足利市・緑・通・大門道・家富・雪輪・大町・旭・伊勢・
相生・栄・本城・助戸・新山・西宮町の神社資料

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八雲神社

[やくも神社]上社・惣社

栃木県足利市・緑町1-3776

主祭神:素盞嗚命 配神:櫛稲田媛命・大己貴命・少彦名命・火具土命 境内社:機神神社・天神社・琴平神社・産泰神社・三峯神社・稲荷神社
貞観十一年869創建の古社。足利・梁田両郡の総鎮守。下野天王惣社で足利天王榊大社と称した。応徳元年1084には足利梁田両郡の総鎭守と定められた。 大社でありながら明治三十五年1902刊の『下野神社沿革誌』に記録が見当たらない。 明治十年1877渡良瀬川の氾濫を避けるために天神社境内に遷座したことが遺漏と関係があるだろうか,理由が不明である。通5丁目の八雲神社から西に徒歩約15分の足利公園に鎭座。
明治四十二年1909愛宕神社を合祀。
2012年に不審火で焼失したが,2017年12月に再建され9,10日に落成式が執り行われた。再建に当たって本殿・幣殿一式は伊勢神宮の天照大神弟神の月讀尊荒御魂宮を譲り受け,移築した。
本殿右手の石鳥居額に「機神神社」その右に石鳥居と石燈籠付きの「稲荷神社」。機神神社本殿右手には石鳥居付き三対の石燈籠を備えた大黒様。
つぎの,通と大門通の八雲は『栃木県神社誌』平成18年版では[やぐも]と濁音で記録され,緑町では清音で[やくも]とされているが,正否をとやかくいうこともない。
例祭:7月21日 22日おかち渡り,当社上の宮の神輿と通五丁目の下社八雲神社神輿が下馬橋旧址に会して御幣合せ神事
詳細は https://yagumojinjya.com/yuisyo.html

八雲神社

[やぐも神社]下社・郷社

栃木県足利市・通5-2816


主祭神:素盞嗚命・猿田彦命 境内社:稲荷神社・瓊矛神社・秋葉神社
織姫神社登拝口の一の鳥居の道路向かいに鎮座。1150年ほど前に創建された古社で,社号標に「郷社八雲神社」の文字。
天保十四年1843本殿改築。大正四年1915拜殿戸神饌所を新築,昭和八年1933社務所新築,平成十二年神楽殿改築。
例祭:7月20日(夏休最初の日曜日) 20日夜緑町の上社八雲神社神輿渡御,21日夜に当下社神輿渡御,22日おかち渡り,下馬橋旧址で御幣合せ神事
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 祇園牛頭天王 足利本町 赤坂左門
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻一-12丁
足利町大宇足利五丁目鎭座 郷社 八雲神社 祭神素盞嗚命 建物本社間口五尺奥行四尺銅葺 華表一基 末社二社 氏子二千四百戸 社掌肋川芳之仝町字西宮住
本社創立は貞觀年中859~877にして衆庶崇敬の社なり 明治六年一月郷社に定めらる 社域五百十八坪本町の中央北側に鎭し本社に遶らすに石の瑞籬を以てし境内の四方には渠を構ひ古杉老樹亭々と高く聳ひ幽邃にして頗る雅致あり

八雲神社

[やぐも神社]

