足利市上渋垂・島田・百頭・福井町の神社資料
赤城神社
[あかぎ神社]
栃木県足利市・上渋垂町119
主祭神:磐裂神 配神:豊受気姫命・埴山姫命・大日孁貴命
弘仁二年811創建。建仁年間1201~04新田義重が社殿造営。元禄十三年1700再建。文政十年1827焼失,嘉永四年1851再建。本殿に百足の彫刻など。
例祭:4月15日
『鹿沼聞書』の渋岳は渋垂の誤記又は誤植。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 正一位 赤城大明神 渋岳 快楽院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-22丁
御厨村大字上澁垂鎭座 舊梁田郡 村社 赤城神社 祭神磐裂命 相殿豊城入彥命 日本武尊 祭日陰曆四月八日九月廿九日 建物本社一間四方 幣殿間口九尺奥行二間 拜殿間口三間奥行二間半 雨覆間口三間奥行四間 鳥居一基 末社四社 氏子百二十戸總代八員 社掌船田義明仝村仝大字七十八番地住
本社創立は遼遠にして年月日詳かならすと雖も元禄十三1800中の再建の由は棟札に記して明かなり 社殿宏壯神威赫灼たり 正徳4二月十六日神位宣旨を以て正一位を授けらる 往古より船田家別頭職にして快乗院と號し代々奉仕せしか維新の際復飾して神官となり日々奉祀怠す 社寶には神鏡二面を藏す一面は則▢原周重の作にして(直徑四寸八分)神祗管領殿より奉献の品なり 又鈴三箇ありーは越後國直江津古川氏より奉納の品なり 外二箇は氏子邊見佐吉石川利一よりの奉納なり 社域九百五十六坪平地にして末社四社並列し木華表石の籏杭左右に並ひて氏子石川淸平の奉納に掛るものなり 本社の位置は舊例幣使街道の南にして小字文撰の西北隅に鎭座す 本社の後に一大老杉あり回り一丈五尺余にして矗立雲際屹立す 本社の東南に神職の屋敷あり 又境内に一少丘あり之れに登れは東南一帶御厨の田野に望み秋冬の候天氣睛朗なる時冨岳の西南に聳ゆるを見る西方は近く大田の金山遠きは信濃の淺間山に望み殊に眺望頗る佳なり
稲荷神社
[いなり神社]
栃木県足利市・島田町1025
主祭神:倉稲魂命 配神:天照皇大神・大山咋命・菅原道真公・猿田彦命・五十猛命
寛永九年1632創建。
明治四十三年1910八坂神社を境外社とし天満宮を境内社とする。同年大神宮,湯殿山神社,白山神社,熊野神社を合祀。
明治四十四年1911字天神の現在地に遷宮。
大正十四年1925に中央役人の命令で合祀した八坂神社を独立させることができた。この天慶二年939創建の八坂神社は島田984に鎮座する。
例祭:10月17日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 正一位 稲荷大明神 島田 覚性院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-23丁
御厨村大字嶋田字權現鎭座 舊梁田郡 村社 稻荷神社 祭神保食命 祭日陰曆三月十五日九月十九日 建物本社間口三尺奥行二尺七寸 雨覆間口二間奥行二間半 拜殿間口三間三尺奥行二間 華表一基 氏子六十九戸總代三員 井下田忠明仝村大字仝六十八番地住
社傳に曰く足利上總介義兼の創立にして維新前は稻荷山覺性院にて奉仕す 后明治三年九月神佛分割に際し別當寺村役人氏子ー同協議の上舘林藩廳へ出願し認可を得て井下田氏初めて本社の神織となる 是より先享保四年十二月十三日宗源宣旨を賜はり正一位を授けらる 古より衆庶の尊信する社なり 社域七百十九坪にして四境繞らすに渺々たる田甫を以てし境内古杉老樹蓊蔚として繁茂し快風一陣袂を次いて琴瑟の聲を生し月夜廊下に逍遥して龍蛇の影地に印するを見るへし人をして天空海濶の想あらしむ
天満宮
[てんまんぐう]
栃木県足利市・島田町364
主祭神:菅原道真公
