物附にして輪奐美を盡せり 本社の後へ立て眸を放ては一帶の白布を敷きたる如く滾々として西に走れるものは渡良瀬川なり古へは此岩井山の麓を流れたるよしなれとも今は桑田砂石と變し座うろに淵瀬と變はる飛鳥川の故事を忍はる 之を隔て右手に足利街頭の炊煙を望み翠雲淡き處遥かに淺間山と對するを得へし 境内六百坪古樹蓊蔚として山水眞に明美の佳境なり

岩井には赤城神社がもう一社記録されている。境内が天保十年洪水で川になりそうだったので遷座したとあるのは上記岩井752の勧農岩井の記述と合致するので混乱する。現在社は未発見。本城は岩井の小字。
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-28丁
毛野村大字岩井鎭座 村社 赤城神社 祭神磐筒男命 建物本社本社間口三尺奥行一間 拜殿間口四間奥行二間 末社三社 氏子三十三戸
本社勸請詳ならす 往古は足利町横町堤下に鎭座ありしか天保十年境内川に變せんとせしより今の字本城に遷座せり 社域二百八坪を有す

大山祇神社神社

[おおやまつみ神社]

栃木県足利市・大沼田町2669

主祭神:大山祇命 配神:木花開耶姫命・軻遇突智命・菅原道真公・建御名方命・建御雷命・経津主命・大己貴命・大日孁貴命・宇気母知命 境内社:八坂神社・馬頭神社・天満宮・諏訪神社,子の権現
久安元年1145大坊山の頂上に山神社を創建して駒形大明神,大山祇大明神を祀った。
明治四十一年1908浅間神社,愛宕神社,天満宮,諏訪神社,駒形神社,子の権現,大日社,神明宮,駒之神社を,翌年天満宮を合祀。
昭和十年1935拝殿を新築。昭和四十年1965落雷で焼失,中腹に遷宮。昭和四十四年1969再建,昭和四十七年1972神楽殿再建。元の山頂の鎭座地に石製の奥宮を祀る。
例祭:4月第四日曜日 春秋の例祭に太々神楽奉納
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 大山祇大明神 大沼田 小野摂津
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-27丁
毛野村大字大沼田鎭座 村社 大山祇神社 祭神大山祇命 建物本社間口二間奥行四間 拜殿間口三間奥行二間 神樂殿一棟 末社三社 氏子百四十四戸 社掌小野雅樂仝大字住飯塚播種仝處住
本社は字大坊山の頂上に鎭し社域五千七百七十二坪古松蔚々森々たり 殊に奇しきは本社の飲用水なり 本社は高山の頂きにありて水路に乏しく本社の屋根より落る雨水を鉄の水盤に溜て四季ともに用ゆるなり 然れとも其水は暑中と雖も腐敗せす蟲も生せす淸水にして神水と稱し詣する人飲て渇を癒すと云ふ

上之宮神社

[かみのみや神社]

栃木県足利市・猿田町1-14*

主祭神:伊邪奈岐命・伊邪奈美命・天照大神・木花開耶姫命・猿田彦命
鎌倉初期に足利義兼が創建。明治初年に文化年間1804~18創建の下之宮を合祀。大正十一年1922大幅改築。
例祭:4月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 伊弉諾伊弉冉尊 北猿田 乾坤山徳蔵寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-27丁
毛野村大字北猿田鎭座 村社 上の宮神社 祭神伊弉諾命 伊弉冊命 瓊瓊杵命 建物本社間口四尺三寸奥行三尺 拜殿間口三間奥行二間 末社六社 氏子百十戸
本社創立年月詳ならす 社域四百三十九坪を有す

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県足利市・八椚町573 やつくぬぎ

主祭神:菅原道真公 配神:倉稲魂命・須佐之男命・磐裂神・根裂神・経津主命・天照皇大神
天明四年1784創建。
大正十一年1922仲田の稲荷神社を合祀。
昭和二十六年1951大改築。
昭和四十七年1972足利環状線開通にともない現在地に遷宮。
例祭:4月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 天満天神宮 八椚 蓮成寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-28丁
毛野村大字八ッ椚梅の森鎭座 村社 天滿宮 祭神菅原道實→眞靈 建物本社間口一間半奥行二間 拜殿間口三間奥行二間 末社一社 氏子七十戸
本社勸請年月詳ならす 再建は嘉永三1850にして社域六百四十七坪あり

白髭神社

[しらひげ神社]

栃木県足利市・山川町1076

主祭神:伊邪奈岐命・伊邪奈美命 建御雷男命・市杵嶋姫命・木花開耶姫命・大物主命
正徳四年1714に白川神祇伯より正一位の神階を賜ったことが分かっているがそれ以前は不詳であった。『栃木県神社誌』平成18年版に「古代に朝鮮からの渡来人が創建したと考えられる」と付け加えられた。栃木県ではとても珍しい説であると考えられる。
明治四十三年1910社殿すべてを大改築。
明治四十四年1911熊野神社を合祀,大正三年1914鹿島神社,厳島神社,浅間神社,琴平神社を合祀。
例祭:4月15日に近い日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 白髭大明神 山川 観音寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-28丁
毛野村大字山川鎭座 村社 白鬚神社 祭神伊弉諾命・伊弉冊命 建物本社本社間口 四尺五寸奥行三尺五寸 拜殿間口二間奥行四間 末社二社 氏子百六十五戸
本社創建年月詳ならす 社域七十七坪を有す

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県足利市・山川町243-1

主祭神:邇邇芸命 配神:天照大神
室町時代1336/8〜1573初期に鎌倉公方足利基氏が橋本郷を山河郷から分村し,現在の足利中心部にある鑁阿寺に寄進する。同時に虚空蔵尊を守護神として祀ったことに始まる。天保年間1830~44に星宮と改称。大正三年1914神明宮を合祀。
例祭:4月第三日曜日

白瀧神社

[神社]

栃木県足利市・山川町546-1

主祭神:天棚機姫神[あめのたなばたひめ]
機織の盛んだった江戸後期の創建。明治三十三年1900大竹清園氏が現鎭座地を寄進。明治四十二年1909改築。大正十年1921本殿改築。昭和五十五年1980拝殿改築。
例祭:8月第一日曜日

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県足利市・山川町243-1

主祭神:瓊瓊杵命 配神:天照皇大神 境内社:八坂神社
室町初期に足利基氏が鑁阿寺東方守護として虚空蔵菩薩を祀ったことに始る。
天保年間1830~44に祭神を瓊瓊杵命に変えて星宮大明神と改称。
大正三年1914神明宮を合祀。
平成5年境内を整備して社殿を再建。
例祭:4月第三日曜日

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県足利市・高松町65-13

主祭神:?
不明

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県足利市・常見町1-25-6

主祭神:瓊瓊杵命 配神:譽田別命・大産霊神・奥津毘古神・奥津比女神・宇賀能魂命 境内社:神明宮
鎌倉初期の創建。恒見小次郎が虚空蔵尊を祀ったことに始まる。文政五年1822神祇伯賀寿王より星宮大明神の神号を賜る。
明治四十二年1909八幡大神,三宝荒神,稲荷神社を合祀。
昭和三十七年1962焼失。葛生町牧の東宮神社本殿を譲り受け昭和四十三年1968に再建。昭和六十二年1987区画整理により現在地に遷宮。
例祭:4月第四日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 星宮大明神 常見 正善寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-28丁
毛野村大字常見鎭座 村社 星宮神社 祭神瓊々杵命 建物本社間口三尺三寸奥行五尺五寸 拜殿間口二間六尺奥行四間一尺 末社六社 氏子六十戸
本社勸請年月詳ならす 社域五百坪を有す

