蒲生神社

[かもう神社]

栃木県河内郡上三川町上蒲生423

祭神:大国主命 配神:天津彦根命
境内社:伊勢神社・八幡神社・稲荷神社(保食神)・日光神社・大杉神社
黒坂命の東征の際小祠を建て戦勝祈願をしたことに始まる。その孫蒲生黄意美が日本武尊に従軍しその功により蒲生稲置の名を賜り,当地を領するにあたり八千矛岡に社殿を造営し,蒲生神宮と称した。
一の鳥居から両側に杉を植えた長い参道が続いている。しばらく進むと大正四年1915社号標と昭和四十一年1966二の鳥居。さらに石葺きの参道を行くと左手に神楽殿,右手に手水舎,石祠が15基ずらっと並んで,その隣りに八坂神社。拝殿には立派な注連縄が架けられている。本殿は流麗な流造。
例祭:11月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡 正一位 蒲生大明神 上蒲生 上野主殿
*『下野掌覧』万延元年1860 都賀郡之部
正一位 蒲生大明神 蒲生村鎮座 祭主上野氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻五・4丁
河内郡上三川町大字上蒲生鎭座 村社 蒲生神社 祭神 大己貴命 豊城入彦命
建物本社間口一間奥行七尺 拜殿間口二間半奥行一間半 末社三社 氏子三十五戸 兼社掌上野喜重郷社白鷺神社々司
(以下文永元甲子歳1264に神宮司蒲生稻置正名の銘記した創立記の漢文が引用されている)
本社は本大字東端に鎭し社域一千百二坪周囲に深壕を繞らし馬塲百八十餘間に石橋を架し華表二門を過き境内に至れは老樹蔚然四方に繁茂して中空に聳ひ亦四壕には蒲の茂生あり 其中央に社殿宏壯として荘厳を極め本社に繞らすに十六間の瑞籬を以てす 東田甫を望み遙に上三川の郷社と相對し北は一帯深林に接し西南田野を扣ひ平坦の地と雖も風色頗る深邃なり 社寶には備前友成の作長刀一口氏子猪瀬徳一郎の奉納其他古鏡二面を蔵す
本殿裏手
手水舎 神楽殿
石祠多数
八坂神社 大正十五年1926献木檜八百本
一の鳥居 一の鳥居方向
石敷の参道
蒲生神社2

蒲生神社

[かもう神社]

栃木県河内郡上三川町下蒲生702

祭神:大己貴命 配神:豊城入彦命・事代主命
境内社:星宮神社・稲荷神社(保食神)・須賀神社・(『下野神社誌』旧版には今宮神社(味耜高彦根神)も記載)
蒲生稻置の奉祀した社と伝わる。黒坂命の東征に勲功のあった子孫が多く東国を受領した。蒲生稻置はその一人である。
森の入口に大正四年1915社号標。大谷石らしき敷石の参道が一直線に伸びていて,旗杭と木製朱塗の両部鳥居。
平成九年の新しい狛犬。
本殿右手裏に石祠三基,中央が星宮神社。
例祭:11月15日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻五・5丁
河内郡上三川町大字下蒲生鎭座 村社 蒲生神社 祭神 大國主命 事代主命 豊城入彦命 建物本社間口一間奥行七尺 拜殿間口二間半奥行一間半 末社三社 氏子三十五戸 兼社掌上野喜重郷社白鷺神社々司
本社創立年月遼遠にして詳ならす 社域五百三坪平坦にして瀟洒たり
稲荷・星宮・須賀神社
参道左手
社号標
鎮守の森手前の道沿いに石祠を二基祀った覆屋があり,道路を挟んで石版と石柱の道標が立っている。北の下に上三川,つぎに二行で粕田村とか二郎村とか「東・三王山(五分一の南と三本木の東にある)…舩」「西・成田村…羽宿也」などがかろうじて読めるが,詳細は分からない。
後ろの森が蒲生神社
西
天満宮

