足利市月谷町・樺崎町・名草の神社資料

樺崎八幡宮

[かばさきはちまんぐう]

栃木県足利市・樺崎町1723-ロ

【Roku JiiさんYouTube】

主祭神:譽田別命 配神:源義稱命・赤土命・大己貴命・事代主命・豊城入彦命 境内社:八坂神社・琴平神社・織姫神社(栲幡千千姫命)・厳島神社
当社は220年以上前の『鹿沼聞書・下野神名帳』と170年前の『下野国誌』に同名の神主長丹波が記録されていて,『下野国誌』は嘉永元年1848脱稿がはっきりしているので,成立年代不詳の『鹿沼聞書・下野神名帳』の成立時期の推定に重要な手がかりとなっている。詳しくはここをご覧いただきたい。『鹿沼聞書・下野神名帳』成立時期
(2024/2/1)
例祭:4月10月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 八幡宮 樺崎 長丹波
*『下野国誌』嘉永元年1848脱稿 嘉永三年1850刊行 巻四
八幡郷 八幡宮 足利郡樺崎村にあり,圭田二十石神主長丹波と云,足利上總介義兼朝臣の建立なりと云,朝臣ハ佛法に帰依して終に遁世し諸國を廻りて後,此所に入定せしといへり,時に正治元年1199三月八日鑁阿寺殿と号したり,委しくハ下の系圖の条に記したり
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-34丁
北郷村大字樺崎字赤土山鎭座 無格社 八幡宮 祭神譽田別命 赤土命 源義稱靈命 祭日三月八日九月廿九日 建物本社間口二間奥行二間 拜殿間口四間奥行九尺 幣殿二間四方 華表二基 末社四社 石燈籠二基 氏子信徒百九十三人 社掌長祐多仝村大字仝百四十九番地住
社記に曰く承和五年838九月廿九日今の社掌長氏の祖長六郎平爲後始めて村内の鎭護として赤土命を祀り赤土神社と稱す 其境地は元長家の私有地にして茫々たる芝生の原野なり 且地質赤粘土なるを以て赤土山と唱へり 其后庚平六年入月十五日源の義家城鬼門除の社とし八幡宮と合祀し後正治元年三月八日源義家四世の裔足利上總介源義兼思ふ所あつて日本六十余州の神佛拜禮のため津々浦々の端に至るまて回國し終に此地に來り定に入るを以て此靈を合せ祀つり赤土山八幡宮と崇む此れ本社の原由なり 天正十九年十一月十一日徳川將軍家光より樺崎村地内に於て御朱印二十石を賜はりしより初めて社地と改まり文録四年社人長丹波守平信勝より金七十兩年貢除地冥加として領主堀帶刀へ献納す 其年社地へ松杉等の苗を植へ試み後寛文四年長丹波家重の代及ひ天明四年長丹波平豊恒の代文政七年仝丹波平豊展の代に於て社木栽培に心を盡し累代苦辛の末茫漠たる芝生地も鬱蒼たる喬木の枝を空に接するに到る 長家の勞や大なりといふへし 徳川將軍累代御崇敬ありて先判の旨を以て連綿として社領を賜はれしか維新に到りて返還せり 本社に關して珍らかなる由緒もあれと管々しけれは省きつ唯た舊舊記の中の一節を原文のまゝ左に抄出して其奇しきを示さん
上客初義兼幼而愛鴉也一夕偶夢語曰托身隘籠間馳懐遠叢外辛苦幾何悌泣滂沱唯冀縦復于舊義兼夙興劉對中鶉曰象有長牙自焚汝依發好昔自覊従今於我領之境勿啼手自放鶉爾來樺崎郷有鶉