日光鹿島神社

[にっこうかしま神社]

栃木県足利市・大久保町1317

主祭神:事代主命・建御雷男命 配神:石凝姥命・天照大神・建御名方命・軻遇突智命・菅原道真公・宇賀能魂命・木花開耶姫命・大山祇命・久那戸神 境内社:八坂神社・十二所神社・織姫神社・塞神社(八衢比古神,八衢比女神,久那戸神)・三峯神社
鎌倉初期に日光大権現を勧請。永禄四年1561鹿島大明神と菅原道真公を合せて奉祀。天満宮,諏訪神社,神明宮も大窪郷内に祀られた。
延宝七年1679再建,延享二年1745もういちど再建。
明治四十一年1908天満宮,飯蔵神社,愛宕神社,伊勢大神社,諏訪神社,神明宮,上浅間神社,下浅間神社,山神社,石上井神社,小山神社を合祀。
騎斉安貞画の嘉永二年1849本殿天井板絵は足利市重要文化財。
例祭:4月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 日光三社大権現 大久保 竜光寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-28丁
毛野村大字大久保字岡鎭座 村社 日光/鹿嶋神社 祭神事代主命 建御雷男命 建物本社 間口五尺七寸奥行四尺七寸 神樂殿一棟 末社四社 華表一基 氏子百三十三戸 社掌小野寺仝村仝大字住
本社創立年月詳ならすとも延寶七1679四月の再建にして尚延享二1745十一月再築す 社域千四百三十七坪高燥の地にありて社樹蔚々蒼々として景觀頗る幽邃なり 境内に前社掌小野寺龍丸先生の碑あり

八社神社

[はっしゃ神社]

栃木県足利市・鵤木町377 いかるぎ

主祭神:事代主命・菅原道真公・建御名方命・須佐之男命・譽田別命・豊城入彦命・宇賀魂命・大宮比賣命 境内社:雷電宮・白山神社
鎌倉時代1192〜1333に鵤木鎭守として日光大権現を祀った。応仁二年1468には隣接地に白山神社を勧請。正保年中1644-48近隣の八社を合併して八社大神と改称。別の説では寛延二年1749に日光権現を八社大明神に改称したと伝わる。
昭和二十二年1947大洪水で社殿流失,時を経て昭和五十七年1982再建。
例祭:4月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 八社大明神 鵤木 浄光寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-28丁
毛野村大字鵤木白山鐵座 村社 八社神社 祭神須佐之男命 建御名方命 言→事代主命 菅原道眞靈 建物本社本社間口三間奥行四間 末社三社 氏子五十四戸
本社は八所に鎭座ありしを正保年中1644-48一社に合祀して八社大神と尊稱す 文化二年祝融の災に罹り本社灰燼に歸す 后今の本殿に改築す 社域六百五十六坪を有す


▊富 田 村 『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-30丁
本村は奥戸,迫間,駒塲,寺岡,西塲,稻岡,多田木の舊七村を合せ一の自治區をなす 其幅員東西二十五町南北二里あり地形狭長にして縣道及び里道ありて各村に連結し地勢稍々平坦にて西に山脉を擁し東には旗川ありて其間自ら一區を畫せり 古來沿革に付ては旗下及ひ公家の所領に屬し明治維新後に至り栃木縣に屬し第四大區六小區に編入せられ各村に戸長役塲を置き後分合して二戸長役塲とし次て町村制實施に當り一合して一村となす 本村には村社七社ありて其氏子戸數六百七十余戸人口四千三百八十余人あり


春日神社

[かすが神社]

栃木県足利市・奥戸町505

主祭神:天児屋根命・経津主命・武甕槌命・比売命
元禄以前の創建。 例祭:4月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 正一位 春日大明神 奥戸 茂木相模
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-31丁
富田村大字奥戸鎭座 村社 春日神社 祭神天兒屋根命 經津主命 武甕槌命 比賣命 祭日三月九月十五日 建物本社間口四尺奥行五尺栃葺 拜殿間口三間奥行二間半瓦葺 幣殿九尺四方瓦葺 鳥居一基 氏子百三十八戸 社掌茂木佐内仝村大字仝百十番地住
社傳に曰く勸請年月遼遠にして詳かならすと雖とも今の社掌茂木氏の祖茂木若狭守正重元禄十二年1699四月本社の祠官たりしこと裁許状に明なれは古社たること疑ひなし されと茂木家火災に罹りて舊記古書等を失ひ又嘉永六年1853七月二十五日雷火のため本社拜殿共燒失せしより棟札等も失せしにより不分明なりし所以なり 地頭土井大炊頭ょり除地畠二反歩を寄附ありしも明治五年上地となる 延享元年六月宜旨を賜はり正一位を授けらる 后嘉永八年九月本村里正小林友右衛門大に盡力して拜殿を再建し明治五年氏子一同の力を以つて本社再建し其の社殿今存せり 社域四百八十坪にして本大字西北部に在り 四境空濶概ね田甫に接し前後に渡艮瀬川の堤防を扣へ境地狭隘社殿構造壯麗杉風徐ろに袂を次いて潚洒自ら襟懐を淸ふするに足る

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・西場町639

主祭神:倉稲魂命 配神:譽田別命・可甘直手命umashimade
神社の後ろの西場城は当社を創建した成実が築城。現在の本殿は元禄十四年1701造営のもの。幣殿拝殿は昭和十二年1937建立。
例祭:4月第二日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 稲荷大明神 西場 村
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-31丁
富田村大字西塲鎭座 村社 稻荷神社 祭神稻倉魂命 建物本社間口三尺奥行五尺 拜殿間口四間奥行二間 神樂殿一棟 末社一社 氏子七十二戸
本社は西塲太郎成實の創立にして建仁二年1202九月九日仝郡田沼稻荷神社を遷座す后正徳三年正一位を授けらる 社域一千百五十九坪を有せり

阿夫利神社

[あふり神社]

栃木県足利市・西場町1084

主祭神:石凝姥命
文化年間1804~18に大小山に創建,石尊宮と称した。
例祭:7月28日

八坂神社

[やさか神社]

栃木県足利市・赤見町479

主祭神:素盞嗚命
詳細不詳。

八幡神社

[はちまん神社]

栃木県足利市・稲岡町523

主祭神:譽田別命 配神:軻遇突智命 境内社:愛宕神社・天満宮・金毘羅大権現(大物主命)・白山神社
領主赤坂隠岐守が慶長元年1596に勧請。明治以前は八幡宮と称した。 例祭:4月第二日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 八幡宮 稲岡 村人
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-31丁
富田村大字稻岡鎭座 村社 八幡神社 祭神譽田別命 建物本社四尺四方 拜殿間口三間半奥行二間半 神樂殿間口三間奥行二間半 末社七社 氏子百四十戸
本社創立年月不詳 明治三年三月九日祝融の災に罹り社寶古書類灰燼に歸せり 翌四年八月氏子の盡力により再建す 社域六百七十六坪神尾部前の地に鎭す

白山神社

[はくさん神社]

栃木県足利市・稲岡町699

主祭神:白山比咩命
詳細不詳。

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県足利市・稲岡町313

主祭神:大雷命
詳細不詳。

熊野神社

[くまの神社]