栃木県足利市・大門通2379-2


主祭神:素盞嗚命・奇稲田姫命 境内社:染殿神社
明治十三年1880に通四丁目の八雲神社を合祀。昭和四年1929に通二丁目2660に社殿を新築。昭和四十二年1967道路拡張のため鑁阿寺楼門南の現在地に遷宮。東隣りに足利学校。
例祭:7月21日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-12丁
足利町大字足利鎭座 村社 八雲神社 祭神素盞嗚命 櫛稻田姫命 祭日六月三十日七月二十日 建物本社一間四方 拜殿間口三間奥行二間瓦葺 華表一基 寶物正宗作刀一振月山の銘あり長さ二尺三寸東京市神田新石町某奉納 氏子八百戸總代十五員 社掌高山兼守仝町二二三番地住
社傳に曰く寶永二年1705戸田長門守此の地に移り領せし時代官風祭太郎左衛門の創立なり 元治元年1864本社拜殿氏子ー同の力を以て再建す 本社維新以前は寶珠院にて別當職を奉し復飾奉祀せしか今や氏子の矚望に依り高山氏之れか社掌たり 祭典の如きも明治元年より仝二十二年迄衰頽に赴き神輿渡行の大式は廢絶に歸したりしを同氏深く嘆して自ら私金を抛つて仝二十三年更に盛むなる祭式を擧けしより毎年例となりて漸く神威の光輝を増せり枚に其宮殿の如きも常に淸潔にして一点の汚塵を留めす其注意周到成すへし 境内九十一坪にして足利町二町目北側にあり 市街櫛比の處とて山水の美には乏しけれと紅塵万丈の間自つと閑雅幽静の洞源を爲せり 其風韻を添へたるは櫻の碑なり今左に採録して未た見ぬ人の語り草に供せん      詠櫻花歌  奥河内淸香   さへつるやかたにはあらぬ大倭國のはたこみつき匂ふ科くらかくはたちよれば老さへわすれ花みれは憂さへわする のはなの咲のさかりは貴人も賤の荒雄もむら肝旰の形ころをなしく酒呑は酒さへす〻み歌詠めは歌さへうかふ此所念へは奇しき花そ敷しまの倭嶋根にあそふ櫻哉
     明治四辛未年夏五月  創立者高山謙守補助須永廣吉

鹿島御嶽神社

[かしまみたけ神社]

栃木県足利市・助戸仲町479


主祭神:建御名方命・国之常立命 配神:船戸神ほか多数 境内社:琴平・八坂・見眼・龍王・稲荷神社
天保二年1831再建するも天保十四年1843焼失,後年再建。
例祭:10月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 鹿島大神宮 助戸 平戸→平渡大和
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-13丁
足利町大字助戸鎭座 村社 鹿嶋神社/御嶽神社 祭神建御雷命 國之常立神 建物本社五尺四方 拜殿間口四間奥行二間半 末社五社 氏子二百五十戸 社掌日下部幸山仝大字住
本社創立詳ならす 社域五百四十一坪平地にして社木森々たり

西宮神社

[にしのみや神社]

栃木県足利市・西宮町3877


主祭神:事代主命・蛭子命
『栃木県神社誌』平成18年版では慶長八年1603摂津西宮大神を勧請して創建とある。安政二年1855暴風で倒壊,仮の本殿を建築。明治十二年1879山神社を合祀。大正七年1918社殿改築。
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-13丁
足利町字西宮鐵座 無格社 西宮神社 祭神事代主命 祭日陰曆正月十月二十日 建物本社本社間口五尺八寸奥行五尺三寸 拜殿間口三間二尺奥行二間 神樂殿一宇 末社三社 社有財產山林一町四反四畝歩 氏子信徒五百八十三人總代三員 社掌助川芳之仝町五三〇番地住
社傳に曰く貞享二年1685代官笠原七郎平當町商買繁榮のため勸請する處なり 其時社地として東西七間半南北三十一間除地とし代官より寄附せられ元文四年1739本社を再建し天明四年四月拜殿を再建す 今に神威赫灼參拜者の迹を絶たす毎年の例祭には數千人の信徒協同して賑へり 今の社掌か孫紋一郎之かため繁榮講社を結成し目下遠近に講社員を有する八千餘名毎年春秋二期に大講會を開き社員の繁榮を祈り御神符神影神饌を配付するを例とし二十五年秋より今に盛むなり 社寶には正親町中府將實徳卿の筆神號の扁額天保七年十一月奉納及ひ古鏡一面を藏す 社域百三十九坪にして里俗鏡岩と稱する丘陵の崖下にあり前に足利街の西端を望み右手に瓦山と稱する岡陵を眺む 此處には松の一叢ありて緑の枝振面白く宛かも一幅の活畫を親るか如とし 境内には伊勢大神宮の御分靈を祀る 其の後に一基の碑ありて句を刻せり「たもふもの所を得たし夷講」

織姫神社

[おりひめ神社]

栃木県足利市・西宮町3889

主祭神:八千々姫命・天御鉾命
創立年不詳。明治十二年1879機神山の現在地に遷宮するまで通四丁目の八雲神社の相殿だった。翌年焼失して,時を経て昭和十二年1937社殿造営。昭和三十一年1956境内地を含めて足利公園がつくられた。境内地4613坪,とても見栄えのする立派な神社。
例祭:5月5日