不敢啼雖然妖▢將生則群鶉頻至啼社前池下客此事今に到ても▢らす偶ま鶉の啼あれは必す凶事ありといふ社域六千三十坪にして丘陵の上にあり前に田甫を隔て一帶の山嶽を望み後には樹木蓊蔚たる山崖削り成せるか如とし幽趣自ら備はる 維新前は本社の傍に赤御堂と唱ふる五重塔足利代々の廟所の迹は人をして追古の情に堪へさらしむ大日如來の体軀と埋めし迹は徐ろに千年の昔わ忍ふ心地せり元は社地もいと廣くして二反五畝歩程の廣庭あり拜殿の前より其四隅に各松ありて四方掛りの松と呼ひ名高かりしよし
又鶴龜の池とて二つの御神池ありて池の形鶴龜に似たりしか今は龜池のみ形を存し鶴池は大方田甫に變しと云 本社はされと壯麗美觀にして殊に吉良上野介よりの奉額は金色燦然として今に威光を失はす 實に郡内屈指の社也 寶物征矢之根二本(源義家より爲朝に傳り爲朝より奉納形鎗如くにて長二尺四寸あり)鶉籠(源義兼所持にして回國の中も携帶せしものにて眞鍮に鍍したる丈六寸四分横巾五寸九分四方あり)南蛮鐡星甲(和田合載の時朝比奈に▢を引き切られしと云ふ義氏の奉納なり)伽羅枕(義兼回國の時所持したるもの)神鏡(元録九年三月八日木連川石兵尉督源氏春奉納裡とに鋳刻し圓形なり)記録書一巻(吉良上野介長氏の書なり)神糸圖ー巻(斎藤圖書官従四位朝臣氏義奉納なり)色紙二枚(一は久我内大臣通誠公書にして「小山田のいほちからなく鹿の昔にをとろかされてととろかす」ーは「萬代の始と今日を祈りたきていま行末は神そ知るらん」楠の丸彫笈(義兼回國の時建久六年三月十三日奈良東大寺に於出家となる際後鳥羽天皇より賜はりし大日如來の像を入脊負て神佛を拜禮せしと維新の際神佛分離の時管田村光徳寺へ移す)厨子二箇(何れも八幡太郎義家の像なり但雲慶の作にして地頭堀欽太郎より奉納今光徳寺にあり 棟札二枚(ーは承和五年838九月二十九日のものなり一は康平六年1063八月十五日のものなり)御廟(足利代々の碑及ひ義家三男義國の碑其他二十基程ありしも光徳寺に移し今尚存せり)
『下野神社沿革誌』記載の示現神社は大正八年1919樺崎八幡宮に合祀される。
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-33丁
北郷村大字樺崎鎭座 村社 示現神社 祭神大己貴命 豊城入彥命 事代主命 祭日陰曆三月十九日九月十九日 建物本社一間四方栃葺 雨覆間口二間半奥行二間半 幣殿間口二間半奥行二間 拜殿間口二間半奥行二間 神樂殿間口三間奥行二間半各屋根萱葺 石木鳥居二基 石燈籠二基 手洗石一基 寶物金幣神鏡 氏子百六十戸余總代三員 社掌橋本錦重郎仝村大字百二十六番地住
當社地往古は大野郷と云いし由なるか今は本郷と云ふ 大字中央を貫流する宮川の邊りに鎭座して淸洒たり 享保廿一年四月を以て神祇管領長上より垂跡以來彼増一階勸年記極位を授くるとあれは古き社なること疑ふへきもあらされとも創立の年月日詳ならさるはいと惜むへしと云ふへし 又元文元年九月頒主堀氏より扁額献納ありて今に存せり 社域三百三十八坪にして華表の側に三本の古松あり葉の濃薄ありて世繼の松と稱す比歌に
  あしはらの國いや廣にしけれとて世繼の松をか見やうゑけむ