栃木県足利市・迫間町793 はさまちょう

主祭神:伊弉諾命・伊弉冊命
室町時代1336/8〜1573の創建。天文二年1533造営。天正七年1579焼失,年を経て元文三年1738拝殿新築。寛政十年1798本殿造営。現在の社殿は昭和五年1930建立のもの。
例祭:4月第二日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 熊野三社大権現 迫間 村正
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-32丁
富田村大字迫間字本郷鎭座 村社 熊野神社 祭神 建物本社四尺四方 氏子四十四戸
本社創立不詳 社域九百五十七坪淸洒の地に在り

三柱神社

[みはしら神社]

栃木県足利市・駒場町486

主祭神:大己貴命・事代主命・須世理姫命 配神:示現太郎大神 境内社:稲荷神社・義照神社
社伝は『下野神社沿革誌』と多少異なり,天文年間1532~55に駒形大明神を祀り,寛文年間1661~73に日光権現を勧請して延宝八年1680から日光三社大権現と称した。多田木町の三柱神社と同様の縁起であるのは両村の領主宮原氏の創建になるためである。
明治四十〜四十一年1907-8に社名不明の無格社を合祀。
拝殿の格天井に百人一首の歌と歌人の絵が描かれている。
例祭:10月第二日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 日光三社大権現 駒場 竜蔵院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-32丁
富田村大字駒塲鎭座 村社 三柱神社 祭神大己貴命 須勢理姫命 事代主命 建物本社一間四方 拜殿間口三間半奥行二間 雨覆間口二間半奥行五間 末社十一社 氏子八十八戸
本社は宝永五1708の創立にして日光三社大權現を奉遷す 社域千九十五坪なり

三柱神社

[みはしら神社]

栃木県足利市・多田木町576 ただきちょう

主祭神:大己貴命・事代主命・須世理姫命 配神:示現太郎大神・姫宮大神
社伝は『下野神社沿革誌』と多少異なり,天文年間1532~55に示現太郎大明神と姫宮大明神の二社を祀り,寛文年間1661~73に日光権現を勧請して延宝八年1680から日光三社大権現と称した。駒場町の三柱神社と同様の縁起であるのは両村の領主宮原氏の創建になるためである。
例祭:10月第二日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 日光三社大権現 多田木 慈現寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-32丁
富田村大字多田木鎭座 村社 三柱神社 祭神大己貴命 須勢理姫命 事代主命 建物本社間口五尺奥行四尺 拜殿間口三間一尺奥行二間 末社一社 氏子七十戸
本社は宝永五1708の創立にして日光三社大權現を遷祀す 社域七百六十三坪を有す

ニ柱神社

[ふたはしら神社]

栃木県足利市・多田木町1086

主祭神:伊弉諾命・伊弉冊命 境内社:西宮神社(事代主命)
文化年間1804~18に常陸国筑波山神社より勧請と伝わる。通称の「筑波山神社」額が拝殿に掛けられている。
大正十三年1924に境内社であった筑波山神社と付近の諏訪神社を合祀して現在地に遷宮,ニ柱神社と改称した。現在の社殿は昭和五十四年1979造営。
例祭:旧暦1月14日

両社神社

[りょうしゃ神社]

栃木県足利市・寺岡町510

主祭神:大己貴命・事代主命 配神:新田義貞霊 境内社:雷電神社・八坂神社
昔は創建不詳だったが『栃木県神社誌』平成18年版から元慶元年877創建とされた。
明治四十二年1909雷電神社,愛宕神社を合祀。
平成4年に大幅改築。
例祭:3月15日に近い日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 両社大明神 寺岡 神宮寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-32丁
富田村大字寺岡鎭座 村社 兩社神社 祭神大己貴命 事代主命 建物本社四尺四方 拜殿間口三間奥行二間 末社一社 氏子百十八戸
本社創立詳ならす 社域八百二十六坪あり

--------------------------------------------------------------- ▊北 郷 村 『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-32丁
本村は棒崎,利保,名草,江川,月谷,田嶋,大月,管田の舊八村を合せて一村となせしものにして其幅員東西一里三十町南北四里二十町に及ひて郡内第一の大村にして且つ富有を以て稱せらる 地勢南は足利町に通し南方一半平坦にして北方一帶山岳相連り高地多し 村民温厚にして敬神の志厚く農工の業を勤勉し機業の如くも頗る隆盛なり 徃時は旗下釆地に分屬し明治維新の後栃木縣に屬し第四大區七小區に編入せられ明治十六年遂に三戸長役塲の所轄となり町村制實施に及ひ更に各村を合せてー自治區となす 本村には村社八社及ひ有名の無格社二社ありて其氏子信徒戸數一千五百二十余戸人口九千四百四十余人あり

樺崎八幡宮

[かばさきはちまんぐう]