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県河内郡上三川町天神町10-14 多功廃寺址

祭神:菅原道真朝臣
288 境内社祭神:大杉大神・雷電大神・足尾大神・稲荷大神・松尾大神・薬師大神・猿田彦大神・八坂大神・浅間大神・東照大神
旧地名:河内郡上三川町大字多功2036
天正十三年1585北条氏直に攻撃されて消失,寛永二年1625再興。慶安二年1649家光が日光参詣の途中に立寄り,社の頽廃を見かねて社領を拡大させて援助した。
平成五年一の鳥居両脇に「一國一社威徳天神」と「村社天満宮」社号標。参道左手に梅の古木が並び,旧鳥居柱が二基保存され,寛政六年1794二の鳥居正面に社務所。右に90度曲がると正面に三の鳥居があり玉垣に社殿。拝殿左手前に「礎石」二基が保存されている。八世紀奈良時代の「多功廃寺址の礎石」である。寺ではなく役所跡の可能性が高い。 玉垣石段手前の石燈籠は明治十二年1879。平成4年改修記念碑。平成21年土止工事記念碑。左手に大正十二年1923社殿修飾大祭記念碑。
大正十二年1923狛犬
二の鳥居手前に地蔵堂と石像三基。中央は「保元丙」から推定すると「享保元丙申1716」の十九夜。
朱塗の本殿周囲には彫刻が施されている。
社務所前に「下野式社威徳天満宮」石塔。社務所右手に石宮。広前右手に猿田彦大神。
三の鳥居右手に石祠九基が並ぶ。神楽殿のうしろに天神町公民館。
リンク→「上三川町指定文化財・多功廃寺址と礎石」
例祭:2月25日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻五・42丁
河内郡雀宮村大字多功字天神町鎭座 村社 天満宮 祭神 菅原道實朝臣命 建物本社間口一間奥行八尺 拜殿間口四間奥行三間半 神楽殿間口二間奥行三間 末社八社 華表一基 石燈籠五基 氏子百三十四戸 社掌萩野矢信慶同村同大字住
本社創立は寛弘四年1007にして僧祖光の勸請なり 社傳に曰く 一条天皇の御宇寛弘年中京都北野の側に平等庵と云ふあり 此庵に祖光住めり 此人は只学問の爲めに假りに僧となりて詩歌を嗜むことゝし黽勉日夜怠たらさるも其吟詠未た秀美に至らす 故に北野社に詣てゝ黙禱すること七日夜神靈験ありて志願成就せは諸國を周遊し清浄の地に一社を建立せんと誓けれは遂に詩歌の名人となり諸國を經歷し此地に來り清地を撰ひ茲に一社を創立せんと請願す 勅許ありて本社を建て北野社より御分靈を請ひて鎭祭し一國一社の碑石を建つ 境内には八總の梅數十株を植へて繁茂し今尚存せり 往時別當玄道の代慶長九年1604九月伊奈備前忠次徳川将軍家康の命を奉して高三石の黑印を給り后慶安二年1649徳川三代将軍家光之を改め朱印となし徳川累代崇敬を加へり 殊に衆庶信仰の社なり 社域一千七百十二坪平坦の地に在り 境内には老梅林をなして屈曲龍の雲に躍り虎の傲亻牙に伏するか如き枝を交へ花時には芬香馥郁として満地雪に埋るゝか如く幽静にして頗る愛すへし
一の鳥居 一國一社威徳天神 左手に旧鳥居
二基目の旧鳥居 二の鳥居 寛政六年1794
社務所前 社務所右手 右奥に三の鳥居
猿田彦大神 石祠多数
玉垣外左手の解説板
社殿左手の石段 石段を上がると礎石 礎石
神楽殿
狛犬が隠れている 三の鳥居から
二の鳥居手前のお堂 お堂内
お堂隣り 一の鳥居方向 公民館
遺跡の土壇 土壇から見た天満宮

 

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