石村神社

石村神社

[いしむら神社]

栃木県鹿沼市引田1307

主祭神:磐裂神 配神:根裂神・経津主神
境内社:大内神社・豊年神社・稲荷神社・八坂神社・天満宮 創建不詳。「星宮大明神」の文字が二基の燈籠に読み取れる。一基はそろそろ270年経とうとする貴重品。
延享五年1748「正一位星宮大明神」石燈籠。天明六年1786「奉納星宮大明神」石燈籠。
ほかに寛政二年1790石燈籠。
維新に際して「石村神社」と改称した。
例祭:1月7日 風祭:8月31日
*『下野掌覧』万延元年1860
正一位 星宮大明神 引田村鎮座 祭主高村氏ナリ
*『下野神社沿革誌』巻3-25丁(明治三十五年1902)
上都賀郡東大芦村大字引田鎭座 村社石村神社 祭神 磐裂命・根裂命・經津主命 祭日陰暦正月七日
建物本社間口二間奥行二間半銅葺 拝殿間口二間奥行一間半杉皮葺 神門間口二間奥行二間石葺 末社二社 石瑞垣本社の周圍にあり 石唐獅子二基 末社一社 石鳥居一基 石燈籠九基 神寳 古鏡一面亘り七寸 剣一口二尺二寸 氏子百五十戸總代三員 社掌福田誠好齋同村大字同卅一番地住
本社創立年月詳かならす 徃古は星宮大明神と稱し一村の鎭守神なりしか明治五年1872社格改定に際し石村神社と改稱す 享保二十一年1736正月十一日神位宗源宣旨正一位を授けらる 神主は高村越前にて奉仕 同氏は神祇管領長上の襲職許狀七通ありて數代奉務せしも明治五年1872の改撰補任の際職を止む后福田氏奉職す 社域二百八十三坪平坦の地にして大字中央に在り周圍人家に接するも境内淸洒詣するに便なり
由緒書
本殿レリーフ左側面 裏手
右側面 見事な本殿
正一位星宮大明神
延享五年1748 奉納星宮大明神
石村神社の北にある釣堀に氏神社の稲荷神社が鎮座する。ユニークな造形の狛犬と梨の古木がある。釣堀左手には庚申塔など石塔が多数並んでいる。天保六年1835,安政五年1858が読み取れる。
稲荷神社
300年を超す梨の古木 梨の実
釣堀左手の石塔群 地蔵尊
根本山

根本山神社

[こんぽんざん?神社]

栃木県鹿沼市引田1605

上記の釣り堀西脇をさらに入っていくと左手に鎮座。残念ながら倒壊してしまった。標準サイズの木製鳥居があったようだ。石宮が残っており,これが本殿らしい。社号標の「根本山神社」は[ねもとやま]とは読まないだろう。詳細不詳。修験道に起因するか。
見つけにくい 本殿 もうひとつ石宮
社号標
鳥居か
岩戸

岩戸神社

[いわと神社]

栃木県鹿沼市引田1773

主祭神:大日靈貴命・豊宇気毘賣命 地図にも載っておらず,『栃木県神社誌』にも非掲載だが,『下野神社沿革誌』に記述があった。
古峰原街道で西進し大芦川にかかる二つ目の橋になる引田橋を渡って斜め右に入ると鳥居が見える。入り口に金属板の由緒が掲げられている。ここには『下野神社沿革誌』本文と右隣の「誠好齋福田翁寿塚碑」の解説が刻まれている。沿革誌に「福田某」とあるところは「福田三左衛門」と補足してある。誠好齋福田翁は上記石村神社と諏訪神社の社掌も兼務していた。
背後は岩山で丈高い岩窟が御神体だったか,拝殿の向こう側は岩肌だ。その上部に木製祠本殿。
狛犬がユニーク。チェーンソーアーティスト小林哲二氏による杉材の彫刻狛犬。
*『下野神社沿革誌』巻三-26丁(明治三十五年1902)
上都賀郡東大芦村大字引田鎭座 無格社 岩戸神社 祭神 大日靈貴命・豐宇気毘賣命 祭日陰暦二月一日
建物本社間口五寸奥行六尺萱葺 拝殿間口一間半奥行一間石葺 鳥居一基 末社一社 寳物鏡一面 信徒一千餘人總代三員 社掌福田誠好齋同村大字同卅一番地住
當社は往古より大神宮岩戸と唱へ本社の四邊は懸崖絶壁にして其の中腹の天然なる岩窟に宮殿を建立し石磴一百階を躋りて拝殿に至る 社域六百三十六坪民有地にして老杉古檜蓊欝として喬木陰森晝尚暗く蕭瑟にして幽邃なり 社傳に曰く元和元年1615此里の工匠高村嘉右衛門一夜夢に神あり 岩戸に宮社を建立すべしと 夢覺め翌朝其地主福田某のもとに來りて其夢を委らに語れは福田某も同し夢を見たりと これ靈夢なりとてふたりにて伊勢兩宮に詣て神木及添書を請ひ求め本社を建て勸請せしか剏宮なり 此より遠近の人此事を聞傳へて參拜するもの日に月に群集するに至れり 其后も宮殿建替毎に伊勢兩神宮佐八神主荒木田神主より神木御祓等贈られて斎き奉れる御社なり云云
引田には『下野神社沿革誌』にもう一社記録が残ってるが,発見できない。
上都賀郡東大芦村大字引田鎭座 無格社諏訪神社 祭神健御名方神
右:福田翁寿塚碑 由緒銘板
 
狛犬足もと
100階 石段2種類
本殿が見える 本殿
左上 右上
右手
鎮座の山 手前の地蔵尊 十九夜など

 

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