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県足利市・緑町2-3753


主祭神:火軻遇突智命
平安末期に定期市に使用する倉庫の火災除のために創建。宝永六年1709戸田氏が煙硝倉を現在地に建て,合せて社殿を造営,愛宕山大権現と称した。寛保二年1742水難死者追悼の入水碑。大正十五年1926改築。
例祭:4月第二日曜日

厳島神社

[いつくしま神社]

栃木県足利市・通6-3177


主祭神:市杵島姫命・建御雷男命
弁財天を信奉した足利城主長尾氏が領内に祀った七社の一。昔は西宮町の長林寺の池の辺に鎭座した。
例祭:5月第二日曜日

厳島神社

[いつくしま神社]

栃木県足利市・大町3-2


主祭神:市杵島姫命 境内社:稲荷神社
永正年間1504~21に足利学校の東北すぐのところに創建。宝永元年1704造営の本殿が昭和六年1931新築した本殿の左に保存されている。
Google投稿写真は本城2の厳島が混在しているので注意。
例祭:10月3日

三神社

[さん神社]

栃木県足利市・大町14-26


主祭神:大日孁貴命・天児屋根命・譽田別命・少彦名命・伊弉冊命
創建等不詳。明治四十三年1910熊野神社を合祀。
例祭:4月第一日曜日

伊勢神社

[いせ神社]

栃木県足利市・伊勢町2-3-1


主祭神:天照皇大神 境内社:豊受社・月読宮
仁平元年1151創建。天正年間1573~92に焼失。弘化二年1845社殿造営して復興。維新の際に廃絶さるも,明治十四年1881有志が足利駅西に遥拝所を建てて再建。明治三十九年1906官許を得て再建。大正十四年1925焼失。同年現在地に社殿を新築。昭和十七年1942伊勢宮から伊勢神社と改称。「足利伊勢宮」社号標が保存されている。
例祭:7月17日

飯成神社

[いなり神社]

栃木県足利市・伊勢町4-14-6


主祭神:倉稲魂命 境内社:金山神社
大宝元年701には孔子像が祀られていたという。天長年間824~834に小野篁が当社に到り足利学校を創立。往古は五社宮大神,国府野大社と称した。渡良瀬川の氾濫で昌平町に遷宮したが,元の跡地に石宮が残っていたので明治二十一年1888そこに社殿を建立するも明治二十九年1896大洪水で倒壊,後年再建。昭和六十二年1987区画整理に伴い社殿を西向きにした。
例祭:3月初午日

御嶽神社

[みたけ神社]

栃木県足利市・旭町577-1


主祭神:国常立命 境内社:稲荷神社
足利上總介が建久七年1196に創建。蔵王権現と称した。鳥居には「蔵王宮」の扁額。
案内板に「蔵王宮(御嶽)神社 御祭神 国之常立尊 大己貴尊 少彦名尊 蔵王権現 例祭 春季大祭 秋季大祭 足利義兼創建と伝えられる」
例祭:11月3日

栄富稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・雪輪町2461


主祭神:倉稲魂命
江戸期に足利藩主戸田家の守護神として創建。東京神田神保町の五十稲荷は当社から分詞して江戸屋敷の守護とした。大正十五年1926本城一丁目の天神社を合祀。石鳥居には「天満宮」額。朱鳥居額は読みにくいが推定「正一位栄富稲荷大明神」
例祭:4月第三日曜日

逆藤天満宮

[てんまんぐう]

栃木県足利市・家富町2246


主祭神:菅原道真公
創建等不詳。逆藤天満宮と称し,鑁阿寺北に鎭座。
例祭:4月第一日曜日

道祖神社

[どうそ神社]

栃木県足利市・相生町396


主祭神:?
創建等不詳。

示現稲荷神社

[じげんいなり]

栃木県足利市・栄町1-3316


主祭神:倉稲魂命
建仁三年1203以前の創建。靈狐が出現したところに示現塚がある。大正十三年1924社殿改築とともに社号に示現を付ける許可を得る。昭和十二年1937改築。平成7年1995までに屋根を銅板葺きに改修。
例祭:三月第一日曜日