栃木県足利市・樺崎町1723-ロ

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【Roku JiiさんYouTube】

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主祭神:譽田別命 配神:源義稱命・赤土命・大己貴命・事代主命・豊城入彦命 境内社:八坂神社・琴平神社・織姫神社(栲幡千千姫命)・厳島神社
当社は220年以上前の『鹿沼聞書・下野神名帳』と170年前の『下野国誌』に同名の神主長丹波が記録されていて,『下野国誌』は嘉永元年1848脱稿がはっきりしているので,成立年代不詳の『鹿沼聞書・下野神名帳』の成立時期の推定に重要な手がかりとなっている。詳しくはここをご覧いただきたい。『鹿沼聞書・下野神名帳』成立時期
(2024/2/1)
例祭:4月10月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 八幡宮 樺崎 長丹波
*『下野国誌』嘉永元年1848脱稿 嘉永三年1850刊行 巻四
八幡郷 八幡宮 足利郡樺崎村にあり,圭田二十石神主長丹波と云,足利上總介義兼朝臣の建立なりと云,朝臣ハ佛法に帰依して終に遁世し諸國を廻りて後,此所に入定せしといへり,時に正治元年1199三月八日鑁阿寺殿と号したり,委しくハ下の系圖の条に記したり
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-34丁
北郷村大字樺崎字赤土山鎭座 無格社 八幡宮 祭神譽田別命 赤土命 源義稱靈命 祭日三月八日九月廿九日 建物本社間口二間奥行二間 拜殿間口四間奥行九尺 幣殿二間四方 華表二基 末社四社 石燈籠二基 氏子信徒百九十三人 社掌長祐多仝村大字仝百四十九番地住
社記に曰く承和五年838九月廿九日今の社掌長氏の祖長六郎平爲後始めて村内の鎭護として赤土命を祀り赤土神社と稱す 其境地は元長家の私有地にして茫々たる芝生の原野なり 且地質赤粘土なるを以て赤土山と唱へり 其后庚平六年入月十五日源の義家城鬼門除の社とし八幡宮と合祀し後正治元年三月八日源義家四世の裔足利上總介源義兼思ふ所あつて日本六十余州の神佛拜禮のため津々浦々の端に至るまて回國し終に此地に來り定に入るを以て此靈を合せ祀つり赤土山八幡宮と崇む此れ本社の原由なり 天正十九年十一月十一日徳川將軍家光より樺崎村地内に於て御朱印二十石を賜はりしより初めて社地と改まり文録四年社人長丹波守平信勝より金七十兩年貢除地冥加として領主堀帶刀へ献納す 其年社地へ松杉等の苗を植へ試み後寛文四年長丹波家重の代及ひ天明四年長丹波平豊恒の代文政七年仝丹波平豊展の代に於て社木栽培に心を盡し累代苦辛の末茫漠たる芝生地も鬱蒼たる喬木の枝を空に接するに到る 長家の勞や大なりといふへし 徳川將軍累代御崇敬ありて先判の旨を以て連綿として社領を賜はれしか維新に到りて返還せり 本社に關して珍らかなる由緒もあれと管々しけれは省きつ唯た舊舊記の中の一節を原文のまゝ左に抄出して其奇しきを示さん
上客初義兼幼而愛鴉也一夕偶夢語曰托身隘籠間馳懐遠叢外辛苦幾何悌泣滂沱唯冀縦復于舊義兼夙興劉對中鶉曰象有長牙自焚汝依發好昔自覊従今於我領之境勿啼手自放鶉爾來樺崎郷有鶉
不敢啼雖然妖▢將生則群鶉頻至啼社前池下客此事今に到ても▢らす偶ま鶉の啼あれは必す凶事ありといふ社域六千三十坪にして丘陵の上にあり前に田甫を隔て一帶の山嶽を望み後には樹木蓊蔚たる山崖削り成せるか如とし幽趣自ら備はる 維新前は本社の傍に赤御堂と唱ふる五重塔足利代々の廟所の迹は人をして追古の情に堪へさらしむ大日如來の体軀と埋めし迹は徐ろに千年の昔わ忍ふ心地せり元は社地もいと廣くして二反五畝歩程の廣庭あり拜殿の前より其四隅に各松ありて四方掛りの松と呼ひ名高かりしよし
又鶴龜の池とて二つの御神池ありて池の形鶴龜に似たりしか今は龜池のみ形を存し鶴池は大方田甫に變しと云 本社はされと壯麗美觀にして殊に吉良上野介よりの奉額は金色燦然として今に威光を失はす 實に郡内屈指の社也 寶物征矢之根二本(源義家より爲朝に傳り爲朝より奉納形鎗如くにて長二尺四寸あり)鶉籠(源義兼所持にして回國の中も携帶せしものにて眞鍮に鍍したる丈六寸四分横巾五寸九分四方あり)南蛮鐡星甲(和田合載の時朝比奈に▢を引き切られしと云ふ義氏の奉納なり)伽羅枕(義兼回國の時所持したるもの)神鏡(元録九年三月八日木連川石兵尉督源氏春奉納裡とに鋳刻し圓形なり)記録書一巻(吉良上野介長氏の書なり)神糸圖ー巻(斎藤圖書官従四位朝臣氏義奉納なり)色紙二枚(一は久我内大臣通誠公書にして「小山田のいほちからなく鹿の昔にをとろかされてととろかす」ーは「萬代の始と今日を祈りたきていま行末は神そ知るらん」楠の丸彫笈(義兼回國の時建久六年三月十三日奈良東大寺に於出家となる際後鳥羽天皇より賜はりし大日如來の像を入脊負て神佛を拜禮せしと維新の際神佛分離の時管田村光徳寺へ移す)厨子二箇(何れも八幡太郎義家の像なり但雲慶の作にして地頭堀欽太郎より奉納今光徳寺にあり 棟札二枚(ーは承和五年838九月二十九日のものなり一は康平六年1063八月十五日のものなり)御廟(足利代々の碑及ひ義家三男義國の碑其他二十基程ありしも光徳寺に移し今尚存せり)
『下野神社沿革誌』記載の示現神社は大正八年1919樺崎八幡宮に合祀される。
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-33丁
北郷村大字樺崎鎭座 村社 示現神社 祭神大己貴命 豊城入彥命 事代主命 祭日陰曆三月十九日九月十九日 建物本社一間四方栃葺 雨覆間口二間半奥行二間半 幣殿間口二間半奥行二間 拜殿間口二間半奥行二間 神樂殿間口三間奥行二間半各屋根萱葺 石木鳥居二基 石燈籠二基 手洗石一基 寶物金幣神鏡 氏子百六十戸余總代三員 社掌橋本錦重郎仝村大字百二十六番地住
當社地往古は大野郷と云いし由なるか今は本郷と云ふ 大字中央を貫流する宮川の邊りに鎭座して淸洒たり 享保廿一年四月を以て神祇管領長上より垂跡以來彼増一階勸年記極位を授くるとあれは古き社なること疑ふへきもあらされとも創立の年月日詳ならさるはいと惜むへしと云ふへし 又元文元年九月頒主堀氏より扁額献納ありて今に存せり 社域三百三十八坪にして華表の側に三本の古松あり葉の濃薄ありて世繼の松と稱す比歌に
  あしはらの國いや廣にしけれとて世繼の松をか見やうゑけむ

御嶽神社

[みたけ神社]

栃木県足利市・利保町91 かかぼちょう

主祭神:国常立命 配神:建御名方命・軻遇突智命・大雷神
天喜二年1054足利成行が両崖山に築城の際東方守護として創建。蔵王大権現と称した。
嘉永五年1852本殿改築,明治十九年1886覆殿と拝殿改築。
明治四十年1907諏訪神社,四十一年愛宕神社,雷電神社を合祀。
『栃木県神社誌』平成18年版に[みたけ]とあるのでそれにならった。
例祭:4月10月第一日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 正一位 蔵王大権現 利保 持宝院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-33丁
北郷村大字利保鎭座 村社 御嶽神社 祭神國常立命 祭日四月廿八日九月廿八日 建物本社間口六尺奥行五尺栃葺 拜殿間口四間奥行三間瓦葺 雨覆間口三間奥行三間瓦葺 華表一基 社有財產田一反九畝二十歩 氏子百五十戸 社掌前原宇多仝村大字仝三十八番地住
社傳に曰く本社の奉仕は眞言宗仝村持賓院及ひ利保山安養院と兩別當たりしか維新の際持寶院退職せらる故に安養院復飾轉身して本社に奉仕す 抑當社は徃古宜旨を賜はり正一位を授かり正一位藏王大權現と稱せしも明治五年御嶽神社と改稱す 又本社は本村下山の下にありしを今の社地に何時代にか遷座せしと云ふ 社寶には代官阿由葉忠藏より奉納せられたる山科中納言忠言卿の筆の短冊二葉を藏せり 社域百五十余坪にして石磴を躋りて峨々たる岩石の下に鎭座せり 前に田甫を隔てゝ月谷江川の村落を望み坤の方遥に足利の市街を見るへし 名草の細流は潺々として下山の裾を遶くり⾭松和映し風光最も美なり

鹿島神社

[かしま神社]

栃木県足利市・利保町176

主祭神:武甕槌命
寛永六年1629創建。明和四年1767,寛政四年1792に改築。現行の社殿は文久元年1861五月六日造営。明治二十八年1895石鳥居。
昭和三十三年1958熊野神社を合祀,境内社とする。
例祭:5月6日

厳島神社

[いつくしま神社]

栃木県足利市・利保町498

主祭神:市杵嶋姫命
いつの時代か名草川氾濫で上流の弁財天から流されてきた石棒を祀ったと伝わる。
現行の社殿は嘉永元年1848造営。
例祭:5月第一日曜日

八坂神社

[やさか神社]

栃木県足利市・利保町3-16-4

主祭神:素盞嗚命 境内社:天満宮(天保六年1835建立)・織姫神社(同年建立)・浅間神社(明治三十四年1901建立)
天明七年1787飢饉の災厄・疫病退散のため京都祇園社より牛頭天王を勧請。
現行の社殿は安政1854~60頃の造営。
例祭:8月21日 7月14日天王祭

