白鷺神社

[しらさぎ神社]

栃木県河内郡上三川町しらさぎ1-41-5

祭神:日本武尊 配神:大己貴命・豊城入彦命・事代主命
境内社:雷電宮・愛宕神社・出雲神社・白鷺大神
延曆二年783創建の古社。『下野神社沿革誌』記載の境内地は1825坪だったが,現在は町の中心部に5000坪を有す巨大神社。平成の大改修事業により隅々まで整備された。
4月15日に200年の伝統ある太々神楽が奉納される。
昭和39年1964石鳥居。 本殿左手奥に白鷺天神。右手奥に3社。左から雷電宮,愛宕神社,出雲神社。その右手は古神札・おまもり納所。愛宕神社前に天保十年1839石燈籠。
例祭:11月15日
『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻五・3丁
河内郡上三川町大字上三川鎭座 郷社 白鷺神社 祭神 日本武命 大己貴命 豊城入彦命 事代主命 祭日十一月十五日 建物本社間口二間奥行二間二尺高欄濱縁向拜付栃葺 拜殿間口六間半奥行二間半前同斷 水屋東屋造栃葺 社務所平屋造草葺 鳥居木/石二基 唐銅灯籠一基 石燈籠二基 末社十三社 氏子千四百戸總代七員 社掌上野喜重同町大字上蒲生三十三番地住
縁起に曰く,我白鷺神宮者,其創祀最遼遠而,實延暦二年783也,抑祭神倭建尊者,坐日代宮知天下,天皇之御子而,西討熊襲,東平蝦夷,助帝業,撫蒼生,遺徳大矣,當時,平松下野生守,感靈夢,探建尊駐輦之舊趾,立神祠矣,奉稱白鷺神宮者,蓋建尊崩後,白鳥出垗域,轉栖三所,遂翺翔而,由有昇天之奇瑞欺歟,或云,坐他田宮知夫下,天皇之御宇,郷閭大疫,時有神託曰,朕倭建尊也,能祀我前者,疫忽可止焉,國司平松氏,建祠祈之,果有験,云々嘉祥二年849夏,大旱水凋苗萎.時有神託曰,可堀井可穿川,云々郷宰,先令穿井,有大石叵堀,百方工夫擧之者,石下蓄甘水,混々激出,忽成一河,周濯良田,毅稔民富,村俗安寧矣,此石面有日本之二文字,除雖不詳,爲當宮之古碑,貴重之,云々井名日本井,河名井戸川,今尚存焉,此郷,東有鬼怒川,西有田川,中央則有井戸川,故名三川郷,云々承平中,藤原弘惟,天慶中,藤原秀郷,長保中,平維衡等,相次領當國,各表誠敬於當宮,就中,永承中,源頼義奥羽追討之刻,殊祈軍功献物品云,建長中,字都宮頼綱男頼業,城上三川,其產土神.宇都宮豐城入彦命,配祀于相殿,改造宮殿,増進社領矣,當領主,復大加壯觀,神威赫奕,遠近仰恵焉,是當宮之由來也,雖然,中世兵乱相亜,宮記散逸,使後人苦知本傳,故徴古史家牒,以録之,欲備永久云爾,建長七乙卯年正月,神宮司,蒲生稻置政友謹録
本社は人皇百十三代東山天皇の御宇寶永四年1707二月廿八日を以て宣旨正一位を授けられ明治五年1872四月十五日郷社に列せらる 同十五年本殿を修理す 社域一千八百廿五坪 社宇宏壯善美を盡し燦然として目を奪ふ 境内廣寛高燥の地に在り 四周に壕を繞らし石の神橋を捗れは千年の老杉古檜野木蔚々蒼々として社殿を繚繞し瀟洒神寂て古雅に富み人をして覺す襟を正しくして敬せしむ 毎年十一月十五日を以て大祭を行ふ 皆遠近より來賽するもの多く爲に町街雑踏を極む
神楽殿と翔舞殿 社務所
八坂神社
八坂神社内の神輿 神門
神門手前左手 神門入って左手 皇大豊受神宮
手水舎 白鷺が二羽 日光石の神橋
元文五庚申年1740 翔舞殿
12.2mの青銅剣 日本武尊
神楽殿 本殿左手 白鷺天神
白鷺天神 白鷺天神
本殿右手裏 雷電宮 愛宕神社
出雲神社 古神札納所 本殿
山車屋台収納庫内
西の明神鳥居
八幡宮