矢場川左岸に鎭座。詳細不詳。
御厨神社
[みくりや神社]
栃木県足利市・島田町795-3
主祭神:天照皇大神
矢場川と例幣使街道の間の田園地帯に鎭座,向いに下記の八坂神社。詳細不詳。
八坂神社
[やさか神社]
栃木県足利市・島田町984
主祭神:素盞嗚命
矢場川と例幣使街道の間の田園地帯に鎭座,向いに上記の御厨神社。詳細不詳。
神明宮
[しんめいぐう]
栃木県足利市・百頭町1994 ももがしら
主祭神:天照皇大神 配神:保食命・木花咲耶姫神
大同二年807創建の古社。
例祭:4月第三日曜日 秋祭:10月第三日曜
『鹿沼聞書』の百比は記述の順などから百頭の誤記または誤植とした。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 正一位 神明宮 百比 村
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-23丁
御厨村大字高富(字百頭)鎭座 舊梁田郡 村社 神明宮 祭神大日孁女命 祭日三月十五日九月十九日 建物本社間口七尺奥行八尺葦萱葺 幣殿間口六尺七寸奥行一間半鐵葺 雨覆間口三間奥行二間半萱葺 拜殿間口三間半奥行二間 末社一社 木鳥居一基 石旗杭二基 手洗磐一基 氏子五十戸總代三員 社掌船田義明住所前仝
本社創建は大同二年807にして社殿宏壯輪奐たり 社域二千六十三坪平地にして境内には老杉古樹点々として高く聳へ若木蓊蔚にして風光絶景なり
母衣輪神社
[ほろわ神社]
栃木県足利市・福居町631
主祭神:日子番能邇邇芸命 配神:日本武尊・比賣神 境内社:八坂神社・朏神社・機神社・稲荷神社
『下野神社沿革誌』では祭神を日本武命で記録したが,現在はヒコホノニニギノミコト。『栃木県神社誌』平成18年版では日本武命が東征の際に戦勝祈願に邇邇芸命を祀ったという説をとっている。同書では保呂羽大明神と称したとあるが『鹿沼聞書』では母衣羽山大権現で記録された。
創建年は長暦三年1039説も伝わる。明治六年1873に母衣輪神社と改称。
▶母衣輪神社のイチョウ
例祭:4月第二日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 母衣羽山大権現 八木 持明院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-23丁
御厨村大字福居鎭座 舊梁田郡 村社 母衣輪神社 祭神日本武尊 祭日三月十五日九月十九日 建物本社間口三尺奥行五尺板葺 雨覆間口二間奥行二間半 幣殿間口九尺奥行二間 拜殿間口三間奥行二間各瓦葺 木鳥居一基 石旗杭二基 七五三柱高一丈二尺巾一尺二寸二本加藤半七郎奉納 末社六社 盥漱石一基 氏子四十五戸總代三員 社掌同上
本社の創立年月詳ならすと雖も神威盛んなり 社域六百四十八坪民有第三種にして平地なり 末社六社ありて木鳥居并石の旗杭盥漱石等壯嚴として建設あり 境内には老杉亭々として高く聳ひ風致愛すへし
稲荷神社
[いなり神社]
栃木県足利市・福居町94
主祭神:保食命 配神:菅原道真朝臣)
貞観十四年872創建の友野郷鎭守。『下野神社沿革誌』では祭神を豊受姫命で記録している。
現在の本殿は天明六年1786改築のもの。
天明年間1781~89の額面二,文政年間1818~30の画面一を所蔵。
例祭:4月第二日曜日
『鹿沼聞書』の南友野江は南友之郷のことでいいだろう,明治七年1874福居町の一部になった。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 正一位 稲荷大明神 南友野江 村
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-23丁