御嶽神社

[みたけ神社]

栃木県足利市・利保町91

主祭神:国常立命
天喜二年1054足利成行が両崖山に築城の際東方守護として創建。蔵王権現と称した。
嘉永五年1852本殿改築。明治十九年1886と覆屋と拝殿改築。
明治四十年1907諏訪神社を,翌年雷電神社,愛宕神社を合祀。
名草川東の山腹に鎭座,山頂に雷電神社の石宮が鎭座。
『栃木県神社誌』平成18年版に[みたけ]とあるのでそれにならった。
例祭:4月10月第一日曜日

鹿島神社

[かしま神社]

栃木県足利市・大月町1129

主祭神:武甕槌命 配神:経津主命・大名持命・少彦名命・豊城入彦命 境内社:天満宮・稲荷神社
『栃木県神社誌』平成18年版に別当は曹洞宗密蔵院とあるので『鹿沼聞書・下野神名帳』の鹿島大神宮が当社かどうか分からない。
例祭:4月第一日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-33丁
北郷村大字大月鎭座 村社 鹿嶋神社 祭神武甕槌命 大己貴命 經津主命 少彥名命 建物本社間口三間奥行二間半 拜殿間口四間半奥行二間 神樂殿一棟 末社五社 氏子百三十八戸
本社創立は天正二1574にして常陸國鹿嶋大神を奉遷す 社域千四百七十七坪を有す
【参考】
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 鹿島大神宮 大日→月 村

仙元宮

[せんげんぐう]

栃木県足利市・大月町1133

主祭神:木花開耶姫命
上記鹿島神社の南隣り。詳しいことは分からない。
樺崎町247にも富士仙元宮。足利では浅間を仙元と表記するところが2か所。

八坂神社

[やさか神社]

栃木県足利市・大月町1228-7

主祭神:素盞嗚命
詳細不詳。

日月神社

[にちげつ神社]

栃木県足利市・大月町186

主祭神:?
詳細不詳。

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県足利市・大月町220

主祭神:菅原道真公
詳細不詳。

威怒神社

[いぬ神社]

栃木県足利市・大月町412

主祭神:武甕槌命
天正四年1576現大月町1129の鹿島神社より勧請。
大正三年1914大改築。昭和二十九年1954本殿修理。
近くに子育地蔵尊。
例祭:4月第一日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 犬大明神 大日 村人

生目神社

[いくめ神社]

栃木県足利市・大月町738

主祭神:譽田別命?
明治期に宮崎の生目神社より目の神さまを勧請して創建。絵馬に目が8つ描かれている。病む目→やむめ→や=8から。八ツ目うなぎではないようだ。
例祭:8月13日

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・菅田町956 すげたちょう

提供:Roku Jiiさん
主祭神:倉稲魂命 配神:日本武尊・素盞嗚命 境内社:織姫神社
昔は創建不詳だったが『栃木県神社誌』平成18年版から正治元年1199足利義兼の創建とされる。
菅東山稲荷神社,出世稲荷神社と呼ばれる。
大正五年1916八剱神社を合祀。
社宝に足利市文化財の三十六歌仙図。
例祭:10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 正一位 稲荷大明神 菅田
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-34丁
北郷村大字菅田鎭座 村社 稻荷神社 祭神倉稻魂命 建物本社間口五尺奥行五尺 拜殿間口三間奥行二間 雨覆三間四方 神饌所一間四方 神樂殿一棟 氏子戸百五戸
木社創立年月詳ならす 社域三千五百四十四坪を有す

鹿島神社

[かしま神社]

栃木県足利市・菅田町226

主祭神:武甕槌命
寛政十年1798岡崎利左衛門が岡崎山野中腹に創建。昭和二十八年1953再建。平成13年鳥居建て替え,社殿改築。
例祭:4月第二日曜日

八劒神社

[やつるぎ神社]

栃木県足利市・菅田町243

主祭神:素盞嗚命?
詳細不詳。

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県足利市・田島町1189

主祭神:磐裂神 配神:根裂神 境内社:八坂神社・浅間神社
建久年間1190~99田島郷が開発され鎭守として虚空蔵菩薩を祀ったことに始まる。明治十年1877再建。
大正五年1916三柱神社と山神社を合祀。
例祭:4月第二日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 星宮大明神 田島 村正
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-34丁
北郷村大字田嶋銭座 村社 星宮神社 祭神磐裂神・根裂神 建物本社二間半四方 拜殿間口七間半奥行三間二尺 幣殿間口一間半奥行二間 末社一社 氏子百九十三戸
本社は明治十年五月の再建にして宏牡美觀たり 社域千百九十一坪を有す

示現神社

[神社]

栃木県足利市・田島町1703

主祭神:豊城入彦命
戦国時代に宇都宮二荒山神社より勧請と伝わる。享和二年1802再建。
例祭:4月第二日曜日

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県足利市・江川町232

主祭神:譽田別命 左殿:長尾但馬守景長,景春 右殿:斎藤伊豆守重光
例祭:4月10月第二日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 八幡宮 江川 斎藤氏
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-34丁
北郷大字江川鎭座 村社 八幡宮 祭神譽田別命 左殿長尾景長仝景春 右殿齊藤伊豆守 建物本社一間四方 幣殿間口九尺奥行二間 拜殿間口三間奥行二間 氏子六十六戸
本社は齊藤新左衛門の崇敬社にして武運長久子孫永榮を祈らんか爲め本社を再建し左右に長尾齊藤の三靈を合祀し三寄八幡宮と稱し后一村の鎭守となりぬ 社域一千三百五十三坪淸洒の地に在り

大神宮

[だいじんぐう]

栃木県足利市・江川町551

主祭神:天照大神
文化九年1812中島久米右衛門が伊勢に参拝して勧請。昭和四十年1965倒壊。
例祭:4月15日

示現神社

[じげん神社]

栃木県足利市・月谷町467 つきやちょう

主祭神:大己貴命 配神:事代主命・建御名方命 境内社:八坂神社・稲荷神社・琴平神社
元慶四年880創建の古社。
例祭:4月21日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 慈眼大明神 月谷 峰岸桂
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-34丁
北郷村大字月谷鎭座 村社 示現神社 祭神大己貴命 健御名方命 事代主命 建物本社四尺四方 拜殿間口三間半奥行二間 幣殿間口九尺奥行二間半 神樂殿一棟 寶庫一棟 末社六社 氏子二百十六戸 社掌峯岸豊仝大宇住
本社創立元慶四年880にして月谷大明神と稱せしを天正年中示現と改號す 再建は慶長及ひ慶應元年にして社域五百六十三坪を有す

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県足利市・月谷町1339

主祭神:譽田別命
建久1190~99頃,足利義国が創建。小ぶりの石宮が祀られている。
例祭:4月21日

飯綱神社

[いいづな神社]

栃木県足利市・月谷町1342

主祭神:国常立命 配神:保食神・大山祇命
貞観十八年876八王子の高尾山薬王院有喜寺より飯縄大権現を勧請して創建。
例祭:4月21日

神明宮

[しんめいぐう]

栃木県足利市・月谷町1356

主祭神:大日孁貴命 境内社:豊受神社
養和元年1181創建。山奥にあって草木生茂リ,そのうえ平成17年時点でイノシシが多数生息し,近寄りがたいという。
例祭:4月21日

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・月谷町1417

主祭神:倉稲魂命
天正年間1573~92の創建,天文五年1536再建と伝わるが整合性がない。逆かも。あるいは天承年間1131~32創建か。こちらも平成17年時点でイノシシが多数出現するという。
例祭:旧暦2月初午日