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県河内郡上三川町上三川4912

祭神:譽田別命
白鷺神社の南方の住宅地に鎮座。ちょうど町立図書館の東にあたる。詳細は分からない。
右手に「生子神社」
昭和十七年1942奉納の社号標。安政三年1856石燈籠。
安政三年1856 右手に生子神社
入口
金毘羅

琴平神社

[ことひら神社]

栃木県河内郡上三川町上三川4915

白鷺神社南方の街中に鎮座。詳細は分からない。
奉納額は「金毘羅大権現」とある。平成二十六年の立看板に「下町琴平神社奉納者芳名」とあるので,正式名称は「琴平神社」とした。
文久二戌1862石燈籠。昭和四十一年1966石鳥居。
琴平神社の文字
金毘羅大権現
付近のお堂 お堂内 多数の石塔
大手坂

大手坂稲荷神社

[おおてざかいなり神社]

栃木県河内郡上三川町上三川3450

祭神:倉稲魂命または保食神
道路沿いの民家の北側にかくれている。石宮が祀られていて,石鳥居に額が架かっているので社号が分かる。詳しいことは不明。
神明神社

神明神社

[しんめい神社]

栃木県河内郡上三川町上三川3600

祭神:天照大神 境内社:5社
旧地名:上三川町常光坊
往古には普門寺の下寺で「大日堂」と称した。天保十年1839に大日堂再建の記録が残っている。維新に際し,大日社,大日神社などと社号を変えて,最後に神名神社として存続した。御神体は大日如来像である。
境内西から本殿までトンネルが掘ってあって,社殿真下地下には稲荷神社が祀られている。昔は祭日に氏子がトンネルに入り,六根清浄と唱えながら稲荷神社にお参りしたという。現在は一部崩落して行けないらしい。
古墳のように見えたが,地元の方は違うとおっしゃっていた。古墳は少し南方にあるという。
本殿前に天保十己亥年1839石燈籠。境内社脇に天保八年丁酉1837庚申供養塔,宝暦三癸酉天1753六手など。
例祭:10月7日
旗竿
石段右手
奉納額
拝殿内に神明神社額
天保十年1839石燈籠
西から 石段右手に境内社鳥居 境内社
天保八年丁酉1837 宝暦三癸酉天1753
氷神社

氷神社

[こおり神社]

栃木県河内郡上三川町上三川1271

祭神:水速売神
寛永十六年1639創建。鬼怒川の氾濫に苦しめられ,水速女神を小祠に祀ったのが始まり。水速女神は『古事記』では弥都波能売神[みつはのめのかみ],『日本書紀』では罔象女神[みつはのめのかみ]と表記する。
建久1190の頃,鹿沼の粕尾で治水事業に功のあった医師中野智元・録事法眼を相殿に祀る。
昭和七年1932現在地に遷宮。平成9年に改築。『栃木県神社誌』平成18年刊の掲載写真と2016年の社殿は異るので,最近建て替えている。Web地図に大杉神社で載っているが『栃木県神社誌』で氷神社で記載。とても珍しい社号である。
カーブの角に鎮座する関係で,鳥居と本殿は90度違い。
馬頭観世音,昭和十六年1941馬力神など九基並んでいる。
となりに消防団と五ッ家自治会公民館。
道路標識に常光坊とあるのは上記神明神社付近。
例祭:1月20日
道路開通記念碑
藁宝殿に金精様?
左に消防団 火の見櫓

 

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