御厨村大字福居南友之郷鎭座 舊梁田郡 村社 稻荷神社 祭神豊受姫命 祭日三月十五日九月十九日
建物本社間口二尺二寸五分奥行一尺五寸八分栃葺 幣殿間口九尺奥行二間 拜殿間口三間奥行二間各瓦葺 雨覆間口二間奥行二間半 鳥居一基 石燈籠一基 盥水石一基 氏子二十三戸總代三員 社掌同上
本社勸請詳ならすと雖も社殿淸冽にして庶人信仰厚く境内には石の燈龍左右に並列して鳥居盥漱水盤等に至るまて全備したるは氏子僅少なるにも稀なる社なり 社域二百九坪若杉蓊蔚にして幽邃なり
飯有神社
[いいあり神社]
栃木県足利市・福居町1237-1
主祭神:伊邪奈岐命・伊邪奈美命 配神:五十猛[いたける]命・大雷命 境内社:諏訪神社・稲荷神社
天平九年737梁田郡衙の守護神として字大宮上に創建。明治三十八年1905区画整理で諏訪神社境内に遷宮。
『鹿沼聞書・下野神名帳』に有大明神とあるのは単なる誤植か。とても珍しい社号だが由来はまだ不明。
例祭:4月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
梁田郡 正一位 有大明神 中里 橋本氏
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-23丁
御厨同村大字福居字中里鎭座 舊梁田郡 村社 飯有神社 祭神伊弉諾命・伊弉冊命 祭日三月十五日九月十九日
建物本社間口五尺四寸奥行四尺六寸栃葺 雨覆間口三間一尺奥行三間瓦葺 末社一社 鳥居一基 氏子四十五戸總代六員 社掌同上
本社創建年月日詳かならすと雖も正一位の神階を授けらる 享保年中神子を置かれ神樂等怠たりなく奏上し文政年中には神主を置かれ橋本筑後正綱貞奉仕せり 社域千五百七十八坪を有す
赤城神社
[あかぎ神社]
栃木県足利市・福居町1986
主祭神:磐裂命・磐筒男命・大物主命・大国主命
康元元年1256四月五日創建。赤城大明神と称した。
明治四十二年1909境内社だった琴平神社を本殿に合祀。
例祭:4月第二日曜日
ニ柱神社
[ふたはしら神社]
栃木県足利市・福居町1068
主祭神:大己貴神・少彦名神
寛永六年1629創建。聖天宮と称した。明治六年1873改称。
大正十三年1924境内を拡張し,幣殿と拝殿を増築した。翌年恵比寿講社を創設。
昭和二十九年1954と平成十三年に改築。
例祭:4月15日
鹿島神社
[かしま神社]
栃木県足利市・福居町845
主祭神:武甕槌命 配神:素盞嗚命・倉稲魂命 境内社:浅間神社・天満宮・木宮神社(奇稲田姫命)・秋葉神社(火具突知命)
天正四年1576創建。昔,天王村と称し八坂神社を奉祭したが鹿島大神宮に代わった。
明治四十三年1910八坂神社と稲荷神社を合祀。
素盞嗚命が八岐大蛇退治の時に櫛に変身させて頭髪に挿して後に妻としたのが奇稲田姫。最初の子は大己貴命。『日本書紀』はこの後一書第五に素盞嗚命が毛を吹いて杉や檜を生やす話が出てくる。木宮に関係するだろうか。あるいは単に本宮の書き違えか。木宮は八坂神社を鎭守としていた頃に奥宮とされたとの言い伝えが残っている。
例祭:10月第三日曜日
▊御 厨 村 『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-22丁
本村は福居高冨(事百頭)嶋田及ひ上澁垂の舊一町三村を合せ一の自治區となせしものにて其幅員東西一里南北三十町あり 地勢平坦にして矢塲川は其西南を流れ御厨川は其中部を貫流せり 風俗活潑にして農工を營み交際親和なり 各地の交通に付ては假定縣道梁田より來りて福居を貫き他に里道開通し往來の便あり
古來の沿革に付ては徃時は旗本采地に分屬せしか明治維新后戸栃木縣に屬し第四大區九小區に編入せられ更に一戸長役塲の所轄となり後町村制實施に當り相合して現時の一村に至りしものにして村社六社ありて其氏子戸數五百五十余戸人口三千九百十余人あり