示現神社

[じげん神社]

栃木県足利市・月谷町467 つきやちょう

主祭神:大己貴命 配神:事代主命・建御名方命 境内社:八坂神社・稲荷神社・琴平神社
元慶四年880創建の古社。
例祭:4月21日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 慈眼大明神 月谷 峰岸桂
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-34丁
北郷村大字月谷鎭座 村社 示現神社 祭神大己貴命 健御名方命 事代主命 建物本社四尺四方 拜殿間口三間半奥行二間 幣殿間口九尺奥行二間半 神樂殿一棟 寶庫一棟 末社六社 氏子二百十六戸 社掌峯岸豊仝大宇住
本社創立元慶四年880にして月谷大明神と稱せしを天正年中示現と改號す 再建は慶長及ひ慶應元年にして社域五百六十三坪を有す

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県足利市・月谷町1339

主祭神:譽田別命
建久1190~99頃,足利義国が創建。小ぶりの石宮が祀られている。
例祭:4月21日

飯綱神社

[いいづな神社]

栃木県足利市・月谷町1342

主祭神:国常立命 配神:保食神・大山祇命
貞観十八年876八王子の高尾山薬王院有喜寺より飯縄大権現を勧請して創建。隣りに神明宮。
例祭:4月21日

神明宮

[しんめいぐう]

栃木県足利市・月谷町1356

主祭神:大日孁貴命 境内社:豊受神社
養和元年1181創建。山奥にあって草木生茂リ,そのうえ平成17年時点でイノシシが多数生息し,近寄りがたいという。
例祭:4月21日

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県足利市・月谷町1417

主祭神:倉稲魂命
天正年間1573~92の創建,天文五年1536再建と伝わるが整合性がない。逆かも。あるいは天承年間1131~32創建か。こちらも平成17年時点でイノシシが多数出現するという。
例祭:旧暦2月初午日

琴平神社

[ことひら神社]

栃木県足利市・月谷町404

主祭神:大物主命
文政元年1818寺の守護として角欠[すみかけ]に勧請。金刀比羅大権現と称した。
癩病を底抜けに根抜けに治癒することを祈願するため底の抜けた柄杓を奉納する習慣がある。
例祭:4月1日

山神社

[やま神社]

栃木県足利市・月谷町1743


主祭神:大山祇命
永尾影顕が城内に祀り城山神社と称した。廃城となり現在地に遷宮。
例祭:4月第四日曜日

山神社

[やま神社]

栃木県足利市・月谷町664

主祭神:大山祇命
寛和年間985~987に久保山に創建,久寿年間1154~56に現在地に遷宮。
例祭:4月21日

浮石弁財天

[?べんざいてん]

栃木県足利市・月谷町692


主祭神:市杵嶋姫命
上記山神社の北隣り。「行道山・菅澤浮石弁財天・淨因寺」立て看板。

菅澤天満宮

[すがさわてんまんぐう]

栃木県足利市・月谷町713


主祭神:菅原道真公 境内社:八坂神社
延喜十四年914十二月または四月,村の老人が京都見物に行き地震雷雨火災に遭遇,菅公の祟りとの洛中言を聞き,宿の築山の小石を菅霊神と思いなし一心に祈ると災害が治まったので,小石を持帰り翌延喜十五年915二月,字沢中に一祠を建て祀ったことに始る。沢中の頭に菅公の菅を付けて菅沢としたので,菅沢天満宮と呼ぶ。小石は現在も残っているらしいが,ほんとうなら1100年になる貴重品。
例祭:4月21日

諏訪神社

[すわ神社]

栃木県足利市・樺崎町1981-ロ


主祭神:建御名方命 境内社:八坂神社
文治年間1185~90馬坂[まざか]山中腹に創建。享和二年1802本殿屋根葺替。
明治初年に秋葉神社,琴平神社を合祀。本殿側面に孟宗,文帝,郭巨の孝行物語が彫られている。
例祭:4月10月第三日曜日

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県足利市・樺崎町 雷電山224mに

主祭神:別雷命
永正年間1504~21の創建。嘉永五年1852再建。
平成18年時点では,小さな石宮が祀られている。
例祭:4月3日

富士仙元宮

[ふじせんげんぐう]

栃木県足利市・樺崎町247

主祭神:木花開耶姫命
Google地図に仙元宮の文字で載っているが出所不明。詳しいことは分からない。大月町にも仙元宮。足利では浅間を仙元と表記するところが2か所。

日枝神社

[ひえ神社]

栃木県足利市・樺崎町2484

主祭神:大山咋命 配神:大己貴命・別雷神
寛永元年1624以前の創建。嘉永年間1848~54に再建。
平成18年時点では社殿はなく,小さな石宮が祀られている。
例祭:4月23日

浅間神社

[あさま神社]

栃木県足利市・樺崎町857

主祭神:木花開耶姫命
293号線沿いに鳥居があった?