厳島神社

[いつくしま神社]

栃木県足利市・本城2-1860


主祭神:市杵嶋姫命 配神:菅原道真公 境内社:機神社
永正十年1513創建。弁財天宮と称した。寛政五年1793本殿造営。
明治四十三年1910天満宮を合祀。
戦火で焼失し昭和三十年1955再建。
美人弁天と呼ばれ美人証明を発行してくれる。
例祭:11月3日

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県足利市・本城1-1562

主祭神:天祖大神 配神:大雷神・市杵嶋姫命 境内社:若宮神社(天津日高日子穂穂手見命)・小谷神社(日枝大神・八坂大神)・織姫神社(機大神)・生駒社・厳島神社・八雲神社
天喜二年1054創建とされるが,それ以前に上古,社殿脇の「神鳴石」を依代として原初祭祀が行われたと伝わる。小谷城の守護神として崇敬され,但馬守顯長が永正元年1504社殿造営。江戸期には領主戸田氏が崇敬,天保十三年1842「雷電大権現」の大幟を寄進。翌年拝殿新築。
明治十年1877暴風で大破するも翌年改築。
明治四十二年1909厳島神社を,大正十年1921八雲神社を合祀。
大和両神代神楽が伝わる。
例祭:4月第四日曜日 夏祭:7月20日 秋祭:10月25日

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県足利市・助戸東山町1762


主祭神:大雷神・火雷命 境内社:山神社
板倉沼が干上る旱魃の時,領主秋元侯自ら黒馬に乗って邑楽郡板倉沼畔の雷電宮に雨を祈願すると雷電山麓の田圃で雷雲生じ豪雨となる。従者の敷いた板の上で雨の収まるのを待ったので板敷田圃の名が残る。靈驗に報いるために山上に登り参拝した。この故事から雨乞いに黒駒の絵馬を奉納する習いがあった。
御神体箱書に「宝永三年1706三月二十五日神威正一位雷電大権現」と書かれている。
例祭:4月第四日曜日

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・助戸1-598

主祭神:豊宇気姫命
いつの頃か助戸村の小堀重左衛門が寺二石[ふたついし]に稲荷神を勧請。靈驗著しく参拝者が増加し,農耕に支障が出るほどであったので安永三年1774権現堂(天台宗龍泉寺)三十八世潮音和尚を別当として現在地に遷宮,二石稲荷と称した。
例祭:2月初午に近い日曜日
主祭神:倉稲魂命
創建等詳細不詳。
例祭:月日

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・新山町2227

主祭神:倉稲魂命
創建等詳細不詳。皮?稲荷神社。
例祭:月日

浅間金刀比羅神社

[せんげんことひら神社]

栃木県足利市・助戸新山町1605

主祭神:木花開耶姫命・大物主命
創建等詳細不詳。助戸新山町尻無山の浅間神社に昭和51年1976改修に際して中腹に鎭座した金刀比羅神社を合併し,浅間金刀比羅神社と改称した。このとき改めて富士山本宮浅間神社と香川金刀比羅宮より御分霊を勧請した。
例祭:月日