琴平神社

[ことひら神社]

栃木県足利市・月谷町404

主祭神:大物主命
文政元年1818寺の守護として角欠[すみかけ]に勧請。金刀比羅大権現と称した。
癩病を底抜けに根抜けに治癒することを祈願するため底の抜けた柄杓を奉納する習慣がある。
例祭:4月1日

山神社

[やま神社]

栃木県足利市・月谷町1743

主祭神:大山祇命
永尾影顕が城内に祀り城山神社と称した。廃城となり現在地に遷宮。
例祭:4月第四日曜日

山神社

[やま神社]

栃木県足利市・月谷町664

主祭神:大山祇命
寛和年間985~987に久保山に創建,久寿年間1154~56に現在地に遷宮。
例祭:4月21日

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県足利市・月谷町713

主祭神:菅原道真公 境内社:八坂神社
延喜十四年914十二月または四月,村の老人が京都見物に行き地震雷雨火災に遭遇,菅公の祟りとの洛中言を聞き,宿の築山の小石を菅霊神と思いなし一心に祈ると災害が治まったので,小石を持帰り翌延喜十五年915二月,字沢中に一祠を建て祀ったことに始る。沢中の頭に菅公の菅を付けて菅沢としたので,菅沢天満宮と呼ぶ。小石は現在も残っているらしいが,ほんとうなら1100年になる貴重品。
例祭:4月21日

諏訪神社

[すわ神社]

栃木県足利市・樺崎町1981-ロ

主祭神:建御名方命 境内社:八坂神社
文治年間1185~90馬坂[まざか]山中腹に創建。享和二年1802本殿屋根葺替。
明治初年に秋葉神社,琴平神社を合祀。本殿側面に孟宗,文帝,郭巨の孝行物語が彫られている。
例祭:4月10月第三日曜日

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県足利市・樺崎町2308-ロ

主祭神:別雷命
永正年間1504~21の創建。嘉永五年1852再建。
平成18年時点では,小さな石宮が祀られている。
例祭:4月3日

富士仙元宮

[ふじせんげんぐう]

栃木県足利市・樺崎町247

主祭神:木花開耶姫命
Google地図に仙元宮の文字で載っているが出所不明。詳しいことは分からない。大月町にも仙元宮。足利では浅間を仙元と表記するところが2か所。

日枝神社

[ひえ神社]

栃木県足利市・樺崎町2484

主祭神:大山咋命 配神:大己貴命・別雷神
寛永元年1624以前の創建。嘉永年間1848~54に再建。
平成18年時点では社殿はなく,小さな石宮が祀られている。
例祭:4月23日

浅間神社

[あさま神社]

栃木県足利市・樺崎町857

主祭神:木花開耶姫命
293号線沿いに鳥居。

日光神社

[にっこう神社]

栃木県足利市・名草中町3436

主祭神:大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命 配神:大山祇命・木花咲耶姫命・仁徳天皇・軻遇突智命・菅原道真公
文禄四年1595日光二荒山神社より御分霊を勧請して創建。
大正三年1914天満宮,白山神社,愛宕神社,山神社,浅間神社,八幡宮を合祀。
例祭:10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 日光三社大権現 名草 五宝院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-32丁
北郷村大字名草鎭座 村社 日光神社 祭神大己貴命 田許理姫命 事代主命 祭日三月十五日九月十五日 建物本社一間四方銅葺 拜殿間口四間奥行二間 神樂殿間口九尺奥行二間末社七社 木鳥居一基 石燈籠二基 氏子四百戸總代六員 社掌堀江水穂本村大字二百四十八番住
社傳に曰く當社は往古日光二荒山神社を遷座して勸請せしも遼遠にして勸請年記詳ならす 元祿五年1692三月本社再建せし事は明なり 往時五寶院にて代々別營職を奉し維新の際復職し堀江水穂と改名して奉仕せり 明治二十八年二月を以て巨大壯麗なる本社拜殿を改築す 境内は里道の西側の小丘にありて頗る幽邃にして淸洒たり 樹木蓊欝として中にも神木と稱せし老杉(二丈余回)は高く中空に聳ひ風致焉然として愛すへし 本社の馬塲長延にして六十階の石磴を登りて拜殿に達す 社域廣大にして三千坪あり 又本社維持として田一反九畝廿四歩を有す

厳島神社

[いつくしま神社]

栃木県足利市・名草上町4990

主祭神:市杵嶋毘賣命
昔は創建不詳だったが『栃木県神社誌』平成18年版からは弘仁年中810~824なんと空海の創建説が掲載されることになった。場所も名草山の奧観音窟と特定。弁財天と称した。文禄五年1596現在地に遷宮。明治二年1869焼失したが五年に再建。
境内に名草巨石群
例祭:5月4日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-36丁
北郷村大字名草鎭座 無格社 嚴鳥神社 祭神市杵嶋姫命 祭日陰曆四月初已日 建物本社二尺四方 拜殿間口二間半奥行二間瓦葺 回廊巾一間長七間 末社一社 石鳥居一基 石燈籠一基 信徒四百戸總代六員 社掌堀江水穂本村大字二百四十八番
本社は往昔安藝の巌嶋神社を遷せしものなれとも創立年月日詳にせす 然れとも衆庶尊拜する社なり 社域百五十坪田一反二十五歩の社有財產あり

八坂神社

[やさか神社]

栃木県足利市・名草下町4625

主祭神:素盞嗚命
文化九年1812八月創建。昭和六年1931石燈籠。昭和八年1933石鳥居。
例祭:7月15日 子供神輿巡行

御嶽神社

[みたけ神社]

栃木県足利市・名草下町485

主祭神:国常立神
建久七年1196足利上総介義兼が創建。寛延三年1750本殿再建。蔵王権現と称した。前方後円墳の蔵王権現古墳に鎭座。
例祭:1月7日七草祭 赤城山の大蛇に見立てた的をウツキの弓と篠竹の矢で射る矢神事

八坂神社

[神社]

栃木県足利市・名草中町1185

主祭神:素盞嗚命
享和三年1803創建。明治四十年1907拝殿新築。 例祭:7月15日 屋台巡行

八幡神社

[はちまん神社]

栃木県足利市・名草中町3657

主祭神:譽田別命 境内社:西根神社・山神社
享保三年1718名草村の岩下甚左衛門が創建。八幡宮と称した。明治二十九年1896山神社と合併して八幡神社と改称。
例祭:10月10日


▊三 和 村『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-36丁
本村は板倉粟谷及ひ松田の舊三村を合せ一の自治區となせしものにして其幅員東西一里十五町南北三里あり 地勢險夷相半し松田川中央を貫流し東に行道山の山脈連亘して東北の間に起伏し西南の兩面田野饒に開くを見る 村民は概して篤厚にして敬神の志厚く農工に勤勉し且山間には樵夫の業を取るもの少なからす 古來の沿革に付ては往時は丹南藩及ひ足利の領地にして各所屬を異にせしか明治維新後共に栃木縣に屬し第四大區八小區に編入せられ次て一戸長役塲の所轄となり後町村制實施に及ひ更に合せて一村をなすに至りしものとす
本村には村社三社及ひ有名の無格社一社ありて氏子戸數六百十余戸人口四千百九十余人を有す

松田神社

[まつだ神社]