日光神社

[にっこう神社]

栃木県足利市・名草中町3436


主祭神:大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命 配神:大山祇命・木花咲耶姫命・仁徳天皇・軻遇突智命・菅原道真公
文禄四年1595日光二荒山神社より御分霊を勧請して創建。
大正三年1914天満宮,白山神社,愛宕神社,山神社,浅間神社,八幡宮を合祀。
例祭:10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
足利郡 日光三社大権現 名草 五宝院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-32丁
北郷村大字名草鎭座 村社 日光神社 祭神大己貴命 田許理姫命 事代主命 祭日三月十五日九月十五日 建物本社一間四方銅葺 拜殿間口四間奥行二間 神樂殿間口九尺奥行二間末社七社 木鳥居一基 石燈籠二基 氏子四百戸總代六員 社掌堀江水穂本村大字二百四十八番住
社傳に曰く當社は往古日光二荒山神社を遷座して勸請せしも遼遠にして勸請年記詳ならす 元祿五年1692三月本社再建せし事は明なり 往時五寶院にて代々別營職を奉し維新の際復職し堀江水穂と改名して奉仕せり 明治二十八年二月を以て巨大壯麗なる本社拜殿を改築す 境内は里道の西側の小丘にありて頗る幽邃にして淸洒たり 樹木蓊欝として中にも神木と稱せし老杉(二丈余回)は高く中空に聳ひ風致焉然として愛すへし 本社の馬塲長延にして六十階の石磴を登りて拜殿に達す 社域廣大にして三千坪あり 又本社維持として田一反九畝廿四歩を有す

厳島神社

[いつくしま神社]

栃木県足利市・名草上町4990

主祭神:市杵嶋毘賣命
昔は創建不詳だったが『栃木県神社誌』平成18年版からは弘仁年中810~824なんと空海の創建説が掲載されることになった。場所も名草山の奧観音窟と特定。弁財天と称した。文禄五年1596現在地に遷宮。明治二年1869焼失したが五年に再建。
境内に名草巨石群
例祭:5月4日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻一-36丁
北郷村大字名草鎭座 無格社 嚴鳥神社 祭神市杵嶋姫命 祭日陰曆四月初已日 建物本社二尺四方 拜殿間口二間半奥行二間瓦葺 回廊巾一間長七間 末社一社 石鳥居一基 石燈籠一基 信徒四百戸總代六員 社掌堀江水穂本村大字二百四十八番
本社は往昔安藝の巌嶋神社を遷せしものなれとも創立年月日詳にせす 然れとも衆庶尊拜する社なり 社域百五十坪田一反二十五歩の社有財產あり

阿夫利神社

[あふり神社]

栃木県足利市・名草上町


主祭神:石凝姥命
明治廿八乙未年1895奉納阿夫利神社自然石社号標。
「名草小まで5km」の標識が石燈籠わきに。
西場町にも阿夫利神社が鎮座。
例祭:月日 

八坂神社

[やさか神社]

栃木県足利市・名草下町4625


主祭神:素盞嗚命
文化九年1812八月創建。昭和六年1931石燈籠。昭和八年1933石鳥居。
石宮額に「天王宮」
例祭:7月15日 子供神輿巡行

御嶽神社

[みたけ神社]

栃木県足利市・名草下町485


主祭神:国常立神
建久七年1196足利上総介義兼が創建。寛延三年1750本殿再建。蔵王権現と称した。前方後円墳の蔵王権現古墳に鎭座。
例祭:1月7日七草祭 赤城山の大蛇に見立てた的をウツキの弓と篠竹の矢で射る矢神事

八坂神社

[やさか神社]

栃木県足利市・名草中町1185


主祭神:素盞嗚命
享和三年1803創建。明治四十年1907拝殿新築。 例祭:7月15日 屋台巡行

八幡神社

[はちまん神社]

栃木県足利市・名草中町3657

主祭神:譽田別命 境内社:西根神社・山神社
享保三年1718名草村の岩下甚左衛門が創建。八幡宮と称した。明治二十九年1896山神社と合併して八幡神社と改称。
例祭:10月10日