八束穂稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・助戸493


主祭神:倉稲魂命
創建等詳細不詳。下記愛宕神社の隣りに鎮座。
例祭:月日

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県足利市・助戸仲町469-2


主祭神:火産霊命
創建等詳細不詳。八束穂稲荷神社の向かいに鎮座。
例祭:月日

▊足 利 郡 『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻一-10丁
本郡は始め足利梁田の兩郡なりしを合せて明治二十九年四月一日より足利郡と改む
今本郡の地勢を見るに東北より西部に亘りて山岳重畳し南西田圃開け土地平衍にして渡良瀬川は郡の中間を貫流して舊足利梁田兩郡を別ち數條の支流は來り合して東流す 更に西南は渡良瀬川を以て上野と界し邑樂山田の兩郡と相對し東北安蘇郡に接し旗川を以て自然の區劃をなす 本郡は舊足利梁田兩郡と稱せし時は足利郡は一町八村梁田郡は五村よりなり町村制實施の當時に於て以上の町村より成りしか後數村分割の事あり現今一町十五箇村とは成りぬ
本郡には縣社一社郷社四社村社六十社及ひ有名の無格社七社あり 其氏子戸數一万二千六百三十余戸人日七万六千ー百六十余人にして面積漸く十四方里に過きすして鹽谷郡栗山一村の大さに如かすと雖も人口の多きことは全國第一に居りて人文の發逹せるを知るに餘あり
本郡古來の沿革を尋ぬるに舊足利郡は聖武天皇の朝に諸國に驛家を定られし以來東山道使道に當り早く開けゆきしものか舊梁田郡は下野上野の相合して毛野と稱せし頃所謂國廳のありし所にして豊城入彥命の御子孫國造に任し永く治め給へし地なりけれは其開國も他に早かりしと見ゆ 然れとも一小郡なりし故にや事跡は沓として傳はるもの尠なし
本郡教育上に關する大なりと云ふへきは足利の聖廟及ひ足利學校の遺跡ありて往時小野篁の創立なりと歷史上にも明にして世人の能く知る所なり 既に王代一覧鎌倉大草紙和漢三才圖會他國史畧山吹日記木曾名所圖會足利學校書箱目録等にも記せり 然れとも亦分類年代記漫遊文章上野名跡考及ひ上野傳説雑記柳庵随筆には各々其記する所を異にして所謂創立に關しては諸説區々にして一定せさるも要するに珍奇なる書籍をし天下の奇室ともいふへきは上代文教の盛なりしを見るに足るへきか 明治の新天に際し廃藩置縣の后該學校は栃木縣の所轄となり殊に足利學校遺跡保存會を設立し其保存を計れり 亦明治時代の教育に就ては管内有數なる小學校を始とし到る所校舎の設立し非さるはなく殊に工業學校の設置ありて亦就學兒童の如きも他郡に優るものあり 噫蓋し其因する所遠く且つ深きものあるにより將來の教育の發逹亦以て期すへきなり
舊雨郡開國の始め二千年以前の事は漠として其要を得るに由なし 中世以后傳ふへきは足利氏の事歷なりとす 其足利に源氏と藤原氏との二姓あり 藤氏足利は藤原秀郷六代の孫淵名兼行の子成行なるもの足利栗崎に叶城を築きしに始り 源氏足利は源義家の三男義國より出て尊氏も之より出つ 源平盛衰の時代より上杉謙信織田時代の間源姓藤姓足利兩氏の間屢變遷あり 次て豊臣氏の時世に及ひ足利小俣の諸城悉く變し又一城なきに至りしか更に徳川家の時に至り寛永元年戸田忠利を足利に封し爾來相承け明治維新に際し八代の後胤戸田忠行に至りて藩籍を奉還せしむ 明治五年廃藩置縣の事あり 其後に至り栃木縣所轄となり舊足利梁田兩郡を合せて一の郡役所を足利町に置きしか明治二十九年四月に至り梁田郡を廃して舊足利郡に合し改めて足利郡と稱す


▊足 利 町 『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻一-11丁
本町は舊足利町及ひ助戸村の一町一村を合せて一の自治區をなせしものにして其幅員東西一里十町南北三十町あり 地勢東西山岳を負ひ一方は渡良瀬川に瀕し土地概ね平坦肥沃なり 町民は商工を營み機業を以て其名海外に聞ゆ 舊助戸村も農工相半し概して勤勉の風あり活潑にして進歩の力に富み金融の活動甚しき勢あり
古來の沿革に付ては舊足利町は足利藩主戸田矦の領地に掛り助戸は高木主水正の領する所にして明治維新の後栃木縣に屬し舊足利町は第四大區七小區助戸は第四大區六小區に編入せられ各戸長役塲を異にし更に町村制實施に當り一自區を爲す故に本町には郷社一社村社二社及ひ有名の無格社一社ありて其氏子戸数三千七百六十余戸人ロ一万八千八百余人を有し殊に足利郡役所々在の地にして警察署郵便電信局停車塲及ひ有名の足利學校の遺跡等あり


足利の神社は関東の神社仏閣を積極的に回っていらっしゃる方のサイト【神社ぐだぐだ参拝録】に写真付きでほぼ網羅されていますので,ぜひご覧ください。
小生は間質性肺炎に罹ってしまい体力的・経済的に回れそうもありませんので,下調べだけにとどめます。