栃木県足利市・松田町1276

主祭神:大己貴命 配神:菅原道真公・市杵嶋姫命・天照大神・大山祇命・軻遇突智命
神亀元年724から天平二十一年749の時期に字宮内に鎭座,永正十八年1521現在地に遷宮。享保五年1720日光二荒山神社より御分霊を勧請,両社大明神と称した。
明治四十年1907不明の無格社を合祀,明治四十三年1910天満宮を合祀。
例祭:4月10月第二日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 正一位 両社大明神 松田 村正
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-36丁
三和村大字松田鎭座 村社 松田神社 祭神大己貴命 建物本社間口一間半奥行二県 拜殿間口四間半奥行三間 末社四社 氏子三百十二戸 社掌長嶋覺三郎仝村大字板倉一一九番地住
本社創立年月詳ならす 社域二千三百二十二坪にして境内には老樹蓊欝として繁茂し景致頗る幽雅なり

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県足利市・松田町1878

主祭神:譽田別命 境内社:稲荷神社・雷電神社・熊野神社・榛名神社・西宮(恵比寿)神社・厳島神社・八坂神社
創建等不詳。本殿壁に東照宮造営に携わった工匠の作と伝わる彫刻。
明治四十年1907愛宕神社を合祀。
例祭:4月10月第四日曜日

琴平神社

[ことひら神社]

栃木県足利市・松田町227

主祭神:火産霊命?
創建等不詳。境内の御堂に虚空蔵尊が祀られている。

八坂神社

[やさか神社]

栃木県足利市・松田町420

主祭神:素盞嗚命
創建等不詳。境内に松一自治会館。

境宮神社

[さかいみや神社]

栃木県足利市・松田町800

主祭神:?
創建等不詳。坂西北小学校の北東,足利松田郵便局手前に鎭座。

粟谷神社

[あわのや神社]

栃木県足利市・粟谷町1149

主祭神:大己貴命 配神:日本武命・大山祇命・素盞嗚命 境内社:織姫神社
創建年不詳,宇都宮大明神と称した。鳥居手前に足利紋織の祖金井繁之亟生誕の地看板。
境内社の織姫神社額は「機神宮」
例祭:10月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 正一位 慈眼粟谷 粟谷 村正
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-37丁
三和村大字粟谷字丸山鎭座 村社 粟谷神社 祭神大巳貴命 祭日陰曆三月廿八日九月十九日 建物本社間口二間奥行一間四尺栃葺 雨覆三間四方瓦葺 拜殿間口五間奥行二間瓦葺 木華表一基 末社二社 石燈籠四基 社有財產田宅地山林合反別三町三反五畝歩地價金百三十八圓九十錢余 氏子九十八戸總代三員 社掌森山久良住所仝上
社傳に曰く勸請年月は遼遠にして詳かならすと雖とも慶長十一年1606丙午十二月徳川代官小林重郎右衛門檢地縄入の節鎭守社地として東西三十間南北二十八間三合三夕を除地とし本社に附せられ享保九年1724二月二十二日下野國足利郡粟谷村宇都宮大明神へ神位宗源宜旨を賜はり正一位を授けらるとありて往古は宇都宮大明神と稱せしか明治五年に粟谷神社と改稱す 亦本社拜殿の創建年月詳かならされと氏子金井仙右衛門仝繁之丞か願主となり天保十年1839丁亥八月拜殿再建す 弘化四年1847丁未九月本社修繕を加へり 時に和田仁右衛門金井繁之丞新藤久右衛門か發起となりて盡力せり 明治十六年十月本社及ひ拜殿を修繕せり時に社長和田新八郎副社長和田耕次郎か東奔西走盡力して成る 仝二十七年十月拜殿屋根瓦に改葺せしは氏子總代和田秋藏仝新八郎仝徳吉か奮▢該工事を興し社殿保存の目▢は勉めて力ありと云ふへし 社域八百五十三坪にして百有余階の石磴を登りて拜殿に達す 亦三十五級の磴を躋り本社に到る 境地は丘陵の中腹に位し社背は山岳屹峙し前は板倉の要害山に相對し社殿壯巌を極め古杉老松高く聳ひ神寂ひて古雅を帶ひ眺矚頗る佳なり且華表の前側に征淸軍人戰死者田部田利三郎の碑石あり

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県足利市・粟谷町1168

主祭神:譽田別命
創建等不詳。山を御神体とし簡素な拝殿は遥拝殿の役割を担い小さな石宮を祀る。長らく廃れていたが平成に入り秋祭を行うようになる。
例祭:10月第一日曜日

山神社

[さん神社]

栃木県足利市・粟谷町957-1

主祭神:大山祇命
創建等不詳。
例祭:4月第四日曜日

板倉神社

[いたくら神社]

栃木県足利市・板倉町436

主祭神:事代主命・大己貴命・味耜高彦根命 配神:機織姫命・木花咲耶姫神・大雷神・大山祇命
宝物に縄文中期の栃木県有形文化財の石棒。
拝殿額は「下野板倉村社・二荒大神」
例祭:4月15日 旧暦11月初午に神迎祭[おかえり],出雲から帰ってくる神々を村境に出迎えに行き奥宮にお祀りして注連を張る。12日目を神事明[しんじあき]。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 正一位 慈眼大明神 板倉 法眼寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-36丁
三和村大字板倉鎭座 村社 板倉神社 祭神大己貴命 事代主命 田心姫命 祭日四月二十二日突起二十二日其他神事夜祭陰曆突起初午日神事明祭初日より十二日目  且諸呼建物*晶賛葺拜殿螂翌饂査葺 石華表一基 石燈籠十基 建物本社二間四方銅葺 拜殿間口五間奥行二間萱葺 石華表一基 石燈籠十基 制札一所 氏子百七十戸總代三員 社掌同上
創立は文永年間1264~75にして日光二荒山神社を遷座せしものにて往古より領主代々崇敬あり其領主を列擧すれは足利藩及ひ古河義氏を始め天正年間澁川氏慶長年間代官小林重郎左衛門元和年間永井右近太夫寛永年間土井大炊頭元録より高木主水正皆本社をして祈願社となす 元禄二年1689本社再建后宜旨を以て正一位を授けらる 社域千五十坪字宮山の半腹に位し境内には古松老樹森々と繁茂し幽邃にして頗る雅致あり

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県足利市・板倉町1511

主祭神:別雷命・大雷神 配神:天児屋根命・経津主命・武甕槌命・比賣神・市杵嶋姫命
要害山頂に鎭座。板倉二郎義顕が物見の守護神として祀ったと伝わる。寛永十年1633修復。
明治四十二年1909春日神社,厳島神社を合祀。
昭和十五年1940社号標に「雷電神社」。 例祭:4月第一日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-37丁
三和村大字板倉字要害山鎭座 無格社 雷電神社 祭神別雷命 大雷命 祭日四月九月十日 建物本社間口四尺奥行三尺 拜殿間口二間奥行一間半 饌殿間口三間奥行四尺 神樂殿間口五間奥行三間 華表二基 社務所淸祀館と云ふ間口六間半奥行二間半高さ四丈五尺にして四階造二回は學室三階を長榮閣と稱し信徒參集の席となし四階を社務取扱となす 制札一所 信徒百八十戸總代三員 社掌長嶋覺三郎住所仝上
本社は八幡太郎源義家の三男式部大輔義國の孫足利宮内卿泰氏二男板倉次郎義顕此地へ(今の要害山物見の地なり)物見鎭護として崇祀す 天正年間澁川氏崇敬后寛永年中領主土井大炊頭本社再建高木主水正より年々祭饌料として米一石六斗を献納せらる 又寛永年中1624~44領主古河城殿中へ落雷せしに不思議にも火鉢の中へ壓ちて怪我なかりし故偏に神の擁護なりとて其火鉢を本社々地に埋め篤く信仰せり 嘗つて神威の著るしき人の知る所なり されは今の社掌長嶋氏之れか講社を結ふ遠近に信徒多く盆々盛大に赴くといふ
因に云ふ土井大炊頭か埋めをきし火鉢隣村喜福寺といへる禪寺ありしか其寺の小僧彼の火鉢を堀り出たし將さに山を降らんとする時晴天なりしも一天忽ち墨を流すか如き雲起り沛然として雨は盆を傾くるか如く雷さへ鳴れはためきて恐しなんと言ふ圤?りなし豪氣の小僧之れに恐れす遂に火鉢を得て去れる云々と今に其火鉢は同寺にありて雷火鉢と呼て什器の一なり
本社境地は直立三百尺周圍六百四十問断崖絶壁仰けは松杉の風賴を聞くへし伏して松田川の淸流を掬すへし 本大字中央より午未の方に在り巍然として峙つもの此れ即ち要害山なり 本社は此の霹頭にあり規模宏麗ならすと雖とも高雅幽淒神寂ひたるさまのいと貴ふとき心地す 東南北の三方は近く田甫を扣へ西南遥に赤城吾妻淺間春名伊香保妙義秩父金山等の巒峯蜿々起伏すると視る 某の方翠雲巒畳々山深き邊嶄然として雲表に聳ゆるものは日光山なり 北の方庚申山を隔て餓然天を突くものは岩代の磐梯山なり 飜つて眸を轉せす兩毛武の野渺々として徐むろに淡霞を求め渡良瀬川の一韋帶水を踰へて滾々たる利根の大流平塚より古河に走るの間白帆片々暭々たる斜陽に映し金鴉柄を急へて明滅たるを覗き幽かに芙蓉峯の白皚々たる情景に到すへし 嗚呼山を樂み眺望佳にして浩然の氣を養ふ風光の美之に過くるものあらん 山麓奇松の下怪岩の上に一基の碑あり天保年中領主高木主水正の建設したるものにて銘に曰く「勸むれは貧にかつ慎めは禍にかつ」十二世主水正源朝臣正明書とあり 其他寺門良文撰立原某書及ひ芳川逸撰大竹培書岡田威士の記にして生方寛の筆に成れるものあり

雷神社

[いかづち神社]

栃木県足利市・板倉町1035

主祭神:大雷神
創建等不詳。要害山の北側の田園地帯に鎭座。本殿彫刻。
例祭:3月11月最終日曜日

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県足利市・板倉町1685

主祭神:大雷神
要害山の北東にある山の中腹に鎭座。

白山神社

[はくさん神社]

栃木県足利市・板倉町1182

主祭神:
例祭:月日

六之丞八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県足利市・板倉町1706

主祭神:堀江六之丞
山腹に鎭座。寛延三年1750に処刑された一揆の主導者堀江六之丞を祀る。入口の道路沿いに石宮と庚申塔三基。すぐ東に雷電神社。

富士嶽神社

[ふじだけ神社]

栃木県足利市・板倉町178

主祭神:木花開耶姫命
石鳥居,石段。小ぶりの石宮が祀られている。

産泰神社

[さんたい神社]

栃木県足利市・板倉町964

主祭神:?
石鳥居,石燈籠,石段。


***以下は昭和35年1960に群馬県矢場川から足利市に編入されたので『下野神社沿革誌』には記録されなかった。

神明宮

[しんめいぐう]

栃木県足利市・南大町277

主祭神:大日孁貴命・豊受姫命 配神:弥都波能売命(罔象女神) 境内社:諏訪神社・八坂神社・稲荷神社・愛宕神社・雷電神社・厳島神社
もと群馬県矢場川村大町。平成24年の石芋伝説の看板が建てられており,「芋の森神明宮」建立とあり,拝殿額が「芋森神社」で奉納されているのでGoogle地図に芋森神社で載せられたが,「神明宮」である。社号標は「村社神明宮」
平成元年芋森神明宮改修記念碑。

和泉神社

[いずみ神社]

栃木県足利市・南大町179

詳細不詳。
もと群馬県矢場川村大町。矢場川右岸,アキレス工場の西。

神明宮

[しんめいぐう]

栃木県足利市・里矢場町2022

主祭神:大日孁貴命・豊受姫命 境内社:浅間神社・熊野神社・鹿島宮・菅原神社・稲荷神社・八坂神社・三峯神社
本社創立不詳。明治三十三年1900御影石鳥居。
もと群馬県矢場川村矢場の里矢場地区。里矢場小学校の北。北に明林寺。昭和38年1963ころの氏子数100戸。

八坂神社

[やさか神社]

栃木県足利市・新宿町1169 あらじゅく

主祭神:須佐之男命 境内社:菅原神社・諏訪神社
もと群馬県矢場川村矢場の新宿地区。例幣使街道北側。 新宿Arajuku町自治会館となり。木の立て札に「例幣使道分間絵図に牛頭天王と記載されている。嘉永元年1848二月に尾州愛知県津島の牛頭天王社より勧請したといわれる」
昭和26年1951茅葺拝殿を瓦葺に改築。大正十三年1924御影石鳥居。
明治二年1869石祠の左の自然石に寛治三年1089または寛政三年1791の文字。
社号標下部に「西太田伊勢埼道・東佐野福居道」道標。
新宿共有金支出橋堰改築記念碑
昭和38年1963ころの氏子数60戸。

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・藤本町91

主祭神:大日孁貴命・豊受姫命 弥都波能売命(罔象女神) 諏訪・八坂・稲荷・愛宕・厳島神社
もと群馬県矢場川村矢場の藤本地区。矢場川右岸。川向うに島田の天満宮。



***以下は『下野神社沿革誌』足利郡に記録されたが昭和三十四年1959越境合併により群馬県に編入された

▊菱 村 『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-38丁
本村は黑川上菱の舊一村を合せて一村となせしものにして其幅員東西二十五町南北二里あり 地勢狭長にして東北一帶の地は山岳相連りて起伏連亘し南西平衍にして桐生川は西部一面を限り群馬縣と界せり 村民は温順にして農工に従事し交際親密なり
古來の沿革は徃時幕府代官の所領たりしか維新の後栃木縣に屬し第四大區八小區に編入せられ後一戸長役塲の所轄となり更に町村制實施に當り合せて一自治區となす
本村には村社二社ありて其氏子戸數五百八十余戸人口三千四百六十余人あり

宇都宮神社

[うつのみや神社]

群馬県桐生市菱町1丁目18

*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-38丁
菱村大字黑川鎭座 村社 宇都宮神社 祭神事代主命 建物本社間口一間半奥行一間四尺 拜殿間口五間奥行二間 末社三社 氏子二百九十七戸
本社は應永二十年1413の創立にして領主細川丹後守の勸請なり 社域七百八十五坪高燥の地にありて風色深邃にして雅致あり

八幡宮

[はちまんぐう]

群馬県桐生市菱町

*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-38丁
菱村大字上菱鎭座 村社 八幡宮 祭神譽田別命 建物本社間口四尺奥行一間 拜殿間口一間半奥行二間 末社四社 氏子百五戸 社掌森山龜次住所前仝
本社勸請年月不詳 社域七百二十一坪を有す

 

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